社会・文化

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日本の政策形成における選択肢を議論する際、①永田町・霞ヶ関、②地方、③日本、④世界のどこを立ち位置とするかによって優先順位が変わってくる。
例えば、宮崎県での口蹄疫への対策である。528日にようやく口蹄疫対策特別措置法が成立し、64日に公布されることになった。そこには、どれだけ地域の状況が組み入れられたのだろうか。
 
宮崎牛の種牛の処理問題や20km県内の家畜の処理問題では、宮崎県の人々、特に該当農家の人々の側には、不安、ためらい、悲嘆などそれぞれの思いが交錯している。一方、政府側は感染防止対策を一日も早く厳密に行わざるを得ないと断定する。こうした両者の主張が対立する場面も見られた。しかし、結局、政策的に見れば、地方側は世界・日本レベルでの感染防止の必要性という「公共性」重視の主張の前には、個別の考えの提示を抑制することになる。
 
普天間移設問題も同様のことが言える。つまり、党や地方の主張は、その全集合体である国家の政策目的を超えることはない。また、国家が国民の「最大多数の最大幸福」を考えて他国との間で合意した政策目的と国内の地方の主張が異なるからといって、議論になることは考えにくい。
ここで言う「議論」とは、相互に検証可能な資料を提示、検証した上で、各々が持っている偏見を認識、是正しながら1つの結論を導き出す作業である。双方が一方的に主張する場ではない。
 
今回の口蹄疫問題では、地方分権を進めることを標榜する政権ではあるが、現場から遠く離れた永田町、霞ヶ関という地で意思決定を行い続ける状況に変化がないことが浮き彫りとなった。
また、普天間問題では、国際情勢が変化する中で国家も動的平衡を保ちつつ政策形成を行わねばならないのだが、これに対し、歴史的足枷をはずすことができず抵抗勢力となる人々が生まれてしまった。
 
こうした不幸な出来事を前に、国民は社民党の連立離脱や首相の責任問題といったことに注目するのではなく、多様化する社会の中で価値観の相対化を克服し、この国の共通の理念(信念)・価値を形成するために、政治指導者が何を語るのかを注視せねばならないのではないだろうか。
 
混迷している民主党政権下での国難を、民主主義を進化させる上で通るべき道だと捉えれば、そう悲観的になることもないのかもしれない。
真の民主主義を目指し日本が歩みだしてから、まだ65年しか経っていないのである。

日本と二大政党政治

イギリスでは56日の総選挙で勝利した保守派が、1974年以来となる過半数割れとなり、9日、第3党の自由民主党との連携協議に入った。両党は政策面でかなりの開きがある。第1党となった保守党としては、自由民主党にあまり妥協すると、支持者に裏切ったとの感情を抱かれかねない。
今後、イギリスでどのような政治協議が行われるのか、また選挙制度改革が行われるのかどうかなど、日本にとって大いに参考になるだろう。
 
それにしても、イギリスで二大政党の時代が終わろうとしている時代に、日本では二大政党が鎬(しのぎ)を削る状況が望まれていると報じられているが、果たして本当だろうか。例え、そう望む人々がいたとしても、その願いはかなうのだろうか。
その理由として、まず、冷戦終焉後、日本でもイデオロギー的対立が薄れていることが挙げられる。特に、民主党と自民党では政策的な差異はほとんどないといってよいだろう。このため、立候補者も、どちらでもよいから選挙に勝てそうな党から立つ、という人が少なくないと聞く。
こうして政策が近くなると、選挙に勝つためにはバラマキ政治、陳情政治がはびこるようになることは、現実が示している。
 
2の理由として、選挙の際、利権誘導や口利きなどの人間関係をもとに事が進められやすいという日本社会の空間の特性が顕著に表れる点が挙げられる。町村の首長から県議会議員、国会議員にいたるまで一体となって利権誘導活動が行われていることは、日本人には周知の事実であろう。
これまでの政治的土壌や選挙手法は、日本社会の空間の特性の表れである。そこが何も変わらない中で民主党が政権に就いた。そうなると、政権政党は替わったが、自民党政権時代と同様の状況になる可能性がある。
 
イギリスで第3の政党が存在感を強めている大きな理由として、市民の価値の多様化が進んでいることが挙げられている。しかし、先進国では珍しく国会議員数を増やしたことも関係しているとの指摘も見逃せない。
これらのことから二大政党が根付くことを望むのであれば、国会議員の定数削減をはじめとする国会改革、地方分権改革という2つの改革を実施し、日本の政治土壌、選挙手法を変える必要があるだろう。もちろん選挙民自身も意識を変えねばならない。
 
しかし、そもそも日本に二大政党を根付かせることが良いのかどうかの議論もあまり深まらぬ中、前回の衆議院選挙で二大政党政治の実現を標榜した政治学者や政治家、マスメディアは、「単なる輸入もの好き」か「大いなる策士」か、と考えるのは私だけではないだろう。
およそ1ヶ月前、フィナンシャル・タイムズに「日本の偽りの夜明け」という記事が掲載された(329日付)。内容は、新政権の樹立によって二大政党制の創出を願う人々がいる中で、現実にはそうでない結果となっているというものである。
同記事では、その理由として自民党の分裂、民主党の党内論争を挙げており、さらにその背景には、日本の政党は明確に規定されたイデオロギーに基づくものではなく、個人的関係、および権力とカネの仲介により成り立っていることがあると指摘している。
このことは、政治分野のみでなく、日本の組織全般に言えることかもしれない。
 
このイデオロギーなき政治の悪しき側面は、インクリメンタリズム(incrementalism、増分主義)と呼ばれる行動様式として表れる。
この行動様式での政策立案の特徴としては、①既存の政策を大きく変更する可能性があるものは採用しない、②政策案がもたらす結果について熱心に検討しない、③現在利用可能な手段で達成できない目標は設定しない、④既存の状況と政治立案の実施結果予測とが異なる部分は分析の対象としないなどが挙げられる。
具体的事例としては、予算の支出の拡大が挙げられるだろう。つまり、既存事業の大幅な変更は行わず、既存事業の小さな見直しと新たな事業の追加が行われることで、予算額は毎年増加していることになる。
 
政権交代の1つの意義は、あらゆる政策立案におけるインクリメンタリズムを打破することにあったといっても良い。
現在の民主党政権で実施されている仕分け作業は、予算におけるこの行動様式にメスを入れるという意味では意義があるといえそうだ。一方、この作業において、どのような国家を目指すかというビジョン(イデオロギー)が見えない点や、恒常的業務として仕分け作業を行うシステムをつくる姿勢が見えない点などまだまだ改善すべきことは多い。
その他にも、外交やセーフティーネットなど、現政権はこれまでの政策を大きく転換しようと試みているようではある。しかし、それはインクリメンタリズムを打ち破る試みといえるだろうか。
 
前出のフィナンシャル・タイムズの記事でも指摘されていたが、日本の社会空間では総意が重んじられる。そのための調整機能が働く社会である。
例えば、社会福祉か財政規律か、善隣外交か日米関係強化かなどの命題において、明確な選択をしないことが多い。後者について言えば、中国の台頭は日本にとってビジネスチャンスの拡大を意味する一方、多方面で日本が苦境に立たされる要因ともなりうるという客観的、多面的分析が必要である。政策の選択が曖昧になるということは、こうした分析をあえてしないようにしているかにも見える。
この点から見れば、前政権同様に政治家、行政官のインクリメンタリズムは変わっていないといえる。日本の社会空間の特性がそのような行動をもたらすからであろう。
 
国際的な政治・経済環境は急激に変化している。早急に近未来に起こりうる問題に率直に向き合い、インクリメンタリズムを退けて政策立案をする必要がある。さもなければ、「巨大な隣国」の不確実性の高い発展の大波をかぶり、あてどなく漂流し続ける日本となる恐れがある。

自然災害と日本

414日に起きた中国青海省での地震は、捜索が難航しており被害の拡大が報じられている(15日夕刻時点での死者760人、行方不明者243人)。すでに7500人が救援活動を行っているが、16日に新たに2500人の応援部隊が投入された。
 
今回を含め、このところ続いている大地震のように直接、生命に関わるものではないが、人々の生活に大きな被害をもたらしている自然災害が欧州でも起きている。アイスランドでの火山の噴火である。
同山は1821年の噴火を最後に休火山となっていたのだが、今年321日に活動が始まり、415日に大規模な噴火が起きた。
その火山灰が欧州北西部の上空に広がったことで、イギリスやフランスの空港が閉鎖され、欧州便の大半が欠航となっている。運行の再開は火山活動の状況によるが、混乱は2日間は続くと見られている。
 
仮に、近い将来、富士山が活動を再開したら、東海沖で大地震が起きたら、日本の危機管理体制は大丈夫だろうか、と不安がよぎる。
それというのも、郵政事業の見直しや米軍普天間基地移設問題など、これまで十分議論し対応してきた問題を、政府は思いつきのようにも見える発言や行動で混乱させているのではないかと気になるからである。
 
一般的に、国家の基本的政策は政権が交代しても継承される。そうした政策を変更する場合、十分に政策を評価し公議した上で行うのが通常であろう。
政権移行期とはいえ、あまりにも性急にことを運んだり、決断を急ぐ必要があるのに議論ばかりに時間を使ったりと、どうもチグハグな政権運営をしている感がある。
恐らくそれは、各政策に着手するにあたり、政府と与党間、連立与党間、各省庁間で連携が取れていないことによるのではないだろうか。
そうだとすれば、廃止された事務次官会議に代わって、仕事が増えた官房長官を補佐する機能をもつ省庁の政策調整連絡会議の設置も検討されるべきではないだろうか。
 
世界では、自然災害意外にも、キルギスのバキエフ大統領を襲った政変、ポーランドのカチンスキ大統領が巻き込まれた航空機事故など大きな出来事が続いている。
日本の政治が政局となりつつある中で、国民の安全安心を守る体制だけはゆるぎないものであってほしい。
 

社会空間と政策の関係

今年も4月に入り、多くの人が、新たな気持ちで職に就き、また新たな学びの場に進んでいる。かくいう私も、四捨五入すれば60歳という老体をもって、新たな学びを求めて大学院生となった。
「大学教員なのに今更ですか」との質問を受ける。それに対して、平凡ではあるが「学ぶことに年齢や資格は関係なく、知りたいという関心、興味が高まってきたからだよ」と答えている。すると、相手は「そうですか」と応じて終わることが多い。私としては、続いて「何を学ぶのですか」との問いかけを待っているのだが・・・。
 
そのような訳で、ここに今、私が関心を持っている「社会空間」と「政策」の関係について書くことにした。多少退屈な話かもしれないが、お付き合いいただければ幸いである。
 
「社会空間」と「政策」の関係について考察することは、今後の日本の政治を考える上でも役立つ。
人は、法律や制度など理論的方法を用いて、個人や集団の社会的営みに箍(たが)をかけようとしがちである。しかし、法律や制度の運用は、運用者や巷の人々の感情しだいでゆるくもきつくもなる。
こうした感情は社会規範(生活や習慣)と関連しており、その規範は社会の構成員の理念とも深く関わっていると私は考えている。
 
この生活規範や理念のあり方は、地域や場所によって異なる。
例えば宗教心を強く持つ人々が住んでいるところでは、公の法律や制度とは別に、自分自身の生き方や他者認識を規定している伝統的価値観がある。その価値観は、時に「不公正」「不公平」を是正するための行動へと人々を突き動かすこともある。
一方、社会規範や理念(信念)が希薄になった社会では、法律や制度がない限り、「不公正」「不公平」があっても見てみぬふりをする場合もある。
また、嫉妬心や屈辱感といった感情が社会に蔓延すると、法律や制度を作り変えてしまおうとする動きが生まれることもある。
 
その例が、最近の「格差問題」である。机上の理想社会は別にして、現実の社会ではどうしても格差が生じてしまう。この格差は、階級問題、ジェンダー問題、地方と中央の問題などさまざまな観点での捉え方ができる。
格差の是正を制度や法律によって行うのか、人々の理念・社会規範で行うかは、それぞれの社会空間(人々が生きている、まとまった社会を包みこんでいる空間を「社会空間」と呼ぶことにする)の特性によって異なる。
必要以上に法律や制度をつくり、社会秩序を維持しようとすると、社会空間は膠着化し、閉塞感が生まれてくる。その固定化した構造を改革するには、社会を規制している箍をはずしていくことが必要である。
しかし、社会規範が希薄な社会空間では、箍がはずされていく中で実利主義や人を押しのけて先んじようとする行動がはびこり、結果的に格差が広がる傾向がある。そして、既得権を奪われた側からの政策批判も出てくる。
 
ただ、どうだろう。地球規模で起きている時間と空間の圧縮の中では、社会空間を開き柔軟性を高めることが必要で、「構造改革」という政策は妥当性が高い。
問題は政策ではなく、理念や社会規範が薄れていることなのである。競争に敗れた者、格差が広がる中で困窮している者を救うためのセーフティーネットの構築(公的なものに限らない)が不十分なことである。
理念や社会規範の回復、創生がなされない中で、構造改革を中断させたり逆行させることは、未来の世代に課題を先送りし、大きな負債を負わせることになる恐れがある。
 
日本では、構造改革が不徹底に終わったため、中国やインド、ASEAN諸国などアジア経済が急成長する中で、貿易政策、税制などの立ち遅れが目立つ。
なぜ、日本では構造改革が進まなかったのだろう。
それは、日本の社会空間の特性についてあまり認識されていなかったからではないだろうか。すなわち、①感情的に行動する人が多い、②既存の人間関係が優先される、③公共性について認識が低いなどの特性である。
また、アジア地域のそれぞれの社会空間の変化が、どのような因果関係によって起きているかについての分析も不足しているように思う。
 
政策や戦略を練るに当たっては、単に法律や制度、地理や歴史、統計を調べて分析をするだけでことが足りるものではない。それぞれの社会空間について根気強く、人と社会の連環性に注目し、特性を動的に捉えながら原案を形成していかねばならない。
さらに、その原案を開示し、公議する必要もある。
 
昨年12月末に中間報告として公表された日本の成長戦略は、そのような時間をかけて作成されているものではなかった。それから半年後、来る6月に発表される予定の成長戦略は、果たしてどうだろうか。
 

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