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 新藤兼人さんのお通夜に行ってきた。
 告別式は明日だけれど、大学の同窓会があり、
 幹事をおおせつかっているために
 お通夜への参列となった
 
 
イメージ 1
 
18時よりと言うことで少し前についたのだけれど
 増上寺光摂殿(こうしょうでん)はすでに満席の状態
 受け付けの手前で並ぶこととなった
 
 ふと気づくと山路ふみ子文化財団の佐藤事務局長ご夫妻が前の列におられ、
 少ししたところで後ろから声をかけられる
 「西の魔女が死んだ」の柘植プロデューサー
 公開前の試写会でお会いして以来。
 
 それにしても見覚えのあるお顔があちこちに見える
 中には会釈をされる方もおられるのだけれど
 お名前が浮かんでこない
 
 しばらくすると津川雅彦さんの弔辞が聞こえてきた
 役者さんらしく聞き取りやすい声が響く
 
 過剰な感情の吐露はないのだけれど
 この弔辞がとても心に響いた
 クランクアップの日に
 監督が津川さんを呼んだそうである
 駆けつけると握手を求められた
 そのまま何も仰られない
 用件を忘れられたのかなと思って
 顔を見ると監督は泣いておられた
 
 「これが最後かもしれないね」
 監督がポツリと仰られた
 
 津川さんは言う
 新藤さんはそんなにも私のことを思っていて下さったのか、と
 最後のお別れは辛くもあるけれど
 生きている最後のけじめでもある
 その相手として監督が役者さんを見ていたということ
 津川さんのその時の感激が伝わる。
 
 もうひとつ
 津川さんは、新藤さんの100歳の大往生に
 ”おめでとうございます”と思ったそうである
 ところが、新藤さんのお世話を最後まで務めた
 お孫さんの風さんの話を聞いて愕然とした
 
 監督は、その最終場面においても寝言で
 「それじゃあ、日本語と英語と両方で行きましょう」と言ったそうである
 
 〝監督申し訳ありません
  監督は、まだ映画を作りたかったんですよねえ。
  それなのに...”
 
 いかにも新藤さんらしいこのエピソードを
 津川雅彦さんと言う大物俳優の口から聞くことが出来た
 
 心のこもった、思いのこもった、いいお話を聞かせていただくことが出来た
 
 
 
 
 
 

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 昨日、新藤兼人さんの追悼を書かせていただいた。
 その中で、「陸に上がった軍艦」の衣装合わせの時のエピソードに触れた。
 
 あれから、たしかその時の写真があったはずだと探し回った。
 残念ながらデータそのものは見つからなかったが
 印刷写真が出てきたので、携帯で撮り直した
 画像は悪いけれど、様子は伝わるだろう。
 
イメージ 3
 当時、新藤さんは95歳。
 公民館に現われた時には
 お孫さんの風さんに支えられ
 とぼっ、とぼっと足を運んでいた。
 
 後ろに回ると、
 風さんが新藤さんの腰に手を回しておられた。
 
 報道で新藤さんがとりあげられると
 必ずといっていいほど横に見える顔がこの風さん。
 ご自身も監督として作品を送り出されている
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
衣装を着け終えた俳優さんたちと新藤さん
 
 新藤さんは、自身の体験を描いた この作品に特別の思いを持っておられた
 短い挨拶ではあったけれど、脚本に込めた自分の思い、映画製作における演技者の大切さ、独立プロの意味など、若い役者さんたちに伝えようとする思いが満ち溢れていた
 
 
 
イメージ 2
 
  新藤さんの立会いの下に
  山本監督が俳優さんたちに演技指導を始めた
 
 上官が初年兵達に理不尽な制裁を加えようとする
 その場面の演出を始めて少ししたところで
 椅子に座って様子を見ていた新藤さんが
 突然立ち上がってきた
 
 ”そこはだね、もっと腰をおろして
  腕をぐっと突き出すんだよ”
 先ほどまで足元も覚束なかったはずの新藤さんが
 ぐっと腰をおろし、腕を前に突き出す
 
 口を開けて見守る若い俳優とスタッフ
 その様子を嬉しそうに見つめるベテラン達の顔
 
 どうですか、この95歳の腰のおろしっぷり
 
 
イメージ 4
 「陸に上がった軍艦」は、マスコミの注目を集めた。
 
 新藤さん自身の体験であると同時に
 当人の語りを入口に場面をつなぐ
 ドキュメンタリードラマの手法が評価された
 
 写真は、8月15日の朝日新聞社説。
 「『千匹のハエ』を想像する」
 
 ”中学、高校で歴史を学ぶ皆さんへ”の呼びかけで始まるこの社説は、62回目の終戦記念日を迎えるに当たり、少し違う角度であの戦争のことを考えて見ませんか、と呼びかけた。
 
 この社説を書かれた方は、この映画の中に出てくる
”千匹のハエ”を集めるある初年兵のエピソードに目を向けました。食糧対策のために鯉の養殖を行うと言う軍上層部。その餌にするためにハエを1000匹集めた兵隊には外出許可を与えると言う。一人の兵士がひたすら自分の奥さんに会いたい一心でその課題を達成します。
 軍隊上層部の陳腐な構想に対する怒りと、妻への思いにあふれる兵士をそこに対比させます。
 
 社説の最後はこんな言葉で結ばれています。
 
 『見たくないものに目をふさげば、偏った歴史になってしまいます。ひとつのことばかりに目を奪われれば、全体像を見失う。いかに現実感をもって過去をとらえるか。その挑戦です。
 62年前、家族に会うために、千匹のハエを捕まえた兵隊が確かにいたと言う現実がありました。
 今日という日に、そんなことに思いをめぐらしてみてはどうでしょう。」
 
イメージ 5      あれから5年。67回目の終戦記念日を迎えず
     新藤さんは旅立たれましたが、出来るならば今
      年のその日に新藤さん自身が語る戦争土軍隊
      の現実を伝える「陸に上がった軍艦」の上映を
       実現したいと思います。
 
    ※  最後の作品となった「一枚のハガキ」は、この作品の       中に収められたひとつのエピソードを発展させた作品       です。比較してみるのもおもしろいかなと思います。
 
 

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 自由な創造を求めて
 日本の独立プロの先頭を走り続けた
 新藤兼人さんが亡くなられました。
 
イメージ 1
「陸に上がった軍艦」の中でインタビューに答える新藤さん
 月曜日に
 「陸に上がった軍艦」の平形プロデューサーと飲んだばかりでした。
 
 昨日の昼過ぎに、その平形さんから電話が入りました。
 「あのー川嶋さん、新藤さんが亡くなられました...」
 
 4年前、練馬区の公民館で「陸上がった軍艦」の衣装合わせがありました。
 若い役者さんたち10数名とスタッフが集まりました。
イメージ 2
 
 
左は、茨城県でのロケ風景
廃校となった校舎を借りてロケを行った
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 衣装を合わせていると、一人のスタッフが駆け込んできました。
 「新藤さんが到着されました。」 
 
 いっせいに腰を上げ廊下に出る面々」
 
 少し先の方から近づいてくる二人の人影
 1人はもちろん新藤さん、その横で支えているのはお孫さんの新藤風さん。
 
 よく観ると新藤さんの腰のベルトに手を掛けておられる
 とぼっ、とぼっ...
 その足元の覚束なさに息を飲む。
 
 時間をかけて控え室に
 ようやく腰をおろした新藤さんの様子は
 普通に90歳半ばのご老人と言うしかなかった
 
 衣装をすべてつけたところで、控え室の新藤さんにお出ましを願う
 控え室からとぼっ、とぼっとみなの待つ部屋に入る。
 
 役者さんたちは直立し、新藤さんに視線を集中させる
 新藤さんの映画を見たことも無いような年代の若者たちである。
 
 こんな機会も無いので是非お話しを、と
 平形プロデューサーが新藤さんにふる。
 最初は、言葉もゆったりとしていたけれど
 次第に力がこもってくる
 そのうち、やおらジャケットを脱ぐ新藤さん
 顔を見ると驚いたことに眼の光りが最初と違う
 
 厳しい環境の中で映画を作り続けてきた新藤さんは言う
 ”どんなにいい脚本であっても、映画に命を与えるのは
  皆さんの演技です!”
 見上げる若者たちの顔も輝いてきたように見える
 
 続いて幾つかのシーンの演出を着けてみることになった
 場面は、上官が新入りに制裁を加えるシーンである。
 
 上官役に呼ばれた初年兵が、「はい!」と声を上げ
 その上官の前に小走りで向かうという芝居である。
 
 2度ほど繰り返したところで異変が起きた
 それまで少しはなれたところで座ってご覧になられていた新藤さんが
 やおらたちあがり直接演技の指導を始めた
 ついには、腰に両手を当て小走りに走るところを自ら演じ始めた
 つい先ほどまで、孫の風さんに腰を支えられ、
 とぼっ、とぼっと
 覚束ない足取りで歩いていた新藤さんである。
 周りのスタッフもその様子を息を飲んで見ている。
 
 その時に改めて見えてきたこと
 年輩者から思い切りの若手まで
 この90代半ばの1人の作家に寄せる限りない尊敬の念。
 
イメージ 3
 
 「陸上がった軍艦」
 マスコミ試写会のワンカット
 左は、大竹しのぶさん
 右は、山本保博監督
 
 
 
 
 
 
 
 
 「脚本を書けない脚本家、映画をつくらない監督は、死ねばいい!」
 若い頃に出会ったある集会における新藤さんの言葉。
 その強烈さに度肝を抜かれた思いでいたけれど
 独立プロと言う厳しい環境の中で
 49本の作品を送り出し
 200数十本のシナリオを書き続けてきたからこその言葉であったろう。
 
イメージ 4 もうひとつ
 世の中の空気がどんなに変ろうと
 核と戦争については断固として反対を貫かれたこと
 「いかなる理由があろうとも、どんな正義がろうとも戦争はやってはならないのです!」
 「陸に上がった軍艦」の試写会や舞台挨拶の現場でも
 断固としてその言葉を繰り返した。
 
 ”消費税増税”と”原発再稼動”
 命の賭けどころを間違えた総理大臣が
 あまりに軽い”不退転の決意”を叫ぶ中
 庶民の立場から”戦争絶対反対。核兵器廃絶”を
 人生を通して不退転で生きた
 新藤兼人さんが亡くなられた。
 
 合掌!
 
  
 
 
  

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  27日、多摩市ベルブホールにおいて
 「エクレール お菓子放浪記」の上映会が行われた。
 主催は、多摩市ボランティアセンター。
 
 急に決まった企画でもあり、集客の点では
 もうひとつがんばって欲しかったというところではあるけれど
 会場の大きさ(席数144×3回上映)からすれば
 ほどよい埋まり具合。
 
 石巻から多摩に避難されておられる高齢のご婦人が
 1回目の上映が終わったところで声をかけてこられた。
 話し始めると言葉が詰まるらしく、涙をぽろぽろと流される
 「知っている顔が幾つも見えて。。。」と絶句
 返す言葉が見つからない
 何度も何度もお礼を述べられてお帰りになられた
 
 2回目の上映が終わったところで
 今度は40代から50代と見受けられるご婦人が
 目を真っ赤にして声をかけてこられた 
 「あのー、私は...」と絶句。
 何度も話し始めようとされるのだが言葉が途切れる。
 言葉をつなぎ合わせると、
 生まれと育ちが石巻
 故郷を離れて東京へ出てきて20年ほどたつという
 いま住んでいるのは多摩ではなく八王子だということ
 
 「懐かしい石巻の光景が...」
 「...あの光景はもうないんですよねえ...」
 「...石巻で撮影してくださったから...」
 少し話しては言葉に詰まる。
 最初の方と同じ様に何度も何度も頭を下げ
 帰るときにも振り返り振り返りしながら頭を下げておられた。
 
 その後で80才を越えておあられるかと言うご婦人が声をかけてこられた
 「もう私は、いろいろと思い出すことが沢山あって...」
 「震災も大変だけれど、戦災はもっと大変だった」
 「何しろ日本中がだめになっちゃったんだから...」
 「食べるものがどこにもないんだから」
 この方の帰り際の一言が印象に残る
 
 「でもね、震災とか津波はどうしようもないけれど
 原発と戦争は止めようがあるんだからね。
 自然に起きるものじゃなくて、人間が起こすもんだからね」
 ひどく真剣な表情であった。
 
 3回目の上映が始まる前に
 多摩ボランティアセンターのスタッフの方が
 石巻へ支援ボランティアに伺ったご縁で 
 いただいたコミックがあると言うことで見せていただいた。
 
 コピーでB6版15ページ。
 著者は、井上きみどりさん。
 毎月1日、15日発行の「YOU」と言う雑誌の新連載で
 「私たちの震災物語ーハート再生ワーカーズ 
  Vol2 被災体験 石ノ森漫画館編」
 とタイトルにあった。
 
 すぐに引き込まれて読み上げた。
 漠然とイメージしていた震災と津波の光景が
 絵と吹きだしに書かれた言葉で
 本当の出来事として迫ってきた。
 想像通りであったことに思わずうろたえるほどであった。
 
 筆者は、映画のロケを行った岡田劇場から
 数十メートルしか離れていない同じ中州に立っていた
 石ノ森章太郎さんを記念して建てられた漫画館のお勤めだという。
 震災当日から4日間の体験を中心にコミックで再現されておられる
 
 中の吹きだしに書かれた言葉を拾い出してみよう
 押し寄せた津波の光景を記録使用と写真をとり始めた彼が見たものは
 
 「あ...っ流されてる家の屋根の上に人が...」
 「人が乗ってる車が流されてる...」
 「ガレキにつかまって流されている人がここにも」
 「あそこにも...」
 「家も車もガレキも」
 「みんな橋にぶつかって沈んで言ってる...」
 「僕はあの人たちを助けることもできない...」
 
 この橋は、岡田劇場の手前にかかっていた
 私の記憶の中にもある橋のはず...
 
 著者は、その後流され孤立した人々の救援に動き
 40人ほどを石ノ森漫画館に収容し
 震災4日目までをともに過ごした
 
 こんな記述もある。
 
 「彼女と一緒に逃げていた途中にイメージ 1
 水に飲まれて彼女の手が離れてしまって...
 オレひとりが助かってしまった...」
 
 「母を車に乗せて避難しようとした時に」
 「車ごと流されてしまって...」
 「オレが母ちゃんを殺してしまった...」
 
 「沢山の人が自分のそばを流されていったのに...」
 「誰一人助けることができなかったんです...!!」
 
 生き残った方たちは、自分の命が助かったことを喜ぶのではなく
 自分が生き残ってしまったことを責めて、傷ついている様子が
 生々しく伝わってきた。
 
 こんなことを書くと、またスタッフに
 余計なことを書くなと怒られるのだろうけれど書きたい!
 野田総理は、消費税増税に「不退転の決意」を表明し
 「命を懸ける」と宣言をされてる。
 ”命を懸ける”場所
 ”不退転の決意”をするテーマを
 間違えておられるのではないだろうか
 
 いずれにしても被災地の人々の痛みを
 どこまで共有できるかー
 そのために活きる力を持った
 15ページのコミックに私はすっかり飲み込まれてしまった。
 
 心に迫る”文化”の力はすごいというしかない。
 
 

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イメージ 1 3月17日、千葉市民会館で「エクレール お菓子放浪記」の上映会。
 1日4回の上映で2200名の参加。
 昨年12月には行ってから決まった企画で
 正直な話、成功させられるのかどうか、と危惧をしていた
 
 それが、2月の終わりごろになって
 どうやら2000枚の前売券は普及できそうと伝わってきた。
 それからは、2500枚、3000枚と数字が伸びていき
 2週前には、4000枚に行くかもと言う話しまで出ていた
 
 結果的には、2200名の入場者。
 後から聞くと、千葉市社協は、満員の混乱を危惧して
 途中で前売券の売り止めをかけたという
 結果論ではあるけれど、そのまま売っていてくれれば...
 
 
 
   千葉市民会館大ホールが埋まった!
 
イメージ 3 それよりも驚いたのは1000箱のエクレア
 一箱に3本入っているから合計4500本ということ
 
 担当したAさんは言う
 “正直な話、大変な決断だったんですよ”
 そりゃそうだけど、またなんでそんな決断を?
 ”だって成田で500箱売り切ったって言たじゃないですか!”
 
 あれれ、こっちにも責任があるような話し。
 少々焦りながら売れ行きを見守ったのだけれど
 3回目終了までに見事完売!
 一斉に湧き上がる拍手
 買えなかったお客さんは何の拍手かといぶかしげ
 
 後からAさんの苦労を聞いた
 何しろ4500本のエクレア
 製造から管理、配達まで大変な作業
 いくつものお菓子屋さんに断られた挙句
 たどり着いたのが”川島パン”。
 これでエクレア200箱。                ”Marondo”の包 装といえばわかる人は多いだろう
奥におられるのが更生保護女性の会の方々 
                          
イメージ 2 で、何回かに分けて会場に運び込んでくださった。
 売り子を担当したのは、更生保護女性の会のご婦人
 そして、千葉市ボランティアセンターが呼びかけた
 ボランティアスタッフの方々
 
 民生委員、児童委員、更生保護女性連盟、保護司...
 名前だけは知っているけれど
 実はどういう人たちが
 どういう苦労を抱えて活動されているのかについては 
 ほとんど知らないままできてしまっていた
 
 こうした方々の無償の行為が
 実は地域社会を支える大きな力になっている
 そんなことも「エクレール お菓子放浪記」の
 上映を通しながら学んだ。
 
 津波に巻き込まれて犠牲になった消防団員のことが注目されたけれど
 地域の高齢者や障害者の避難誘導で逃げ遅れ
イメージ 4 犠牲になった方々の中には、こうした活動を背負っておられた方々が少なくない
 
 ”他人くたばれ、われ繁盛”の風潮が世の中を覆っていたかに見えた震災前も
 実は人知れずこうした活動を担ってこられた数え切れぬ方々がいたことを
 しっかりと見つめなおさなければと思う
 
 成田の500箱、千葉の1000箱のエクレアに
 殺到した人々の姿は
 誰かの役に立ちたいという気持ちを
 誰もが持っていることの証のような気がするのです。

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