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私の姉は敬虔なクリスチャン
私自身も小学生の頃には日曜学校に通ったりしていた
姉が何故キリスト教に近づいていったのか聞いたことはないけれど
小さい頃から一途に”神”を信じようとする姉の生き方に圧倒されてきた
私は、ある時からキリストの存在は認めても
彼を神とするのは違うと思うようになった
但し2千年も前に、あのような生き方を通した
偉大な人間であると言う尊敬は
いよいよ深まっていった
一度だけ”神”の存在をめぐって姉と言い争ったことがあった
姉はその中で、”命”は神の存在抜きには考えられないことを語った
私は、有機物を人工的に作り出せる技術を開発しているいま
遠からず科学は”命”さえも生み出すことができるようになることを述べ立てた
今でもその時の姉の戸惑ったような、寂しそうな顔を思い出すことができる
今から6年ほど前に、その姉が倒れた
一時は危篤に近い状態となり、
数週間にわたりICUに隔離され
命をとりとめたあとも
長期間体中に危惧をつけた入院生活を強いられた
私はその頃ほぼ毎週のように新潟に帰って姉を見舞った
もともと難病が重篤化したものであり
病気は完治するものでもなかった。
半年ほどの入院生活の後
当人の希望もあって姉は退院した
ある時、その姉がなんでもないようなことのように言い出した
”私、ホスピスでお手伝いができないかなと思ってるの”
”何言ってるんだ、自分自身の命さえどうなるかわからないのに”
胸の中で思いながらも、私は圧倒される思いであった
あれからクリスマスの頃になると
姉のことを考えるようになってしまった...
イエスキリストは偉大な存在ではあるけれど
神ではない、と小さな声で自分自身に言い聞かせながら...。
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