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 TPPがいよいよ浮上をしてきているけれど
 少々見逃せない言い方があるので触れたい
 
 いわゆる兼業農家のこと。
 兼業農家のことを
 片手間に農業をやっている
 中途半端な存在のような受け止め方(言い方)を
 されておられる方が少なくない
 
 これ大きな間違い
 ひとつは、農業ー米つくりは片手間でできるようなものではないということ
 もうひとつ、結局日本農業の構造そのものが
 専業では成り立たない構図になっていると言うこと
 
 これだけ狭い国土の中で、
 それも山間地を列島の真ん中に抱えている国土で
 どうやって専業農家が育てられると言うのか
 兼業であるからこそ、日本農業は維持されているのではないか
 
 大規模経営にすればいいという方もおられるけれど
 客観的に大規模経営にできうる地域はさほどにはない
 その上、広大な土地を背景とするアメリカや、その他の外国と
 競合できるような大規模経営の成立のしようがこの国にはない
 
 そもそも大規模経営で農民人口を更に縮減させると言うことは
 限界集落のいっそうの亢進
 地方都市の人口減を招く
 
 それはつまりただでさえシャッター商店街が広がる地方都市の疲弊を
 いや疲弊で済むならばいいけれど、消滅さえも引き起こしかねない
 
 貿易立国を唱えることに反対する気はないけれど
 いざと言う時、自動車も コンピューターも食べることはできない
 いざと言う時とは必ずしも”戦争”だけではない
 天変地異、それよりももっと確実に訪れるのは
 人口爆発、中国をはじめとした国々の消費爆発。
 
 その時慌てて田んぼを復活させようとしてもそうはいかない
 狭い土地を、切りきりと人の力で守り育てることに
 兼業と言うスタイルがどれだけ役立っていることか
 
 この国のありようを揺るがすTPPをについて、
 それぞれの事業の損得から語っていいのだろうか
 
 サザンの桑田さんは、震災後、仙台での公演を組むにあたり
 ”ニッポン”と言うフレーズではなく
 ”ふるさと”と言うフレーズを選んだと聞く
 
 そう、この国に生きるすべての人の”ふるrさと”を
 どう考えていったらいいのかこそ、必要な視点ではなかろうか
 
 
 
 
  
 映画って、本当におもしろいですねー私の場合編Vol-3
 
 私の小さい頃の記憶にある映画館は
 いつも満員で、席を確保するためには
 可能な限り早めに行かなければならないところであった
 
 先に知りたくもない映画のラスト10分か15分を
 目をつぶり、耳をふさぐ思いで立ち見をする
 映画が終わると同時に、立ち上がる人の席をめがけて突進だ
 
 いざ映画が始まると
 客席は埋まり、それだけで場内の熱気が高まっていく
 映画が始まると、あっという間に場内は映画の世界が覆い尽くす
 
 聞こえるわけもないのに、主人公に危険を告げる声があがる
 “あーっ、うしろ、うしろ!”
 そして、主人公が危機を脱すると沸き起こる拍手
 
 それでも年毎に映画館はさびれ、熱気は失われていった
 東京に出てきたら、その傾向はいっそうに進んでいた
 仲間たちの中にも、映画を楽しむと言うよりも
 スクリーンと対決するかのごとくに向かい合う空気が強かった
 
 そんなある日、たしか新宿の映画館だったと思う
 「男はつらいよ」の初期の作品がリバイバル上映されている時のことだった
 いつもより暖かい空気が場内には満ちていたのであるけれど
 映画も終盤に差し掛かった時だった
 
 例によって、寅さんは見事な失恋をしてしまう
 意地もあってとらやを飛び出した彼であったけれど
 無理やりつき合わせた弟分にも去られてしまい
 寅さんの胸は哀しさでいっぱいだ
 
 ラーメンをすする寅さんの目には涙がこみ上げてきた
 その時、場内に大きな声が響き渡った
 
 ”泣くな、とらー!”
 
 一瞬静まり返った場内
 一呼吸置いて沸き起こる笑い声と拍手
 
 それからの場内は、笑い声はより大きなものにふくれあがり
 連帯感があふれかえった
 
 映画が終わって出て行く観客達の表情は
 どの顔にも笑顔がこぼれていた
 おもしろい映画を見たというだけではない、
 何かとってもいい場に出会えたと言う満足感があふれていた。
 
 映画を楽しむと言うのは
 再現された映像を楽しむだけではない
 その場に居合わせた観客達すべてが
 作り出す空気をも楽しむもの
 
 私は、”泣くな、とらー!”事件後にも
 数え切れぬほどのそんな経験を積み上げることができた
 
 
 
 
 田舎の親友から一冊の講演集が送られてきました。
 私は読み始めると一気に読み終えるタイプなのですが
 仕事の合間に3日かけて読み終えました。
 
 難解なので時間がかかったわけではありません
 興が乗らなくて時間がかかったわけでもありません
 一語一語を確かめながら
 一ページ一ページを振り返りながら
 読みたくなる本だったのです。
 
 本を持ってきてくれたのは、田舎のもう一人の親友です。
 彼は、預けられたその本を先ず自分で目を通しました
 そして私に渡す時に一言添えてくれました
 
 「いや、なかなかすごい本なんらわ。
  こういう本を読んでいるTも、やっぱさすがらと思うて...」
 
 本をほめるだけでなく、
 その本を読んでいる友をほめる彼を私は大好きです。
 
 3分の1ほど読んだところで
 本を選んでくれた友人にそこまでの簡単なコメントと
 23日祭日を利用してじっくりと読ませていただく旨を伝えました
 
 今日、事務所に出たら彼からのメールが届いていました
 
 「○○(※私のこと!)は純粋に正面からうけとめてくれるので、
  私はいつも本気モードで語ることができて幸せです。
  語る張り合いがあるというものです。
  思索と言葉を自由にはばたかせてくれる友人は貴重ですね」
 
 この二人を親友としてきたことの理由を
 私は改めて感じています。
 この二人は、一言も自分の自慢をしていないのです
 自分自身にとって、残る二人と自分との関わりが
 どんなに大切かを語ってくれているのです。
 
 講演集の中にある言葉が重なります。
 
 「人間というもの、あるいは個人というものは
  その人が作り出している関係の総和だと言うふうに思っているのです。
  だから人間自体にあらかじめ私と言う固有の何かがあるわけでははなく、
  その人が持っている様々な関係、その総合性こそが
  その人間そのものであると思っています」
 
 これは「私とは何か」と言う問いかけに対する演者の話の中に出てくる言葉です。
 なにやら難しそうに感じてしまうけれど
 ”私”と言うものを”私”の中に探しても見えてこない
 外形であるならば”鏡”に映し出して確かめることができるけれど
 私の”心”は、私がつくりあげた”ものや人との関係”の中に映し出されると言うことであろうか。
 
 深く納得する私!
 
 昔から私は、私の映画人生の出発点となった映画「若者たち」三部作と共に
 私の母や、姉と共に私の親友たちを私の人生の”北斗七星”といい続けてきた
 
 私の”北斗七星”は、今日も輝き続けている 
 
  
 ブータン国王が帰国した。
 来日以来マスコミ各社がこの若き国王と王妃を追いかけ
 一挙手一投足を報じてきた
 
 王族とか、貴族とか体質的にあまり受け入れられないほうだけれど
 この若き王様と王妃には、自然と注目をしていた
 
 特に、「国民総幸福量」という視点に
 なにか“どきり”とするような問題提起を受け止めた
 
 アメリカに追いつけ追い越せでひた走ってきたわが国だけれど
 どうやら世界第二位の経済力を誇るところまで来てわかったことは
 経済力、生産力がそのまま人間の幸せにつながるものではない
 ということではなかったか
 
 国と国との競争が行き着くところまで行き着いた先に登場したのは
 ”勝ち組””負け組み”という同じ国民の中での競い合いではなかったか
 働くことや、学ぶことが誰かの幸せのためではなく
 自らの”勝利”のためー
 言い換えるならば誰かを蹴落とすためであることが
 この国のあちこちに、覆いがたいほどの閉塞感を広げていった
 
 そして、こうしたひずみ、ほころびが社会のあちこちで露出し始めた時
 東日本大震災がこの国を揺るがした
 
 それなりに安定した生活が
 根こそぎ覆される絶望的ともいえる状況の中で
 私たちの目の前に見えたのは
 自らも被災者でありながら
 「もっと困っている人に回してくれ」
 とわが身を後回しにする被災者の姿であり
 自らの命を顧みずに行動した
 数え切れぬほどの人々の姿であった
 
 生産力の拡大こそが、幸福への階段であるという呪縛から
 少なからぬ人々が解放されはじめようとしているそんな中に
 アジアの小国からやってきた若い王様が
 ”国民総幸福量”と言う言葉を伝えてきた
 
 そもそも生産はいったい何のためにあるのか
 科学技術は誰のためにあるのか
 
 この国が陥った迷路から抜け出す道が
 どうやらぼんやりと見えてきたような気がするのだけれど
 私は楽観過ぎるだろうか...。
 
 ※ 学生の頃に、ある哲学者の方に聞いた話を思い出した。
 
   人間には”闘争本能”があることを強調する人がいるけれど
   一方で人間は、他人の喜びを自らの喜びとする動物なのです。
   それはまず、何の計算もなく子どもに向かう母親の姿を通して
   母親から教えられるのです。
 
   何か思い当たることが胸に浮かんだことを思い出します。
 
    
   
 
   
 
 
 
  
映画って本当におもしろいですねー私の場合篇Vol−2
 
 山口県下関市に馬関シネマクラブと言う
 上映会を柱として運営される観客団体がある
 当時山口県内に広がるシネクラブ運動の拠点組織であった
 その中心となっていたY氏と若い頃から親交があった。
 
 佐賀県鳥栖市を中心とした映画「月光の夏」製作・上映の関係で
 九州に足を運ぶ機会が増え、帰りに下関に足を運ぶようになった。
 彼はいつでもスケジュールを調整し、大いに私を歓迎をしてくれた
 下関と言えば、”ふぐ”と”焼肉”だと言い、
 必ずと言っていいほど、はしごでその両方をいただくことになった
 
 何度か足を運ぶうちに馬関シネクラブの方々との面識ができた
 そのうちのおひとり、当時運営の中心を担っていた方が経営している
 創作ふぐ料理のお店に寄ったときのことである
 
 Y氏と私、そして当時福岡で上映活動を進めていたF氏、
 あとシネクラブの関係者何人かいた。
 お酒が入るといよいよ談論風発となった
 政治談議から、国際情勢まであちらこちらとテーマは飛びながらも
 座は大いに盛り上がった
 
 途中で、ふと気がついた
 シネクラブ関係者の一人で、一番若い女性が
 何の躊躇も無く我々の会話に参加をしているのだ
 しばらく皆の会話の中に彼女が参加している様子を見た
 
 ソ連崩壊から中国の文化革命、アメリカの世界戦略まで
 彼女は見事に会話に参加してきた
 
 20代前半と見られる彼女に私は言った
 ”あなた先ほどからすごいねえ、僕らの会話に全部コミットしてるよね”
 彼女はびっくりした表情で私を見た
 ”あなたみたいに若い世代が、何で文革なんかに詳しいのだろう?”
 
 ちょっと考え込む様子を見せてから、笑顔を浮かべて彼女は答えた
 
 「特別勉強したわけでもないですし、詳しく知ってるわけじゃないんです。
 ただ、シネクラブの例会の中で見た映画の知識だけです」
 
 当時シネクラブの例会は、いわゆるメジャー系映画ではなく
 ヨーロッパや第三世界の作品を中心に
 年間12回の例会を行っていた。
 彼女はこのシネクラブの活動に触発されて
 他の映画も見るようになったという
 
 なるほど、年間12本+例会以外に同じ本数を見るとして24本。
 24本の作品を5年間積み上げれば120本である
 一本の映画には、書籍であらわそうと思えは
 何十冊、何百冊も必要となるような情報があふれている
 
 結局彼女は、映画を通して社会を、政治を、世界を、
 そして人間についての知識と感性を知らず知らずに積み上げてきたのであろう
 
 昔、静岡大学の教授の講演で聞いた話を思い出した
 ”映像の丸ごと認識”の力と言うテーマだったと思う
 ひとりの人間のことを、言葉や、文字で第三者に伝えようと思うと
 いったいどれだけの言葉、文字が必要となるだろうか
 ところが、映像は一瞬にしてその人の情報を
 外見はもちろん、内面までも伝える力を持っている
 それが”映像の丸ごと認識”であるー
 というようなことであった
 
 彼女は、世界の映画を見る中で
 数千冊、数万冊の書籍に匹敵するような知識を得、
 そして彼女なりの力でそれを自らのものとしていったのであろう
 
 私と彼女のやり取りに耳を傾けながら
 Y氏が言った。
 ”俺のやってることはすごいことやないか!”
 ”どっ”とわいた一同であった
 
 映画の力恐るべしーそんな思いを抱かせてくれたひとコマでした。
 
 
 

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