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幌尻岳額平川ルートは、幌尻山荘の利用のしづらさと渡渉が多いことにより、最近は新冠川ルートが使われることが多いようである。その際に利用される新冠ポロシリ山荘は、登山ツアーがあらかじめ宿泊スペースを独り占めにしたり、利用する登山のマナーの悪化などにより、この小屋を管理する新冠ポロシリ山岳会は、新冠ルートを利用する者を対象にした登山及び小屋利用のルールとマナーを制定し、利用者に義務付けることとしたそうだ。(日高報知新聞記事から)
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=29955
そこまでされないと、マナーを守れないのかと言いたいが、ツアーを企画する会社や百名山を通り過ぎるかごとくやっつけでやるような御仁にごく当たり前のことを期待するほうが無理というものだろう。エサオマントッタベツ岳の先の稜線にテント場を切り開いたり、ヤオロマップ岳の岩場を崩し整地したり、登ってはいけない崕山にツアーを組んだりと、登山ツアー会社は好き放題である。
山奥の小屋糞尿の後始末が大変なようだ。最近のヤマレコの記事に、新冠ポロシリ山荘の大便の汲み下ろしの記事があったが、このような影の苦労があることを知らなければならない。 現代社会は、やりたい放題を自由や人には言われたくない自分の権利と、はき違えているものが多い。そのようなわがままな放題な自由人に対しては厳しく対処するしかないが、その結果が一応のマナーを守っているものにも波及するのはご免蒙りたい。雁坂峠への道が、トレランや競争登山に対し入山禁止措置を採っている。山をただ己の欲するまま使っていては、いつしかこのようなしっぺ返しを食らうということを覚えておかなくてはならない。
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2015年 山と花
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2015/12/11(病院で)
山で出会う年寄りの男がどうして社会性がないのかと、ホームページに書いた。
何度か酉谷山避難小屋でご一緒したブログ「登山メモ」の「かさご」さんも同じ思いをしておられることを知った。
そんなおり、病院の待合室で「ドナルド・キーン」の「果てしなく美しい日本」を読み進めていると、氏は以下のように書いていた。
「長年の間、上司の御機嫌をうかがって暮らした日本人も、引退すると、今や自分の気まぐれが大目に見られ・・・」「日本では老人は、今や自分のことも他人のことも気に病む必要はなく」「共産主義者の会合も、狂信的右翼の会合も、老人たちでいっぱいになる。」
山に限らず、年寄りの男どもの社会性になさに辟易しているが、アメリカ産まれで93歳の日本人ドナルド・キーン氏に、このようなことを教わるとは、自分の教養のなさをさらけ出すしかない。
今もって通勤の駅頭で、安保法制を掲げて通行人にハンドマイクで呼びかけ、ビラ配りしているのはそのほとんどが年寄りである。暇があるのならもっと生産的なことをやればいいのにと思いながらその脇を苦々しく通り過ぎる。
なお、キーン氏のこの著書は戦後1958年に英語版が企画され、日本語版は1973年に発刊されているようだ。
せめて(私を含めた)年寄りは、もう少し可愛く生きなくてはならない。
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2015/10/31〜11/2
丹波山村〜三条の湯(テント)〜雲取山〜酉谷山避難小屋(泊)〜奥多摩
紅葉の時期の喧騒を避けるために、丹波山村をスタートする縦走を計画したが、奥多摩駅の登山者の群れは尋常ではなかった。東日原行きのバスが2台も増便、鴨沢・丹波へも2便増便で、車内は立錐の余地もない。
三条の湯では心配していたテント場に十分余裕があった。温泉(沸かし湯)はいつものとおり疲れた体を十分に癒してくれた。雲取山を経て向かった酉谷山避難小屋は思惑通り独り占めで過ごしたが、前日10月31日は小屋は満杯で、稜線でツェルトを張って寝た人もいたとのことだった。
サヲラ峠 今回の縦走では、ドナルド・キーンの「日本人の質問」という本を持って行った。彼が東日本大震災後すぐになぜ日本に帰化したのか、氏の本を読んでその心を知りたかったからだ。ほかに誰もいない酉谷山避難小屋でその本を読み終えても、大震災の28年前の本ではその心模様を分かりようがなかった。縦走を終えてすぐ氏の近著「日本を、信じる」を読むと、直截にその心情が書かれている。
「私は、日本に滞在している外国人が何万人と日本から脱出したというニュースを読んで本当に腹が立ちました。もちろん、小さなお子さんがいる場合は、放射能汚染のことだとか、食べ物や牛乳は大丈夫だろうかとか、いろいろ心配があるでしょう。しかし、そうした事情もなく、長く日本で居心地よく暮らしていたのに、ひとたび日本が災害に見舞われるや、すぐに逃げるなど、まったく関心できません。少なくとも私は違う。私はこの国にいたい。日本の人々と一緒に生きたい。そんな気持ちなのです。私の心はすでに日本人です。」
my tent 東日本大震災の当日、酒を飲むために私は成田空港にいた。2日後の成田空港は日本から逃れ搭乗の順番を待つ外国人の群れで阿鼻叫喚の世界が広がっていた。「なんだ君たちは。日本が危機困難に直面しているときに、この日本を捨てて一刻も早く立ち去りたいと騒ぎ立てているとは。義援金はどうした。被災者に義援金でも拠出してから騒げ。」と大声を上げて諫めた。
雲取山から 富士山 11月3日の新聞は、「黒い雨」を浴びた広島の70〜90代の男女64人が県を相手取り訴訟を起こすと伝えている。この日本でこの歳まで豊かに生かされたことに感謝こそすれ、この上にまだ援護が必要だとは、開いた口が塞がらない。この日本をだめにしようとしているのは、駅頭でしみったれた風采をさらしてマイクを握り、安倍がどうだとか戦争がどうだとか平和がどうだとか反対の口吻をがなり立てている年寄りやこの国はどうなってもいいという政党に煽られ人達だ。アメリカ生まれのドナルド・キーン氏(93歳)がどのような心情で日本国籍を取得したのか。
酉谷山避難小屋 キーン氏の「日本の人々と一緒に生きたい。」という言葉の中の「日本の人々」にそういった今の幸せを感謝できない人々が含まれていないことだけは確かだろう。戦後70年、この日本に生まれたことが幸運だったということを理解できなければ、漢字を使うお隣の国で学習し直すしかない。
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