国際サーカス村・村長日誌

国際サーカス村とは、“サーカスという文化と共に生きる村”の事です。

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村長日記2015621日(日)曇り 『長ぐつを履くまで』
 20日(土 晴れ)サーカス村のワークショップを終え、今日は解散日。電車で来村し本日サーカス村資料館を立つメンバーの内、深夜バスで山口に帰える参加者と東京に戻る二名を乗せて、車で東京に。ACCの大須賀女史は秋田に。
 東京の事務所の駐車場に車を置き、山口に帰る佳也君と、サクノキの『長ぐつを履くまで』を、千歳船橋のAPOCシアターに見に行く。サーカス学校卒業生で大道芸で頑張っている一人だが、クラウンに目覚めてというかクラウン芸に魅力を感じて、その方向に自分の表現を求めて、今回のひとりでの公演にチャレンジした。
 さて、その出来だが、いささか厳しく言えば、悪くはないが、作品としてみると、まだ整理できていないまま舞台に上げたという印象が残る。
 一人の青年が、雨の降る外に出れずいつか外に出るだろうと思わせる設定になっているが、その青年は、いわゆる閉じこもりなのかどうか。そのあたりを曖昧にしたまま、ズボン吊りやチリ紙をゴミ箱に入れるクラウン芸にはいり、電話のベルの音やドアチャイムにおののく演技をいたり、普段、彼の大道芸を見ている人へのサービスを気にしてか、ハットジャグリングを見せたりするのだが、もうひとつ、それらの演技がなぜそこに収まっているのかが見えてこなかった。それは、やはり青年の性格作りがいまひとつ不十分だったからにちがいない。
 ほかにも気がついたことがあるが、これ以上、辛口評は別にしよう。それよりも、彼がクラウンの道を歩みだしたのは、彼自身が自分の性格のなかにクラウンとしての要素があることを彼自身が感じたからにちがいないし、それをより生かす、深める努力をしてもらいたいと思う。キューブやハットジャグリングでなどを見せている彼の大道芸は、その技と彼の雰囲気がうまくマッチして、他の大道芸人とは一味も二味も違う作品となっているために、彼の性格もあって多くのファンがついているが、その人々が彼のクラウン作品のファンとなるかどうかはわからない。と同時に、大道芸のファンにおもねることなく、クラウンとしての表現を追求してもらいたい。そして大道芸人サクノキのクラウンショーではなくクラウン・サクノキになってもらいたいと思う。
                 *
 会場には、手回しオルガン大道芸人で、カメラマンの紀あささんが見えていて、彼女から写真集『伝説の大道芸人 ギリヤーク尼ケ崎への手紙 大道芸の祈りの踊り』をいただいた。
 紀あささんは、ギリヤークさんに出会い、大道芸に強くひかれるものがあったのか、名工に依頼し手にいれた手回しオルガンで大道芸を始めた、本業はカメラマンの女性だ。最初なぜ知り合ったかは、今は思いだすことができないが、なにか撮影のことであったような気がするが、、、。それはさておき、この写真は、大道芸人ギリヤークへの暖かい愛に包まれている。紀さんの目線は、カメラマンの目線というよりも大好きな大道芸を楽しむ目線で、しかも相手が、大道芸の大先輩で、誰もふみこむことのできない領域で舞いつづける孤高の芸人であることを強く意識しているような、おだやかなものが感じられる。男のカメラマンであれば、この雰囲気をだすのはむずかしいのではないか。
 話しは違うが、今や大道芸は若者が選択する職業のひとつのようになっている。それにはお金になるという要素がすくなからず作用しているように思われる。かつて、石を投げればカメラマンに当たるといわれた時代がある。現代が大道芸人に石が当たる時代とは思わないが、目指す人が多くなってしまうと、サーカスにしろ大道芸にしろ、ポピュラー化してしまい、その世界から魔が逃げだすような気がする。サーカスや大道芸を応援してきた僕がいうのもおかしな話しだが、僕としては逃げ出そうとしている魔の棲む場を掘り起こして行かなければならない。
 

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