タフおやじのアメリカ情報。

今年も半分終わってしまったな〜〜、、さて、どうしようかな。

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マニラの空港に着く。毎回、毎回、同じ名前のヤクザもんがいるとみえて、イミグレでパスポートを示すと、係りのオフィイサーの顔色が変わる。そして、こちらえどうぞ、と、言われて特別室ご案内となる。
 
5−6年前に行った時は、裸にされて入れ墨が入っているだろう、、と言われた。、、、ここで本物のヤクザもんなら、パスポートの間に100ドル札を挟んで、にっこり笑えば、、ハイ そうぞ、、とパスするのだそうだ。
 
オレはヤクザもんじゃ〜ない、見ろこれを、と言ってアメリカのグリーンカードを出す。英語をぺらぺらしゃべるヤクザもんがいるか、オレはアメリカ永住者だ。毎回、毎回、じょうだんじゃ〜ね〜ぞ、、と英語で、でかい声で、まくしたてる。生年月日くらいチェックして、インプットしとけ、、と。
 
そこで相手は、わかりました、どうぞ、なんて言って、特別室から出してくれるが、そんなんだから、いつも空港の表に出るのが、いちばん最後になってしまう。
 
こんなやさしい目をしたヤクザもんがいるか? 馬鹿野郎〜〜と、いつも思うのだが??。
 
空港の外に出る。む〜〜とした熱い空気に包まれ、またマニラにきたな〜〜という気分になる。この国は最初に来た1980年と、ほとんど変わっていない。雑然として、一般の人たちは空港の中に入れないので、道路を隔てた向こう側に、むさくるしい感じの人達が、たくさん、たむろしている。東南アジア来たのだ。
 
日本大手企業のマニラ支店に勤めている友達のEさんが、迎えに来てくれている。ピックアップに指定されていた場所を間違えて、しばらくうろついて、焦った。なぜならば、今晩泊るホテルの名前を聞いてなかったからだ。
彼とタクシーでホテルに行く、今回はマカテイのホテルに泊まることにした。この辺りはジャパンタウンのような感じの地域で、日本レストランやナイトクラブなどがたくさんあり、現地に住む日本人ビジネスマンや観光客たちが利用する。
 
ホテルに着いたのはもう夜中、Eさんに早速ドルをペソに替えてもらって、夜の街に2人は繰り出す。
 
5−6年前に来たころはマビーニという、ちょいと柄の悪い、新宿の歌舞伎町のような界隈があり、大小のナイトクラブ、カラオケクラブ、踊れるバーなどがたくさんあり、どこも若い女がわんさかといる。
この辺では有名な ”LA CAFE” という大きなバーがあり、働いているのは、ウエイトレスだけで、数は少ないが、このバーに出はいりしている女は100人くらい、いるんじゃ〜ないだろうか。カモ(お客)を物色しているのだ。
 
中に入ると、女たちの目がいっせいに、こっちを見るので、少し驚くが、カウンターに腰かけて、ビールを飲みながら落ち着いてきてから女達をよく見ると、けっこうブスが多い。しかしだ、、中には、お〜〜っと、思うような可愛い娘がいる。え〜〜この子もデートするの、、アメリカに長年住んでいるから、どうにもガキっぽく見える。この娘は高校生くらいじゃ〜ないの、、歳を聞いてみると21歳、、??と答える娘が多い。
 
この ”LA CAFE” 最近警察の手入れがあって、一時営業停止になったが、また最近名前を変えて営業をしているそうだ。
 
この晩はホテルの斜め前にあるカラオケクラブへ、歩いて1分、中に入ってソファーにそわると、ママさんが、ハイ好きな娘を選んで、、と言ったので、隣の部屋を見ると、1ダースほどの平均年齢20歳前後のスタイルのいいのが、このクラブの制服、ピンクの超ミニスカートで高いハイヒール、ここは1流か2流かどうかは知らんが、ブスは1人もいなかった。やはり採用するとき、ルックスとスタイルのいいのを採用するのだろう。
 
お〜〜こんなに可愛い娘がたくさんじゃ〜ピックアップが大変だ〜〜なんて、冗談を飛ばしながら、さっと見てみる、オっあれだ、、ユーと言って1人ピックアップした、、源氏名が ”MAKI” と彼女の胸にピンでとめてあった。この国はどんな田舎へ行っても公用語が英語だから、どこでも通じるのがいい。
 
それからEさんと、最近日本から派遣されてきた青年と3人で、ガンガン飲んで、普段はろくに歌わないカラオケを彼女と一緒に歌ったり、なんといっても、この国のクラブのホステスは、ぴったしとお客さんに密着して、微笑んで、腕や指を絡ませて恋人気分にしてくれるので、もう男はみんな楽しくなってしまう。値段も安い。こりゃ〜日本の男は、ハマルわけだわ。
 
日本でキャバレーに行ったときは、ホステスの平均年齢は30歳前後だから、フィリピンは10歳若い。
それと、性格が明るいのもいい。グアム島を発つ時は、風邪で疲れてきて、アワナ ゴー ホーム、、 がここに来て嘘のように消し飛んでしまった。まったく男はゲンキンだね。それとも、気合の入れ方かな、いや馬鹿が多いのだろうか。??
 
マキちゃんと、また会う約束をして、明日の早朝から、ミンドロ島のプエルトガレラのホワイトビーチに行く予定なので、ホテルに帰り、かなり酔っぱらって、ふらふらと、、どった〜〜ん、とベッドに倒れこんで熟睡。
 
 
グアム島は本当は1泊の予定だった。
 
風邪をひいて咳が続き、頭がいかれてしまったのか、成田空港のカウンターへ行ったら、お客さん出発は明日ですよ、、と言われてしまった。え〜〜〜仕方ないから、今日飛ぶ飛行機の座席ない、、と聞いたら、調べてくれて、、、あります。じゃ〜それにしてくれ、と言って、少し追加料金を払ってグアム島に2泊することになった。
もう本当に、オレは馬鹿だな〜〜まったくいやになちゃうな〜〜、、なんてことは、わが人生に、いつもついて回ったが、そのつど、何とか切り抜けてきたようだ。
 
グアムは日本から近い、、朝晩まだうすら寒い日本から、3時間少々で南国の島に着いてしまった。
 
早速今回の訪問予定の ”グアム アウトドアー シュ−テング レンジ” のスーさんこと、鈴木さんに電話を入れる、1日早く着いてしまったので、空港に迎えに来てもらい、ホテルをもう一泊追加してもらう。
 
スーさんには初めて会った。昨年は拳銃、ライフルの弾を20万発以上アメリカから、スーさんの会社へ送った。
スーさんは思った以上にタフルッキン、、普通の男ではないな、、という直感がひらめいた。後で食事をして、いっぱい飲んで世間話をしていたら、やはり高校、大学(立命館大学)と剣道一筋、、なんと5段の腕前だった。
男も年齢を重ねていくと、顔に人生の経験が自然と刻まれてくるのだろう、いい顔、貧しい顔、男達の顔を見ていると、だいたい最近は想像がつくようになってきた。
 
日本でキャバレー(今でも地方都市にはあった)に行った時も、そこで働いている30歳前後の、ちょいと生活に疲れた顔つきのお姉いさんに、”あんたはシングルマザーだろう、、歳は30歳チョイ下かな、、なんていい加減な事を言ったら、そうです、ぴったし、なぜわかるの、、なんて驚いて言うから、、オレ、人相学やってんだ、、なんてとぼけていたが、そんなの顔を見れば、誰でもわかりそうなもんだが。
 
グアム島は今回で3回目である、最初が1980頃で、友達が室内射撃場を作るので、手伝いに行き、2回目は83年の暮れだった。この時は最悪の年で、グアム島から、日本へ入った時に、日本の警察に拳銃密輸犯人として、誤認逮捕され、40日も東京本庁は捜査四課の留置場に入れられた。この件に関しては拙著 ”タフ” に詳しく書いたが、まったく日本の警察は、でたらめの調書にもとずき、人を逮捕して、その結果犯人でないことがわかり、無罪釈放しても、一切謝らない、汚いやり方だ。冤罪はこうやって作られるのだ、、ということが身に染みてわかった。もうずいぶん昔の話だが、忘れるわけにはいかない。
 
グアム島はこの30年で全く変わった。80年代前半はメインストリートでも2階建ての小さな商店街のような、たたずまいで、ビーチもたいしたこともなく、観光も、戦後16−7年か洞窟に隠れていた日本兵の横井さんが使っていた、、ヨコイケーブが観光になっていた。何もない島、貧乏日本人が観光に来る島、そんなイメージで83年の暮れから、もう30年も来ていなかったが、今回この島は豹変していた。
 
メインストリートは大きなビルが建ち並び、世界中のブランド店がひしめき、大きなショッピングモールもあり、郊外もホームデポなどの大形チェーンストアーがどんどんできている。別荘もどんどん建っていた。小型のハワイとラスベガス、、みたいな感じであった。将来的投資のできそうな島になっていた。
 
英語と日本語ができれば、仕事はたくさんあると聞いた。
 
スーさんの射撃場へ行ってみた。なるほど、ガンマニアたちが喜びそうな造りだ。まず銃がずらりとガラスケースの中に並べられている。レンジも初心者は紙のターゲットを撃って満足するが、慣れてくると、風船や鉄板や、コーラの缶など撃って、的を破裂させたり、鉄板に弾が当たって、カキーンと音がしたり、的が吹っ飛んだり、、そういうことに快感を感じる事になる、、弾はどんどん売れる、、射撃ツアーは弾をどんどんお客さんに撃ってもらわないと儲からない。わが社も最盛期の頃、1週間で1万発撃ったお客さんが数人いた。当時弾の値段は1発1ドル。
しめて現金1万ドル使ってくれた。こういう人は怪物君だね。
 
そのほか、厚いべニア板で作った実戦コンバットスタイルのセクション、、グアムでは初めてのトラップ射撃をできるレンジも最近作った。これだから日本からガンマニア君たちが、今ではアメリカ本土まで来なくても、アメリカのような広さはないが、充分ここで、日本ではおもちゃ以外触ることも、見ることもできない拳銃をずらりと並べて、好きな銃で射撃が、たった3時間ちょい飛行機に乗れば、バカスカ撃てるので、今時は、拳銃を自由自在に使いこなせる日本人は全国にたくさんいる。
 
日本でひいた風邪がますます悪くなる。夜中じゅう咳と痰が出て、苦しい、体力もなくなってきのに、明日からフィリッピンに行き5泊するのだが、もう行きたくない、、、アワナ ゴー ホーム サンフランシスコに早く家に帰って、ふんわりしたベッドに寝て、いい薬を飲んで、リッラックスしたい。
 
I Want to go Home.,,なんて、本当にこの時は思っていたが、、。翌日、マニラに着い夜から急に元気になったのだ?。
 
次回はフィリッピン。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回は合計19日間の旅も終わり、先週ここシスコに帰ってはきたが、日本で風邪をひいてしまい、それからグアム島へ2泊、フィイリッピンで5泊、アメリカに帰って来ても、熱はないものの、咳が止まらず、痰が出る、これが2週間も続いた。日本で買った風邪薬は、長年アメリカに住んで、体質が、もうアメリカ人の食生活になってしまったのか、ぜんぜん効かない。倍飲んでもまったく効かない。
 
こちらのカイザー病院へ行って、韓国系米国人の若いドクターキムさんが、今のオレの主治医なので、相談に行った。
簡単なチェックをしてもらった。別にたいしたことはないらしい。そこで、 ”ドクター、オレは長年射撃のインストラクターをやっていて、銃口から鉛の弾頭が発射されると、空気中に鉛の粉がまき散らされるので、オレはそれを長年吸い続けたので、肺が鉛に侵されている可能性があるから、”レントゲンのチェックをしてくれ”、、と言ったら、 
 
あなたは同じ事を半年前にも言って、レントゲン チェックをやってますよ、、と、ニッコリ、、。すっかり忘れていたのだ。こまったもんだ。
 
ドクターキムさんが処方箋を書いてくれて、1階の薬販売コーナーで3種類の薬をもらって、車をふらふらと運転して、家に帰ってきて早速薬を飲んだ、、、なんと2日目にはもう咳も痰も出なくなり、ほぼ治ってしまった。2週間も続いた日本製風邪が、アメリカ製の薬で、まるでマジックのように効いたのには驚いた。
 
日本に着いたのが4月3日、群馬県の実家に帰った。今は無人の明治時代の古い家だ。電気と水はまだ切らないので、なんとか住む事ができるが、ろくな寝具も今はなく、とにかく朝晩は寒い。トレーナーの上下を着て寝てもせんべい布団は寒い。
堀炬燵はあるが、暖房はそれだけ。運動を兼ねて、歩いて45分かかる温泉へ毎日行く、風呂は調子が悪く使えない。ゆっくり入ってから、実家と温泉のある道路を歩く。田舎の人家の周りは、今はいろいろな春の花で溢れている。本当に日本人は清潔で、庭も道路もきれいに整備されていて本当に美しい。桜の花はいたるところに咲いている。桜の色はなぜか白く見えた。日本は古木が多い、学校、神社、お寺の周りは100年上の古い桜の木が多く、満開の見事な桜を、立ち止まっては見とれていた。
 
寒い家の貧しい寝具、温泉の後の湯冷めが風邪をひく原因になったようだ。
 
群馬の実家を後にして、東京に出て、取引先の大手ガンデーラーへ行き、アメリカの(我が社)に来る予定の中古銃450丁をチェックしてから、社長とマネージヤーの3人で居酒屋で乾杯してから、翌日知り合いの待つ、ある地方都市へ新幹線で出発。
 
そこで彼が連れていってくれたのが、、なんとSMクラブではないか。入店したときが、ちょうどショータイム、半裸の女が、さるぐつわをかまされ、目隠しされて、身体はロープでぐるぐる巻き、そのうえ天井からロープで吊るしあげられて、呻いている。彼女は自分で懐中電気のでかいような、バイブレーターのようなものを、股間に押し付けて離さない。
もう一人の女が、これまたすごい衣装で鞭を振り上げて、脅し文句をいいながらバッシ、、と打つ、打たれた女は呻く。かとおもえば、火のついたローソクをたらたらと女の身体の上に垂らす。
 
ショーだろうが、初めてのお客さんは、びっくりして、おとなしくなってしまう(オレの事)。
 
ショーが終わってから、お姉さんたちがお客さんのところにきて、普通に会話をするんだが、鞭叩きのサービスがあり、オレと一緒にクラブに行った3人が全員、上半身裸になり、ズボンのベルトをゆるめて半ゲツ出して、背中を鞭で打ってもらうのだ。
 
いくわよ、、いくわよ、、、と言いながら、大きく振り上た鞭が唸りながらビッシ〜〜と背中に炸裂、、、ぎゃ〜〜といってお客は飛び上がる。
3人が3人とも鞭打ってもらい、ぎゃ〜〜と叫んでいたから、本当に痛そうだった。この3人は変態だな。
 
その3人がタカハシさんも1っ発やってもらったら〜〜、なんて言って笑っている。勘弁してくれよ、頼むよ。
 
一人の眼鏡をかけたホステスに、なぜがオレは気に入られて、ずっと、ほおずりされたり、抱きしめられたり、歳をくった男が好きなんだと、すごいサービスをされてしまったが、アメリカに帰ってきて、そのクラブのウエブサイトを見て、オレにサービスしてくれた女のブログを見たら、 ”今日はすごく気分のいい日でした。私の好みのお客さんがサンフランシスコから” なんて書いてあったから、本当に気に入られたようだ。
 
なんていう春なんだ、桜は満開、風邪をひいて、友達はサドマドクラブに招待してくれるは、う〜〜ん、これまた悪くない日本の春でございました。春一番、バッシ〜〜ぎゃ〜〜。
 
 
 
 
 

DJango

久しぶりにワイフと上の娘と3人で映画を見に行った。
 
噂の映画、ジャンゴだ。監督はクエンテイン タランチーノ。この監督は日本のヤクザ映画の影響をかなり受けているそうだ。
 
この映画はブラックウエスターン、舞台は南北戦争の頃の、奴隷制度から抜け出した黒人の男が、拳銃の練習を重ねて、賞金稼ぎのガンマンになり、自分のワイフを売春宿に売り飛ばされた、プランテーションの親方に復習するストーリー。
 
ま〜〜日本の昭和30年代のヤクザ映画全盛期の頃と同じシーンで、ドンパチ、ドンパチ、ブスリ、ブスリ、もう血がドッピュウ〜〜ン、ドッピュ〜〜ンと跳ね上がり、飛び散り、黒人のジャンゴのガンさばきの見事さ、、撃たれて苦しんで、罵声を放ちながら、くたばっていくのは全部悪い白人、、だいたいこの時代の映画は、白人カウボーイは恰好よく、黒人は汚い奴隷、、と言うのが普通のストーリーなんだが、、、まったく、この映画は逆のストーリーだから面白い、、この悪いプランテーションの領主の高慢ちきのワイフまで撃っちゃう。
 
オレ達3人が、少し遅れて映画館に入ったので、3人そわれる席がない。仕方ないので、なんと一番前の席だけ空いていたので、そこに、そわったが、もう顔を上に向けて、大スクリーンの右を見たり、左を見たり、、もう大変。
 
このタランチー監督の作品で ”キルビル” もう、、白人金髪女が日本刀を担いで歩き、日本刀を振り回してドバドバ悪い相手を刀で切っていく、、なんか漫画の世界のような、めちゃくちゃのストーリー。
最後のシーンなど、着物を着た女ヤクザ親分とチャンバラをして、最後に女親分の額から上の頭を切り飛ばしてしまう。恐れいいりました、、と言いたい映画。
 
このキルビルNO2の、終わりの字幕が出る時に流れる音楽、これまた面白い。スパニッシュの ラ マラゲーニアがロック調で流れて、終わったあと、、どこかで聞いたメロデイーが流れている、、、なんと日本の演歌ではないか、、これがまた哀愁をおびていて、このアメリカ映画によくフィットしてるんだな。
 
この女の歌手が歌っている演歌、、なんていう題名なのかなわからない、、もし知っている人がいましたら、教えてください。
 
今まで演歌には興味がなかったが、、こんな映画に使われいると、なかなかセンスがいい、演歌も捨てたものではない。アメリカの映画に、演歌が使われたのは初めてじゃ〜ないのかな。
 
私の習っているピアノの先生で、音大生がそのまま成長したような、品の良いミドルエイジの先生も、タランチーノ監督映画のフアン、、この先生が、、この映画を見て、、、最初はドキドキしてたけど、、すごく楽しかったわ、、、なんて言っていた。そこでオレが一言った、、先生、、やっぱし、、映画は ”セックス&バイオレンス” がなければ、面白くないですよね、、と。
 
そうですよね。と先生も言っていた。そうです、それが普通の人の現実なんですな。
 
 
 
 
 

Too young to die

最近のここサンフランシスコ クロニカル新聞の最初のページの見出しが、Too young to die です。
 
この見出しと写真は、18歳の黒人少年の葬式である。彼の17歳の妹が産んだ5週間めのベビーを抱いている写真も出ている。ここはカリフォルニア州で最も犯罪率の高い、ここシスコの隣町,オークランド市、イースト オークランド。 この界隈だけでも、昨年、2012年度だけで、合計131人が殺されている。なんと19歳の誕生日を迎えられない子供が14人も含まれている始末。これだけではなく、銃で撃たれても一命は取り留めた数は、この数倍にもなるだろう。そして、そのほとんどが一生、障害を持った車いす生活などになる。
 
この辺りは銃撃で逸れた弾が、全く関係のない人に当たったり、泥棒。強姦、ナイフで刺されたり、暴行など頻繁に起こっている、現在のワイルドウエストだ。。
 
これらの子供たちは学校へも行かず、マリワナを吸って、ドラッグを売って、ケチな泥棒をしたり、喧嘩をやったり、ドラッグで稼いだ金で300ドルのシューズをはいて、恰好をつけたりしている。
 
こういった環境に生まれれば、周りがほとんどドラッグデーラー、貧困と無教育などが主な原因だろうが、頭が少し良ければ、高校だけは、アメリカは義務教育だから卒業して、すぐに軍隊に入隊して、そこで教育を受けるか、しばらくの間、軍隊で過ごし、少し金を貯めてから除隊して、カレッジに行くかして、その最悪な環境から抜け出れば、いいと思うのだが、どうしたもんだろうか、こういった環境に住んでいる人達は、無知な世間知らずが多いのか、オレ達には考えられない世界がそこにある。
 
もう20年も前だったか、日本から本を書く40代の男女2名が、ガンシューテング ツアー来て、その帰りに、本を書くネタにするのだろう、ぜひ悪い地帯に案内してほしいと言われた。
 
ここシスコのハンタース ポイントとイーストオークランドへ案内したことがある。そこは、なんか異様な雰囲気だった覚えがある、、店の前のドアーやウインドーは金網が張ってあり、あまり人影もなく、歩道を、若いベビーを抱いた黒人女がドロリとした目つきをして、たぶんなにかのドラッグでもやっているんだろう、オレ達のところにきてタバコをくれ、、なんて言っていた。男の作家が経験のためにと、、グロサリーストアーに入ってタバコを買ってみた、黒人の親父が1人カウンターの中にいて、厳しい顔をしていた。カウンターの下やキャシアーの横にピストルが間違いなく置いてあるだろう。いつ襲われるかわからない環境だ。アメリカのグロサリーストアーは、よく襲われる。
 
この2人の作家が、もう一か所ぜひ案内してくれと言われたのが、ここシスコのカストロ地区のゲイピープルが集まる地帯、、そこのバーに行って一杯飲んだ。男の作家がウイスウキー ソーダ、女の作家がブロデイーメリー、オレがジャックダニエルのダブル、、今でも覚えている。この女の先生2杯3杯と飲んでいくうちに、だんだんとよぱらってきた、、そして、スケベ顔になって、” なんで〜〜??あんないい男が女に興味がないの” 、、、と、若い小柄な、ハンサムの可愛い顔した白人のバーテンダーをみながら、溜息をついている、、知るか、よ、生まれつきそういう身体と頭になっているんだから、しょうがないだろう。
 
ゲイバー独特のベースに効いたBG音楽が、彼女の身体と頭を刺激しているようだった
 
でも度胸のいい2人だった。それ以来オレ自身もイーストオークランドに行ったことはない。
 
コネチカット州のニユータウンで小学生が20人と先生達が殺された事件が起こってから、ここ最近はガンコントロールの記事がいろんな角度から毎日のように、新聞に書きたてられている。
 
銃社会はアメリカの文化と歴史の一部なんだが、日本では、まったく考えられないことが、この国でな毎日おこっている。
 
自分の身は自分で守り、自分たちの国は自分たちで守りましょう。ということです。
 
 
 
 
 

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