タフおやじのアメリカ情報。

今年も半分終わってしまったな〜〜、、さて、どうしようかな。

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アメリカにもう40年以上も住んでいるのに、日本の事は、日本に住んでいる日本人以上に、、たぶん、、気になる。
 
なぜなら、外国に住んでいれば、どこへ行っても日本人の看板をしょって、生活、仕事、行動してるから、日本人を意識する。オレの事務所には日の丸の旗(日章旗)が壁に掛けてある。それでいいのだ、オレは日本人だから。
 
アメリカは、特に大都会は世界中の人間が住んでいる。うちの店の中で働いているのも、全員アメリカ生まれだが、マネージヤーはフィルピーノ系、その他、メキシコ系の可愛いいおネイサン、柔術が得意なプエルトリコ系、白人に、両親が大学の先生で黒人と白人のミックス、インテり日系などで、みんな自分の親の国を誇りに思っている。
 
みんな英語をしゃべってはいるが、食い物は国際色ゆたかに楽しそうに食っている。
 
頭に来たのはコリアンの馬鹿が ” 原爆を落とされた日本は神の云々、、ざま〜みる ” と言ったやつだ。
 
コリアンは、もう一言付け加えるのを忘れていた、、、” アメリカさんありがとう ”、と、。実際に原爆を投下して25万人も一度に焼き殺したアメリカは、どんな態度をとるだろうか。聖職者のごとき、戯言をたぶん言うだろう。
 
それに対して、日本政府の対応は、いつものように ”遺憾である、厳重に抗議する” ネットを見れば、常識のかけらもないコリアンを、ガンガン非難しているが、政府も経済制裁をするとか、なにかをしなければ、、いくら利権や保身が韓国にあろうが、ここまで馬鹿にされていいものか。行動できない軍隊を持つ国の、稚拙行政の悲しさよ。
 
中国の毛沢東が大躍進と文化大革命で、つい最近の70年代まで、自国民を1億人以上も、飢餓、拷問、処刑で殺しても、中国は自国民に、この世界の歴史上最悪の歴史を教えない(日本人は知っている)。日本人に対しては何でも言えるコリアンも、日本人も何も言わない。もし日本の朝日新聞あたりが、言ったら、どうなるだろうか。もうチャイナマネーが入ってこない。しかし、この殺戮はヒットラーも足元にも及ばない。
 
アベノミクスの思い切った円安になり、輸出企業が息を吹き返して、世の中がやっと少し明るくなったら、
日本中の漁師がオイルの値段が上がったからと、政府に抗議して、上がった分の金を出してくれと、、、まったく甘ったれている。魚の値段を上げれば済む事だろうに。
どうせ彼らの後ろで、最近まったく庶民から相手にされなくなった、共産党、社民党、それに民主党の連中が、この無知な漁師の組合に行って、空気を入れているのに決まっている。どうにも情けない。
 
ユーチューブで国会審議を見ていたら、民主党の女議員が ”慰安婦問題について” 首相の安倍さんと、やりあっているのだが、もうとっくの昔に、さんざコリアンに金を払って解決済みのこの件を、また蒸し返して、、このアホ議員はコリアンかと思った。コリアンからいくら金をもらっているんだろうか。だいたい従軍慰安婦の9割は日本人の女で、コリアンはその足りない補充の売春婦であり、兵隊さんから金をもらってやっていたのだ。日本の政治家も、日本人慰安婦にたいして悪いとおもって、いわないだけだ。
 
60年に作られた映画、勝 新太郎主演 の”兵隊やくざ” シリーズ に従軍慰安婦が出てくる。女たちには、悲壮感などない。相手が兵隊だろうと一般庶民だろうと、やることはおなじだ。現在日本にも、コリアン売春婦は全国に2万人ほどいて、客を取って稼いでいる。現在では ”従庶民慰安婦(新語)” 相手が兵隊でなく、一般庶民に変わっただけだ。
 
その程度の国なのに、なぜか、日本政府はおとなしい、、、安倍さんが一刻も早く、法律を変え、教育を変え、軍隊を持ち、強い独立国になってもらいたいものだ。
 
コリアンやチャイナの言動に、いい加減疲れてきた。何とかしてくれ、タフな日本国になってくれ。
 
2013年5月26日、今日の予定は、午後から友達Hさんの家で、BBQパーテーがあるだけなので、ゆっくりと、夫婦で寝ていた。起きたらもう10時を廻っていた。

毎日ここ十年くらい、毎朝続いているは、血糖値と高血圧コントロールの薬を飲んで、かなり薄めのブラックコーヒー2つ作り、ひとつは自分、もうひとつはワイフの寝ているベッドルームに運んでやる。

ついでに、2人前の朝飯を作る。ベーコンを4枚を四つ切りくらいにして、フライパンに並べて、だいたい焼き上がった上に、うどん粉、キャベツ、ネギの千切りに海苔を細かくちぎって、水を入れてかき回して、半分焼けたベーコンの上にたらして、うすく延ばして、丸くフライパンのサイズにピザの様にして、両面をこんがり焼く。

これは学生時代に残り物で作ったのが、忘れられず、、時々作るのだが、けっこうワイフと子供が好きなので、時々作る、、これ称して ”ジャパーニーズ ピザ” マヨネーズと醤油でいただく。今日はこれを作り、怠けワイフのベッドまで運んでやる、と、、サンキュー マサ〜シ〜〜、といつもの様に彼女は言うのだ。

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さっそく朝1番の新聞を開くと、最初の見出しに、我が、ガンショップ HIgh Bridge Arms が出ているではないか。次のページは1ページ全部使って、その説明がしてある。

内訳は、今年に入ってから、銃の弾がまったく入荷しなくなった。本当に少ない。弾を作る製造会社は現在、週7日24間体制でどんどん作っているのだが、、いっこうに市場に出回らない、おかしい、、国が買い込んで、ストックしてると言う話もあるが、どこかで戦争が始まる気配もない。イラク戦争の前も、こんな事態は起こらなかった。

詳しい事は解らない。昨年起こったコネチカット州の児童20人と、先生6人が殺害された事件以後、ガンコントロールが始まったという噂もあるが、詳しい事は今の所、解らない。

どうにも、おかしい。ポリス達も弾がないので、練習ができないと書いてある。弾の値段はじりじりと上がり出した。
高くても売れるのだが、入荷が極端に少ない。

どこかの巨大の組織がコントロールしているのだろう。値段が倍になった頃、市場に放出すれば、天文学的の利益が出る。リーマンショックでもそうだが、陰で巨大の組織が、どうも蠢いているようだ。
戦争中は日系米国人の全て強制収容所にブチ込んだアメリカだ。日系人は、長年かかって築いた全ての財産を失った。そういう事をする国だから、いつなにが起こっても、おかしくはないのだ。

銃の方も、今年に入ってから少なくなって来たが、少しは出回り始めた。この調子でいけば、アメリカに約6万店ある銃砲店の半分は倒産するのでは、ないだろうか。

昨年だけで、アメリカで製造された銃以外に、世界各国からアメリカが輸入した銃が100万丁を越えている。その8割がピストルだ。

これが、アメリカの現実だが、日本人ではただ1人、店を構えて、小売り、輸出入の仕事をしているのはオレだけだろう。

たぶん、オレが日本人では、アメリカで最初で最後の、ファイアーアームの販売を職業にした男だろう。






暇と金のある男達。

先週友達のNさんから電話がかかってきた。いま何してるの?、、、おれ暇で退屈して困ってるんだ、どこかへ遊びに行こうよ。じゃや〜〜海に行ってアワ取りビダイビングでもやる??といったら、彼は こっちの海は水が冷たいから、やりたくないよ、、それに今年のシーズンが始まった4月1日から、もう5人も死んでるよ。今年は海が荒れてるようだ??。

もう歳を食って来たから、ほかの事にしようや、、と言う事になった。

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それじゃ〜と、スポーテイングクレイに行く事になった。ここサンフランシスコから南へ車で約1時間半のモーガンヒルと言う町の郊外にある、山の手の丘、広大の敷地だ。

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真面目にクレー射撃をやらないので、まったく当たらない。このスポーテングクレイは、実猟を想定して、いろんな角度から、クレー(お皿)が飛び出してくる、それを撃つのだが、銃と弾を持って、歩きながら、丘や谷を一回りしながら撃つスポーツです。
俺たち2人とも、久しぶりに撃ったので、肩が痛くなってきた、1人50発を越えた頃から、もう終わりにして帰ろうや、、なんて言い出して、まったく、だらしないシューターだな。前来たときは2人で1ケース、250発撃ったのだが。

そんな事で、彼はなんとか、1日を楽しくすごす事ができたようです。友達のNさん、元々は建築士であったが、開発業者などやったり、不動産関係の仕事でひと財産築いた男でした。彼の映像はありません。顔があまりにもヤクザっぽいから??、出すのをやめといた。



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フィリッピンの船はこのように両側に名前は忘れたが、バランスを取るフロートが付いている。ボートのサイズは大小いろいろあるが、上の映像はダイビングボート。
朝9時頃、この船に乗ってダイビングをするスポットまで行く。こちらの海は、いろんなカラーの小魚がたくさん群れている。とてもカラフルだ。熱帯魚博物館の様な海中散歩。

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ビ―チフロントにある、こじんまりしたホテル。ラジオもテレビもいらない、椰子の葉陰で風の音を聞き、海の潮騒を聞くらいで、本当にのんびりできる。朝日を受けて起きて、サンセットを見ながら食事をして、海で遊んだ快い疲れが、いい眠りに誘ってくれる。

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いい景色なので同じの写真を2枚置いてみました、’

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ホテルの部屋から見るフィリッピンの海。とても美くしい〜〜。

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ちょいと、町に出てみる。八百屋の店先と店員。じつに店の色がカラフルだ。手前にある紫色したフルーツがマンゴスチン ”果物のキングがドリアンなら、この、マンゴスチンはクイーン” と呼ばれている。

おっマンゴスチンだ、あった、さっそく、どっさ、、と買い込む。

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ナイフで厚めの皮をくるりと剥けば、中はこういう白い身が出て来る。甘く、少しすっぱいかな、、濃厚の香りと、オージャスな舌触り、、、うう〜〜ん、、果物のクイーンとはよく言ったものだ、。

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夕焼けも、また美しい。5泊6日の旅では、少ない、マニラで着いた日に1泊、帰る日に1泊。海で3泊、、、これでは足りない。あと最低3−4日欲しい。次回はもっとゆっくりとすごします。

さて、この海の旅も終わり、ダイビングショップを経営している白石さんが、マニラへ行くので一緒に帰る事にした。彼は日本から来るダイバーグループを、明日エアーポーとに迎えに行くそうだ。

最後の晩、友達の、現地の日系企業に勤めているEさん、カローラさん、彼はマニラでミリタリージャケットを製造販売、輸出している会社の経営者、アメリカにも最近家を買って日本、マニラ、アメリカと駆け巡り、頑張っている男、それと白石さん、日本から来たばかりのEさんの会社で働く若いのと5人で、前に合ったカラオケクラブのおネイサン達3人連れて、まずは日本レストランでお食事、それからクラブに行き、飲んで、歌って、ばか騒ぎ、、2時間以上楽しい時間を過ごしました。


いい友達と一緒にすごすのは、とても楽しい事です。友達は大事にしましょう。今回は、いいバケーションだった。

翌朝、クラブで、隣に付いた、Makiちゃんという娘が、わざわざ、ホテルまで来て、エアーポートまで送ってくれた。又来てね、、これじゃ〜男は、また来たくなる国だね。親切だ。




ミンドロ島ふたたび。

”ミンドロ島ふたたび ” という本を、もう、本当にずいぶん昔に読んだ。戦記作家の大岡 昇平 の作品。彼が実際に体験をした第二次世界大戦後半、敗残兵として、ミンドロ島で過ごした経験を書いたものだ。そんな事で、この島の名前は前から知っていたし興味があった。4−5年まえから、もう5−6回この島に来ている。
 
この島はフィリッピンのマニラ市街から、バスで南へ約1時間半ほど南に下って、バタンガスという町まで行く、そこから船に揺られて1時間くらい、きれいな南の海を乗合船で行くと、プエルトガレラ、ホワイトビーチ、ココビーチ、、などのポイントにお客を運んでくれる。ここ3回ほどはホワイトビーチのバンガロー風の ”ココ アロマ” に泊まる。ここは土産物屋やレストランなどが集まる通りから、少しはずれで、静かなビーチフロント、値段は最近のドルの下落で、物価が上がった、それで今回は1泊50ドル、前は35ドルだった。お湯は出ない、水シャワーのみ。ベッドはなくマットレスの上に寝る。
 
貧乏人のヴァケーション向きだ。ここに泊まっている客はなぜか、ヨーロッパ人がほとんど。彼らはけっこう、ゆっくりした長い滞在組が多い。
 
朝方、地元の漁師が小舟繰り出して魚を取って来て、ビーチで売っている。こういうのを見るのが好きなので早速チェックに行く、イカとかカツオなど買って、ホテルに持ってきて、新鮮な魚を刺身にしてもらったり、イカのから揚げなど作ってもらい、ビールを飲みながら、ゆったりと過ごすのがいい。一回の魚の買い出しも5ドルくらいと、とにかく安い。
 
このホテルの近くに白石さんという、日本人では唯一のダイビングサービスをやっている人がいて、ここでいつもボートダイビングをやる。
 
オレが日本にいた19歳から23歳まで、もう毎週ダイビングセットと水中銃を車に積んで、仲間と魚を追い掛け回していた。そのころの仲間の知り合いが結構プロダイバーになったりしたが、彼と話をしていると、昔の懐かしい知り合いの名前がよく出てくる。たぶんオレも白石さんは、よく覚えていないが、どこかで合っているわけだ。
 
この人は日本代表で、ブルーオリムピック(フリーダイビングで魚を突く)に参加している。60年代のダイバーは水中銃で魚を突くのがほとんどだった。アメリカに来る前の年1967年、全日本スピアーフィッシング大会が大島で行われて、オレは2位になったことがある。全国から100人以上の参加者がいた。
 
しかし、プロになったダイバー連中は60歳前に、けっこう死んでいる。タフの職業なのだ。
 
初日の夜が来た。白石さんに案内されて、プエルとガレラの町に、トライスクル(50CCのバイクにサイドカーのような物を付けた乗り物)で行く。田舎道を30−40分走る。まずは海の見えるレストランで食事をしてから、ナイトクラブへ繰り出す。
 
この町の海岸に沿って、こじんまりした繁華街ができている。ナイトクラブの中には、大きな楕円形のカウンターバーがあり、そこで働いている女たちが、かわりばんこに、ビキニスタイルで、カウンターの中にあるステージで5−6人がゆったりとリズムに合わせて踊っている。気に入った娘がいれば、ダンスの後に彼女を呼んで、一緒に飲んで、デートの交渉をしたりする。
 
同じようなクラブを3−4軒回ってみた。そこで飲んでいると、どこのクラブでも、ママさんに連れられた若い女の子が7−8人くらいきて、ママさんがピックアップしろ、、としつこい。中にはバックラー(おかま)のママさん?までいて女を、これも同じく7−8人引き連れてきて、ピックアップしろ、、とけっこうしつこい。いらない、いらない、、と断るくらいがちょうどいいのだ。
 
そんなこんだと飲み歩いているうちに、女たちに囲まれて、いい気分になってきた。店の外に出れば、南国の夜の風がセクシームードをかもしだしている。最初行ったクラブに、キュートガールがいたので、ママさんと話をつけて、今日から3泊4日のトラベルコンパニオンを決めた。23歳名前はアニカと言っていた。
 
もう日本では ”加藤 茶” の世界だね、年齢の差が、、これもまたよし。なぜかこの南の国に来ると、そういった事をしていても、まったく自然で自由で、まわりも気にしないし、気楽のものだ。男は完全に精神的に若返る。
 
彼女に聞いてみた。お父さんは何歳、、答えが 48歳、、オバーさんは?60歳、、、、あ〜〜そう、、オレ42歳、、なんて言ってとぼけてみたが、、??。まいったね。
 
さ〜〜明日から、透明度のいい南の海でダイビングだ。
 
 
 
 
 

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