タフおやじのアメリカ情報。

今年も半分終わってしまったな〜〜、、さて、どうしようかな。

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今年も宜しくお願い致します。

今年の正月は、私のワイフの母親が90歳近くになり、サンフランシスコに連れてくる事ができなかったので、ワイフの実家で自分の家族4人、写真の日系2世のお婆さん、ワイフの妹と、下の娘のメキシカンボーイフレンド。それに、なんと飛び入りで上記の写真の男が日本からやって来た、、日系正月料理に驚いて、感動して口を開けて興奮してしまったようだ。

Tさん,独身、年齢不詳、職業ジャーナリスト to be。この写真のあと、彼が持参した ”濁り酒” の一升瓶を、彼は一晩で、全部飲んでしまった。気分がだいぶ良かったようだ。

彼は正月元旦にサンフランシスコからサクラメントまでバス、そこからユバシテーまでタクシーでやって来た。タクシー料金が125ドルの所を75ドルに負かしたと言っていた、ここアメリカでタクシーの値段を交渉する男はそうはいない。オレも滞米40数年タクシーを値切った事は一度もないな。

今年も、日本へも行かなければならないし。高校の同級生と新年会もやりたかったが、今年はアメリカの正月でした。おせち料理の3段詰めは、ここシスコの日系のスーパーマーケットへ注文して、取り寄せた。後は自分て釣ったり、潜ったりして穫ったマグロやアワビ。その他は地元で調達。

日本へ行かなくも、アメリカでも、このくらいの料理は食べられます。

今年の計画は、また来月2月にメキシコのバハ半島のサンクインテンの近くの農作地帯に、クエール(鶉)がばたばたいる、すごい猟場を探したので、ガイドを雇い、1週間くらい撃ちまくり、猟と釣りをやり。

それが終って少し暖かくなる3月後半か4月頃には、日本へ行く計画です。ついでに、飛行機に4−5時間揺られて、南の島々へでも行って、人魚と一緒に昼寝でもしようか、、なんて、けっこう悪おじさん的な計画もしてます。

日本国も今年は、新しい政治の改革の波がやっときたようだ、安倍新総理大臣、石原慎太郎さんなどが活躍して、憲法を変え、教育を変え、強い日本になってもらいたいものだ。遠いアメリから応援してますぜ。


それでは、また次回から、またメキシコの旅の戻ります。
















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オイ、、60歳も半ばになってそんなに喰うなよ。

ジャックは現在、体重が230ポンド(約106キロ)。彼は糖尿病でインスリンを毎日腹に打っている。それどころか、昨年のオートバイ事故で、婆さんのバンにぶつけられて入院して以来、小便が自然に出なくなった。1日4回、チンボコの先きから30センチくらいのチューブを入れて小便を出す。尿意がまったく無くなってしまったのだ。

目も片方無い(海兵隊時代に喧嘩で失った)。片目だけど、今回全行程2500マイル(4千キロ)くらい走ったが、彼が全行程を運転した。両目のあるオレより運転がうまく慎重なのだ。だからヤバイ今回のバハの道は彼が運転した。オレを信用しないのだ、崖から落ちたら大変だ。

聞いてみた。ヘイ このチューブの長さ、、L、M, S があるのか??、、そしたら、、あるよ、、オレは勿論 L だよ、、ユーは S だな、、ファックユー ジャック、、といった、馬鹿なあ会話が、しょっちゅうだ。今回彼は100本持って来た、と言っていた。この病気はけっこう男も女も歳をくうとあるらしい。
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今朝のキャンプ料理は、ソーセージとタマネギとセロリの炒め物。プラス、ブラックコーヒーだ。

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温泉を入った翌日からは、この映像のあるラフロードの運転が始まる。小さな集落を過ぎてしばらく行くと ”PAPA FERNANDEZ” の看板が目に入った。そこへ寄り道して、なにかレストランの様な物があれば、昼の食事をしようとデコボコ道から、ビーチへ向った。

けっこう広い敷地があり、建物やボート5−6隻などあり、かなりのスケールのアウトフィッターらしいが、客は1人もいなく、閑散として、こじんまりしたレストランもあったが、客が1人もいなく、俺たちだけだった。
ペスカフリート(魚のフライ)とトロテーヤとビールをオーダーした、

店の中に入ると、驚いた事に、60年代、当時、大人気の映画俳優のジョン ウエインが、歳をくった小さい爺さん(パパ フエルナンデス)と一緒に撮った写真があった。このフェルナンデスは50年代にシー オブ コルテーズを開拓して、最初にフィッシングキャンプを設立、デカイ魚などを、アメリカ人に釣らせるキャンプを開いたらしい。そんなデカイ魚を数匹吊るした写真が、たくさん壁のあっち、こっちに張ってあった。ここでは映画も作られ、昔は賑わったようだ。104歳で他界したので、このpapaの孫か娘かが、レストランで料理を作ってくれたが、昔はたくさんアメリカから船や水上飛行機で、このキャンプに来て、釣りをやったあとは、みんなで喰ったり、飲んだり大騒ぎだったよ、、なんて話してくれた。

シスコに帰ってきて、Papa Fernandez を調べたら詳しくかいてあった。

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その日の午後、俺たち2人は映像にある荒れた未舗装のロードを時速10から15マイルのスピードで走っていた。本当に乾燥している地帯は青い大きなサボテンも生えていない。

運転をして数時間、時間は午後の2時頃か、、、このなにもない乾燥したロードに1人の、ヒッチハイカーを見つけた。手をふっているので、車に乗せてやった、歳の頃は30代くらい、それほど汚くもないが、どこから来たのか、どこへ行くのか、名前は、と勿論 スペイン語で聞いても、、返事がない。

独り言をぶつぶつ言っている、とりあえず水とコーラを飲ましたが、、、1時間くらい走ったら、小さな店の様なのを見つけたので、この男を降ろした。

それからまた、数時間運転をして、日没近く、道路から100メートルくらい入ったところで、今晩のキャンプを張った。飯も食って、、もう9時だ、さてそろそろ寝るか、、と思っていたら、、キャンパーの外で人の話し声が聞こえるではないか。こんな誰もいない不毛の地に、、夜は、この道路は危険だから車も走らないのだ。外は真っ暗闇だ。ヤバイ、、バンデット(強盗)か。オレ達は拳銃を持ってない、メキシコには拳銃を持っては入国できない。ジャックは刃渡り20CMくらいのバックナイフを掴んだ。オレはテキーラの角瓶を逆手に持った、これきりセルフデフェンスの道具がないのだ、が、相手が拳銃を持っていれば一巻の終わりだ。

クッソ〜〜2人とも顔が青ざめる、、、。

誰かがキャンパーのウインドーをノックする、、、オレがカーテンを少し開けてみる、、、そこに相手の顔が目の前に現れた。、、ぎゃ〜〜2時間前に車から降ろした、ヒッチハイクの男がウインドウから中をのぞいている。いくらゆっくり走っても2時間車で走れば、20−30マイル(約32−48キロ)は走っている。あれから約5時間、、この暗闇の道路を人間が歩けるのか。

お化けだ〜〜と、瞬間思った。又は彼の後ろに誰か強盗がいるかもしれない。

さすがジャック、、もと海兵隊でナイフファイテングのトレーニングを受けたので、オレが先きに行くと言って、キャンパーのドアーを開けて外に出た、、その後をオレがバックアップした。

外には5時間前に下ろした男が立っている。その後ろのは誰もいないようだ。杞憂に終ったが、、信じられない。この真っ暗闇を5時間彼は歩いて、また俺たちの車を見つけたのか??腹が減っているジェスチャーをするので、残っていたトロテーヤとコーンチップとビールを飲ませた。それに荒原といえども山岳地帯は夜は冷える。Tシャツだけの彼は寒そうにしていたので、暖かいジャンバーをくれてやったら、すぐに着込んだ、それからすぐに、石ころや小さなサボテンの、ごろごろしている危険な暗闇の中を、彼はすう〜〜と消えて行った。

翌日、また舗装もしてない道路を数時間走って、FwyNo1の舗装道路に出た。そこから1時間くらい南下しながら運転していたら、、ギャ〜〜またあの コヨーテメンが路肩から手をふっているではないか、、、お化けだ。 オレがくれてやった青いジャンバーを着ている。

ヘイ ジャック ドン ピックヒム アップ、、KOYOTE MEN 、、、。





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バハ カリフォルニアはアメリカからボーダーを越えて、メキシコへ南下して入るのだが、基本的にはメインロードが2本きりない。ひとつはテファナから入るHwyNo1と、メキシカリから入るHwyNo2が主なフリーウエイだが、どこまでも狭い2車線で、南端のカボサンルーカスまで続く。

この狭いフリーウエイを、大型のアメリカ製のトラックがブンブンとすっ飛ばしているから、けっこうヤバい。それでも最近は少しずつ発展して、本当にヤバい崖っぷちなどには、ガードレールが施設されてきた。30年も前に行った時などは、ガードレールなんかどこにもなく、崖っぷちの谷間の深い底を見ると、古い車が数台ひっくり返っていた。

しかし、この乾いた岩とサボテンの大地を、逞しいアメリカの若者達が小さいテントを持って、自転車でバハ1000マイルを、陽に焼けたタフな面構えで走っている。

グリーンエンジェルスというレスキュー車が一応は走っているので、故障や事故にあった場合ヘルプをしてくれる。今回の10日間のバハ旅行で1度だけ、車が事故を起こして、道ばたの数メートル下に落下していたが。レスキュー車とポリシアが来て対処していた。

今回は、もうずいぶん前から計画をして、実行をしてなかったドライブで、サンフィリッペをずっと下って、しばらく行くと、舗装ロードが無くなり、サボテンと岩のデコボコ道が165キロも続く、山を2−3越えてHwyNo1にぶつかる。

サンフィリッペに住んでいるアメリカ人に聞くと、このコースは最悪のロードだから2度と行きたくない、、、などと言われたので、オレ達は逆に一度チャレンジしよう、、と前々から計画をしていたが、ついに今回やる事になった。しかし昔から比べるとだいぶ道が良くなった、、とも聞いた。

アメリカの景気が悪いのか、ドラック戦争で殺戮が続くメキシコ、、アメリカ人達が恐れをなしたのかどうか、アメリカのベビーブーマーを当てこんだビーチフロントの別荘が延々と数10キロも続いているのだが、人の住んでいない家が殆どで、映像の様に、FOR SALEのサインが、あちこにに見える、でかい家でも7−8万ドル。安いのは1万7千ドルで、けっこういいのもあった。

上の写真も、別荘の入り口に大きな門を作って、海へ行く道に電灯まで建てたが、もう半分は砂に埋もれていた。売りに出ている家も、長いあいだ潮風に晒されているのか、錆が出ている。

前のブログにも書いたカボ サンルーカスよりもっと悪い環境だ。

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安いよ。たったの1万7千ドル。ビーチフロントで、静かできれいなビーチ、海も空もビーチも君の物だ。なんて不動産屋なら、大声で叫ぶだろう。しかし、、これはいい物件だ。

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この別荘の前の庭、、朽ちかけたボートときれいな海、人がまったくいない、家の裏にあった鯨の骨のコレクション、、、ダメだね肝心の家の前を写すのを忘れてしまった。小ぢんまりしているが、いい感じの家だ。買ってもいいが、、こんなスーパー辺鄙の土地では、家族はおろか、訪ねて来る友達も、ここまでは、来ないだろうから、考えちゃうな。

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お〜〜バハ メキシコにも、地図にもない様な温泉が、海岸ベリにあった。これは塩水、岩のあいだから湧いているお湯で、熱くて入れない、海の水と交わるあたりで、自分でお湯をかき混ぜて、良い加減の温度にしてから、入るという自然温泉。

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おっ誰だい、セニョリータのとなりで、鉢巻きしている、おじさんは、どこかで見た人だね。

この温泉は、ここら辺の漁師達が時々疲れたら、温泉に来るようです。
旅は道連れ、世は情け〜〜〜〜と、、メキシコのバハ カリフォルニアの夜も更けて行きますな〜〜。

べっさめ〜〜べっさめ〜〜 む〜〜ちょ〜〜。














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メキシコのサンフィリッペに着いた。ここはシー オブ コルテーズの海岸だ、人がいないロンリービーチが延々と続く、、デコボコ道が多いので、トラックの空気を抜いている相棒のジャック。これがバハの車の乗り方なのだ、そうでないと車がバウンスするので、運転がスムーズにいかない。


オレの住んでいるサンフランシスコから、のんびりとキャンパーを積んだトラックを運転して、ロスアンゼルス郊外のコビーナまで、約9時間もかかった。そこで相棒のジャックをピックアアップする。

現在彼は、テキサス州のサンアントニアに住んでいるが、今回は彼の母親と2人でコビーナに住んでいる、母親の妹の家に遊びに来た。この母親も母親の妹も、2人とも、昔、始めてあった頃は、金髪美人でセクシーだったな〜〜、本当に婆さんになってしまった。バカ 歳をくえば、あたりまえだ。

そこで10日間オレとジャックがメキシコのバハ カリフォルニアへキャンピングと釣りに、彼の母親は妹の家でのんびりと、その間オレたちはメキシコへ出かけた。

バハ カリフォルニアへは、今回で何回目になるだろうか。最初が確か1980年頃だから、もう10回くらい来てるだろうか。初日はアメリカサイドのエルセントロからサウス オブ ザ ボーダーを越えてメキシコサイドのメキシカリの町から入る。

メキシコに入る前に、メキシコオートインシュランス(メキシコ旅行には特別の車の保険が必要だ)アメリカの保険は、メキシコではきかないからだ。10日間で120ドル、1日12ドルというとこか。

このボーダータウンには、メキシコの車の保険屋、メキシコペソの両替屋などが、ズラリと並んでいる。現在1ドルが12、80ペソくらいで、悪くはない。500ドル替えるが、ペソ札は13倍近くになるので、いつもの事ながら、金持ちになった気分になる。

メキシコのボーダーを越えて町に入ると、いっきに貧乏国ムードになる。道は狭く、ボロの建物が続く、この変化は、いつもの事ながら、まったく変わらない。ラテンカルチャーとでもいうのか。
アジ諸国ではフィリピンが同じ様な雰囲気を持っている。やはり、その国の政治の影響なのだろう。

でもオレ達はこの環境というか、雰囲気が大好きだ、メキシコの人達はどこへ行っても親切で、ひとなつっこい。

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サンフィリッペの町で、昼飯とする。店の前のメニューの出ている看板の前で。

まずはフィシュタコスを4個、カマロン(エビ)カクテルの大グラスをひとつ、メヌードスープ(牛の細切れスープ)などを2人分頼んで、テカテビールで、バハの初日の旅を乾杯〜〜〜。


バハ メキシコ に興味のある方は連絡して下さい。いろいろとアドバイスできませぜ。



Bank Robbery.

今月7日、ここサンフランシスコのバンク オブ アメリカへ強盗に入った男が、なんとうちのガンショップで89年から2009年の10年間の間、働いていた男だった。これには皆驚いた。

”オレは銃を持っている、金を出せ”、、というサインを銀行の窓口に突き出して、$1700ドルの金を取ってずらかった。その紙切れに付いた指紋とサーベランスカメラに写った写真で1週間後に彼は捕まった。彼の職場はシェリフのセクションで、囚人を護送したり、檻の中に入れたり、出したし、移動させるのが。主な仕事だった。

とぼけて出勤したところで、職場で捕まり、そこの檻に入れられてしまった。

フィリップ トング、中国系2世だ。うちの店に来て、ガンショップをやりたいと言うので、10年間オレの名義でリース契約をしてやった。その頃、オレは店の経営が、ちょうど飽きて来た頃で、彼がタイミングよくやって来た。

彼は現在36歳。うちに来たときは、まだ24歳だった。ベーシックには頭のいい男で。24歳の若さで、自分の株の投資で儲けた金を、当時10万ドル近く持っていた。ガンショップをオープンするには、最低そのくらいの資本金が必要だ。

彼は4−5年やってから、今度はここサンフランシスコのポリスになり、店の方は、店員に任せて、二足のわらじでやり始めた。そして20代の後半の歳には、結婚して子供も2人できて、家もパシフィカに買って、なかなかしっかりした、さすがは、やり手のチャイニーズヤングマンという感じで順風滿帆だった。

彼は今年の7月にBANKRUPTCY(破産)をファイルされた。その合計金額が$739,434ドル、、と大変な金額だ。借金が家、車、クレジットカード、その他諸々、謝金の踏み倒しで、かなりの人達から訴えられている。オレ自信も1万ドルちかくやられた。

彼の月給は$7、376。悪くない月給だ。ポリスやファイヤーファイター(消防署)などは、みんないい金を稼いでいる、ま〜危険手当みたいのが、あるのだろう。40歳くらいになれば10万ドルの年収はざらだ。

彼には子供もワイフもいるのに、同じ職場で知り合った、黒人のガールフレンドができたのだ。よほどぐあいが良かったんだろう、夢中になってしまった。彼女の息子に車を買ってやったり、詳しい事は良くわからないが、店に来てる連中の話を聞いていると、女、ドラッグ、ギャンブルなどで、贅沢な遊び癖が、どうにも付いたらしい。

彼の両親は香港から来た貧乏移民で、オヤジは病院で、手術の終わった後の汚れた、手術道具を洗う仕事を、長年リタイアーするまでやり、家もシスコに買った。そのオヤジがリタイヤーして、余裕ができて、トヨタのカムリーの新車をやっと買った、その車もセガレが、親に隠れて売り飛ばしてしまった。

ここはアメリカだ、彼のケースでは保釈金15万ドル払えば、留置場から出て家に帰れる。しかし、そんな金を出す人は、もういまい。出たどころで、裁判が始まり、刑が決まれば、刑務所へ行く、初犯でも最低5−6年は行くだろう。

強盗やって。たったの$1700ドル、これで長年の刑務所暮らし、出て来ても前科持ちは、アメリカでは、とても厳しい、もう彼はまともな職にも就けまい。

お〜〜〜女は怖い〜〜〜〜。


mtakahashi@hibridgearms.com








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