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近所に警察署がある。
歩いて五分くらいのところなので、免許の書き換えとか、とても便利だと思う。
歩いて五分くらいなので、美子が娘の頃、美子の家に、その警察署のお巡りさんが
毎日のように遊びに来ていたそうだ。
仕事を終えると、美子の男兄弟のところに遊びに来て、ご飯を食べて、お風呂に入って
帰ったのだとか。
昭和も、戦前の話だ。
その頃、今の我が家の前は川で、その少し先は埋め地、と言われていたそうだ。
私が子どもの頃まで、三渓園の先は、遠浅の海で、浅蜊も採れたが、赤貝もたくさん
採れた。
その頃、三渓園の近辺のお土産というと、赤貝の干物が定番だった。
美子が暮したこの地の先もまた、遠浅の海があり、
そこで赤貝や浅蜊を採ってくる人が多かったそうだが
元家老の娘で、津田女を出たという、美子の母はそれを許さなかったとか。
時折、母親の目を盗んで、近所のオバサンと出かけると、帰って来てこっ酷く叱られた、と
美子は話していた。
美子が採ってくる浅蜊は、祖母に見つかると、ものの見事に、前の川に捨てられてしまうのだとか。
家老の娘だからではなく、一番下の息子を幼くして、赤痢で失くした祖母にしてみれば、
泥の中から出てくる貝など、恐ろしくて食べる対象でなかったのかも知れない。
しかし、末っ子娘の美子は、そんな母親を、慇懃無礼なやな奴と、凄く嫌っていた。
尤も、亡くなる少し前には、それまで一度も聞いたことがなかった、祖母の炊き込みご飯の
レシピをノートにしっかりと綴っていたのだから、当然のこと、母親のことは好きだったのだろう。
その亡くなる少し前、あまり古いことに拘らない性質(たち)だった美子が昔の話を
よくするようになった。
その中で、その、警察署の署員との交流の記を聞いたのだ。
それを聞きながら、私は山本周五郎の小説『寝ぼけ署長』を思い出した。
この小説の主人公も、家の近くのその警察署の人がモデルなのだ。
と、横浜の戦中について一般の人が語った本の中で、周五郎が暫く滞在した家の娘さんが
書いておられた。
母の話を聞いた後、その小説を読み返すと、なるほど、もしかしてこれってあのあたりのことか
と、想像を逞しくさせてくれる場面がたくさん出てきて、今までの印象と
全く違っていた。
警察署の署員が仕事帰りに一般人の家に立ち寄り、食事をして、風呂に浸かって帰る、って
そんな時代に私も生きてみたかったと、今でもそう思う。
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