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横浜公園でバザーが始まる時期には、中学では、中間テストがある。
中間テストの最中は、例えば親と同伴でも外出は控えて、
その上、もし出かけたら、午後八時までには帰宅しなければならない。
バザーの最中には、竹刀を持った教育指導の先生が見回りをしているから、
覚悟しておかなければならない。
これが、中学生の頃のバザーの思い出。
今日、馬車道駅前から、58番のバスに乗った。
本町の交差点を過ぎて、尾上町の方に曲り、スクランブル交差点の先には、
バザーの準備が着々と進められていた。
昭和35年。美子に連れられていったバザーは、夕暮れ時だった。
外苑をぐるりと囲むように立てられた夜店
お店を照らすカーバイトの匂い。
その灯りの下で賑やかに鳴いている雛たちの色。
私は随分と長い間、ヒヨコにはいろんな色があるのだと信じ切っていた。
今でも目を瞑ると、鮮やかな緋色や緑色の雛達の姿が目に浮かんでくる。
やはり色粉に染められた海ほうずき
洗面器の中に入れられて、梯子を登るヤドカリ
烏賊や玉蜀黍の焼ける、香ばしい匂い。
頭上で交わされる大人たちの秘密めいた会話。
美子は、縁日の場所に来ると、誰かを探しているかのように、急ぎ足になった。
だから、私と妹は、もっと必死に美子の後ろを歩き続けた。
何故美子はあんなに急ぎ足だったのか、美子が亡くなる一年前に、美子から教えられた
思い出話を聞いて、なんとなく理由が解った。
美子は縁日の場所で、幼い頃の知り合いを見つけようとしていたのだ。
結局、美子は誰とも出会うことなく、疲れきった妹を背負って、電車道を帰っていくのだ。
それから何年か過ぎ、中学生になった頃は、外苑ではなく、園内の、植木市方に行くようになった。
そこには美子の知人も何名かいた。
だから、金魚すくいは好きなだけさせてもらえ、カキ氷も好きなだけ食べられた。
けれど、大人の会話をしている美子を待つのは、とても辛く長い時間に思えた。
中学時代、子ども同士でバザーに行くことは当然禁止されていた。
それでなくても、野外劇場で縄張り争いによる殺人事件があった
などという話を聞けば、子ども達は怯むものだと思うが、
私と恵子ちゃんは違った。
二人して、へびやのウラッカワに建てられた、見世物小屋に行くことにしたのだ。
真昼間のバザー会場は、夕暮れ時とは違い、割りと閑散としていて、
見世物小屋にも、お客がいるような様子はなかった。
御代は見てのお帰り、ということで、木戸銭は帰りに払えばよかったから、
二人、手摺のある板の渡しを、歩いて中に入ると、少し前に同級生の
何人かの男子がいた。
オドロオドロシイ音楽と共に、盥の中から、紐に釣られた女の人が現れて、
とてもちゃっちい見世物だったから、御代は払わないことにした。
で、外に出ようとすると、当然、木戸守のおじさんの凄い形相にぶつかった。
払わないという意思よりも、恐ろしいという反射神経が勝って、逃げた。
逃げて、逃げおおせたと思ったとき、一人の男子が捕まったと、誰かが言った。
もしかしたら、掻っ攫われて、見世物小屋で働かされるかもしれない
全員がそう思った。でも、誰も口には出さなかった。
翌日学校に行くと、置いて帰ったことに恨みを持った彼に告げ口されて、
全員廊下に立たされた。告げ口した彼も、隣に並んで立っていた。
で、後から、男子は全員、彼も含めて、あの教育指導の先生から竹刀で殴られたと聞いた。
このときほど、自分は女でよかったと思ったことはなかった。
中間テストが終ると、テスト休みがあって、期末テストが終り、夏休みがもうすぐやって来る。
それは小、中、高、全部足しても、たった十年とちょっとのことだけど、
随分と長い間そんな風に時を過ごしていたように思えるのは、
あの頃の自分が常にキラキラしていたからだろうか。
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