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我が人生を顧みると、なぜか五年ごとに環境が変わっている。
最初の五年は、言葉を得るための年月であり、
その次の五年は、病院生活であり、
その次の五年は、勉強漬けの五年であり…。
そして、この五年は、
まさに喪失の五年だった。
母の死の後、仕事による関係で、家と、多くの知人、人脈、
昨年には、ふるさとを持たない私にとって、
まるで夢のような世界であった、
夫の郷里に放射能が降り注ぎ、汚されてしまい、
義兄から、帰ってきてはいけない、と言われる場所になってしまった。
三十数年の仕事を無くしたときも、
弁護士の逮捕により、
家を継続させられるチャンスを失ったときも、
本来なら再生できたであろうチャンスを失ったときも、
本来なら残せるはずであった、幾何かのお金を全て失ったときも、
元従業員を路頭に迷わせることなく、結末を迎えられたことに安堵したし、
我が家のレッテルだけで付き合っていた人々と決別し、
ありのままの自分と対峙する人々と新たに出会えたことが、
ありがたいと思った。
けれど、地震という天災ではなく、
放射能という人災によって失われた自然の大きさは、
その喪失感は、、一年を過ぎても消えることがない。
夫に嫁してから、あの場所から送られた品々により、私の生活感は潤っていた。
それは、人の手によって作られた作物ばかりではなく、
自然が齎した恵みの数々でもあった。
雪に埋もれた中から収穫された、
柔らかいほうれん草の脇に添えられた蕗の薹、
初夏になると、タラの芽、蕨、薇、真竹の子、
広瀬川の流れに清められた山独活
義妹が作る蕗の塩浸けと笹餅
秋になれば、義父が鎌倉を作った田んぼから収穫されたお米と、
横浜橋商店街で40年以上も前に出会い、ずっと探し求めていた、
蜂屋柿の、その柿の実 そして柚子の実 木で熟れた苹果
正月には、義兄たちが撞いた餅と干し柿と、
その自然の世界は、義兄の父や、祖父や、その先代が、
代々、長男により守り続けたものだった。
長い歴史の中には、たくさんの不幸があったかもしれないが、
それでも再び立ち上がり、そうやって守り抜いた土地であった。
けれど、70年の齢をふるさとで暮らし続け、守り抜いた義兄は、
出来上がった作物を兄弟に送ることも出来ず、
新しい苗を植えることも出来ない。
柿の実も、柚子も、目の前で落ちていき、朽ちていくのを待っているだけ。
それが現実。
この五年に私が無くしたもの
http://www.youtube.com/watch_popup?v=SS-sWdAQsYg&vq=medium
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