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最近気づいたけど、エコに徹底すると、家計費が安くなる。
昼間は照明をつけない。
テレビは観たいものだけを見て、見ない時間はコンセントを抜いておく。
エアコンによる冷暖房は極力点けない。
もし点ける場合は、タイマーで時間を決め、温度設定は26度にしておく。
床は、濡れた紙をちょっと固めに絞って、千切って撒いてから、箒で掃く。
冷蔵庫の中を満杯にしない。
野菜は出来るだけそのとき旬のものを買う。
葉物の野菜も、出盛りの安いとき買って、下処理をして、使う分だけ小分けにして冷凍保存する。
肉や魚などは、その日食べる分だけを、近くの専門店に買いに行く。
書き連ねていて、何のこと無い、昭和30年代の暮らしそのままだと解った。
その30年代の暮らしを実行したら、17000円の電気代が今月は3800円になった。
自分が行ってきたことが結果として現れると、なんとも楽しいものだ。
毎日仕事に追われ、事務所には昼間から煌々と灯りをつけ、冷暖房は欠かすことなく、
週に二度ほど、夫や息子の車で大型スーパーに向かい、思いつくものを
思いつくまま籠に入れて、車のトランク一杯になるほど買って、人が二人くらい入りそうな冷蔵庫に
無理やりに押し込んで、気がつけば、賞味期限が数年前のハムを発見したり、原型が何で有ったのか
想像もつかないものが現れたりして、それを横目で見ていた頃には、絶対に得ることなど無かった
喜びだ。
私は自論として、人が動くという文字で作られる、働くということは、人が生きている証でもあると
思っている。
破産の手続きを開始し、依頼した弁護士の、一身上の都合で、そのまま放置されている間
私は身動き出来ず、ただ家にいて、とりあえず自分のスキルを向上させるために、テープライターの
訓練をしたり、英語の聞き取りの訓練などをしてはいたが、それらは、何の利益も生み出さず、
自分としては、無為な時間だけが過ぎていた。
そういう意味で、何の努力もせず17000円の電気代を消費していた頃の私は、
確実に死んでいたのだと思う。
人間というものは単純なもので、同居している娘に電気代の話をして、
素晴らしい、と賞賛されると、なんと張り合いの出ることだろう。
貧しさ…物品的な不足より、精神的な不足のほうが、人の心をより蝕むものだと、しみじみと実感する。
結果論として、収入が半減した状態になって、初めて、毎日を無為に過ごすことの心貧しさを知り得た
ことは、私にとって、とても良い勉強になった。
また、働くという意味と、その働きの付加価値を得る手段はどんなところにでも必ず有るということも
知った。
何の生産もせず、まるでカフカの変身のように、ただそこに存在し、あと数センチで発狂するかも
しれない、という思いで過ごした7ヶ月は、無駄ではなかったのだと、そう思える。
ま、それは過ぎたからいえることでもあるけど。
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