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そう聞いて、直ぐに思い出されるのは、永遠の美青年と言われた、ジェームスディーンの出ていた、
エデンの東、そして、怒りの葡萄。
怒りの葡萄とは、
旱魃に襲われたアメリカの小作人ジョード一家が、豊かさを求めて、おんぼろトラックに乗って、
カルフォルニアを目指す。
只管ルート66を西に走り、その先々でたくさんの矛盾と貧困に出会いながら
漸くたどり着いたカルフォルニアでは、豊な農場の主が、豊富に実った果物を、
単なる価格操作のためにただ腐らせてしまう。
富める者はさらに富み、貧しいものはさらに貧しく、しかし、貧しいものはいつまでも黙ってはいない。
そんな小説だ。
世界恐慌のあった時代を、その頃の小説から探ると、旱魃というキーワードが出て来る。
スタイン・ベックはカルフォルニアの地を、聖書に准えて、約束の地とした。
しかし、本当の約束の地は、今、自分がいる場所なのだと思う。
そしてまた、今、世界恐慌が起きたとしたら、それは、起きたのではなく、
人類が自ら起こしているのだろう。
世界恐慌は、移住の始まった頃であり、アメリカの大地は殆どが雑草地であったそうだから、
人々がその土地へ根ざすまでの苦難の時代だったのだろう。
その大地を太陽から遮断し、穀物どころか、草木さえ生えることを禁じた近代化という時代。
そして再び巡ってきた、世界恐慌という言葉。
人間が作り上げた旱魃。
世界恐慌は起きるのではない。その時代の人が起こしているのだ。
マザーテレサは、
もし貧しい人々が飢え死にするとしら、
それは神がその人たちを愛していないからではなく、
あなたが、そしてわたしが、与えなかったからです。
と言っている。
その先に宗教の言葉がつくが、この言葉だけは素直に受け入れることが出来る。
神というものは、本来、それぞれの心の中にいるものであって、
何も奪わないし、何も与えないものだと思う。
今年、トヨタの赤字により、豊田市の税収は相当減るとニュースが報じた。
トヨタの創業者の父佐吉は、村の貧しさを思って、どうにかしたいと、世の中に出て、
日本自体そのものが貧しいことを知り、
「発明」によって、日本の産業を発展させ、日本を裕福な国にしようと考えたのだそうだ。
その出発点は、母の為に機織機を改善する、ということだったとか。
今の経営者陣は、創業者の父佐吉の思いを如何聞くのだろか。
もし、再び世界恐慌という状況になり、旱魃に餓え、餓死するなどということがあれば、
人類はこの百年、人として何の進歩もしなかったことになるのだろうか。
先人に学ぶ。学んでも行わなければ、それは無学に等しい。
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