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芥川龍之介 『蜘蛛の糸』を考える。少しだけ。
この作品をおそらく知らない方はいないのでは。
主人公は
極悪非道の男であらゆる罪を犯して当然のごとく地獄へ落ちる。
その地獄ではあらゆる苦を嫌というほど味わう事になる。
しかしそんな男も生前。
何かの気まぐれか。
足元を歩いている蜘蛛を踏み殺さない事があった。
それをお釈迦様が覚えておられて。
その深い地獄の底に蜘蛛の糸を垂れさせる。
男はその目の前に降りてきた糸を思わず掴みよじ登る。
ひたすら上る。
ようやく明るい光が見えて来たと思い。
一呼吸おいてその糸を上り始める。
すると糸が今まで以上にゆれている事に気づく。
下を見るとこの糸に誰とは無しに
摑まってよじ登っている者がいる事に気づく。
『おい。これに摑まるな。切れる』
その後について来た者を蹴り落とした瞬間。
無常にも糸は切れて。
この男もろ共真っ逆さまに闇の中に消えて行く。
それを遠く空の上の蓮池のそばで
ご覧になったお釈迦様は何事も無かったかのように歩いて行った。
確かこんな話である。
これを読んでいていつも不思議に思っていた。
誰しも助かりたい。
おそらく誰もがこの糸にすがる筈である。
善人悪人にかかわらずである。
ましてや地獄である。
誰もが人を蹴落としても上る筈である。
私はこのお釈迦様の真意が判らない。
芥川龍之介の文章はその切れ味鋭く。
人の心の闇の部分を鋭く描き出す。
そんな作家である。
この物語は教育番組や教科書に必ず出てくる話である。
おそらく、どんな時であろうと人にその道を譲りなさい。
たとえ自分を犠牲にしても。
自分だけ助かりたいと考えるものではありません。
そんな事を言いたいのだと思う。
しかし芥川はその考えだったのだろうかと考える。
違うのでは。
おそらく芥川は人は裏切る者であり。
自分の事しか最終的に考えない。
それが人である。
そしてお釈迦様でもそれは変わらない。
神も仏も無いという想いで書いたのでは。
つまり全否定。
捻くれ者の私はついこんな事を考える。
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同じく芥川龍之介の羅生門に出てくる下人の振る舞いに同じ考えに至った記憶がございます!
2014/8/31(日) 午後 0:37
kico様へ
早々に有難うございます。良かったあ。これお叱りを受けるかと思いました。確かに羅生門のあの男はそうですよね。芥川の怖さはこの全否定に怖さがある。しかし読み込まないとそれが判らない。ナイス&コメント有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 0:44
興味深く拝見させて頂きました。但しそれがし自身無神論者ですので神仏への考察は避けます。従って芥川自身が貴兄のおっしゃるように考えたか否かについて述べさせて頂くのをご了承ください。
芥川と生前付き合いのあった志賀直哉は晩年の芥川をこのように心配していました。
所謂彼が自殺しようと考えた少し前に「芥川君は脳みその一本一本の皺に虱がたかっている様子を思い浮かべてそれを著した」というのです。
まさに気味が悪いとしか言いようがありません。彼は稀代の天才でしたので人に受けることは偽善でもなんでもやったと受け止めております。
しかしそれが晩年になると化けの皮がはがれ暴走し気味の悪い作品となって出てくる。例えば「歯車」などもそうです。
作家としての彼を考察するのなら不あがりさんのおっしゃることもまんざら嘘でないと思います。お気に召さねばどうかお叱りつけください。本日は私見披露に及び大変失礼しました。
2014/8/31(日) 午後 2:40
ミック様へ
私はこの物語を読むたびに頭をかしげていたのです。彼はかなりのリアリストです。誰も信じない。人は皆裏切る者である。その気持ちが絶えずある。そんな中でこの作品です。私はどう考えても↑で書いていますが。お釈迦様が何故蜘蛛に糸を落とさせたのか。これが疑問です。これが判らない。そんな訳でこんな勝手な結論を考えました。
ミック様が仰る『受ける事は何でもやった』には反対です。これは有りあえない。この人は媚を売るような作家では無いからです。だから作品の殆んどが人間全否定です。如何でしょうか。ナイス&コメント有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 3:31
こんにちは
芥川ですもの。。。教育的な短編ではないというように考えますね。
なぜ小学生にも読めるみたいに解釈されてきたのでしょうね。
この男が 下からくる者をけ落とさなければ 這い上がってこれたのでしょうかね?
そして お釈迦様はどの時点で糸をきるのでしょうか?
若い時は芥川の作品が好きだったのですが
今は ちょっと厳しくなりました。
2014/8/31(日) 午後 3:51 [ つや姫日記 ]
つや姫日記様へ
そこなんですよ。蜘蛛が命を助けられた事に対する恩返しとして糸を垂らしたなら良いのです。これお釈迦様が覚えているとなると。お釈迦様の指示と考えるのが妥当かと思います。そして不思議なのは誰でも助かりたい。この心理はあります。この男も必死です。切れたら困る。そこでこの男が下から上って来る者を蹴落とす。すると糸は切れる。もしお釈迦様がこの男を本当に助ける気持ちがあるなら男だけに糸を見せて終わる。或いは助けて終わる。これはそうではない。この人間の助かりたいという気持ちを逆なでしている。となると芥川はお釈迦様ですら信じていない。冷たい方として描いている。それも何気なくです。この辺りがこの作家の怖い所なのです。子供に読ませれば。教育的に使えるが本質はそうではない。ナイス&コメント有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 4:26
森川天様へ
ナイスを頂き感謝しております。
有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 7:51
シェーン様へ
ナイスを頂き感謝しております。
有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 7:52
こんばんは。
本文と皆様の解釈を興味深く拝読させていただきました。
お釈迦様は一度だけチャンスをやろうと思ったのでしょうが、こうなることも予想はしていたのではないでしょうか。人間の性質や本性はなかなか変わるものではない、心を入れ替えるなんて簡単にはできないのだよ、と芥川はお釈迦様の行動で表現したのではないでしょうか?
2014/8/31(日) 午後 8:50 [ ひがにゃん ]
ひがにゃん様へ
このお釈迦様の私はやり方がおかしいと思っております。この場所は地獄です。そこへ糸が垂れてくれば誰でもそれにしがみつきます。それを予見しての事だとすれば。これは血も涙も無い。何故なら切れる事は判っているからです。芥川の凄い所はその辺りをさり気無く書き込んでいる。この辺りがこの作家の怖い所です。そしてお釈迦様でもそんな事をなさると冷たく描いている。ナイス&コメント有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 9:00
雪だるま様へ
初めまして。ご訪問有難うございます。
そしてナイスまで頂き感謝しております。
これからも何卒宜しくお願いします。
有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 9:08
釈尊は、「人は誰でも自分が一番大切だと思っている」と言う事を、肯定されています。しかし、それに付言して、「だからこそ他人も又、同じように考えている事を尊重してあげなさい」とも言われているのです。確か、そのように記憶しております。
2014/8/31(日) 午後 9:23 [ 行雲流水 ]
行雲流水様へ
そんな事を仰っているのですか。なるほどです。ただこの物語はそれを鋭く突っ込んでいる気が私はします。この芥川は何と言うか全ての人の行為を否定すると言いますか。人は信じられるものでは無いが前提条件なような作家です。つまりお釈迦様、その人ですらこの冷たい行いをされているとさり気無く書き込んでいる。その辺りが怖い作家だと思います。この人の文章は読めば読むほど人間不信となります。ナイス&コメント有難うございます。
2014/8/31(日) 午後 9:34
Dr.K様へ
ナイスを頂き感謝しております。
有難うございます。
2014/9/1(月) 午前 3:47
成る程。
そこまで深く読んでませんでした。
不あがりさんの全否定説。
深いです。
ありがとうございます。
2014/9/1(月) 午前 11:42 [ タカ ]
リイコとタカ様へ
この芥川という作家は怖いです。最終的に己も信じる事が出来なくなり。自殺します。今でこそこの作家の名前が上がらなくなりましたが。当時の世情の不安など敏感に感じ取る作家でした。尚且つ無駄な文字が無い。カミソリのように切れた。今思うと本当に恐ろしい作家でした。ナイス&コメント有難うございます。
2014/9/1(月) 午後 0:09
みやまつり様へ
ナイスを頂き感謝しております。
有難うございます。
2014/9/1(月) 午後 8:33