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骨董とは本当に難しい。その迷宮の穴に落ちたようだ。
私は不あがりの猪口を
手に入れて伊万里に目覚めた。
陶工又は窯の何かの不具合で
出来上がった不あがり。
この流れた絵に何故か惹かれた。
先ず、最初に浮かんだのが
長谷川等伯の松林図屏風であった。
そして見る度に変化する絵柄に惹かれた。
それは私のその日の気分により変る。
ある時は奥深い晩秋の冷たい雨降る森の中、
今にも雪に変りそうな冷たい雨に打たれている感じがする。
それは等伯の松林図に繋がる。
そしてある時は湿地帯の沼の水面にも見える。
そして靄っている。
そしてこれは現代作家の抽象画にも見える。
共通するのはこの絵は寂しく厳しい風景なのだ。
それはこの猪口がどれだけ苦労して生きて来たかが判る。
そしてこの絵付けは陶工が描ける範囲を
超えている所にその魅力がある。
決して描ける絵ではない。
この猪口に惹かれた私は本来、
陶工の素晴らしい技術に裏打ちされた作品に
目が行かなくなる。
陶工が失敗した絵付け。
陶工が手慣れていない絵付け。
陶工が毎日描き続けた中で
奇跡的に出来てしまったであろう絵付け。
そんな物を気がつかぬ内に探していた事になる。
その稚拙な絵付けに惹かれる事もある。
いや稚拙な絵を捜し求めた。
そして気がつくと本来の陶工の描いた絵が
見えなくなる事にあらためて気づかされる事になる。
先日恥ずかしげも無く贋作の網目文様を見て頂き、
その絵付けに惚れ込んでいた。
その点を打ちそれを繋いで網目を描く。
これは描く事があまり得意でない人でも描く事が出来る。
しかしその稚拙さが気に入った。
未だにその絵付けには惚れている。
網目が増殖しているように見えるからだ。
しかしこれは高台。器形を冷静に見れば
明らかに贋作なのである。
それが数年経っても判っていなかった。
それはこの絵付けに惚れ込んでいたからでもある。
絵画などで『ヘタウマ』という言葉ある。
一番代表的なヘタウマはピカソであるが。
あれは意図的に下手に描いているのが判って嫌だった。
この境界線はホントに難しい。
先日ご紹介した池田満寿夫の絵は
はっきり言うが下手なのである。
絵も彫刻も陶芸も全て素人以下だった。
しかし彼の魅力でその作品は売れた。
しかし彼が亡くなり、その作品は価値を失う事になる。
おそらく再評価は無いであろう。
それから比べると
この網目文様は味がある。
それは草間弥生が執拗に描き続けた
網目模様とも繋がる。
彼女は素人か。いや彼女は私が思うに天才である。
そのあたりが非常に難しい。
そして私は伊万里が全く見えずに
ここまで来た事が判った。
おそらくこの網目の猪口が出てきた時は気がつく。
しかし皿や他の器に同じ描き方をされたら
また掴まされる事は間違いない。危ない以前となる。
そして今私は完璧に伊万里が見えていなかったことに気づく。
スランプ以前の問題である。
この件に関しまして
8月1日。越前屋平太様のご教示により
解決しました。詳しくは本文をお読み下さい。
平太様、いつも有難うございます。
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