|
長谷川潾二郎(字が変換できないのでコピペしました)。猫。
何とも癒される。
この絵を知ったのは画廊店主でもあり、
作家である洲之内徹氏の大事なコレクションと言う事で知った。
この画家がどんな絵描きであったのかも知らない。
ただただ。この絵に惹かれた。
洲之内氏もそんな想いだったのでは。
この絵に理屈はいらない。
ただただ猫が気持ち良さそうに寝ている。
ただそれだけである。
それだけで私は癒される。
良く見ると猫の髭が片方描かれていない。
それでもこの片方だけでも5〜6年待ったそうだ。
洲之内氏はそれ以上の事を言っても仕方ない。
またそんな事はもう問題ではない。
ただただこの絵が欲しかったと
言うような事を語っている。
確かに髭があろうが無かろうが
この絵はそれで良いのだ。絵とはそんなものでは。
その絵が気に入れば良いのだ。
その時点で欠点は見えなくなる。
この猫の絵があるだけで良い。
そんな気持ちにさせてくれる。
|
絵画 彫刻
[ リスト | 詳細 ]
|
フェルメール レースを編む女。 その無心で繊細な美しさ。
フェルメールというと『真珠の耳飾りをした少女』と
想い浮かぶ方が殆どかと思います。
私はこの絵の方が先でした。
やはり中学か高校の美術の教科書に
載っていたのを見ています。
当時、この絵を見てなんて上手い絵なのだろうと
感心したものです。
ただこの絵を描いている絵描きが
あの有名な『真珠の耳飾りをした少女』と
同一と知ったのはずっと先の事であった。
当時フェルメールその物を知らなかった。
教科書ですから書いてあったと思うのだが。
その記憶が全く無い。
このレースを編む事に集中している女性の
その一瞬を描いた何でも無い絵である。
何の意味も持たない。
この当時は何かの寓話であったり。
その持っている物に意味を持たせたりする
絵が殆どである。
おそらく当時どこにでもある風景ではなかったか。
そんな絵を描く事がこの画家の優れた所ではと思う。
ひたすらレースを編み続けようとする女性を描く。
私は何故かこの絵に惹かれれる。その理由は判らない。
しかしこの絵を見ていると心が和む。
この女性はその画家の近親者ではと私は思う。
おそらく娘では。この女性はポーズを取っていない。
自然な姿である。
そのあたりが斬新であり。素晴らしい。
そしてこの大きさに驚く。
23.9×20.5センチの大きさである。
ホントに小さいのである。
製作年代は1669〜70頃であろうといわれている。
当時としては革新的な絵ではなかったか。
そんな事を考える。
|
|
エドゥアール・マネ 『ステファヌ・マラルメの肖像』ふと力が抜けていて良い。
マネというと
『草上の朝食』、
『オランピア』と
当時の社会に対して挑戦的な絵が多いが。
この絵は確か小品と聞く。
何というかこのマラルメが寛いで一服している様が
自然でこちらまで力が抜けて心地よくなる。
何とも穏やかな絵に私には見える。
描いているマネもそれ程力が入っていないのでは。
その友人と寛ぎながら描いているマネの姿すら感じる。
こんな絵を見ながらコーヒーを飲んだら、
さぞ美味しいことであろう。
|
|
舟越保武 最晩年に目覚めた彫刻家。真実を彫る。それは技術ではない。その想いである。
舟越保武は元々石彫家で
その技術は素晴らしいものがあった。
彼はカトリックであることもあり。
その聖人である人の姿を彫り続けた。
それはそれで素晴らしいのである。
聖人と思われる美しい像であったり。
原の城ではキリシタン弾圧による亡霊を彫ったりした。
しかしそれは上っ面の美しさであり。
上っ面の弾圧を受けた顔に他ならない。
それは何故かと言うと本人がその苦しみを
味わっていないからである。
殊更美しく。殊更悲惨な状況を表そうとする作為が見える。
しかし最晩年彼は病に倒れる。
右半身不随であった。確か右利きである。
その手が使えなくなり。
不自由な体をおして粘度で作られた作品を
見た時は驚いた。
絶望
この人の本当の力が出た。
そんな思いがした。
そこには執念で彫られた彫刻が存在した。
畏れ
これは技術ではない。その想いだけで彫り上げた。
諦め
私は初めてこの彫刻家に心を打たれた。
それ程素晴らしい。 苦悩等が
感じられる
この彫刻家の真実の姿が
この彫刻にはある。
|
|
高村光雲 老猿 日本の木彫刻界の明日を開いた男。
光雲は元々が仏師である。良く誤解をされているが。
仏師と彫刻家は根本的に違う。似て非なるものである。
仏師はその彫られた物にその彫った人の想いが入ってはいけない。
それはその彫られた物に仏様が入られるからだ。
光雲はその教えを忠実に従った仏師であったと思う。
それが明治の廃仏毀釈運動のため。
その仏師としての力がありながら仕事が無くなる。
そこで木彫家となる事を決意する。
これは素人が彫刻家を目指すのより難しい。
そして彼はその過去を捨てて彫刻家となった。
それは多難であったと思われる。
日本は木彫の国であると思われているが。
それはあくまで仏師が彫った彫刻である。
おそらく日本で始めて木彫刻家として
成功した男ではあるまいか。
息子、光太郎の言葉を引用して
まさに『彼の前に道は無い。彼の後に道が出来た。』
そんな男である。
そこでこの老猿であるが。
彼自身が言っている事であるが。
『当時は動物を主に彫っていた』
その気持ちは判る。
仏像を彫っていた男が人物を
彫るのはやはり難しい。
動物を見て写実に徹して彫っていたと思われる。
しかし形態は現代彫刻の基本である。
直方体の中に納まっている。
やはり彼は才能があった。おそらくその事を
考えて彫ったとは思えない。
彫刻家にとってフォルムの獲得は天性の物と
私は思っている。
大鷲との格闘の末、取り逃がした老猿の鋭い視線。
一説にこれは取り逃がした大鷲は
ロシアを表しているのだろうと言われている。
その時代を考えて正しいと思う。
しかし、もう少し踏み込んで考えると。
この老猿は光雲自身。取り逃がした大鷲は
半生を懸けた仏師の道を閉ざされた男の
想いがあったのではと私は思う。
まさに仏師としての光雲から
木彫家としての光雲となった。
記念碑的作品ではなかったか。
私にはそんな想いがする。
|




