不あがり

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絵画 彫刻

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長谷川潾二郎(字が変換できないのでコピペしました)。猫。
何とも癒される。
 
イメージ 1
この絵を知ったのは画廊店主でもあり、
作家である洲之内徹氏の大事なコレクションと言う事で知った。
この画家がどんな絵描きであったのかも知らない。
 
ただただ。この絵に惹かれた。
洲之内氏もそんな想いだったのでは。
この絵に理屈はいらない。
ただただ猫が気持ち良さそうに寝ている。
ただそれだけである。
それだけで私は癒される。
 
良く見ると猫の髭が片方描かれていない。
それでもこの片方だけでも56年待ったそうだ。
洲之内氏はそれ以上の事を言っても仕方ない。
またそんな事はもう問題ではない。
ただただこの絵が欲しかったと
言うような事を語っている。
 
確かに髭があろうが無かろうが
この絵はそれで良いのだ。絵とはそんなものでは。
その絵が気に入れば良いのだ。
その時点で欠点は見えなくなる。
この猫の絵があるだけで良い。
そんな気持ちにさせてくれる。
 
 
 
 
 
 
フェルメール レースを編む女。 その無心で繊細な美しさ。
 
イメージ 1
 
フェルメールというと『真珠の耳飾りをした少女』と
想い浮かぶ方が殆どかと思います。
 
私はこの絵の方が先でした。
やはり中学か高校の美術の教科書に
載っていたのを見ています。
当時、この絵を見てなんて上手い絵なのだろうと
感心したものです。
 
ただこの絵を描いている絵描きが
あの有名な『真珠の耳飾りをした少女』と
同一と知ったのはずっと先の事であった。
 
当時フェルメールその物を知らなかった。
教科書ですから書いてあったと思うのだが。
その記憶が全く無い。
 
このレースを編む事に集中している女性の
その一瞬を描いた何でも無い絵である。
何の意味も持たない。
 
この当時は何かの寓話であったり。
その持っている物に意味を持たせたりする
絵が殆どである。
 
おそらく当時どこにでもある風景ではなかったか。
そんな絵を描く事がこの画家の優れた所ではと思う。
ひたすらレースを編み続けようとする女性を描く。
 
私は何故かこの絵に惹かれれる。その理由は判らない。
しかしこの絵を見ていると心が和む。
 
この女性はその画家の近親者ではと私は思う。
おそらく娘では。この女性はポーズを取っていない。
自然な姿である。
そのあたりが斬新であり。素晴らしい。
 
そしてこの大きさに驚く。
23.9×20.5センチの大きさである。
ホントに小さいのである。
 
製作年代は166970頃であろうといわれている。
当時としては革新的な絵ではなかったか。
そんな事を考える。
 
 
 
 
 
 
 
エドゥアール・マネ 『ステファヌ・マラルメの肖像』ふと力が抜けていて良い。
 
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マネというと
『草上の朝食』、
イメージ 2
 
『オランピア』と
イメージ 3
 
当時の社会に対して挑戦的な絵が多いが。
 
この絵は確か小品と聞く。
何というかこのマラルメが寛いで一服している様が
自然でこちらまで力が抜けて心地よくなる。
 
何とも穏やかな絵に私には見える。
 
描いているマネもそれ程力が入っていないのでは。
その友人と寛ぎながら描いているマネの姿すら感じる。
 
こんな絵を見ながらコーヒーを飲んだら、
さぞ美味しいことであろう。
 
 
 
 
 
 
舟越保武 最晩年に目覚めた彫刻家。真実を彫る。それは技術ではない。その想いである。
 
舟越保武は元々石彫家で
その技術は素晴らしいものがあった。
 
イメージ 1
 
彼はカトリックであることもあり。
その聖人である人の姿を彫り続けた。
それはそれで素晴らしいのである。
聖人と思われる美しい像であったり。
 
イメージ 2
 
原の城ではキリシタン弾圧による亡霊を彫ったりした。
 
イメージ 3
 
しかしそれは上っ面の美しさであり。
上っ面の弾圧を受けた顔に他ならない。
 
それは何故かと言うと本人がその苦しみを
味わっていないからである。
 
殊更美しく。殊更悲惨な状況を表そうとする作為が見える。
 
しかし最晩年彼は病に倒れる。
右半身不随であった。確か右利きである。
その手が使えなくなり。
 
不自由な体をおして粘度で作られた作品を
見た時は驚いた。
                    絶望
イメージ 4
 
この人の本当の力が出た。
 
そんな思いがした。
 
そこには執念で彫られた彫刻が存在した。
 
イメージ 5
                 畏れ
 
これは技術ではない。その想いだけで彫り上げた。
 
イメージ 6
               諦め
私は初めてこの彫刻家に心を打たれた。
 
イメージ 7
それ程素晴らしい。          苦悩等が
                   感じられる
この彫刻家の真実の姿が
この彫刻にはある。
 
 
 
 
 
 
高村光雲 老猿 日本の木彫刻界の明日を開いた男。
 
イメージ 1
 
光雲は元々が仏師である。良く誤解をされているが。
仏師と彫刻家は根本的に違う。似て非なるものである。
 
仏師はその彫られた物にその彫った人の想いが入ってはいけない。
それはその彫られた物に仏様が入られるからだ。
光雲はその教えを忠実に従った仏師であったと思う。
 
それが明治の廃仏毀釈運動のため。
その仏師としての力がありながら仕事が無くなる。
 
そこで木彫家となる事を決意する。
これは素人が彫刻家を目指すのより難しい。
そして彼はその過去を捨てて彫刻家となった。
それは多難であったと思われる。
 
日本は木彫の国であると思われているが。
それはあくまで仏師が彫った彫刻である。
 
おそらく日本で始めて木彫刻家として
成功した男ではあるまいか。
 
息子、光太郎の言葉を引用して
まさに『彼の前に道は無い。彼の後に道が出来た。』
そんな男である。
 
そこでこの老猿であるが。
 
イメージ 2
 
彼自身が言っている事であるが。
『当時は動物を主に彫っていた』
その気持ちは判る。
 
仏像を彫っていた男が人物を
彫るのはやはり難しい。
動物を見て写実に徹して彫っていたと思われる。
 
しかし形態は現代彫刻の基本である。
 
イメージ 3
イメージ 4
 
直方体の中に納まっている。
やはり彼は才能があった。おそらくその事を
考えて彫ったとは思えない。
彫刻家にとってフォルムの獲得は天性の物と
私は思っている。
 
大鷲との格闘の末、取り逃がした老猿の鋭い視線。
 
一説にこれは取り逃がした大鷲は
ロシアを表しているのだろうと言われている。
その時代を考えて正しいと思う。
 
しかし、もう少し踏み込んで考えると。
この老猿は光雲自身。取り逃がした大鷲は
半生を懸けた仏師の道を閉ざされた男の
想いがあったのではと私は思う。
 
まさに仏師としての光雲から
木彫家としての光雲となった。
記念碑的作品ではなかったか。
私にはそんな想いがする。
 
 
 
 
 
 
 
 

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