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洒落の分かったマネ。アスパラガス。
この一本のアスパラガスを
どうしてマネが描いたのか。
力が抜けサラッと描かれた絵である。
私はそこが気に入っている。
これには元絵があり。
アスパラガスの束として描かれている。
これも良い絵である。
これを見た男がこの絵の価格を聞くと
『800フランです』
『じゃあ、買うよ』と
1000フラン払って
『つり(銭)はいらないよ』と帰って行った。
暫くすると
この男の家に
この一本だけ描かれた
アスパラガスの絵が届く。
そこに。
『先日お買い上げ頂いたアスパラガスの束から
一本抜け落ちておりました』と
添え書きがあったという逸話が残っている。
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絵画 彫刻
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長谷川等伯 松林図 真贋を越えた凄さ。
この絵画は
日本の絵画及び水墨画史上最高傑作と
言われるほど有名な絵であるが。
実は
その評価は意外にも20世紀に入ってからである。
ある日忽然と現れたという言葉がピッタリと来る。
1932年東京国立博物館で見つけられ
2年後に国宝になっているが。
その来歴は全く不明である。
本来であればこれほどの絵は
有名な方たちの所を辿りながら東博に登場して
おかしく無い筈であるが。
意図的なのか。全く解っていない。
これほどの絵を理解するまでに
時間がかかったのでは無いだろうか。
これは松林を描いているが。
あくまで心象風景である。
そしてこの絵は
長谷川等伯の真筆であるかも実は不明である。
20世紀末に
この長谷川派と思われる人間が
この絵を参考に描いたのではという水墨画が見つかっている。
それによりこの絵の時代と
おそらくこれは等伯の絵であろうという事だけである。
この絵の落款は彼の押したものでは
無い事まで解っている。
となると
誰が描いたのかという疑問が出てくる。
しかしである。
この絵を描ける人物は
当時としては長谷川等伯しかいないという事で
長谷川等伯画とされている。
実は何の証拠も無い。
描かれた紙は良質の紙では無いが
墨が良質の墨という事で彼が描いたのではとされている。
そしてこれは彼自身のために描かれた物ではと言われている。
何故なら等伯は豊臣秀吉に認められた御用絵師である。
あの金ピカ大好きの秀吉が見たらおそらく激怒すると思う。
おそらく彼には見えない。
そして当時の人にはこの絵の魅力が解る
人はいなかったと私は考える。
これは松林を描いていながら。
限りなく抽象画に近いのである。
だから1932年に認められたと
思われるほど革新的な絵なのである。
これを国宝とした人物も凄いのである。
今だから殆どの人が見て素晴らしいとなるのでは。
そしてもっと不思議なのは
この絵は元々は屏風では無いと言われている。
それを表装した人物がいる事になる。
落款が贋物である事がそれの証明となる。
等伯自身が贋の印を押す筈が無いからである。
ではその表装した天才的人間は誰なのかとなるが。
絵の配置を換えていると言われている。
それが誰なのか。もちろん解っていない。
この二人と思われる天才により
今まで生き残った奇跡的絵画でもある。
この絵の前ではもう真贋などは関係無い。
その真贋を越えた絵である。
それを論ずる事すら愚問であるほど凄い絵なのである。
注1・私は少し前にこれほどの奇跡的配置をしたのは
100数十年後に生まれた尾形光琳ではと勝手な想像をしている。
それほど奇跡的なのである。
注2・
この絵画に関連して
私が書いた事です。全てが私の勝手な妄想です。
お読み頂き感謝しております。
有難うございます。
注・只今、体調不良のためコメント欄を閉じさせて頂きます。
何かございましたら。ゲストブックにお願いします。
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オリジナルとレプリカ。
これは彫刻の話です。
有名なロダンの『考える人』が
日本の美術館、博物館に陳列されておりますが。
これ!どれが本物!?となりますが。
殆どの場合それ等全てが本物となります。
そして殆どがレプリカと言っても良い。
ロダンは粘土を捏ねて作品を作ります。
それを石膏で型をとります。
これがオリジナルとなります。
正確には粘土がオリジナルとなりますが。
これを元に鋳造されたブロンズ像が
美術館及び博物館に並びます。
では『考える人』はどれだけあるのか。
これ!フランスのロダン美術館でも把握していないそうです。
ロダンが生きている頃から大人気で
ロダンが限りなく鋳造したためと言われております。
そしてその大きさが大中小とありますが。
この『考える人』。本来は作品『地獄の門』の
一部として作られた物ですから。
一番小さい作品がオリジナルとするのが妥当と思われます。
残りの作品は殆どが弟子または
それに準ずる職人の方たちの手によるものです。
この作品の石彫がありますが。
これは100パーセント職人さんの手によるものです。
これはロダンが頼んでおります。
職人さんの実力は素晴らしく寸分違わず作られます。
ロダンにはそれが判っていたと思われます。
彼は若い頃彫刻家の下働きで石彫刻出来る筈なのです。
だから技術においては職人が上である事を判っている。
ここがアーティストと職人の決定的違いでもあります。
アーティストはオリジナルを作る事が出来る。
しかし職人にはそれが出来ない。
しかし同じ物を作る事に関してはアーティストは
職人に敵わない。
ここでロダンではありませんが。
彫刻家マイヨールの逸話があります。
ある日、マイヨールのもとへ
日本のおそらく美術関係者が訪ねて来ます。
『私はあなたの大ファンで。あなたの彫刻を持っています』と
その作品を見せられ。マイヨールが激怒します。
それは鋳造された作品から模りした作品だったからです。
これにマイヨールが良く気がついたなと私は驚いております。
ラインがブレるというか。
どうしても鋳造が甘くなるらしいのですが。
そもそもそのラインを嫌って彫っている男ですから。
この微妙なずれを良く判ったなあと私は感心しております。
やはり作った本人は判るのですかね(笑)。
もう一つマイヨールの逸話ですが。
彼の彫刻を元に石の彫刻が職人により彫られます。
それを見て。マイヨールがまた怒る。
『職人の奴が彫りすぎて困る。私の女の尻はこんなに冷たくない。
温もりのある丸さがある・・』その彫刻を触りながら・・。
何度も彫り直させていると話しております。
これについてはその後の事は書かれておりませんが。
これは私の考えです。
おそらく職人は彫りすぎていないと私は信じております。
マイヨールは元々が絵描きです。
それが40歳を過ぎて彫刻家となります。
粘土と石膏しか触った事が無い。
もちろん石彫刻など彫った事が無い。
粘土と石膏って触ると温かみがあるのです。
しかし石はどうしても触った感触は冷たく感じます。
この微妙な感触感覚がマイヨールには判っていない。
私はそう思っております。
追記・ここで使われている石は大理石です。
そして、もしマイヨールが読んだら怒るでしょうね(笑)。
あなたの大ファンだと言ってもおそらく信じて貰えない。
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ピカソ ヒヒの親子(1951年作)。複眼的視覚を持ったピカソ。
ピカソは好きでは無い。
しかし『アビニョンの娘たち』は
20世紀の絵画の道を開いた最高傑作である。
この絵画が無ければ今の現代絵画は存在しないとまで
思っている大傑作である。
しかしである。
彼は彫刻家では無い。
彼にとって彫刻は手遊びであると思っていた。
彫刻の本を読んでいるとこの彫刻が必ず出て来る。
何でこんな彫刻を彼が彫ったのか。長年の疑問であった。
ピカソだからといって掲載するなとまで思っていた。
そして
この作品は一切言及された事が無い。
判らないなら載せるなと思っていた。
つい最近である。
ピカソを検索するとこの画像が出て来る。
またかよという感じである。
そしてアップすると驚きである。
確かにヒヒの親子である。
しかしこの顔を良く見て頂きたい。
この顔は玩具のビートル。
フォルクス・ワーゲンの車である。
どう見てもヒヒの顔に見える。
唖然とした。
ピカソには
ビートルがヒヒの顔に見えていた事になる。
彼はやはり天才であると改めて感じた次第である。
彼は複眼的視覚を持っていたのではと驚かされる。
もう凡人には言葉も無い。
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ゴッホ カラスのいる麦畑。 その不安苦悩を描く。
この絵はオーヴェルにいた時に描いた絵であり。
絶作とも言われているが。
識者によるとこのあと一週間ほどの間に
何点も描いているので疑問であるとの事である。
ゴッホはこの最後の地で2ヶ月を過ごし。
確か70点〜80点の作品を残しているといわれている。
これは一日に一枚ではない事が判る。
彼はどの作品においても手抜きという物が殆んど無い。
この事から彼の作品の上では
最期の作品では無いと言われているが。
彼はおそらくであるが。
毎回最期の作品という気持ちで
描いていたのではと考える。
彼の描く絵は
その感情が素直に作品に出る事である。
生きている事は素晴らしい。
辛い。苦しい。悲しい。
そして美しいものに感激して
描いている時もある。
その感情がどの作品にも表れる。
これ言うのは簡単であるが。
それを絵に描くという事は恐ろしく難しい事である。
この作品もおそらく一日で仕上げた事になる。
しかしこれを見て。そんな僅かな時間で
出来るものなのかと思うほど集中している。
これに関しては
ブロ友のミック様から。
彼は躁うつ病では無かったかというご意見を頂き。
ああ、なるほどと感じた次第である。
躁状態になると全ての時間が
遅く感じて寝る時間もあまり必要と
感じなくなるという事である。
その躁状態で
彼は描いていたのではと考えると納得するものである。
それでないとこの集中した絵を
描けないのではと私は思っている。
この絵を見て殆んどの方が不安苦悩を感じられる事と思う。
彼はその風景或いは人物を見ていないと
描くことが出来ない作家であったが。
この作品はおそらくそれを超えたのでは。
つまりこの黄金色の麦畑を見て。
少し前なら美しいと感じていた筈である。
しかしこの時の彼の精神状態は
この美しい風景を見ていても心が休まる事は無く。
辛く苦しい思いを感じたのでは。
そしてその苦しい思いを描く事で
彼は心の苦しみから逃れる事が
一時的ではあるが出来たのではと考える。
それから一週間落ち着いた絵を描く事が出来たが。
その作品たちもその集中した物になる。
彼の作品は一点だけでも
普通の画家が一生に一枚描けるかという物である。
それを毎日描いていたのである。
精神と肉体のバランスが崩れない方がおかしいのである。
このあと自らの体に銃弾を撃って
その苦しみから解放される事になる。
実際彼はまる一日生きていた。
テオとも会っている。
それは落ち着いていたと聞いている。
彼の苦しい生涯は素晴らしい作品を残し幕を閉じる。
しかしである。
これは私のゴッホに対する勝手な思いである。
彼の苦しみは誰も判る事は無い。
お読み頂き感謝しております。
有難うございます。
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