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藤島武二 蝶。 艶ある女性。
秋らしい絵は無いかなと探していたのですが。
これが秋を表しているかは判りません。そんな事より。
この女性が美しい。
艶ある女性。
その目。
その唇。
その手。
その髪。
もう季節はどうでも良い。
美しい女性をご覧下さい。
もう理屈は入らない。
美しい。
それだけです。
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絵画 彫刻
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湖畔 この暑苦しい日々を少し涼んでください。
黒田清輝の湖畔です。
この絵のご評価はさておき。
とにかく美しい事では
皆さん一致するかと思います。
理屈はいらない。
美しいものは美しい。
どうか少しでも
涼を得て頂ければと思います。
あとは何も言いません
有難うございます。
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福田平八郎 『漣』 粋の極みのような美しさ。暑さを忘れる。
この作家は以前ご紹介しているが。
やはり素晴らしい。
屏風絵である。
私はこの方の功績は知らない。
ただ美しい。ただ粋を感じる。
それだけである。
絵に説明は要らない。
見て感じなければ
その絵はダメである。
しかしこの絵を見て
ダメだと思う方は少ないのでは。
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アンリ・トゥールーズ・ロートレック。
描線は鋭く冷たい。そして上から目線。
しかし温かい視線もあった。
但しあくまで私の勝手な想いである。
彼はフランスでも有名な貴族の子であったと聞く。
その血を守るための近親婚により
彼の体は下半身に障害を持ち
小さい頃の優雅な暮らしとはうって変わって
その障害と心の葛藤からアルコールが絶て無い身となる。
ムーランルージュや娼婦館に入り浸りの生活を送る。
その中で描いた作品が認められる訳であるが。
その描線は鋭く冷たい。
娼婦館の女やムーランルージュの人たちにしてみれば大事なお客様ではあるが。
そのあられも無い姿を彼に描かせた所を見ると。
彼の事を男としてみていなかったようである。
これは男として屈辱的な事である。
彼もそれは承知で描いている。
描線はきつく鋭くなる。
戯画化された姿を見た踊り子がその不満を述べたが。
まるで相手にしていなかったようである。
ある意味この女たちを嫌悪していた気がする。
しかし男であるから抱くことはしていたようである。
彼は梅毒にもかかっていた。
そして一番屈辱的だったのは
父親が彼の絵を全く認めなかった事である。
そんな中、
モデルであり後に
ロートレックの強い勧めで画家にもなった
シュザンヌ・ヴァラドンを描いた絵である。
題名は今回初めて知ったのであるが『二日酔い』である。
この絵には上から目線は無い。
当時20前後のヴァラドンをこの男は心配げに描いている。
そしてゴッホの事も描いている。
この真面目で何事にも真剣に取り組む男の姿を描いている。
そこには彼のゴッホに対する真摯な態度が窺い知る事ができる。
因みにヴァラドンの写真はこれである。
ルノアールが描いたヴァラドンは
可憐で可愛い女性として描かれている。
しかしロートレックの優しい彼女を心配する視線は無い。
そしてこのヴァラドンの息子が画家ユトリロとなる。
ユトリロの父親が誰だったのかは不明である。
その奔放な生き方が判るかと思う。
ロートレックの
優しい眼差しで描かれたヴァラドン。
そしてあくまで同等と感じて描かれたゴッホ。
これらの絵がもっと評価されて欲しいと願うものである。
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尾形光琳 杜若図屏風から紅白梅図屏風。そして松林図屏風への私の妄想。
尾形光琳というと
杜若図屏風が即頭に浮かぶ。
この絵を見て先ず殆どの人が美しいと感じる筈である。
それほど有名な絵である。
金地に杜若だけを描いた図である。
これ考えてみると不思議な絵なのである。
しかしその配置の妙でその違和感は
全く無くなる。
杜若は殆ど同じ絵で
切り貼りしているだけである。
しかしそんな事は全く問題に
ならないくらい素晴らしい。
この人は
そのバランス感覚が
ずば抜けている。
この絵を改めて見て。
上手い絵かと言うとそれ程ではない。
しかし素晴らしいのである。
彼は俵屋宗達の影響を受けていると言われている。
その風神雷神図も模写している。
俵屋宗達画
尾形光琳画
これを見比べると判るが。
宗達はその画面から飛び出すような迫力がある。
一方光琳はその画面の中に収めようとしている。
これはより宗達が絵に対する天才性と
光琳の構図に対する天才性との違いかと思われる。
光琳の絵はとにかく構図の中に収める
その一点に集中している感じがする。
そしてこの構図、配置感覚を生かした絵が
この屏風となる。
しかし私はあまりにも装飾的に成りすぎていて
好きではない。
しかしそこで終わらせないのが光琳である。
八橋蒔絵螺鈿硯箱
この硯箱となる。
大胆に鉛を使いその橋を表し、
杜若の花は貝である。
橋に使った鉛はわざと荒れた鉛板。
貝もおそらく少し色が混ざった貝殻。
これは彼がオーダーして
作り上げたものである。
おそらく相当煩い注文を付けたと思う。
金色で葉を描かせている。
そこに彼の才能が結実した傑作である。
そして俵屋宗達に憧れた男がついに彼を超える絵を描く。
それが。
この紅白梅図屏風。
これは風神雷神図で出来なかった。
画面から絵がはみ出て。
装飾的でありながらその動きが加わる。
実はこの絵は
風神雷神図の構図の流用である。
それを全く感じさせない名画となっている。
そして私の妄想である。
この構図、配置感覚の大天才であり。
数寄者の光琳がもしかしたらと考えたのが。
長谷川等伯の松林図屏風である。
もちろんこの絵を描く力量は光琳には無い。
そして時代も
等伯から100数十年後に生まれている。
しかし二人とも活躍したのは京都である。
等伯は石川県であるが。活躍期は京都である。
そして松林図は下絵とも言われていて。
尚且つ。屏風では無かったのではと言われている。
後日
屏風に設えた天才がいるのである。
落款も実は偽である。
これ100数十年後。
光琳が京都で見つける。
これは良い絵と手に入れる。
そこでこの松林図を張り替えて
屏風に設えた。
配置、構図感覚はずば抜けている。
そこに
洒落として
元絵の等伯へのオマージュを
込めて落款を作って押した。
そんな妄想をしてしまう。
何の根拠も無い。
お粗末でした(笑)。
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