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小泉淳作 物の存在感を求め続けた画家。執念の男。
この人は孤高の画家で所属団体に属していない。
これは日本画壇では勇気のいる事である。
そのため陶磁器の絵付師等をして生計を立てた。
そして77歳の高齢で
京都の建仁寺の天井に
『双龍図』を描きあげる。
私はこれを見に行ったことは無いが。
製作過程は放映された。
巨大な絵に向かって黙々と描き続ける。
彼が良く言葉にする『物の存在感』。
それをこの絵に求めながら執念で描ききる。
この絵が天井に張られたあと。
それでも尚、絵筆で納得するまで描く。
その執念が恐ろしいほど感じられた。
彼は蕪や白菜など。
その一点だけを描く。
そこに彼のいう存在感がある。
この昭和平成において稀有な画家である。
まさに執念の男である。
追伸
相変わらずPC不調です。
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絵画 彫刻
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レオナルド・ダ・ヴィンチ。最後の晩餐。これは神の視点では。キリスト教会をも黙らせる奇跡の傑作。
左から4番目がユダ。それに重なって乗り出してナイフを持つペテロ
この絵はモナリザと共に有名過ぎてどなたもご存知の絵である。
が、しかし。この絵は革新的な絵画でもある。
当時この描き方が通ったのは
この絵が素晴らしかったからではないか。
それは何か。
先ず
聖人である人たちを人間として扱っている。
後光が差していない。
そして裏切り者であるユダを同列に並べる。
これ!当時は暴挙ではないだろうか。
この絵が何故許されたのか。
それはこの絵が
教会側の倫理をも外れる描き方より。
それを超える絵画であると
思われたから残ったのでは。
どんな人間も人を裏切る可能性がある。
人間というものはそういうものである。
これは神の視点で描かれた絵では。
おそらくレオナルドはキリスト教徒ではない。
しかしこの絵画も
元々フレスコ画として描かれたのではなく
テンペラ技法として描かれる。
それはレオナルドの
遅筆によるものであるが。
それは思わぬ絵画の損傷を招く。
当時から剥落が起きる。
湿気のためカビが生える。
そして第二次世界大戦で空爆に遭い
この状態で残り。
尚且つ雨ざらしが続いた。
修復前の最後の晩餐。
この絵は一人の修復家の20年に及ぶ
執念の洗浄によりオリジナルの絵に蘇る。
これほどの剥落にも威厳を守る。
まさに奇跡の絵画である。
追伸。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ 受胎告知を恐れ多くも少し。人智を超えた絵。
私はこの絵を見る度に。
この天使の人智を超える美しさに惹かれていた。
これはまさしく天使という顔である。
それに比べてマリアはどこと無く硬い。
他の人の手によるものでは。
とまで考えていた。
しかし良く考えると。
マリアは人の子であり。
尚且つ処女である。
穢れの無い女性であるから、
表情が硬い。
つまり、この画面は
人間ではない天使と穢れの無い人間の女性の絵となる。
だから先ずマリアは
その天使の美しさに驚き硬くなる。
そして神の子を宿したと聞き更に硬くなる。
その緊張のため表情が硬いと考えると。
やはりレオナルドは大天才となる。
数十年この絵を見て来て
今頃そんな事に気づき
勝手に思った事である。
何の根拠も無い。
しかしそんな感じがする。
それほど荘厳な絵に見える。
これこそ人智を超えた絵であるのでは。
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長谷川等伯の松林図屏風を再び。生き続ける絵。
長谷川等伯の松林図屏風。
この絵は決して巧い絵でない。
松が薄っすらと描かれている。
その根はしっかりと根付いている。
この松だけで占められている。
それも墨だけで。
その余白に何故か空気が流れている。
描かれていない。
感じるのである。
その空気は決して暖かくない。
それは恐ろしく冷たく寒い空気が流れている。
おそらく氷雨も降っている。
描かれていない。
その景色は鬱蒼と茂った松林となる。
その凍えるような氷雨の中で
靄か霞が煙ぶっている。
その先が見えない松林。
これを見た現代の巨匠である、加山又造が
『私に描けるものではありません・・
絵が成長しているんですね・・』と語った。
描き手のいなくなった絵が成長する。
この絵は作者の手を離れても尚、
一日一日とその歳を重ねているのである。
そう、この絵は生きているのである。
長谷川等伯の魂が入っている。
彼は霊魂となり。
この森の中を彷徨っている。
現世にこの絵を描き。
それでも尚、彼の心は休まらない。
この絵の中で彷徨い。
そして生き続ける。
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東山魁夷 年暮る。この画家を見直した作品である。見事である。
実はこの画家嫌いである。大が付くほど。
私の利用している銀行は
カレンダーがこの画家の絵である。
それが魅力が無い。
こんな絵で誰を惹きつける。
この画家はコネで有名になった画家か。
病院の待合室にでも飾るような絵だ。
あたり障り無い絵である。
画力はあるのであろう。
しかし才能は無い。
毎日カレンダーを見てその絵が浮かばない。
これはその証拠でもある。
この男は名前だけだなと思っていた。
それが数年前、衛星放送か何かで
この『年暮る』を観た。
これは生きている。
屋根しか描いていないのに。
人の静かなざわめきが聞こえて来る。
カレンダーに描かれた彼の絵とは全く違う。
荘厳な年が暮れるその姿が静かに描かれている。
この画家を見直した絵である。
とかく売れると守りに入る。
その典型的な画家である。
この絵は守りに入っていない。
見事である。
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