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エドゥアール・マネ ベルト・モリゾ その美しい女性を黒で描く。
このベルト・モリゾはマネのモデルであり。
画家でもある。才媛である。
この絵を見ると
殆ど黒に近い絵の具しか使われていない。
それは暗く感じる筈であるが。
その絵は暗くない。
白と黒のコントラストが美しい。
そして可愛い女性である。
この絵の事はずっと忘れていた。
ゴルゴ13というアニメを観ていると。
その中で男を惑わし蝶のように舞ながら
男を渡り歩く美しい女が出てくる。
その女が、そこまでになる前が語られる時、
この絵と思われる映像が映る。
『アレ!これはマネの絵だろう』と思い調べると。
ベルト・モリゾの肖像に辿りついた。
この中では蕾の女としてこの絵の引用となる。
この絵を描かれた2年後
モリゾはマネの弟と結婚する。
まだ蕾の美しい女性を描いた事になる。
因みにこの絵を描かれた時、モリゾは30歳。
30歳でこの可愛らしさがある。驚きである。
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絵画 彫刻
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岸田劉生。 切り通しの写生。この絵になぜか惹かれる・・
切り通しの坂道を捉えた絵である。
ほぼ正面から描かれている。
平たくいうと何の工夫もなく描かれている。
劉生が何故この坂道に惹かれたのか。
かなりきつい坂道と思われる。
確かに構図は決まっている。
しかし何故この場所を選んだのか。
この坂道を登りきった時、
坂の先はどうなっているのか。
迎え入れてくれる所があるのか。
このきつい坂道の先はいったい
どうなっているのか。
その未来は開かれたものなのか。
彼はここで立ち止まり
そんな事を考えたのではないだろうか。
しかしその理由は判らない。
そしてこの絵を見る。
私はなぜかこの絵に惹かれる・・
その理由は判らない。
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セザール コンプレッション(圧縮)。意図して作られない物は時に美しい物になる。
この作品はセザールにより作られた作品である。
しかし彼はこの作品を意図して作っていない。
それは機械任せである。
これは廃車を圧縮した物である。
彼はこの塊を見て美しいと感じたのでは。
少なくとも私は美しいと感じている。
自然に出来たものは時として素晴らしい作品となる。
代表的な例が富士山である。
これは火山の爆発により出来たものである。
この爆発により大きな被害があった筈であるが。
この山を見て殆どの方が憎いとは思っていない。
殆どの方が美しい。
日本を代表する山であると思っている。
海外から見ても富士山、芸者というくらい有名である。
だから世界遺産となった。
話を戻す。
この廃車となった車を圧縮して
固まりとするだけの機械により
思わぬ作品が出来たのである。
その色彩は誰の指定でもない。
その元からあった車に塗られたペイントの
残りカスである。
この全てが美しい訳ではない。
その数ある中でたまたま出来た塊の中で
美しい物が出来上がる。
万に一つのもの。
いやそれ以上かも知れない。
しかし美しい物は美しいのである。
私はそう思っている。
この作品を美術評論家の弁にすると
『車の氾濫に対する批判ではないか』。とある。
これは全くの的外れであると私は思っている。
彼にはこの作品の美しさが見えていない。
美術評論家という者ほど当てにならないものは無い。
その有名になった作家の作品を判らない癖に
難しく語っているだけである。
そうしなくては気がすまない人種である。
美しい物は美しいのである。
その目に美しいと感じれば良いのである。
理屈はいらない。
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藤島武二 天平の面影 その見た事もない時代の女性を思わせる。
ブログでお付き合い頂いている
ミック様の所で藤島の絵を
久しぶりにこの人の画集を開いて見た。
数十年ぶりである。
何故この人の画集があったのか。
そんな事を考えた。
そしてページをめくるとこの絵が出て来た。
ああ!この絵だったのかと思い出した気がした。
おそらくこの絵に惹かれてこの画集を手に入れたのだと思う。
天平時代などという時代を知る由も無いのだが。
この絵を見ると。
天平時代にはこのような女性がいたのではと思わせる。
堂々とした女性でいながら憂いを含み。
どこか物憂げである。
遠い昔の日本が日本らしくなった時期では
と勝手に思ってしまう。
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ミケランジェロ ダビデ像。彼が天才たる所以。そのあたりを少し。
私はこのルネッサンスの巨匠の事はあまり詳しくない。
しかし少し気がついた事を少し。
このダビデ像5メートルを超える巨像である。
そして足の部分を実は彼は彫っていない。
他の誰かに依頼したが。
それが何らかの理由で放棄されたものを
彫ったという。
これは普通の彫刻家では先ず出来ない事である。
ミケランジェロだからやってのけた。
それくらい難しく凄い事である。
彫刻家は石の塊からその彫ろうとする形を見つけ出す。
それが先に彫られたというのは本当に難しい。
それはともかく。
この彫刻を横から映すと
少し頭が大きいのである。
何方かが
『これ!デッサン狂っているよな!』
と言った方がいる。鋭いのです。
これは意図的に頭を大きくしたと私は解釈しています。
彫刻家は先ず小さい模型を作ります。
それを倍々ゲームのように大きくして彫刻を
彫るのが一般的とされています。
しかしこれは掌サイズでは良い作品が
大きくすると見栄えが良くならない事がある。
それは彫刻家の力量不足。
次にその目線により見え方が違って来る。
おそらくミケランジェロはそれを考えた。
5メートルもあると。人は見上げる事になる。
その視線を彼は考えた。
すると模型をただ大きくするだけだと
顔が小さく見えてしまい。
迫力が無くなる。
あくまで足元から見た視線を
彼は考えて作ったのだと私は思います。
そして足元から映した映像を観ると
このバランスとなります。
彼はその見上げる視線を考え
彫り上げたと私は信じています。
それが彼の天才たる所以かと思います。
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