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福田平八郎 雨。屋根瓦に一粒一粒と雨粒が落ちてくる。
全くこの画家の事を忘れていたのだが。
こんな絵を描いていた方がいた。
何という事の無い屋根瓦に
雨粒が落ちてくる。
一粒一粒と落ちてくる様を描く。
これから雨になるであろう。
その風景を描く。
何という事ない絵かも知れない。
しかし味のある絵である。
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絵画 彫刻
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田中一村 奄美に散った孤高の画家。しかし私はその30年ほど前の『白い花』に惹かれる。
田中一村は
NHKの一人のデレクターにより紹介され有名になる。
彼は美術の担当ではなかった。
しかし、彼はその絵に惹きつけられた。
田中一村は東山魁夷と当時の美校(現芸大)同期であった。
一身上の都合で、2ヶ月で退学。
しかし美術年鑑に竹久夢二より
ひとまわり大きく掲載されていたと聞く。
その美術界の期待度の大きさが判る。
19歳の時である。
それが何故か名前が出てくるのは
数十年後の奄美大島でひっそりと他界したあと。
たまたま先ほどのデレクターに見出される。
このデレクターはもちろん、
その近所の方もそれ程の男とは知るはずもない。
しかし天才とは作品が残っていれば、
その人が死してもいずれは認められる。
まさにこの男がそうであった。
美術、芸術の世界の判らない所は、
殆どの方が己の事しか考えない方ばかりの世界である。
だから作品に個性が出るのであるが。
何故か美術団体というものが存在する。
それは能力がある無いは関係ない。
その中の殆どが無能と言って良いであろう。
その中に一人の天才がいると
それを支える団体と言っても良い。
無能の方たちは金がある。
それに支えられ天才は自分の作品を
好き勝手に作る事が出来る。
その団体を一度でも追い出された者は
二度とその世界では生きる事は出来ない。
一村がどんな理由か判らないが。
その世界を飛び出した。
そして奄美に落ち延びる事になる。
彼はそこで命がけで作品を描き、
認められることなく。死んでいく。
私はその作品を初めて見たときは驚かされた。
どんなに弾かれようとも才能のある男は
出てくるものだと感じたものだった。
それは強烈な色彩によって描かれた絵であった。
圧倒される。
その画集を何度も見ている内に
一つ気になる絵があった。
それが『白い花』である。
この絵はまだ画壇の中にいる時の絵である。
色彩が全く違う。
彼は元々絵を描く時は命がけであったかと思うが。
奄美に行ってから本当の鬼になる。
しかしこの絵はまだ現世にいる時の絵であるのでは。
そんな気がしてならない。
この白を基調とした逆光の
白い花の絵が私を捉えて放さない。
この画集を見て
この絵を見ると
何となく気が休まる。
そんな絵である。
彼がまだ鬼になる前の
絵ではと私は思う。
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ブランクーシ 現代彫刻の父 究極の単純化による究極の形。
ブランクーシ作
世界のはじまり
コンスタンティン・ブランクーシ(1876〜1957年)
ルーマニアの農民の子として生まれ育ち、
芸術に目覚め、フランスのパリを徒歩で目指す。
どれくらいの距離があるか判らないが
それを徒歩で辿り着く。
パリに到着後。モジリアーニと
交友があり二人で彫刻を始める。
モジリアーニは
彫刻家から出発して絵画へと移る。
そしてロダンと出会い。
弟子になる事を勧められるが。
『大樹の下に若草は育たない』
という有名な言葉を残し、
ロダンの下を去る。
ロダンはこのあまりにも違う
才能に惚れ込んだのだと思う。
ブランクーシは徹底した単純化を目指した。
『魚』と呼ばれる作品は
川原に落ちている石ではと思うほどである。
『アザラシ』又は『アシカ』と呼ばれる作品もそうである。
彼は飛ぶ事をいつも考えていたと言っている。
それが『空間の鳥』である。
これはアメリカに渡り。
関税局で彫刻作品とは認められず。
工業製品のプロペラだと判断された。
後に裁判で作品と認められる。
とにかく作品を磨く。その彫り痕を徹底的に無くす。
これは近現代彫刻においてタッチを
残す行為と相反する行為となる。
このあたりが彼の独自の彫刻である。
『接吻』という行為を固まりとして捉える。
無限柱はその繰り返しにより『無限の柱』となる。
彼は『私の人生は奇跡の連続であった』と述べている。
それはこれらの作品にも表れる。
私が大好きな作品は『新生児』という作品である。
これは卵である。
そして『世界のはじまり』となる。
彼をしてもこれ以上単純化出来なかったようだ。
晩年、彼は自身の作品が売れると
涙を流して別れを惜しんだと言われている。
そこに彼の彫刻のあり方が見えてくる。
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ゴッホ。ミレー。種蒔く人。その二人の画家の想いを。私なりに少し。
両者に共通しているのは
尊い農作業であるいう事である。
種蒔く人というタイトルを聞くと。
先ずミレーが頭に浮かぶのではないか。
それほどこの絵は素晴らしい。
そして有名な絵である。
この絵と『落穂拾い』により
ミレーは農民画家として名声を得る事になる。
この絵の素晴らしい所は
種蒔く人がその苦しいと思われる作業を
無心に黙々と行っている。
それは辛いが仕方の無い作業であり。
種を蒔く事により。作物の収穫がある。
その始まりの作業として描かれている。
周りには作物は無い。
この男を中心に
農作業が
いかに大切でその作業が
素晴らしい仕事であると
描いていたと想われる。
一方、ゴッホの『種蒔く人』であるが。
ゴッホは先ずミレーの『種蒔く人』の絵に
感動してこの絵を何とか自分の
絵にしたいと願っていた。
そして彼は描く。
ゴッホは描く対象に対してはどの絵も素直である。
その気持ちが表れる。
彼が描いたのはミレーへの尊敬の念、
農作業とは何と素晴らしい仕事であるのか。
その喜びを表現している。
種蒔く人を風景の一部として捉え。
耕したであろう土地に種を蒔く。
それは夕日が沈もうとしている。
美しく逞しい陽を浴びながら
種を蒔く。
奥にはもう既に収穫が迫っているで
あろう作物を描き。
種蒔く人の作業は大変だがその作業があるから
素晴らしい作物を得る事になり。
その作業は沈み行く太陽も歓迎している。
その作業は喜びに満ちている。
これこそが真の労働である。
輝きに満ち溢れている。
この絵には
そんな想いが感じられる。
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草間弥生 その天才的画業とその苦悩との戦い。
草間弥生を知ったのは1970年代ですかね。
はっきり憶えていないのですが。
その当時アメリカにいました(私ではないですよ)。彼女が。
ハプニングとか言って。
ニューヨークの公園を素っ裸で走り出す。
もちろん警察に捕まる。
その一部始終を映像に撮って。それを作品とする。
まさに体を張った作品であった。
私はこの姿を見た時。
『この女、大丈夫か?』と思ったものである。
それからしばらくして日本に戻って来る事になる。
この作品が紹介される。
鏡を置くことにより、その増殖感が増す。 増殖している突起物。これは一体何なのか。
彼女は
『ある時、私を男根が迫って来るのを感じて・・。
必死でソファを壊してこれらを作りました・・』。
この話を真剣に話す。
天才とはこういう人を言うのかと思った。
彼女はその男根の増殖に追われながらそれを作り出して。
その強迫観念から逃れる。
見えるはずの無いものに追われる恐怖
その戦いから出てきた作品であった。
それから数十年が経つ。
正直彼女の事を忘れていた。
アナログ放送終了間際、
衛星で夜中、彼女の特集が組まれた。
その映像を観て私は
『生きていたんだ!』
それが私の第一声だった。
そして『いくつになるんだ』
80歳を超えていた。
しかし、その髪型は相変わらずのオカッパ頭。
そしてこの歳で約2メートル四方のボードに
アクリル絵の具と思われる物で絵を描いている。
その筆に迷いは無い。
予定としては一年間で100枚。
その枚数を聞いて驚いていたのだが。
それは溢れ出る泉のごとく描かれていった。
そして驚くのは彼女が車椅子で
アトリエに向かっている事だった。
確かに年齢からいってそれは仕方が無い。
もっと驚かされたのが。
その病院が精神病院であった。
それでも嫌な顔ひとつせず、黙々と描く。
いつ頃から精神行院に入院していたのかと
思っていると。
数十年前日本に凱旋した時、
自ら入院したという。
それ以来入院生活が続いていると言う。
それは何かと言うと。
小さい頃から幻聴幻覚に悩まされていたという。
そして医者があくまで私の仮説だがと言って
『彼女はその頭に浮かんだ絵を描く事で
命を取り留めているのでは・・』。
言葉を失った。
彼女は私の知らないうちに
メジャーな大作家になっていた。
その映像の途中でも彼女の作品が数千万、
数億円で売れているのだ。
そしてそれを聞いた彼女は
子供のように喜んで周りのスタッフにお礼を
言って泣くのである。
その網目模様に始まり
今は水玉模様の絵が至る所で展開している。
今ではこの女性の作品を知らない人の方が少ないようだ。
私は知らなかったが携帯に彼女が描いた水玉が
採用されていると聞く。
今の時代の流れに完璧にリンクして
彼女の作品は展開する。
その作品は観ている人を和ませ圧倒もする。
その増殖する水玉は凄まじい勢いで展開する。
しかしその水玉は彼女の頭の中で増殖して
彼女を苦しめている事も確かなのだ。
その頭に増殖される絵を吐き出す事で
彼女は命を取り留めている。
彼女がその中で無邪気に歌った歌が
『・・いずれは首を吊って自殺する』。
この最後のセリフは
楽しそうに歌っていた彼女とは
違った寂しさを感じた。
どうか一日でも辛いであろうが
長生きして欲しい。
そして少しでも心が休まればと願う。
私のこの言葉は矛盾しているかも知れない。
しかしこの言葉しか出て来ない。
そして救いは。車椅子で朝通っていた
彼女が病室へ戻る時。
嬉しそうに『サヨウナラ』と
手を振って歩いて帰る姿に少しホッとした。
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