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池田満寿夫 その魅力。その作品より彼自身が最高の作品であったのでは。
池田満寿夫が他界して何年になるだろうか。
私は40年近く前、友人からその名前を聞いた。
何とも苗字と名前のバランスが良い。
初めて感じたのは絵ではなく。その名前だった。
何故ならこの作家の作品を見ても惹かれる物が無い。
しばらくして日本のメディアが注目し始める。
その映像を見ると何とも魅力のある男であった。
芸術家というとその独特の自尊主義というのか。
誰を見ても鼻につくものであるが。
彼にはそれが全く無い。
と言って話しを聞いていると
かなりの理論家でもある。
その話し方に嫌味が無い。
そして聞いている者を納得させる。
しかし作品には惹かれない。
私が初めて注目したのは彼の小説であった。
『エーゲ海に捧ぐ』とかいうタイトルの小説であった。
この女性は雑誌から引用
その内容は大した事は無い。
但しその描写力は素晴らしい物があった。
これには驚かされた。
それは何気ない男女の会話から始まる。
それは気がつくと国際電話での会話と判る。
その会話をしながら、モデルの写真撮影をしている。
という込み入ったものであった。
この描写力はやはり画家の目であると
感心したものだ。
そしてそれに注目した誰かが
彼にその小説を映画化する事を考え、
その映画を彼が撮ること事になる。
そしてその映画はと言うと
お世辞にも良いとは言えない。
素人の映画であった。
しかし彼は叩かれながらも彼の名前はより有名になる。
彼は偉大な作家である。この男自身に魅力を感じるのである。
その作品についても殊更自慢する事もなく。
たまに随分絵が上手くなったなあと感心していると。
彼は『この女性は雑誌から写真を引用している。』
もちろんこの女性は雑誌から引用
『そのまま頂きました』と臆する事無く語る。
技法についてもこれは誰それの技法を
頂いたと隠し立てが無い。
いつも素直に話すのである。
そこに彼の魅力がある。
そのデッサン力の無さを感じると。
『芸術はデッサン力ではない。
その才能である』と言う。
その通りである。
その作品は彼曰く
『私の作品は
公衆便所の落書きである。』
この言葉はその意味をついている!
彼は意図的にデッサンを勉強していない。
そう取れる発言をする。
売れない時に似顔絵描きになった事がある。
東京の銀座の道路で描いていると。
『本職の方から絵が下手すぎる』と
追い出された話を笑いながら話す。
彼は生涯女性に愛された。
そして次から次へと女性を乗り換えた。
しかしそれによる不評より乗り換える度に
その名は有名になる。稀有な人でもあった。
おそらく別れた女性はどの方も
未だに彼の事を愛しているのではないか。
彼にはそんな魅力がある。
最初に結婚した女性は彼が死ぬまで離婚に応じなかった。
巷では重婚罪で逮捕されるのではと心配された。
私もそれを危惧した。普通なら女たらしで叩かれる。
それが無い。
そして私は最後まで彼の作品に惹かれる事は無かった。
彼の作品集も何冊も持っていたが。
それもいつの間にか消えていった。
しかしその彼の魅力は未だに変りは無い。
おそらく彼自身が
魅力ある作品ではなかったかと
今となっては思う。
彼が亡くなり。
その作品がどこかへ消えても
彼の事は忘れる事は無い。
そんな魅力がある。
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絵画 彫刻
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高村光太郎 鯰 蝉 その木彫は生きている。彼は何と言っても木彫家であった。
流石、光雲の息子である。
鯰はザックリと彫りこんで鑿あとを
大胆に残していながら鯰の滑りとした
触感を見事に表している。
おそらく近代の西洋彫刻のロダンに憧れた光太郎は
そのタッチとして残したと思われる。
これは木彫においては成功している。
蝉にしてもその大胆な彫り方はやはり力が抜けて
ザックリと彫られている。決して仕上げようとしていない。
妻智恵子のために作ったとも言われている小品は
作品という意識がないせいか。
力が抜けていて素晴らしい。
しかしブロンズ製作した彫塑としての作品は力が入り過ぎ
殆ど彼の納得のいくものではなかったと私は思っている。
彼は何と言っても木彫家の息子であり
優秀な木彫家なのである。
木彫から離れようと必死にもがいたが。
彫塑として成功した作品は出来上がる事は無かった。
それはロダンの亜流でしかなかった。残念だが現実である。
それを一番判っているのは彼自身である筈である。
父親の光雲はロダンと匹敵あるいは凌駕した彫刻家である。
それは『老猿』を見れば判る。しかし光太郎にはそれが見えなかった。
西洋の彫刻は彼にとっては新鮮に映り憧れとなった。
その憧れのロダンには最後まで憧れで終わった。
ロダンはロダンなのである。彼を超える作家は出てきたが。
その超えた作家はロダンを否定して。超えようとした。
だから新しい彫刻が生まれたのである。
光太郎はそこに最後まで気づかなかった。
しかし彼は木彫家としては一流であったことは
間違いない事実である。これ等の作品がある限り。
これは光太郎の独自の木彫である。
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松田正平。おひょう。何とも味のある魚である。こんな絵に惹かれる。
松田正平。
この画家も画廊店主であり。
作家の洲之内徹氏の晩年のお気に入りの画家であった。
この画家の個展を何回か開いたという。
見ての通りの絵である。上手い下手ではない。
その典型的な絵である。その範囲を超えている。
しかしこの『おひょう』の表情が何とも愛嬌があり
魅力がある。
こんな絵が一枚あれば心が和むのでは。
画家を目指すと。
どうしても上手い絵を描きたがる。
そしてひたすらデッサンをする。
その技術力は上がる。
何でも描けるようになる。しかし何を描いて良いのか。
判らなくなる。描こうと思えば何でも描ける。
その穴に落ちると抜け出せなくなる。
それは蟻地獄と同じである。
画家はそのジレンマに陥る。
おそらく松田正平もそんな時代があったであろう。
しかし、そこを命がけで這い出ると。
自分の描こうとしている絵が見つかった。
この絵はそんな絵ではなかったか。
決して簡単に描いた絵では無い。
私はそう思っている。
だから惹かれるのでは。
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久隅守景 夕顔棚納涼図屏風 その長閑な風景。こんな暑い日にはピッタリの絵である。
この画家の生涯は謎だらけの人で正没年不詳である。
しかしこの絵にとって、そんな事はどうでも良い事である。
この屏風絵ほど長閑な絵は無いであろう。
親子三人が寛いでいる図である。
この絵は17世紀頃描かれたであろう
としか実は判っていない。
しかしこの絵は国宝である。
この絵も理屈はいらない。
夕涼みにはピッタリの絵ではないかと思う。
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フランソワ・ポンポン 白熊。この暑い夏を涼しくしてくれる。
彼は有名な彫刻家の下働きが多かったと聞く。
最後はロダンの工房で働き続けた。
それはロダンが死ぬまで。そして独立する。
超遅咲きの彫刻家である。
この白熊は67歳の時の作品でこの彫刻で、
この男は動物作家として一気に認められる事となる。
ロダンと全く資質の異なったこの男を
ロダンは気に入り
『人はポンポンの傍にいると豊かになる』と言った。
性格的にも良い男だったのでは。
そんな男の彫った
白熊は無駄な所は
徹底的に省き現代彫刻の元となった。
この白熊を見ていると心は穏やかになり。
この暑さを忘れる事が出来る。
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