不あがり

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洋画

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ペーパーチエイス(1973年) そしてアイビースタイルを根底から覆す。
 
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ハーバード大学に入った男の話である。
アメリカでは一流中の一流。
この大学を出れば先ず明日の未来は開かれる。
 
しかし、アメリカ人というのは
これほど勉強するのかと驚く。
ただ単に私が勉強不足なのかも知れないが。
とにかく勉強とは体力ではと感じるほど勉強する。
 
ここに入る男はそもそも普通の頭ではない。
知能指数が高いのを自慢する男。
速読術を心得ている男。
 
この学部は法律の勉強をしている。
この講義をする教授が厳しい。
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あらゆる判例を出し、質問する。
 
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それは自分の机にある出席表と
写真を見て指していく。
 
速読を自慢していた男は
法律を理解はしているが。
その法律を使いこなせない事を
この教授に思い知らされ脱落する。
 
そんな中、この主人公は、
学業は優秀であるが。
知能指数も自慢するほどではない。
そして速読も心得ていない。
 
その分を取り返すために勉強をとにかくする。
しかしこの教授の質問は容赦ない。
 
そんな中彼は歳上の美しい女性にナンパされる。
 
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          この二人のスタイルはブレイドのCPO
もちろん恋に落ちる。 
 
それからしばらくして教授のパーティに呼ばれる。
そこにいた彼女が何と教授の娘であった。
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その娘は驚かない。たまたま教授の娘というだけだと言う。
 
しかし教授の扱いは酷くなる。
 
たとえば週末の金曜日、
『来週の月曜日までにこれを調べて纏めてくれないか』
と声がかかる。
 
それこそ寝ずにそのレポートを
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纏めようと頑張るが出来ない。
 
月曜日にそのレポートが提出出来ない。
とお詫びに行くと
『そんな事だろうと思った。
他の人間に頼んでもうその件は済んだ』と言われる。
 
この男は娘と付き合っている事を知って。
ワザと出来ない事を要求してきたのではと疑う。
 
 
そして試験を迎えようとする時期が来る。
それまで徹底的にこの男は虐め抜かれている。
しかしその周りの男たちはこの男の実力を認めていた。
皆が教えを請いに訪ねてくる。
 
この男は同室の男とこれでは試験に集中出来ないと。
大学を出てホテルに篭る。
このシーンが凄い。
 
一週間部屋のベットメイクはしないこと。
食事は外へ置いてくれれば良い。
それだけを頼んで勉強に専念する。
 
 
元々、口髭を生やしているくらいで髭は濃いのだが。
見る見る濃くなる。
ホテル側も不信に思う。
 
そして試験の当日に
その髭だらけの髭を剃り。風呂に入り。
ホテルを出る。その部屋が恐ろしく汚い。
その勉強の壮絶さが判る。
 
 
 
試験が終わる。その時、
エレベーターでたまたま教授と一緒になる。
そこでこの男はこの教授にお礼を言う。
 
すると
『君は誰だったかな?』
名前を告げると
『ああ、そう。有難う』
と言って去る。
 
 
そして試験の結果が郵送されて来る。
 
それを見る事無く紙飛行機として飛ばして終わる。
 
それが何とも心地良い。
その結果を確信している。
 
 
 
実はこの映画、他にも見所がある。
映像が無いのが残念である。
 
服装である。
 
ヘアスタイルは勿論
当時のアイビーリーグの服装を根底から覆した。
 
そしてこれを境にヘビーデューティなる服装が流行る。
 
ブレイドのCPOにジーンズ。
 
アラスカンコート
(今はN-3Bと呼ばれているコート)。
 
タッタソールのボタンダウンのシャツにスエードのジャンパー。
 
スエードのジャケットを無造作に着る。
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しかしパーティに呼ばれた時の服装は見事である。
タキシードは着ていない。
 
紺系、おそらくミッドナイトブルーの
スリーピースでは無かったか。
それに白のシャツに洒落た蝶ネクタイ。
このネクタイが効いている。
靴は勿論プレーントウ。
 
そしてこの縁なしのメガネと髭、そして
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ヘアスタイルが決まっていた。
 
 
追記
テモシー・ボトムズは『ジョニーは戦場へ行った』の若者です。
リンゼー・ワグナーはテレビ『バイオニック・ジェミー』の女性です。

この教授役のジョン・ハウスマンは
カーク・ダグラス主演の
『炎の人ゴッホ』の製作者です。
この映画で初めて役者として演じた筈です。
 
 
 
 

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ジーザスクライスト・スーパースター(1973年)。ユダの目を通したキリスト。
 
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この映画はミュージカルでは無く。ロックオペラだとこの映画を撮った
ノーマン・ジュイソンは言っている。
 
そしてあえてこの映画を熱砂のイスラエルで撮っている。
 
冒頭。その砂漠地帯を一台のバスが砂埃を上げながら到着する。
そこに降り立った若者は何処にでもいる若者である。
そしてこれから行われる芝居の準備を黙々と始める。
 
その中で一人、それに加わらず離れていく若者がいる。
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それがユダとなる。
 
そして何処からともなく現れた若者が
輪に囲まれている。
その姿ははっきりしない。
そして白い衣装を着せられる。
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それがキリストとなる。
 
他の若者はムチを持ったもの。
王冠を被るもの。
ヘルメットを被るもの。
殆どがそのままの格好である。
そして芝居は始まる。
 
そうこの物語は芝居なのである。誰が見ても判る。
 
 
そしてユダの悩みから始まる。
これで良いのだろうか。あまりにもキリストが出すぎている。
これでは危ないと。
 
キリストは洞窟などに隠れながら活動を続けている。
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その話には説得力がある。
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司祭を預かる者から危険と思われる。
 
しかしキリストはそれに対し何とも思わない。
 
 
一方マリアは娼婦マリアと描かれ。
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彼に夢中となる。彼のためなら何でも出来る。
そして彼の前にだけ真実の私でいられる。
 
そのキリストとマリアを見るユダは訝しげにする。
 
しかしキリストは、彼女は無くてはならないものだ。
お前こそ、そんな事を言える立場なのかと言う。
 
人間は皆同じである。
 
そして私がいなくなった時
お前は後悔する事になると言う。
 
それがユダには判らない。
 
ユダにとってはキリストは尊敬すべき人である。
彼は悩む。
 
そんなユダに司祭はつけこむ。
この銀貨があれば貧しい人を救う事が出来る。
キリストの居場所を教えて欲しいと言う。
 
思い悩むが彼はキリストの居所を司祭に告げる。
 
 
そして最後の晩餐となる。
それは田園地帯の長閑な場所で行われる。
 
その時、キリストはこの中に私を裏切った者がいる。
そしてペテロ、お前は私の事を知らないと3回言うことになる。
 
ユダは何故その事が判ったのか。
驚きその場でキリストとの言い合いとなり。去る。
 
キリストは何故私はここで死ななくてはならないのか。
皆が酔いつぶれたあと悩み、
神に対してそれを語るが何もそれに答えてくれない。
それなら私は死にますと彼は答える。
 
一方この地方を治めていたローマのピラトは悩む。
一人の男が夢枕に立つ。
それはキリストであった。
 
そしてキリストは捕縛される。
散々連れまわされピラトの前に現れるキリスト。
 
一方ユダはその罪の重さに悩む。
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そして神に向かって何故これ程の罪深い男が
私なのかと呪いながら首を吊って自殺する。
 
ピラトは初めて会った男が夢枕に立った男と気づく。
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そして問答が続くがキリストはそれには答えない。
 
これは全て決められた事と言う。
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彼は鞭打ちの刑を受ける。
 
その夜。亡霊となったユダが天から降りてくる。
 
何故この時代なのか。
今現在ならマスコミにも訴えられたのにと訊ねるのだが。
キリストは答えない。
 
 
そして彼は磔になる。
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全ての芝居が終わり。
演じた若者はその場所を
立ち去るためにバスに乗る。
 
最後にユダ役の若者が
名残惜しそうに乗るが。
 
最後の最後まで
キリスト役の
若者の姿が無い・・・
 
 
 
 
この映画は私の最も好きな映画で
興奮した映画であった。
 
立て続けに休憩時間を
挟んで観たほどだった。
 
ロックオペラという形式を
忘れて観ていた。
 
それほど興奮した。
宗教を扱っていて宗教臭くない。
これは人間の映画である。
 
人は誰しも裏切る。
 
そして最後の晩餐のシーンでは
レオナルド・ダビンチの描いた最後の晩餐のシーンを
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一瞬、そのポーズをとる。
 
これは宗教の名を借りた人間の映画でもある。
このレオナルドの絵画を取り入れた事が
それを物語っている。
 
 
 
 

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栄光のルマン(1971年)スティーブ・マックィーンが命を懸けて撮った映画であったが。
 
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この映画は賛否評論ある映画でもある。
興行的には大失敗となり。マックィーンの映画製作会社。
ソーラプロは消滅する。荒野の七人以来の付き合いであった
製作に携わった男ともここで別れる事となる。
そして愛妻ニールからは離婚届を叩きつけられる。
 
当初この映画を撮る事になっていた荒野の七人、
大脱走での監督であるジョン・スタージェスも降りる。
この男にとってあらゆる困難が起きた映画でもあった。
それでも彼はこの映画を撮りきった。
 
私はこの映画を観た時、
これはスティーブ・マックィーンという男が
マイケル・ディラニーという名前でルマンに出場した。
そんな映画ではと思った。
 
            手にしている時計はホイヤー・モナコ
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演出された映画とは思えなかった。
彼が演じているとも感じなかった。
もちろんこれは映画であるが。
物語という物が無かった。
それに尽きる。
 
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スタージェス監督が降りたのもそのためだった。
 
そしてマックィーンのファンより、
レースその物のファンには大いに受けた映画でもあった。
私の知り合いは全くマックィーンのファンではなかったが。
そのレース展開のリアルさに惚れ込んでいた。
彼の頭の中にはマックィーンはいなかった。
そんな映画である。
 
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一位を快調に走っていた車が
突如タイヤのバーストでリタイヤする。
そのシーンを彼は絶賛した。
 
これはあくまでレースの映画なのである。
物語は存在しない。
 
マックィーンの運転するポルシェも快調に走っていた。
その時、フェラーリがコースを外れ大破し爆発する。
その光がマックィーンの目に入る。一瞬、
そちらに目が取られた瞬間、
前に走っていた車を避け損なって大破する。
それはルマンというあらゆる機種の車が
同じコースに走っていたためであった。
 
あまりに前の車が遅すぎた。
しかしそれは理由にならない。
幸い怪我は無かったが。
そこでリタイヤとなる。
 
それは彼のミスであり。誰の責任でもなかった。
 
しかしレースはまだ終わっていない。
彼のポルシェは新人が1番手を走る。
2番手は長年のライバルで凄腕のドライバーで
フェラーリに乗っている。
 
3番手を走行しているのは
ポルシェのドライバーで
このレースを最後としていた。
 
しかしこのままだとポルシェが
抜かれるのは目に見えていた。
 
ポルシェの監督はリタイヤしたスティーブ。
すなわちマイケル・ディラニーを急遽呼び寄せる。
 
そして3番手のレーサーと交代を迫る。
一瞬躊躇するがこれは個人の戦いでもあるが。
ポルシェとフェラーリの戦いでもあるのだ。
そして3番手の車に乗る事になる。
 
その頃2番手のフェラーリは
1番手を走るポルシェをヒタヒタと
追いつこうとしていた。
 
そして3番手のポルシェは猛然と追い上げ
2番手のフェラーリに追いつく。
それは死闘となる。幅寄せをしてタイヤを摺り寄せる。
ギリギリの世界での鬩ぎあいとなる。
 
1番手のポルシェはそんな事を知る由も無い。
いやその余裕すらない。
そして最後の一周を終えてゴールする。
 
2番手を走っていたフェラーリは
3番手のポルシェにかわされる。
これは男と男の戦いであった。
 
1位となったポルシェのドライバーが歓喜の中、
ポルシェを降りたマックィーンは
フェラーリのドライバーに
 
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『今日は俺の勝ちだぜ』と無言でVサインを送る。
それを受けて相手は顔でそれを認める。
 
この映画は主役が優勝しない。
しかしチームとしては優勝する事になる。
これがアメリカ人には受けなかったようだ。
 
スティーブは個人としては負けても
チームとしては優勝した。
 
それは個人を犠牲にしてもそのチームのために戦う。
彼に個人としてのトロフィーは無い。
そのチームのためにどれだけの人間が犠牲になったのか。
それは1人で勝ち取れる物ではない。
そんな事が言いたかったのではないか。
 
 
彼はこの映画で主役としてクレジットされただけではなく。
 
この映画に出演した数多くのレーサーの1人。
 
1ドライバーとして彼の名が字幕にクレジットされている。
 
これは彼のレーサーとしての誇りである。
 
 
 
 
ペペ・ル・モコ 望郷(1937年) その女を想う足取りは軽い。
しかし、それが命とりとなる。
ジャン・ギャバン主演。フランス映画である。
 
実は内容はあまり憶えていない。
相手役の女性の名前も思い出せない。
知り合いのお父様が
『ギャビーだよ』と教えてくれた。
それ程大昔の映画である。しかし
その破滅的なシーンが素晴らしい。
そしてそのシーンでこの映画は
名画となる。
 
 
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ぺぺは主人公の名前。
フランスで数々の罪を犯し指名手配になっている。
そしてフランス領であった
アルジェリアのカスバに逃れ潜伏する。
それを地元警察は判っている。
 
しかしこの男は
このカスバを縄張りにして手が出せない。
警察でも手が出せないほどの大物である。
彼にとっては絶対的な安全地帯でもある。
 
それが故郷フランスから
女がその土地を訪ねて来る。
 
この男に会いに来たのではない。
 
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しかしこの男はその女に惚れる。そしてこの女も。
 
それに気づいた頭の切れる刑事が一計を案じる。
 
女は失意のもとにこの地を去ることになる。
 
それを知った男はこのカスバから
足を踏み出そうとする。
それは命取りとなる。
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 しかしもう何も見えない。
女に逢えると思うとその足取りは軽い。
そして故郷へ帰ることが出来る・・。
しかしそれは捨てた国である。
 
その軽い足取りをカメラが追う。
 
実はこのシーンが素晴らしい。
階段を駆け降りる足を撮り続ける。
この映画最高のカットとなる。
 
港へ出た所で逮捕される。
 
カスバという迷宮から出た男は
ただの一犯罪者に過ぎない。
 
その船の甲板に出た女の姿が見える。
思わず『ギャビー』と叫ぶが
汽笛がその声をかき消す。
その時一瞬、
女は確かに振り向くが気がつかない。
 
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男は隠し持ったナイフで腹を刺し死ぬ。
何とも哀れな死に様である。
 
 
どんなに狡賢く強かに生きた男も
女の魅力には勝てないのかも知れない。
そして犯罪者は望郷の念に駆られてはいけない。
それは既にその国を汚して来た男である。
そこに戻る時は死しかない。
 
 
 
 
 
荒野の七人。この映画に学ぶ。地道に働き努力する男こそ真の英雄。
 
私のブログに度々出て来るが。
私はここに出て来る。男たちが皆好きだった。
もちろんマックィーンは大好きだが。
 
もっと好きだったのは
チャールズ・ブロンソンでもあった。
 
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この男は強面だが。何というか優しさがある。
 
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この映画でも子供に笛を作ってあげているシーンがある。
 
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子供が好む顔なのかも知れない。
そしてこの男だけに子供が懐く。
 
おそらく農民の子にとっても
用心棒という者は怖い存在であると
感じるのであろう。
 
強くて勇ましいが近寄り難い。
そんな中このブロンソンに
3人の子供がこの男に纏わりつく。
最初は嫌な顔をするが。
それは本心では無い。
 
そんな所が本能的に
子供には判るのだと思う。
 
そんな中この子供の一人が
自分たちの父親の事を
『卑怯者!』と言うと。
いきなりその子供の尻を叩く。
 
そして
『お前たちの父親は命を懸けてお前たちのために働いている。
俺にはその働く勇気すらない。だからこんな仕事をしている。
二度とその言葉を使うな!』と強く叱る。
 
そして戦いの末、
この男はこの子供たちを庇って命を落とす。
 
その時、『俺の名前は?』
子供たちが、この男の名前を言う。
それを聞いて息を引き取る。
 
この用心棒の中で本名が判るのは
この男だけである。
 
そしてその墓に花を手向けられるのも
この男の墓だけであった。
 
この男は劇中、農民の血も引いている事も語る。
 
何があっても土地を守り
その土地を耕し
そして子供たちのために命を懸ける。
それが本当に勇気のある男であると
彼は言っている。
 
確かに地味である。
拳銃も使いこなせない。
喧嘩も弱い。
 
しかしその土地を守ろうとする
努力は人一倍ある。
そこに根ざした男こそ真の英雄、
勇気ある人と彼は言っているのである。
 
そして用心棒となったこの男は
最後までその男たちに憧れながら
その男たちに(農民)はなれず命を落としていく。
 
 
 
 
もちろん、私も憧れた方の男である。
所詮、彼らは何処までいっても根無し草なのである。
そのあたりの絶望的な縁を彷徨っている。
それに気づくのがいつも遅い男たちでもある。
この男の気持ちが痛いほど判る。
 
 
 
 
 
 

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