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久しぶりに骨董の話です。少し(笑)。
私は土物から始めましたが。惨敗となりました。
備前、唐津と全く相手にされなかった。
その頃、伊万里というか。
染付けには目もくれなかった。
当時は安かった。
蕎麦猪口などは5個セットで売っていた。
面白いなとは思っていたが。
買う気にはなれなかった。
今考えると何故なのだろうと思う。
何故なら今その染付けをなんとしても
手に入れたいと思っているからだ。
時たま。あの時買っておけばと考える。
しかし当時は土物にしか目が行かなかった。
そしてその土物は全て偽物だった。
これには相当堪えた。
それ以来。手が出なくなった。
ある時、平戸焼の
今でいう所の振り出しという物だと思うが。
店主の顔を立てて手に入れたのが。
染付けであった。
その繊細な絵付けに驚いた。
上手いなと思った。
形も面白いなと思った。
でもその時はそれだけであった。
しかし今残っているのはその振出しだけである。
何となく惹かれて手放せなかった。
草花文様。おそらくタンポポ。
その裏にトンボが描かれている。
そのトンボの丸い目に瞳が描かれていた。
細かいな。それに惹かれた。
それでもまだ伊万里には行かなかった。
ある時、今思うと明治大正の
ベロ藍の伊万里の鉢が道具屋さんの
店先に無造作の置かれていた。
その絵付けのいい加減な描き方。
殆んど藍で塗りつぶされて。
おそらく菖蒲か杜若を描いているのかと思われるが。
あまりにも雑である。絵付けも下手。
しかしその雑な所に惹かれて。
その場で手にして奥へ持って行き。
買った。
二千円しなかった。
しかしこれだと私は思った。
この雑な描き方が気に入った。
描こうとして描いていない。
商品でありながら売れそうな描き方ではない。
そんな所に惹かれた。
私はどういう訳か。
そんな品物に惹かれる。
作家物の品物は素晴らしい。
しかし何故か惹かれない。
何と言うか。
これ上手く描けているでしょう。
この形を作るのに苦労した。
その作為が見える所がダメなのである。
民芸作家の大家の作品も有名になる前が良い。
有名になると守りに入る。
そして売れる物を作ろうとする。
その時点でダメである。
作為が見える。
私が気に入ったベロ藍の鉢も
高台に『竹下』と書かれている。
実はここが気に入らない。
これが書いてなければと何度も思った。
それがこの品物の欠点でもある。
私は、『松、竹、梅』の『竹の下』
つまり
中以下の出来であると読んでいる(笑)。
もしかしたらこれを作った方が
私のような男の好みを感じて作られたのかも知れない。
つまり狙って作った。
それが嫌なのである。
このベロ藍の鉢は
とにかく仕事として沢山の品物の
一つとして作られ。
その中でたまたま藍がはみ出てしまった。
しかし捨てる訳には行かない。
そんな中で出来たと信じたい。
変り者の私は
どこまで行っても考えが変わっている。
そしてそんな品物を探している。
作為の無い物が欲しい。
ただそれだけである。
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