不あがり

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エッセイ 骨董など。

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黄瀬戸の皿。今、焼きそばの盛り皿となる。諸般の事情により画像無し(笑)。
 
もう数年経つが。
ついこの間のような話である。
 
月に一度は医者に行く事になっている。
それも曜日指定。医者の都合である。
水曜日となる。これは受付の女の子の都合。
 
月に一回の外出である。
病院に行った後はどこかに寄りたい。
 
しかし水曜日は私のお世話になっている
道具屋さんは休日となる。
 
ある時、医者の通り道に
骨董屋さんがあるのに気づく。
その前を何回か通る。
小さな店である。
 
そこに白髪を1束にした私より細い、
口髭を生やした方がいる。
 
中が見たい。しかし金が無い。
入り口に
『どうぞお気軽に・・』と書かれていた。
その気になる。入る。
 
明、清朝、李朝、高麗、
そして日本の陶器と思われる陶磁器が置いてある。
 
しかし伊万里は殆ど無い。
あるのは幕末から明治の物だけである。
 
感じの良い人であった。
 
私は
『すみません。金は無いのですが。少し見せて頂けますか?』
『どうぞ、どうぞ。それほど見るものはありませんが』
『いや、そんな事はありません。凄い品物ですね』
 
無造作に置いてあるが。これ!乾山!?
 
それを見た店主が
『乾山ですね。』と
聞かない私の目線で答える。
『おお!やはり乾山ですか。これは驚いた・・』
話が弾んでくる。
『所で何かお探し物でも?』
『私は伊万里のそば猪口が・・』
『ほう、そうですか』と笑って答える。
 
しかしそば猪口は一点も無い。
その日はそれで帰る。
 
翌月、また顔を出す。
私の顔を覚えていてくれた。
そこで色々見せてくれる。
 
現代作家の加藤幸兵衛の志野茶碗を見せてもらう。
二重箱の物だった。価格は聞かない。
 
次に光琳の漆の箱。
これも価格は聞かないが
店主が200万で手に入れたと言った。
 
そしてまたしばらくして訪ねてみた。
 
今度は医者の帰りではない。
丁度冬みかんが出る頃であった。
 
私はネットで安く和歌山から送って貰った。
それを何個か袋に入れて持って行った。
 
何も買わないで見るのも失礼かと思ったからである。
美味しいみかんではあった。
 
すると
やおら下の箱をずらして
何かを引きずり出した。
 
それは黄瀬戸の六寸皿であった。
石皿のような作りだった。
しかし灰釉の皿ではない。
 
どこかの料亭で
使われる筈の物で
あったと説明された。
 
それを私に一皿くれるというのである。
 
断り続けたが。
『これも何かの縁です』と云われ。
その中の一皿を頂く事になる。
かなり重い皿である。
 
まさに海老で鯛を釣った事になる。
 
しかし
恥ずかしい事であるが。
本当に金の無い男である。
顔が出し辛くなった。
 
お邪魔する回数は減り。
この皿は棚の上に乗ることになった。
 
そして
この所の自炊により。
焼きそばを作る事になり。
黄瀬戸の皿の出番となった訳である。
 
今頃店主は
クシャミをしている事であろう。
 
 
 
 
 
 
 
追伸。
PCが引き続き不調です。
コメント頂いてもリコメ出来ない可能性大です。
その失礼を何卒お許しください。
 
 
 
古伊万里の猪口の箱を作る。かなり丈夫な箱を。ダンボールで(笑)。画像無しです。
 
猪口を見ていると。
私の心をいつも和ませてくれるが。
ただ、何かの拍子にぶつかって
割れる可能性がある。
 
この不安をいつも感じていた。と言って。
仕覆や桐箱や杉箱を作る金も無い。
その金があったら次の猪口に投資したい。
そのジレンマがある。
そこで考えた。
 
とにかく今はこの猪口の安全の確保が大事である。
 
私は日頃の生活で必要な物は隣のコンビニ以外は
ネットで注文している。
 
その時に必ずダンボールの箱で送られて来る。
その始末に困る。
 
コレだ!と閃く。
 
さてここからです。
先ず口径8センチ前後の猪口があるとします。
大まかで良いのです。
 
縦横10センチの大きさにカッターで
ダンボールを切ります。
 
その猪口の高さを数センチ越える所まで切ります。
切り終わったら。
その一枚をダンボールの中央に猪口を置きます。
 
口径に沿って鉛筆でなぞります。
その円に沿ってカッターで慎重に切り込みを入れます。
 
丸い円にダンボールを切り抜くのです。
切り抜いたら大事とっておきます。
 
おそらくカッターの習性で内側に切り込む形になります。
ですからその円は小さくなります。大まかに円を整えたら。
 
その円の下に新たに切ったダンボールを
置いて鉛筆でなぞります。そして切り取る。
それを繰り返します。
 
おそらく切り取る度に円は小さくなる筈です。
それを猪口の高さになるまで切り抜きます。
 
底の切り抜きは猪口を当てて
しっかりと鉛筆でなぞり。
切り抜きます。
 
一段一段合わせて行き、縁の円の形を整えます。
最後に最初に切り抜いたダンボールを
慎重に切り整えます。
 
すっぽりと猪口が納まります。
 
それをボンドで一枚一枚貼ると下箱が出来ます。
 
切り抜いた丸い円は見込みの中に納まる筈です。
大体で良いのです。
 
それをやはり一枚一枚貼ります。
余ったダンボールを最後に見込みに入れた
ダンボールにボンドで接着します。
上蓋が出来ます。
 
蓋に厚みをつけるために
同じ大きさのダンボールを張ります。
 
同じく底には穴が開いている訳ですから。
その穴を同じ大きさのダンボールで
塞ぎ完了となります。
 
蓋と底はその猪口の大事さと
比例して貼って下さい(笑)
 
手間隙かかるわりには綺麗に出来ませんが。
これ非常に丈夫です。
 
あくまで猪口の安全を考えての箱です。
疲れる割には見てくれは悪いです。
しかしその猪口への愛情は人一倍となります。
お粗末でした(笑)。
 
 
 
 
 
本日、小銭で凍りつく。真っ青になる(笑)。
 
変わり者の私は、
食材を買いに行くのは夜中か明け方。
本日、5時を回った所でバナナが無い事に
気づき500円玉を持って100円ローソンに行く。
 
明日の分も入れて二房買う。
210円である。
 
いつも感じの良い店員さんに
感謝をして帰って来る。
 
機嫌よくズボンから
小銭とレシートを出そうとした時。
手から小銭がすべり落ちる。
弾みで前へ飛ぶ。
 
それが志田焼の盃洗を掠める。
一瞬凍りつく。
 
小銭であろうとぶつかれば割れる。
小さな凶器となる。
 
私は気に入った物は
枕元に置いている。
 
ギリギリでチャリンとも
云わずに落ちた。
100円玉であった。
 
おそらく数ミリであろう。
掠らずに落ちた。
この運の良さに感謝する。
 
まだ私には運があるようだ。
数秒固まっていたが。
小銭を拾い。ホッと息をする。
 
何があるか判らない。
今日は運が良かった。
ただそれだけである。
数ミリの明暗だった。
 
 
 
 
 
 
日本人は信楽と李朝で死ねる。しかし、そんな私は伊万里で死ぬ事になる。
 
『日本人は信楽と李朝で死ねる。』
これは小山富士夫氏の名言である。
 
その言葉を聞いて感激したものである。
土に始まり土に終わる。
 
又は磁器に始まり土物に辿り着く。
 
ただ私のような貧乏人にとっては、
伊万里も高嶺の花である。
 
一年の生活費を切り詰め、
その中で何とか伊万里のそば猪口を
手に入れてその喜びを感じるのが精一杯である。
 
その上を目指そうとしても届かないのである。
それこそ上見りゃ限り無しである。
 
若ければ、己をその高みに上げる努力をすれば、
その上の物を手に入れて、その物が身につく。
 
しかし、私はもう歳である。
自分の立ち位地も殆どというより、
もう決まっている。
 
そんな中での骨董である。
それこそ伊万里を手に入れるために
食費を詰めるのも厭わない。
 
惚れ込んだ伊万里を手に入れるためなら命も懸ける。
私にとって伊万里はそれほどの価値がある。
 
日本人は信楽と李朝で死ねる。しかし届かない。
そんな私は伊万里で死ぬ事になる。
 
 
 
 
目に感じるものが欲しい。
 
それは何の先入観も無く。見た瞬間に懸ける。
ネクタイを選ぶ時もそうだったが。
目に留まる。目に感じる。そんな柄を選んできた。
どこのメーカーとかは関係ない。
 
骨董でもその見た瞬間に懸ける。
その時の目に入るものは何らかの示唆を
与える筈である。
 
不快に思う事もある。その逆もある。
不快に思う物も人によっては素晴らしい物になる。
また素晴らしいと思う物も人によっては不快に感じる。
それはその人の感性に他ならない。
感性に何らかを訴えるものはその品物に力がある。
 
目に感じるものは殆どの場合、手に入れてからも飽きが来ない。
その先入観を捨て、見た瞬間、目に感じた物を手に入れる。
 
私は殆どの場合雑器やそれに近いものを集めているが。
その何十、何百、何千、何万と同じ物が作られて来るが。
突如、奇跡的に良いものが出来てしまう事がある。
 
たとえば陶器はその絵付けだけではなく。
釉薬の掛かり方の偶然により焼き上がりが
素晴らしい物が出来る事がある。
しかしそれは狙って作ったものではない。
 
狙うとそこに作為が見える。
作為の見える物は美しいとは言えない。
無作為の作為が素晴らしい。
 
高温により陶器は形が歪む事がある。
それは何と美しい事か。
これは決して狙った物ではない。
狙った物は美しくない。
 
磁器でもそうである。毎回同じ絵を描いているのに。
何故かその絵が生きてくる事がある。
それはやはり狙った物ではない。
 
確かに熟練工が描いた絵である。
しかしそれは自然と筆に任せて描かれたから
美しいのであって。狙って描こうとすると。
その絵は美しくなくなり。生きてこない。
 
殆どの場合生きた絵は描かれない。それは決められた絵を
描かされているからである。
 
それがある時、突然変異的に良いものが出来る時がある。
私はそんな絵に素早く反応して手に入れたい。
 
それにはその陶工と同じく沢山の品物を見なくてはならない。
その中で目に感じるもの。そんな物を手に入れたい。
 
決して高級な物でなくて良い。
高級な物はそれなりに美しい筈である。
 
日用雑器やあるいはそれに順ずる
大量に作られた物の中から見つけたい。
それは必ずある筈である。
それを追い求めて。目に感じるものを見つけたい。
その目に感じるものが欲しい。
 
 
 
 
 
 

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