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おそらくリストラに遭っていた私。それも40数年前。中学の時(笑)。
ふと気がついたのですが。
私はおそらく中学の時、リストラ対象となり。
その候補から外れる事無く。リストラされたようです(笑)。
私が行った学校は中高一貫教育の進学校である。
そこへ身の程知らない私は入った。
250名。5クラス。
そしてそこでしっかりと勉強すれば
それはそれで良かったのだが。
ちょいと野球に夢中になった。
元々文武両道という学校で。
野球部は県で優勝し甲子園の最有力候補だった。
その時の先輩、1人は慶応、1人は立教大学へ進学。
これは私もと考えたのが甘かった。
とにかく練習が厳しい。
中学生で高校の先輩方と同じ練習をする。
尚且つ硬球です。スピードも違うし体力も違う。
学年で二人だけでした。ついて行ったのは。
しかし成績はどんどん下がる。
同じ練習と同じ勉強をしていた筈のもう1人は
秀才。クラスでトップクラス。私は40番前後。
この違いが何故起きたのか未だに不明(笑)。
野球部はキツイが楽しい。勉強より夢中になる。
しかしそれに連れて成績は下がる。
そして先生の対応はより厳しくなる。
とにかく殴られる。これは当たり前。
その内、気がついたのが。
成績の悪くない科目でも態度がおかしい。
国語などは得意(書き取りは苦手)。
文章理解は積極的に手を挙げて答える。
正解すると不満顔。
仕舞いには調べた辞書にいちゃもんをつける。
難しい問題で誰も答えられないので
手を挙げて答えると不正解の時は立たせる。
体育も得意でしたが。
縄跳びの縄を忘れて顎がずれるほど殴られる。
相手は空手有段者。
成績の悪い物理などはボコボコにされていました。
これは当たり前です。
それにしても全てではないが
教師たちの態度が明らかに酷くなる。
3年になるとそれは酷かった。
仕舞いには見せしめとして殴られる。
そして9月に倒れます。
それから年末までベットの中。
学校関係者からは何の連絡もない。
肝臓をやられて黄疸が出て飲まず食わずで点滴。
回診無し。
あとで判ったのだが命が無いと
診断されていた。
年末これでは飼い殺しになると
私から病院を退院。
翌年の1月に担任が我が家に来て
『不あがり、お前は進級出来なくなった。留年だ』
それだけ伝えて帰った。
それから医者を変えてようやく動けるようになる。
学校へ戻ったのは9月となる。
1〜2時間出ては帰っていた。体が持たない。
ひとつ気づいた事がある。
執拗に私の顔を見て不愉快な顔をしていた教師が。
私の顔を見て『ああ、どうも』と挨拶をする。
これが判らない。
憑き物がとれたような感じだった。
それが他の教師も同じである。これが謎だった。
そこでリストラの話である。
毎年高校に若干の募集がかかる。
その人数は決まっていない。
そこで入ってくる方たちは恐ろしく頭が良い。
その若干募集をするために
出て行かなければならない生徒を作らなければならない。
それが私となったという事である。
復帰した私は勝手に戻っただけで人数の対象外だった。
前年はどうしても追い出さなければならない男が私であった。
それを考えると教師のとった行動が理解できる。
彼らはリストラ対象となった私を
是が非でも追い出さなければならなかった。
私は進学校にいるのである。
そこで成績を残せなければ
立ち去るのは当たり前である。
ここは教育の場ではない。
そのあたりを私は勘違いしていた。
だから翌年は挨拶を彼らがする訳である。
彼らはあくまでこの学校で
優秀な生徒を育てなければならない。
それが私には判っていなかった。
数十年ぶりでその謎が解けた。
それにしても気づくのが遅い。
私はやはりどこかずれている。
長い前フリであった。
これが今
リストラ対象となっている方と
それを実行する人たちの立場なのかと
あらためて思う。
当事者はどちらも辛い立場にある。
このリストラに失敗すれば
今度は我が身となる。
このあたりが非常に難しい。
誰しも自分が一番大事なのである。
人として生き残るか。
人のために自分を犠牲にするか。
殆どの場合、人として道は外れても
自分の生き残りに懸ける。
それが人間ではないか。
そしてそんな私も紆余曲折を経て
今生き残っている。少なくとも
人として生きている。
しかしそれは世間様から見ると
また別の話になる。
それでも生き残る。
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