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これは、私の生涯の愛読書です。
著者の 飯田史彦先生 の講演を、今は亡き母と共に聞いたこともあります。
はじめは当時働いていたスナックのお客さんに教えられて読んだ本でしたが、母と私は前世をはじめとする「科学では証明できない不思議な出来事」についてとても興味があり、お互いにそういった関係の本を探しては貸し借りしながら読んで感想を言い合うような母娘でした。
飯田先生の著書は他にもたくさんありますが、私はやはり一番初めに出版されたこの一冊がとても好きっです。
先生が参考に使用した本もいろいろと読んでいたせいか、普通なら拒否反応を示すような事柄も、ストンと胸に落ちた感がありました。
母をはじめ身近な人の死に直面するたびに、この本で学んだことが浮かんできます。
すでに、飯田先生が研究した事柄は私の中では「当たり前」のこととなっています。
はじめて地球が球形をしていると唱えた人が世界中から笑い者にされたように、「当たり前」と思われていたことが覆されると、大抵の人は拒否反応を示します。
でも今の時代は、いろんな意味で「見えないもの、見えない世界」をないものと考えなくなっている風に変化しつつあると思われます。
「オーラの泉」で三輪さんや江原さんがおっしゃることに説得力があるのは、普通の人には見えないものがしっかりと見えていることが疑えないからだと思います。
前世、輪廻転生を信じている人は、かなり増えたのではないでしょうか?
私も以前、輪廻転生をテーマにした小説を書きました。
あくまでも小説ですので、実際にはあり得ないフィクションをふんだんに盛り込んでいますから、三輪さんや江原さん、飯田先生などに言わせたらとてもとても馬鹿馬鹿しい作り話だと一笑されるような稚拙なものですが・・・。
輪廻だけでなく、人生を考える時、いろいろと考えさせられる共通のことがあると思いますが、前の投稿のコメント部分で匠さんが教えて下さったストーリーは、とても素直に受け止められました。
おとといもお墓参りに行ってきましたが、墓石を磨いている時、お墓に散らかった落ち葉を拾っている時、そして亡くなった愛しい人たちと話せる時間は、自分の中でとても透き通って清々しいような時間です。
母方のご先祖のお墓参りは県内にあるのでお盆には必ず行きますが、父方のご先祖のお墓は県外なので、子供の頃に行って以来一度も行っていませんでした。
でも機会があり、来月久々に行けることになりました。
その他にも、父方の祖父の叔母にあたる人のお墓(以前、自殺未遂など繰り返していた時に、母が霊能者に言われて探し当てた人です)にもずいぶん通ったのですが、最近は行っていないので行きたいと思っていますし、子供たちのためには、元夫のご先祖のお墓参りも連れて行きたいところです。
お墓というのは、実際にそこに亡くなった人が埋められているから行く・・・というだけでなく、自分の存在を遡っていけば必ず存在した人を思う場所だと思うのです。
支えられ、見守られながら生きていることに感謝するという意味で必要な行為なんだと思います。
例えば「自分の骨は海に撒いてくれ」と言われたら、私は大切な人の意志を尊重すると思います。
でも時々は海に行き、その人のことを思い出すでしょう。
毎日毎日、空を仰いで亡くなった人のことを思い出すことでも同じように感謝の意を捧げることはできると思いますが、人は「歩いていかなければならない」し「前を向いていかなければならない」んだから、毎日毎日空ばっかり見ている訳にはいきませんものね。
・・・だから、ハマさん(祖父の叔母にあたる人)や祖父の親兄弟が眠るお墓に頻繁に行けないことも、きっと多めに見てくれているといいなぁ。
近いうちに、必ず行きますから、待っていて下さいネ(^o^)
天国で会うのは・・・今のところ「まだ先にして下さい」と思えているので、良い傾向だな☆
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「生きがいの創造」については、人から薦められ読みました。「なんだ、私が考えていることと同じではないか」と不遜にもそう思ったくらいです^_^;ただ、発刊に寄せての、船井会長、ムネオ・ジェイ・ヨシカワ名誉教授の文は違和感を覚えたことも事実です。とても長くなるので、割愛ですが。TBさせて頂きました。またお墓のことがあったので、【「暑さ寒さも彼岸まで」☆お彼岸は仏教行事ではない?☆日本の文化と伝統】 http://blogs.yahoo.co.jp/arasi_fuuto/29366276.html お時間があれば。。。嵐風人
2006/3/24(金) 午前 7:45
「生きがいの創造」に拒否反応を示す人がいる一方で、わたしや嵐風人さんのように「前からそう考えてたヨ」ってすんなり受け入れられる人もいるようですね。母も私たちと同じく同感してましたし。でも細かい部分では諸々説が異なってくるし、生きている以上は確かめようがないことも多いので、それぞれが自分に都合のいいように、または考えたいように受け止めればいいんじゃないでしょうか。
2006/3/25(土) 午後 6:25
前世や輪廻転生、死後の世界などをオカルトと捉えられがちですが、飯田先生が書かれているように「人生の杖」として、必要な人が必要な時にだけ心の支えにすればいいことであり、考えを強制したり統一する必要もないと思います。身近な人の死や人生を考えた時、こういう考え方もあるんだな、そう考えれば少しはラクになれるかな、と思えるための一つの手段として、私自身は受け入れているような気がします。
2006/3/25(土) 午後 6:32