甲子園和也ROOM

チビ太郎君と旅行楽しかった。4回目も来春計画中。

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気になるアスリート第25弾は初芝清選手です。

二松学舎大付属高校では、2年時からエース・4番で活躍し、高3夏の東東京大会は惜しくも準優勝で甲子園ならず。同校卒業後は社会人野球の東芝府中に入社、野手に転向する。都市対抗野球に3回出場した。1989年ドラフト4位でロッテオリオンズに入団。1995年にはボビー第一次政権の5番打者となり、打率.301、本塁打25本、打点80で自身初の打点王、三塁手のベストナインに輝いている。またこの年千葉ロッテマリーンズ初の1億円プレーヤーとなる。

2005年のパ・リーグの現役最年長野手。ポジションは主に三塁と一塁。
若干小太りの体型に赤ら顔、常時メガネ着用、黒いソックスをすねの辺りまで上げるいわゆる田吾作スタイルという独特の風貌と、勝負強い打撃でことパ・リーグファンの間では知名度は高い。
現役晩年は成績こそ振るわなかったが、代打7打席連続安打日本タイ記録を持ち、チームの代打の切り札として、球場で名前が呼ばれた際のファンからの歓声は一際大きかった。ロッテオリオンズ時代からレギュラーだったということもあって千葉ロッテを代表する人気選手の一人だった。ベンチでは若手よりも声を出し、一番に選手を迎えるという、チームを鼓舞するキャラクターもファンからは愛された。

2005年9月19日、体力の衰えと若手の台頭を理由に現役引退を表明。管理人、現場でききました。9月22日、今期本拠地最終戦の対福岡ソフトバンク戦で引退セレモニーが行われた。元祖チャンスマーチ初芝が流れる。その後に行われた福岡ソフトバンクとのプレーオフ最終戦においては逆転勝利・チーム優勝に繋がる内野安打を放って、プロ生活では初となる「優勝の美酒」を味わった。

○あだ名
はつさん
はっちゃん
ミスターマリーンズ
ミスターロッテ
幕張のファンタジスタ
初芝神

○エピソード
サッカー選手のカズとは生年月日が全く同じである。

ファールグラウンドが広く風の強い千葉マリンスタジアムでのサードファールフライの捕球のさまが実に危なっかしく名物となっていた。それにもかかわらず「僕は守備に関しては一家言ある」と発言して物議を醸したこともある。

ファールフライを追う際、前を見ていないのかよくベンチに落ちる。「ベンチに飛び込んだ回数日本一」記録を持っている。しかし、こうした恐れないプレーのためカメラマン席に飛び込みながらもボールをスーパーキャッチしたことがある。

チャンスでゲッツーや三振を繰り返すシーンも多いが(彼の名誉のためにいっておくが、打点王のタイトルをとった事もあるようにチャンスに弱いというわけではない)、相手チームがM1(マジック1)だと、別人のように打ちまくるという実績を持つ。そのことから一部で「胴上げクラッシャー」とのあだ名がついた。

田吾作スタイルと呼ばれるユニフォームの裾を捲り黒いソックスを見せるスタイル(正式にはオールドスタイル)を引退まで貫く。

守備練習中、強烈な打球に逆シングルで飛びついたが捕球出来ず、起き上がらずに寝そべって悔しがっていたら、打球が飛んできて右肘に直撃。2軍落ちとなったことがある。
契約更改はよくても悪くても3分で終了。一発サイン。
応援歌の歌詞は日本一多い。

ルーキーイヤー(1999年)の松坂大輔からは、最多の3本塁打を放っている。そのため「松坂キラー」の異名がつき、当時発売された未来蜂歌留多商会の「パワーリーグ」、コナミの「フィールド・オブ・ナイン」といったプロ野球カードゲームでも、相手投手が松坂の時に初芝が打席に立つと、初芝の打力がアップするようになっていた。

シドニーオリンピック野球日本代表では予選時のみ参加した。本戦に出場できなかったことが相当悔しかったと後に語る。また、その際松中信彦らを押し退けて4番・DHに。
2001年に初芝橋本高校が甲子園に出場した際に、「名前が身近に感じる」と言った理由で同僚の橋本将捕手とともに、同校に差し入れをしている。

趣味はヘヴィメタルを聴く事。自宅の地下に専用のカラオケルームまで作ってしまうほどのヘビメタマニア。千葉マリンスタジアムで行われた「サマーソニック'05」に際し、東芝EMIからインタビューを受けている。ハロルド作石の漫画「ストッパー毒島」中では登場人物とヘビメタ論議を繰り広げるシーンが描かれている。2005年9月22日の引退セレモニーでは、メタリカの「ヒーロー・オブ・ザ・デイ」等の名曲が場内にかかり、スタジアムに感動を呼んだ。2005年12月放送のラジオ番組「Heavy Metal Syndicate」では「歳をとればとるほどデスメタルにハマっているんですよ」と仰天発言をしていた。

2003年キャンプの練習メニューのランニングの欄に「デブは2倍」と書かれていた。初芝はその通りに他の選手の2倍走った。

2005年千葉マリン最終戦(対・ホークス)で代打で出場の引退を控えた初芝。コールがかかる前に観客に気付かれ歓声が上がる。そして、三瀬幸司から死球。激しく足踏みをしてから一塁に行く。更に大きな歓声が上がった。公式戦最後の打席はその次の打席で放った右飛であった。

引退セレモニーでスピーチを始めるもマイクの電源が入っておらず慌てる。
引退セレモニーが行われた日の翌日から、今江の負傷で3試合連続スタメン出場。
プレーオフ第2ステージ第2戦に代打で出場。千葉マリン最終戦の代打時と同じ相手、三瀬からまるで引退試合のリプレーのような死球。

プレーオフ第2ステージ第5戦に代打で出場。対戦相手はまたもや三瀬。期待されたが三遊間へのボテボテの当りを放ってしまいサードゴロと思われたがサードのバティスタがショートの川崎と交錯、神がかり的な内野安打となる。続く福浦がヒットで繋ぎ、里崎が起死回生の逆転適時二塁打を放った。野手を使い切っており、そのまま守備につき最終回はサード初芝、セカンド今江の守備陣になる。2005年は今江の台頭と自身の不調もありほとんどシーズン中のスタメン・守備の機会はなかったが(ただしムードメーカーとして裏方に徹し、一軍を外れることはなかった)、自身最初で最後のリーグ優勝の瞬間は奇しくも長年守り通したサードの守備位置につきながら見届けた。
日本シリーズでは代打で登場。凡退したがテレビ中継で解説をしていた現楽天イーグルス監督・野村克也は「まだまだできる。ウチに欲しいぐらいだ」と賞賛。なお、2005年シーズンの代打での打率は3割を超えていた。

パソコンは全く利用しないと断言。

プロ野球選手のアンチが非常に多いネット上でも初芝は小坂誠と共に非常に支持されており、一部では「GOD」・「初様」・「初芝神」と呼ばれている。

マリーンズの伝説王といっても過言ではないです。

管理人観戦の最終打席は甲子園で三振でした。

記録より記憶に残るプレーヤーでした。

気になるアスリート第24弾 園川一美投手です。

左投げ左打ち。現役時代の背番号は28番。

1980年に九州学院高校で甲子園に出場。日体大に進み、1試合19奪三振の首都大学リーグ記録、ノーヒットノーランなどを達成した。1985年のドラフトでロッテから2位指名され入団。2年目から先発ローテーションの一角に加わり、唯一の二桁勝利を挙げた1988年には10・19決戦の第2戦に先発した。

1994年に当時オリックスのイチローにプロ野球史上初となるシーズン200本目の安打を打たれたことでも有名になった。この時園川は「いや、別に僕1人で200本打たれたわけじゃないですし」と名言を残している(なお、この試合ではイチローに3安打(3安打めが200本安打)を許している。本人曰く(翌日先発の)榎康弘の「代わりに打たれてやった」とのこと)。

1996年には開幕投手を務めたが、伊良部秀輝、小宮山悟らがいる中での登板であり、対戦相手のダイエーの王貞治監督に「開幕投手には格というものがあるだろう」と発言される(園川の開幕投手について広岡GMも「私が監督だったら園川は降板させますよ」と発言している)。

軟投派でありながら、三振も取れる投手だった。在籍中はほとんどBクラスであったチーム事情もあり、一軍で登板した14シーズン中に勝ち越したのはわずか2シーズンのみで、1989年には規定投球回数に達しながらも、防御率6.10を記録している。ただ、年に一度目を見張るようなピッチングをすることから、以後そのような投手のことを「園川のような投手」と呼ぶことがある。

1999年に引退し、その後はスコアラーを経て、1軍投手コーチを務める。千葉マリンスタジアムで引退セレモニーを行った後も、ビジターゲームで登板していた(引退セレモニー後にも出場していた選手としては、同じロッテの初芝清がいる)。

通算成績
376試合 76勝115敗2セーブ 42完投 14完封 1169奪三振 投球回1543と3分の1 防御率4.32

1988年に東京ドームに初めて行った時、先発は園さんでした。8回まで無失点。しかし9回に打たれてサヨナラ負け・・・。(当時は巨人ファンでした)

園さんネタで盛り上がる方募集しています。

気になるアスリート第23弾 フランク・ボーリック選手です。

1999年 当時、打力不足に陥っていた千葉ロッテに期待の大砲として入団。しかし、キャンプでは不調で開幕は二軍スタートであった。ところが4月14日の初打席でいきなり本塁打を放つという鮮烈のデビューを飾ると、この年、彼がホームランを打った試合でチームは殆ど負けず、「ボーリック神話」と呼ばれた。事実、ボーリックがホームランを打った試合では、チームは22勝2敗1分けという圧倒的な勝率を残している。しかしシーズン終盤には、あと1打席でパ・リーグタイ記録となる52打席連続無安打も記録している。
2001年 日本プロ野球にもリーグ1位のシーズン107四球を記録。指名打者でベストナインを獲得。この年の7月9日に千葉マリンスタジアムで行われた対福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンクホークス)戦で、ボーリックは10回裏3点ビハインドながら無死満塁という場面で打席に立ち、ホークスの守護神・ペドラザから逆転サヨナラとなる満塁本塁打を放った。この試合は今でもファンの間で伝説として語り継がれている。
2002年 新ストライクゾーンについていけず不調、そして左ひざの故障で2軍落ちし、8月にはボーリックの退団が発表された。9月28日、ボーリックは成田空港に駆けつけたファンに見送られ、18時5分発のJAL5004便で帰国した。マリーンズ史上に残る屈指の優良助っ人であった。

大阪ドームの外野自由席でボーリックジャンプしまくってた。

気になるアスリート第22弾は大松尚逸選手です。

石川県出身

同期入団の竹原直隆とともに若手期待の成長株であり、いずれクリーンナップを担う逸材であると言われている。因みに松中信彦を育て上げた古賀英彦二軍監督から「松中になれる逸材」といわれるほど潜在能力は高い。

2004年 - 東海大学時代に全日本の主将を務め、日米大学野球でMVPを獲得し、晴れて千葉ロッテにドラフト5巡目で指名を受け、入団。

2005年 - ルーキーイヤーのこの年、ファームで4番に定着。竹原直隆と共に2軍の快進撃に貢献。阪神と行われたファーム日本選手権では逆転ホームランを放つなどファームの日本一に大きく貢献。
2006年 - 4月15日に一軍に昇格・西武戦で1番・右翼で即先発出場すると、7回におつさんからプロ初本塁打となる逆転満塁本塁打を放った。

4月19日 第2号・3号を放つ。

起爆剤になってくれてます。

この勢いでレギュラー奪取!

次回の3人はマリーンズの懐かしい3選手を取り上げます。(本日中に更新) お楽しみに!!!

気になるアスリート第21弾は内竜也投手です。

神奈川県出身 川崎工業高等学校の出身

高校時代は145キロを投げるようになるが、県大会ベスト8どまり。しかし将来性あふれる素材、「12球団どこでもOK」との姿勢から1位指名を受ける。

ルーキーイヤーに大阪ドームで先発したときに後援会の方に「きばれ!!!内竜也」の
手ぬぐいをもらいました。 その試合打たれましたが・・・

2年目は故障もあり浦和生活。

3年目の今シーズンは開幕から1軍。中継ぎで活躍。

キレのあるまっすぐとスライダーで今季大ブレークする予感がある投手です。

甲子園では勝っている場面で投げてほしい。

防波堤の後継者は内竜也!!!

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