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気になるアスリート

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大松尚逸

代打サヨナラ本塁打。

右足、本調子ではないらしいが素直に嬉しいです。

美人イレブン

GK・・・小野寺(元日テレ)

DF・・・鮫島彩、宇津木瑠美、岩清水梓、近賀ゆかり。

MF・・・田中陽子、楢本光、仲田歩夢、宮本ともみ。

FW・・・川澄なほみ、安藤梢。

皆様のご意見お待ちしています。
最近、なでしこの大野選手を職場でみたので(買い物をしにきていたので)題名の通り間近でお会いしたスポーツ選手and会話をしたことがある選手は
野球関係…初芝清様(大阪ドームのグラウンドレベル)
赤堀元之様(実家の近くの本屋)
小池秀郎様(トレーニングのコーチ)
バレーボール(ビーチ含む)…栗原恵様(大阪府立体育館前)
今井啓介様(中学の後輩でくろわしきの試合前に挨拶)
岸本一馬様(自宅近くのコンビニ)・西尾太作様(トレーニングジム)・山本隆弘and宇佐美大輔(新大阪駅)
競馬…和田竜二様(トレーニングジム)
テコンドー…岡本依子様(トレーニングジム)
ラグビー…野澤武史様(トレーニングジム)
相撲…高見盛関(大阪府立体育館の花道)
皆様は同様なことありましたか?ご意見お待ちしています。

気になるアスリート第25弾は初芝清選手です。

二松学舎大付属高校では、2年時からエース・4番で活躍し、高3夏の東東京大会は惜しくも準優勝で甲子園ならず。同校卒業後は社会人野球の東芝府中に入社、野手に転向する。都市対抗野球に3回出場した。1989年ドラフト4位でロッテオリオンズに入団。1995年にはボビー第一次政権の5番打者となり、打率.301、本塁打25本、打点80で自身初の打点王、三塁手のベストナインに輝いている。またこの年千葉ロッテマリーンズ初の1億円プレーヤーとなる。

2005年のパ・リーグの現役最年長野手。ポジションは主に三塁と一塁。
若干小太りの体型に赤ら顔、常時メガネ着用、黒いソックスをすねの辺りまで上げるいわゆる田吾作スタイルという独特の風貌と、勝負強い打撃でことパ・リーグファンの間では知名度は高い。
現役晩年は成績こそ振るわなかったが、代打7打席連続安打日本タイ記録を持ち、チームの代打の切り札として、球場で名前が呼ばれた際のファンからの歓声は一際大きかった。ロッテオリオンズ時代からレギュラーだったということもあって千葉ロッテを代表する人気選手の一人だった。ベンチでは若手よりも声を出し、一番に選手を迎えるという、チームを鼓舞するキャラクターもファンからは愛された。

2005年9月19日、体力の衰えと若手の台頭を理由に現役引退を表明。管理人、現場でききました。9月22日、今期本拠地最終戦の対福岡ソフトバンク戦で引退セレモニーが行われた。元祖チャンスマーチ初芝が流れる。その後に行われた福岡ソフトバンクとのプレーオフ最終戦においては逆転勝利・チーム優勝に繋がる内野安打を放って、プロ生活では初となる「優勝の美酒」を味わった。

○あだ名
はつさん
はっちゃん
ミスターマリーンズ
ミスターロッテ
幕張のファンタジスタ
初芝神

○エピソード
サッカー選手のカズとは生年月日が全く同じである。

ファールグラウンドが広く風の強い千葉マリンスタジアムでのサードファールフライの捕球のさまが実に危なっかしく名物となっていた。それにもかかわらず「僕は守備に関しては一家言ある」と発言して物議を醸したこともある。

ファールフライを追う際、前を見ていないのかよくベンチに落ちる。「ベンチに飛び込んだ回数日本一」記録を持っている。しかし、こうした恐れないプレーのためカメラマン席に飛び込みながらもボールをスーパーキャッチしたことがある。

チャンスでゲッツーや三振を繰り返すシーンも多いが(彼の名誉のためにいっておくが、打点王のタイトルをとった事もあるようにチャンスに弱いというわけではない)、相手チームがM1(マジック1)だと、別人のように打ちまくるという実績を持つ。そのことから一部で「胴上げクラッシャー」とのあだ名がついた。

田吾作スタイルと呼ばれるユニフォームの裾を捲り黒いソックスを見せるスタイル(正式にはオールドスタイル)を引退まで貫く。

守備練習中、強烈な打球に逆シングルで飛びついたが捕球出来ず、起き上がらずに寝そべって悔しがっていたら、打球が飛んできて右肘に直撃。2軍落ちとなったことがある。
契約更改はよくても悪くても3分で終了。一発サイン。
応援歌の歌詞は日本一多い。

ルーキーイヤー(1999年)の松坂大輔からは、最多の3本塁打を放っている。そのため「松坂キラー」の異名がつき、当時発売された未来蜂歌留多商会の「パワーリーグ」、コナミの「フィールド・オブ・ナイン」といったプロ野球カードゲームでも、相手投手が松坂の時に初芝が打席に立つと、初芝の打力がアップするようになっていた。

シドニーオリンピック野球日本代表では予選時のみ参加した。本戦に出場できなかったことが相当悔しかったと後に語る。また、その際松中信彦らを押し退けて4番・DHに。
2001年に初芝橋本高校が甲子園に出場した際に、「名前が身近に感じる」と言った理由で同僚の橋本将捕手とともに、同校に差し入れをしている。

趣味はヘヴィメタルを聴く事。自宅の地下に専用のカラオケルームまで作ってしまうほどのヘビメタマニア。千葉マリンスタジアムで行われた「サマーソニック'05」に際し、東芝EMIからインタビューを受けている。ハロルド作石の漫画「ストッパー毒島」中では登場人物とヘビメタ論議を繰り広げるシーンが描かれている。2005年9月22日の引退セレモニーでは、メタリカの「ヒーロー・オブ・ザ・デイ」等の名曲が場内にかかり、スタジアムに感動を呼んだ。2005年12月放送のラジオ番組「Heavy Metal Syndicate」では「歳をとればとるほどデスメタルにハマっているんですよ」と仰天発言をしていた。

2003年キャンプの練習メニューのランニングの欄に「デブは2倍」と書かれていた。初芝はその通りに他の選手の2倍走った。

2005年千葉マリン最終戦(対・ホークス)で代打で出場の引退を控えた初芝。コールがかかる前に観客に気付かれ歓声が上がる。そして、三瀬幸司から死球。激しく足踏みをしてから一塁に行く。更に大きな歓声が上がった。公式戦最後の打席はその次の打席で放った右飛であった。

引退セレモニーでスピーチを始めるもマイクの電源が入っておらず慌てる。
引退セレモニーが行われた日の翌日から、今江の負傷で3試合連続スタメン出場。
プレーオフ第2ステージ第2戦に代打で出場。千葉マリン最終戦の代打時と同じ相手、三瀬からまるで引退試合のリプレーのような死球。

プレーオフ第2ステージ第5戦に代打で出場。対戦相手はまたもや三瀬。期待されたが三遊間へのボテボテの当りを放ってしまいサードゴロと思われたがサードのバティスタがショートの川崎と交錯、神がかり的な内野安打となる。続く福浦がヒットで繋ぎ、里崎が起死回生の逆転適時二塁打を放った。野手を使い切っており、そのまま守備につき最終回はサード初芝、セカンド今江の守備陣になる。2005年は今江の台頭と自身の不調もありほとんどシーズン中のスタメン・守備の機会はなかったが(ただしムードメーカーとして裏方に徹し、一軍を外れることはなかった)、自身最初で最後のリーグ優勝の瞬間は奇しくも長年守り通したサードの守備位置につきながら見届けた。
日本シリーズでは代打で登場。凡退したがテレビ中継で解説をしていた現楽天イーグルス監督・野村克也は「まだまだできる。ウチに欲しいぐらいだ」と賞賛。なお、2005年シーズンの代打での打率は3割を超えていた。

パソコンは全く利用しないと断言。

プロ野球選手のアンチが非常に多いネット上でも初芝は小坂誠と共に非常に支持されており、一部では「GOD」・「初様」・「初芝神」と呼ばれている。

マリーンズの伝説王といっても過言ではないです。

管理人観戦の最終打席は甲子園で三振でした。

記録より記憶に残るプレーヤーでした。

気になるアスリート第24弾 園川一美投手です。

左投げ左打ち。現役時代の背番号は28番。

1980年に九州学院高校で甲子園に出場。日体大に進み、1試合19奪三振の首都大学リーグ記録、ノーヒットノーランなどを達成した。1985年のドラフトでロッテから2位指名され入団。2年目から先発ローテーションの一角に加わり、唯一の二桁勝利を挙げた1988年には10・19決戦の第2戦に先発した。

1994年に当時オリックスのイチローにプロ野球史上初となるシーズン200本目の安打を打たれたことでも有名になった。この時園川は「いや、別に僕1人で200本打たれたわけじゃないですし」と名言を残している(なお、この試合ではイチローに3安打(3安打めが200本安打)を許している。本人曰く(翌日先発の)榎康弘の「代わりに打たれてやった」とのこと)。

1996年には開幕投手を務めたが、伊良部秀輝、小宮山悟らがいる中での登板であり、対戦相手のダイエーの王貞治監督に「開幕投手には格というものがあるだろう」と発言される(園川の開幕投手について広岡GMも「私が監督だったら園川は降板させますよ」と発言している)。

軟投派でありながら、三振も取れる投手だった。在籍中はほとんどBクラスであったチーム事情もあり、一軍で登板した14シーズン中に勝ち越したのはわずか2シーズンのみで、1989年には規定投球回数に達しながらも、防御率6.10を記録している。ただ、年に一度目を見張るようなピッチングをすることから、以後そのような投手のことを「園川のような投手」と呼ぶことがある。

1999年に引退し、その後はスコアラーを経て、1軍投手コーチを務める。千葉マリンスタジアムで引退セレモニーを行った後も、ビジターゲームで登板していた(引退セレモニー後にも出場していた選手としては、同じロッテの初芝清がいる)。

通算成績
376試合 76勝115敗2セーブ 42完投 14完封 1169奪三振 投球回1543と3分の1 防御率4.32

1988年に東京ドームに初めて行った時、先発は園さんでした。8回まで無失点。しかし9回に打たれてサヨナラ負け・・・。(当時は巨人ファンでした)

園さんネタで盛り上がる方募集しています。

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