作家の五木寛之さんが前にテレビで『慈悲』について語っていた。 仏教用語らしいのですが、 普段「慈悲の心」といったように使います。 ですが、実は「慈」と「悲」とは 同じ愛でも異なる性質を持つようです。 五木さんの例えを借りると
ずいぶんと上手い例えをするものだと感心しました。 つまり、こういう事です。 子供がイジメられて帰ってくる。 泣いている子供に父親は一喝 「男のくせにクヨクヨ泣くな!お前は弱虫じゃないだろ!」 子供は「 σ(ε´) オレ強い子!σ(ε´) オレ泣かない!」p( `o´ )q オッス! と泣き止む。 これが『慈』の愛だそうです。 では母親の愛とはどんなものか? 泣いている子供に小走りで寄っていって 「大丈夫、大丈夫、もう痛くないからね〜(o・_・)/"(ノ_<。)ヨシヨシ」 子供は「(Tへヽ)(/へT) シクシク..」 泣き止むまで抱いてやる これが『悲』だそうです。 つまり『慈』は相手の「成長を促(うなが)す愛」 そして『悲』は相手を「無条件に受け入れる愛」 という解釈ができます。 最近ではそんな父母見かけないが 昔はそれでバランスが取れていたと五木さんは言う そしてこう続ける 「現代では社会自体が『慈』に偏り過ぎている だから逃げ場の無くなった人が増え、自殺が増加している」 確かにそうだろう。 競争社会や結果主義の中ではどうしてもそうなってしまう 「やれば出来る!」「頑張れ!」「諦めるな!」 誰もがそう励ますだろう。 それはそれで良い事なのだが、 やはり世の中にはバランスというものある。 σ(`ε´) オレ自身、少し前までは『慈』の一点張りだった 五木さんの話を聞いてから少し心がけるようにはしている しかし、人の背中を押すのに比べて 『ゆるす』というのは何と難しい事か。しかも無条件・・・。 今朝ニュース番組で「夜回り先生」こと水谷さんが出ていて 彼の話を聞いて、この話を思い出した。 彼は子供たちに「やめなさい」「そんなんじゃダメだ」など 決して言わないらしい。 まさに『悲』の心で子供たちと接している。 話は変わるけど、水谷さんの喋り方って 少しナルシスト入ってるよね?(別にかまわないけど) 今日はこの辺で
ではでは
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



