あいえすびーえぬ

右手にマイボール、左手に珈琲、窓辺に薔薇、枕元に文芸書、ポケットに精神薬、いつも心に太陽を。そんな元教師・現書店員のブログです。

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3.11〜あの日から5年〜

2011年3月11日、「東日本大震災」、想像を絶する未曾有の大災害発生から今日で丸5年が経過しました。

当時、僕はアルバイト書店員ではなく、臨時教員として市内の小学校の職員室にいました。震源から遠く離れた北海道でも強い揺れを感じ、大型テレビが倒れないよう押さえながら揺れが収まるのをひたすら待っていました。

その後、教頭先生がつけたテレビでは、太平洋側東北地方を中心に広範囲にわたって大津波が押し寄せる戦慄の映像が映し出されていました。次々に入ってくる悲惨なニュース、次第に伝わってくる数々の事故や障害、そして福島第一原子力発電所の様子・・・。ただただ恐怖を感じたことを今でも、そしてこれからもずっと忘れません。

それから僕らがしたことは、まず、子どものケアでした。東北地方に親戚縁者がいる児童があるかどうかの確認や、津波などの映像を見た子たちの心的外傷の対策、卒業式を行って良いのか、そして式辞で震災に触れて良いのかの判断など、やるべき仕事はたくさんありました。直接の被害が出なかった地域ですらそうなのですから、被災した地域の方々の恐怖や苦労、悲しみはおそらく僕の想像を遙かに超えていることでしょう。

時間が経過するにつれ、災害の事態の大きさがさらに分かるようになり、また福島第一原子力発電所が最悪と言っても過言ではない事故を起こしてしまったことも分かりました。

一介のアルバイト書店員から急に、臨時とは言え、公務員になった僕は、頂いた給料のほとんどを義援金に回しました。まず、日本赤十字社へ、そして、ちょうど東北地方を使用済み天ぷら油をバイオディーゼル燃料とする車で旅をされていて、水や食料を輸送するボランティア活動に従事した山田周生さんへ、また、アートスペースさん及び画家の井上直久先生が行ったチャリティへ。
僕に届いた絵は、62/300でした。

残念ながら、臨時教員としての仕事はその直後の3月いっぱいで任期満了し、しばらく無職になってしまったため、その後義援金を送ることは出来ませんでしたし、書店員に戻った今も出来ていません。

進まぬ復興、除染という現実があり、被災者の方々の苦しみ、悲しみ、苦労、不安など、5年という月日は僕らにとって何だったのか今一度考えた結果、このような記事を書かせて頂くことにしました。

僕に出来ることは、たった一つ。
忘れないこと。
ただ、それだけです。

一刻も早く、全ての被災者の方々が平穏に暮らせる時が来ることを願って止みません。


2016年3月11日 午後2時46分
哀悼の意を込めて、黙祷とともに。
ブログ「あいえすびーえぬ」執筆者・リンドウ
HP「龍の巣」管理人・金矢

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