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2010年05月18日
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明るい日が差し込む朝の教室。張り詰めた静寂の中、すすり泣きとおえつが重なる。 滝川市内の中学校が昨年11月、女児の元同級生たちに行った道徳授業「向かい合う心」の指導案 「ごめんね。気持ちに気付けなくて。苦しくてつらかったよね」。女生徒の言葉が、突然途切れた。長い沈黙。 「すごく後悔してる。本当にごめんなさい」。担任の男性教師(30)が女生徒に寄り添い、白い紙につづられたメッセージをかみしめるように代読した。 昨年十一月十七日、滝川市内の中学校で行われた一年生の道徳授業「向かい合う心」。二○○五年九月、同市内の小学校の教室で首つり自殺を図り、昨年一月に多臓器不全で亡くなった当時六年生の女児の元同級生二十九人が、女児の死と向き合っていた。 三日間連続で行われた授業は、一時間目にいじめについて学び、二時間目ではいじめが原因で死に至った妹を悼む児童文学作家松谷みよ子さんの詩「わたしのいもうと」を朗読。いじめられた子と家族の悲しみに触れた。 そして、「悲しい事故」と題された三時間目。「もう終わった話」「何をいまさら」と、当初は不満を漏らした生徒からも、反発や戸惑いの表情が消えた。 遺族への言葉 「僕たちは過ちをおかしてしまった。僕たちは一年がたっても、去年のことを責めています」 「許してくれることではないけど、本当に謝りたい」 「ちゃんと励ましてあげられなかった私が悪い」 「苦しみと悲しみが今も消えません」 女児へ、そして、遺族へ送る言葉を書き続ける生徒たち。頭を抱え、ペンを持つ手を震わせる様子を見て、校長(54)は、胸の内に抱えてきた葛藤(かっとう)が消えるのを感じた。 授業後 生徒は変わった 校長は昨春、新入生の受け入れに当たり、「生徒の成長のため、女児の死と真正面から向き合う場面をつくらなければならない」と考えた。だが、一年生たちは、攻撃的な言葉遣いが見られ、少人数のグループの枠内で人間関係が固定化。別グループの生徒同士が一人対一人で関係をつくることができない様子だった。 また、女児の自殺の話題は校内でタブーとなり、教師の指導にもためらいが付きまとった。「中学校は亡くなった女児を知らない第三者。彼女の死を指導する権限があるのか」。教師たちの自問自答は続いた。 そんな逡巡(しゅんじゅん)は、女児の遺書の内容を伝える昨年十月の報道で吹き飛んだ。「いじめっ子は反省していない」「いじめた生徒を放置する中学校も加害者だ」。全国からの苦情や批判が、中学校にも殺到した。 子供のいじめ自殺が全国的に相次ぐ陰で、社会から責められ続けた生徒たち。二重の「負の連鎖」を前に、校長と学年担当の教師四人は女児の死を考える道徳授業の実施を決め、一カ月かけて指導計画を練り上げた。 女児の死から6日で1年。女児が自殺を図った滝川市内の小学校では、校庭の遊具が雪に埋もれていた 授業直前の保護者会では「向き合う授業をするのが心配」「先生がやり切れるのか」など反対も相次いだ。だが、校長は「私の責任でやらせていただきたい」と断言。決意は揺るがなかった。 女児が在籍した小学校のクラス担任だった三十代の男性教師は、道央地方の別の小学校で勤務を続けている。滝川の小学校の勤務期間は昨年三月までの二年間。異例の異動だった。 滝川市教委などによると、担任教師は、首をつった女児が発見された一昨年九月九日午前七時四十分ごろ、市立病院で健康診断に臨んでいた。教師は毎日午前七時半前には学校に出勤。同時間帯に通学してくる女児と会話を交わすのが日課になっており、「普段通りなら自殺は防げたかもしれない」と、悔恨の言葉を漏らしたという。 しかし、担任教師は、女児と児童数人の友人関係をめぐるトラブルや、女児の修学旅行の宿泊部屋がなかなか決まらなかったことなど、いじめの兆候を見逃しただけではなく、いじめに気づいた後も放置していた。 指導力足りず「深く反省」 担任教師は昨年十一月、非公開の道議会文教委員会現地調査で、「いじめを認識したのは、女児の遺書のコピーを直接見た六月だった」と答えたという。市教委がいじめの存在を正式に認めたのは、その四カ月後の十月だった。 この間、いじめの認識を伝えることもなく、担任教師は何を考え、何をしていたのか。市教委は「担任と学校、市教委を含めて、事態を放置し、問題をさらに長期化させたと言われても仕方がない」と回答する。 教師は十二月上旬、市教委に対し、今の思いを伝えたという。「自らの指導力の薄さを感じ、深く反省している。(勤務校の)校長の指導の下、学級経営に努めたい」 道徳授業三時間目の最終場面。「信じ合える学級」「団結力のある学級」「前を向いて歩く」「強く生きる」。学級の将来像が記された白い紙と、今後の目標がつづられた黄色い紙が黒板に張られ、大木に咲く花のようになった。 授業後、生徒に変化が見え始めた。荒れた言葉遣いを生徒同士が注意し合うようになり、反省の言葉も素直に出始めた。事故当時の心情や女児への思いなど、胸の奥に秘めてきたことを、カウンセラーや教師に打ち明け始めたという。 一年生の学年主任の男性教師(43)は「道徳授業の最初に見せた生徒たちの反発も、自己防衛の裏返し。子供たちもつらかったんです」と言い、副担任の男性教師(29)は「授業が終わった後、頭に浮かんだのは『さあ、次は何ができるか』という思いだった」と語った。教師たちは、次の指導を模索し始めている。
どう思われますか? 裁判で和解勧告が出され、両者とも結論を急いでいるように見える。 しかし、実際は何も解決していないのでは・・・? このレポートは感動的に書かれているが、周りのもので主体的に「悪かった」と言っているものは皆無に近いそうです。 つまり、「気づけなくてゴメンね」とか、「止めることができなくてゴメンね」とか、周囲状況に対する謝罪はあるが、イジメについての直接的な謝罪はなし。 小学校を卒業して、中学校に入り、その行動についても疑問に思っている(反省しているとは思われない行動)人が多数いる。 子どもだから・・成長の過程だから・・と遠くから見ても良いのだろうか? 実態が見えないだけに不気味です。 |
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17歳の幼い嘘と偽善が、事件を呼び寄せる。 あなたが殺してくれたのね。 1992年秋、17歳だった私・友彦は両親の離婚により隣の橋塚家に居候していた。
主人の乙太郎さんと娘のなお。 奥さんと姉娘さよは7年前、キャンプ場の火事が原因で亡くなっていた。 何処か冷たくてつよいサヨに私は小さいころからあこがれていた。 そして彼女が死んだ本当の理由も、誰にも言えずに胸にしまい込んだままでいる。 乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、私は死んだサヨによく似た女性に出会う。 彼女につよく惹かれた私は、夜ごとその屋敷の床下に潜りこみ、老主人と彼女の常時を盗み忌諱するようになるのだが・・・ |
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滋賀県栗東市の国道8号沿いにあるオートレストランウーホー栗東店には「手作りの味」と書かれためん類の自販機がある。200円を入れると30秒で熱々のうどんが出てきた。薄いかまぼことワカメも付く。店長(44)は「生麺(めん)を入れて冷蔵しており、多い日で7〜8杯出る。湯が沸かないなど故障が多いけど、年代ものの機械を自力で直して持たせている」 京都府舞鶴市の国道178号沿いのドライブインダルマでもラーメンなどの自販機が並ぶ。約35年前の開業時からあり、2004年の台風23号では1メートル近く水没したが、不死身だった。店員(59)は「珍しがって買ってくれる人はいるけど、だいぶ利用は減りましたね」。 こうした自販機は1970年代に生まれ、各地の幹線道沿いにコーナーが続々とできた。内蔵の電子レンジで1分ほど加熱して出てくるハンバーガー、銀紙で包んだ食パンをヒーターで温めるトースト自販機もあった。しかし、90年代にコンビニが増えると廃業したり、自販機の多くが製造中止となった。故障すれば部品がなく、やむなく撤去されるケースも増えた。 ジャズギタリスト魚谷祐介さん(37)=東京都=は「昭和の貴重な民俗資料」として、全国の自販機コーナーを写真や映像に記録してホームページで公開している。既に北海道〜甲信越の100カ所を巡った。今夏は関西を巡る予定で「懐かしい自販機の情報を地元の人から頂ければ」と呼び掛ける。ホームページ名は、80年代に人気だった自販機のハンバーガーにちなんで「グーテンバーガー〜味わいの自販機コーナー」とした。 自販機巡りの魅力を「昔にタイムスリップした感覚に浸れる。味はともかく、高度成長を求めた昭和の人々の営み、時の流れを、人けのない古びたコーナーでしみじみと味わえる」と勧めている。 .最終更新:5月17日14時59分 面白い話しですね? 昭和の自販機。麺類やご飯類の完成品が出てくるタイプ。 これって、昭和後半かと思いました。 |
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A: Are you jogging? (ジョギングしているの?) B: Do I look like I'm walking? April is a good time to begin anew.
(歩いているように見える?4月は新しいことをはじめるには良い時期だもの。) |
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