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タレント・ソニンさん
いまいじめている君は、だれかにいじめられたことはありますか? 私は小学校から高校まで、いろんないじめにあいました。ずっと在日コリアン向けの民族(みんぞく)学校に通っていたのですが、小学生の時は、寮(りょう)の先輩(せんぱい)から殴(なぐ)られたり、寮のそばにある山の上でふとんをしいて寝かされたりしました。高校では、クラスメートから無視されたこともあります。 でも私は、進んでいじめに加わったことは一度もないつもりです。それは、いじめられる側のつらさをよくわかっていたからです。「私と同じ思いをさせてはいけない」と考えました。 中学生の時に、こんな子がいました。小学生の時から同級生をいじめ続け、中学に入ったら、今度はみんなから、無視されるようになったのです。その子は反省して、いじめをやめました。 一度、いじめられたことがあれば、人をいじめようとは思わなくなるはずです。いじめられたことがなくても、いじめられる立場に立ってみることはできます。想像(そうぞう)してみることは、できるでしょう。 でも、いじめている君も、いじめられている子と同じくらい、つらいのではないでしょうか。君をいじめに向かわせる「何か」があり、それが何なのか、君自身にもわからないのかもしれないと思うのです。 その心の内を、だれか近くの大人に打ち明けてほしい。そうして思いをはき出せば、もう、だれかをいじめなくてすむようになるかもしれない。 いじめている子も、いじめられている子も、両方とも苦しい。そんな苦しさを抱える子どもたちに、大人たちも、勇気をもって立ち向かわないといけないと思う。 (朝日新聞2006年11月24日掲載) 「いじめられる自分を想像して」 これは良いかも。 そう考えることができたら、いじめはなくなるかも。 |
☆いじめについて考える
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話す相手の年齢(ねんれい)や社会的地位、お金もちか貧乏かなどに関係なく、対等の立場で向き合う。考え方がしっかりしていて、不確かなものはあてにしない。友達を大切にする。相手の気持ちを思いやる。もちろん友達の命の尊さを知っています。 そんなすてきな素質(そしつ)をそなえたみなさんの姿を知ったとき、これは今までの日本人の歴史の中で、最高にすばらしい世代だとわかりました。 今の大人たちを見ると、そうは思えないかもしれませんが、むかし、みなさんと同じ長所をもっていたときがありました。戦争に負けてから15年間ほどの時期です。 古い考え方が通用しなくなって、みんなが一人の人間として向き合った。日本は負けるはずがないという思いこみがはずれたので、現実をしっかり見ようとした。生き残ったものどうし、みんなの命を大切にした。 でも、大人たちは変わった。あのころの思いを忘れた。相手の年齢や地位で態度(たいど)を変えるいまの大人は、みなさんにとって、つめたい氷のように見えるでしょう。 みなさんのまわりに、いじめがあるなら、それはみなさんが悪いのではない。あのすばらしい素質をすててしまった大人の責任(せきにん)です。友達を大切にするみなさんがつらい気持ちになったとき、安心して相談できる相手になれるよう、大人が気持ちをいれかえなければいけません。 大人たちがどうあろうと、みなさんは、自分たちのよいところをつらぬいてください。それが大人たちを変える力になっていくでしょう。 (朝日新聞2006年11月27日掲載) 子どもたちの方が純粋で、正しく事柄に正対できる。 大人を反面教師にしてみると良いかな> |
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いじめている人も、家庭の問題など自分でどうにもならないトラブルを抱えているのかもしれない。でも、人を傷つける形で解消(かいしょう)しても、いずれきっと後悔(こうかい)することになると思う。人に嫌なことをすれば、本当は自分も必ず心のどこかで嫌な思いをしているはずだから。いつか必ずそういう自分を許せないと思う時がくる。自分自身を許せない、好きになれないということは、一番つらいことだ。 いじめで追いつめられて自殺する子も不幸だけど、追いつめた子も不幸になる。人生には取り返せることと、取り返せないことがある。後悔してもすまないことをしてしまった自分と一生つきあうのは苦しいことだ。友だちは人生の中で変わっていくけれど、人生の中で一番長い間つきあっていくのは自分自身なのだから。 僕の子どものころも、いじめの芽はあったが、度を超す前にブレーキをかける雰囲気(ふんいき)がクラスにあった。正義(せいぎ)を実現(じつげん)するとか、そういう立派な自分を目指すのは大変なこと。でも、いじめているのは「イタい」という感覚(かんかく)をクラスの中につくっていくことは、だれでもできる。ふだんの会話の中で「集団で一人に鬱憤(うっぷん)ばらしをするのはやばいよね」と語ってみよう。 自分がいついじめられるかわからない、いじめる側に立てばいじめられない、という思いもあるかもしれない。一人で孤立するのがこわければ、3、4人でいじめが嫌だという態度をとろう。クラス全員が友だちじゃなくても、5、6人いれば事足りる。ほかのクラスにも友だちをつくろう。それから異性(いせい)の目も考えてみよう。彼氏がいじめっ子で喜ぶ女の子はいないはずです。 (朝日新聞2006年12月9日掲載) そういう心を持った子供同士の場合は、良いですよね? でも、今時の子どもたちは、なかなか「後悔しない」。 というか、相手の痛さを理解できない。 苦しさを理解できない。 そういう心を作るのにはどうしたらいいのかな? |
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だれかをいじめたことがありますか? 私は以前ならこう聞かれても、自信をもって「ない」と答えることができました。最近はちがいます。いじめにかかわるさまざまな事件が報道されるにつれ、もっとよく考えなければいけないと思うようになったからです。 自分の行動や言葉に対して、注意しすぎるということはありません。友だちを傷つけていないかどうか、もう一度考え直してみてください。 人を傷つけるような言葉を口にする人は大人の社会にもいます。私の周りにもいます。 その人は、実はまったく悪気がなくて、自分の言葉のきつさに気がついていないようです。 たぶん、子どものころからそうだったのでしょう。何人もの人が、その人を嫌いになっていったのだろうと思います。とてもさびしい人生だと思います。早く自分でそのことに気がついていたら、もっと友だちは多かったはずです。 みなさんには、まだ時間があります。感覚(かんかく)も、大人より、ずっと敏感(びんかん)だと思います。だから今のうちに、周りの人たちの気持ちに気を配るようになってください。 友だちや家族はかけがえのないものです。私は家族を亡くすことも、仲のよい友達を亡くすことも経験しています。亡くしてから、いろいろなことを思い返すと、後悔することばかりです。 助けてもらったときに、もっと感謝の気持ちを口に出していたら。あのとき、もっと違う言い方ができていたら。そんなことを、よく考えます。友だちや家族の一人ひとりが自分にとって、どれだけ大切な存在だったのか。一緒にいるときは、なかなか気づきにくいものです。 (朝日新聞2006年12月15日掲載) なかなか難しいことです。 生育歴も違う。 育った環境も違う。 その中で言葉の意味だって違っている。 言葉を共通に理解することだって難しいのに、意志を正確に伝えることはもっと難しい。 でも、気配りや思いやりで補うことは、完全にではないけど可能かも知れない。 いや、そうしなければいけないのかも。 |


