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今 生意気にもワークショップを
やらせてもらっていますが
これが また 大変で・・・。
芝居を教える は
演技するにはどうするかを教える
ということになる・・・?
そして 自分の場合は
自身が仕事で経験してきた事と
そこで作られた考え方や価値観と
もともとの自分が持つさまざまな感覚を使って
演技に生かせるような感情表現だったり
見せる技術だったり
を伝えさせてもらっているのだけど。
その為の学び方や教え方には
非常に多くの道筋があって
どれを選択して どの道を通り
何へ到達させるか という時に
学びに必要な時間がどのくらいかとか
場所、年齢、などなど もっと沢山の
組み合わせの何に合わせて教えていくか
学んでいくか すごく複雑だと感じている。
でも 実は
複雑すぎると感じる反対側には
ものすごく シンプルである
ということもあって
環境に照らして緻密に計算された
カリキュラムに沿って 演技を学ぶのよりは
今 そこに 生きている あなた そのもの
という ことだけで学ばせるほうが
演技をすることには 何より近い気もしている。
まず 心理があって 動作が生まれる。
まず 感情があって 動く。
たった これだけのことの数秒が
果てしなく積み重なっていって
ドラマ(人生)になる。
ホンを持たせる。
ト書きも台詞も書いてある。
立ち稽古させてみる。
棒立ち。
動かない。
動 かない=動 けない。
動 けない=感情が 生まれてないから。
感情が働かない=心理が読めていない。
つまり
ホンが読めていない。
ホンを読む ってなんだろう。
ただ小学生のように 教科書を音読するのとは違う。
役者が芝居のホンを読むとき
そこにどんな空気が流れているのか
なぜ この主人公はこう言うのか
そしてそれを言うとき 一体何をしているのか
その人物なら何をするのか そして相手は彼の何を受けて
次にその台詞を吐くのか どんな格好をして 何を見て
どう どのように台詞を言うのか・・・
と いうように読んでいる。
と 思う。
とは つまり
その人物が
どう生きているかを
見ようとする ことだ。
どう生きているかを見る 為には
様々な人のパターンを見て
様々な感情のパターンを見て
どうであればこうなのだという
人が生きていていちばん自然な動きを
見つけ出す事になる。
まず 心理があって 動作が生まれる。
人が 心理にそぐわない行動をした時
そこには 違和感が生まれる。
右から左へ動こうとする時に
意味も無く 心理の理解も無く
役者が動いたなら 観ている側は 必ず感じる。
違和感や 気持ち悪さ。
そして
そこにあえて意図のある演出がされると
その違和感が 不思議な興味となって
観るものに強烈な印象を与えたり
不成立の中にしかない魅力 を生み出すこともある。
けれど まあ ごく普通に
演技を学ぼうとしたとして
今 あなたが そこに 生きていること
の連続した時間がドラマになるのなら
今 あなたが何をどうしたか をよく知ること
なんじゃないかと思う。
ホンに「泣く」と書いてある。
から「泣く」は 間違いなく嘘だ。
涙は出るかもしれない。
けれど 何の涙なのかがわからないと
観客は一気に冷める。
なぜなら 成立 していないから。
いちばん自然で 心理に沿った「泣く」で
なければ 観客の持つ同じ種類の感動のスイッチを
入れることが出来ずに 嘘泣き を演じるだけなのだ。
ホンに「泣く」と書いてある。
きっと登場人物は泣くんだろう。
しかし どのように泣くのかは 書かれていない。
さて どのように「泣く」のか。
そうして ホンを読むことになる。
読み方については 先に触れた。
未熟な俳優を訓練するとき
その未熟さの種類にも色々あって
単にキャリアなのか それとも年齢なのか
志なのか 経験なのか・・・
でも 未熟な役者には
テクニックを教えて
演じている風を学ばせるよりは
きっと テクニックなんかどうでもよく
滑舌なんかも完璧である必要もなく
嘘のない台詞を言い
あり得る動きをさせ
精一杯 そこに 今 生きている あなた
を 実感させる訓練を 繰り返しさせられれば
いいんじゃないかと思う。
未熟な俳優達は
集中力を持続することにも慣れていない。
「素」に戻る ことは
つまり 演じている自分を 客観視するから
ではないだろうか。
そこに
嘘がなく あり得る動きが連続していたら
もしかすると 「素」であり「演じる」である
ということは 存在しなくなるのかもしれない。
俳優訓練にとって
もしかしたら必要な事は
芝居をする という言葉自体を
変えて伝えることなのかもしれない。
演技をする。
芝居をする。
ではなくて
その人物が 今 何をするのか
を やってみること。
そして そのあとに
演出家の作る世界が役者に注入され
より効果的にドラマを演出する為の
衣裳やメイク、大道具に小道具、明かり、
そして音がねじ込まれていく。
役者自身が 何をどう駆使して
演技をドラマティックに見せるのかは
あまり重要ではなく
演出家や そこに集まるクリエイター達が
その役者の何に魅力を感じて
どう見せたいか で作品の出来は随分変わると思う。
つまり 役者とは
どれだけ 魅力的な あなたとして
今 そこに 生きているか
に尽きると 思う。
とは・・・
ワークショップという時間の中で
短い数時間であっても
あなたがあなたとして 精一杯生きる
そういう 時間を過ごしていなければ
何の意味も価値もないのでは
ないでしょうか。
必死で 生きる。
そんな時間が週に一回でもあることを
実にするか否か・・・
役者の素質って そんなことでもあると
思ったりするのです。
芝居って・・・
究極の嘘ではあるけれど
リアルで出来ているわけですからね。。。
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