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なんか一気にココロが軽くなった。 |
作家発 ひとりごと
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毎回お世話になっていて 今回5月公演でもお世話になりまくる 美術さんから電話が来た。 色々相談して徐々に素敵なセットの全貌が 脳内にも浮かび上がってくる。 こうして一生懸命こちらの生み出したいものを 聞いて聞いて聞いてくださって そして安易な妥協も強気で押し切ることもせず ただただ私達が作り出そうとする世界観を探り続けてくれる。 こういうスタッフに出会えて本当に幸せです。 毎回毎回感謝しかなく何のお返しもできないのですが こちらも諦めず押し切らずもっともっと美術さんの キラキラした職人魂の核を揺るがすべく話をしてしてして 彼女が彼女らしくまたそれ以上のセットを生んでくれるように 働きかけ関わり続けることが私に出来る唯一の御礼だと思っています。 私と出会ってくださってありがとうございます。
5月もどうぞ宜しくお願いします。。。 |
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戯曲を書くようになって (そのように言ってしまえる大それたものは まだまだ書けてないと思ってます・・・が、がんばります) 小規模でも自分の描く世界を発信できる場を与えてもらえるご縁が続き 年に一度か二度 都内の劇場で舞台公演を打ち上げている。 一緒に組んでくれているのは 社会人劇団の「ことのはかんぱにぃ」。 自分も彼らもその都度取り組む舞台経験だけが 毎回学びで発見で挫折で希望を見つける場所で・・ 少しずつ色々なことを 日々積み上げているところ。 そんな中で 時折あらためて そういった場を持っていられることに 驚きと感動を感じることがある。 それは それらの公演を観てくれた誰かが その後の自分の人生の何かを変えたり 動いたりしたことを知った時・・・。 描いたドラマは 極私的で 自分勝手に作り出す創作世界で そこをまた実体化させるために あーでもないこーでもないと あちこちぶつかりながら 転んだり落ちたりしながら 必死で何とか本番に板の上に乗せられるものにするわけだけど。 そういうこちら側が 発信したものを 受け手側のどこかに影響して 彼ら自身が その自分の人生に 新たな記憶や歴史を残すようになること。 ものを作っている人たちは 常にそういう影響部分も 発信する世界観の中に想定しないといけないのかな。 (きっとそうだと思うけど) 私は その場でライブで観てもらえる もらえた瞬間に 何かを感じてもらえたらと思うことだけで精一杯で それを持ち帰ったものが その後にどう影響するかということは あまり考えたことがなかった。 大きく捉えた視点では 芝居をみせて 心を動かそうとするのだから 何かしら その人に影響するものでなくてはならないと思うけど それは心の中の(精神)ことで 実際に動いたり 形にした物を 見る事になるなんて 思えないでいた。 だけど こちら側の意図とは別の 観客ひとりひとりの過去や経験や想いに 作品世界がリンクして それぞれの人のその人にしかないどこかに触れて・・ 本当に「影響」することがあるんですね。 自分が受け手側にいれば そんなこといくらでもあるのはわかっているし 実際そんな風に 今の生き方も選択してきたし。 でもそれが 自分が発信する側にいても 誰かに何かを渡すことができて形に見えるものになること。 驚きなんですね。 そして 感動です。 ありがとうございます。 長々となぜこんな記事か。 う〜〜ん。 自分のやっていることに自信がないんですかね。 いやちょっと違うな。 生み出すものには 開き直るくらいの傲慢さをくっつけていないと 世間の目に晒す場所へ発表することなどできないわけで。 いつもいつも これでいいのかどうかわからないまま 自分の中のどこかの到達点だけで 勝手に発表しているわけで。 ひじょ〜に 不安 なんですね。 そこへきて 全く別ラインの 時間差があって ある作品が 誰かに確実に「影響」していたことを知ると 少しだけ ほっとできるんですね。 出してよかった。 書いてよかった。 生きていてよかった。 と。 そんなほんの少しの ちっちゃなガッツポーズを 胸の奥の隅の隅のほうで ひそかに積み重ねながら また次も 「開き直りと傲慢さ」 を引っさげて 新たな経験と記憶を 作りに出掛ける時間を 苦悩するということなんだなあ。 この世の中に共に生きていて なかなか見つけられない同じ言語を持つ仲間。 もしかしたらすでに何人もの彼らと 出会えているのかもしれないと思って またがんばります。 はい。 がんばります。。。 |
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【幸福感と罪悪感。自己肯定感と絶望感。】 |







