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箱根駅伝公式サイト http://www.hakone-ekiden.jp/
私は、関西に来てから駅伝にはまっています。京都で高校駅伝を見てから、以来、箱根駅伝を見ています。この駅伝は標高差800mの箱根登山や、各区間が20km以上の長いのが特徴で、ニューイヤー駅伝でも20kmを越える区間は少なく、しかもそのスピード早く、いつもそのドラマに魅了しています。
朝早く、誰も起きてこない家で、ひたすら、箱根を見ています。外に出る時は、ラジオでNHKを聞いています。昨日は最後の、東洋大の山登りで逆転です。始めの1区が、だらだらと走り早稲田と日大が飛び出しそのまま、2区に入り、日大が2位にそれが、いつの間にか8位以下になっています。毎年、切り上げスタートあり、今年も箱根で2校が10分を越えてるための切り上げスタートです。
特に何処の学校を応援してる訳ではありませんが、頑張ってる、学生を見てると、引き込まれます。
小学校の時、私は東京都大田区大森、京浜急行の駅平和島(旧学校裏)に住んでいましたので、この時期、当時国道1号線(現在15号)に読売新聞の旗と日本国旗の旗をふり、応援に行きました。あっと言う間に通過で、何が何やら解らないままでした。当時は昭和30年代で、東京タワーが作られてる時期で、高い建物が無く、出来ていくのが見えていました。第3京浜国道無く、第2京浜国道が出来、夜霧の第2京浜国道の歌が流行っています。勝鬨橋が日に2回程度は開閉していました。まだ、平和島は競艇場とヘルスセンターが出来たぐらいで、良く、子供の時に、タダで温泉に入ったり、ゲームセンターに入りびたりだったのを思いださします。この時代に、モノレールが出来る事、高速道路が出来る事が言われていました。上野動物園のモノレールもこの時代に出来ました。また、地下鉄丸の内線が池袋から茗荷谷まで、出来、直に御茶ノ水まで伸び、そして、西銀座(現在の銀座)まで伸び、暫くしてから、新宿そして、現在の荻窪延びました。
この頃は、池袋からトロリーバスが浅草と品川行きがありました。都電も全盛で、都電も良く乗りました。旧国鉄の池袋から山の手で行くより、都電で時間がかかっても安かったです。私は、電車が好きで、小学校2年ぐらいから、1人で平和島から品川・池袋そして豊島園の親類宅まで行っていました。豊島園の中に流れてる石神井川はザリガニがいて、川の周囲に田んぼが広がっていました。親類宅では、鶏やヤギを飼っていて、私が、ヤギを川の周囲の草を食べさすのに、連れて行ったのを思いださします。鶏は、縁の下で飼っていたので、卵を縁の下の中に採りに行きました。
今は、いつの間にか大きく時代が変わって、よき東京が無くなってきたのが寂しいです。川も人から遠くなって、今や石神井川、洪水の代名詞になったほどで、今は深く両側はコンクリートのドブです。もう一度豊かな東京になって欲しいです。
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