ココロ、京都

大好きな京都を歩きます。奈良や滋賀も探索していきます。

全体表示

[ リスト ]

 寒い冬の週末、宇治の白川の里を訪れました。
 
ここは宇治の旧市街地から丘陵を一つ南に越えた、山あいにあります。
 
●白川の里の絵柄の手ぬぐい
イメージ 1
 
 今でもひなびた山里の雰囲気が残るこのあたりは、今から900年ほど前の平安時代の康和4年(1102)、藤原頼通の娘・四条宮寛子(後冷泉皇后)が、七間四面にすべて金をちりばめた金色院を建立し、周囲には七堂十六坊が甍を並べていたと伝えています。
 
 白川金色院が建立されたのは平泉の金色堂よりも20年ほど古いそうです。
 
こうした白川金色院跡の近くに、かつて金色院の鎮守であった白山神社がひっそりとたたずんでいます。
 
 
<現地の案内図>
イメージ 2
 
 白川の里の入口に、古い門があります。この門は鎌倉時代の再建といわれるかつての白川金色院の惣門といわれるもので、その由来についての説明板もなく、柱の下部が朽ち果てようとしています。
 
●旧金色院惣門
イメージ 11
 
 
・・・境内・・・
 
●入口の鳥居と石橋
イメージ 12
 
イメージ 13
 
 苔むした鳥居とせせらぎを渡る石橋、その向こうに急な石段がみえます。
 
 
●手水舎
イメージ 14
 
●急な石段
イメージ 15
 
イメージ 16
 
上り詰めたところに拝殿が見えます
 
 
●拝殿(重文・鎌倉)
イメージ 17
 
イメージ 18
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
 急な石段を上がったところにあり、久安2(1146)に宇治離宮から移築されたという住宅か庵のような建物です。鎌倉中期の様式を示しており、腰高障子をたて住宅風の古建築といわれています。 
 
●本殿
イメージ 6
 
イメージ 7
 
イメージ 8
 
拝殿の裏、更に一段高いところに鎮座し、一間社流造桧皮葺の建物です。
 
堂内には藤原時代の伊邪那美尊坐像(重文)を安置しています。
 
 
●末社
イメージ 9
 
 
<白川神社の沿革>
イメージ 10
 
・延暦9年(790)に疱瘡が流行した時に、その治癒を願って建てられたのが始まりと伝えられる。
 
・久安2(1146)に、藤原頼道の娘で後冷泉天皇の皇后寛子の建立といわれる金色院の鎮守社として創建。
 
・祭神は伊邪那美命で、平安時代後期の木造座像をまつっている。
 
・社宝として十一面観音像(重文・藤原)がある。
 
 
 宇治の白河の里には、かつての金色院の跡や九重石塔、惣門、白山神社、地蔵院などが点在していて、このあたりを散策してみるのは、なかなか捨てがたい魅力があります。 
 
 
白川神社
宇治市白川娑婆山16
境内自由

閉じる コメント(4)

顔アイコン

宇治の白川の里って初めて聞きました(笑)

私ってホント無知!!(笑)

cocoroさんにいっぱい教えてもらわないとね!! 削除

2013/2/24(日) 午前 8:13 [ rhimhi ] 返信する

rhimhiさま

いいところですよ。
苔むす社も凛とした空気も気にいってます。
心静かになれます。

2013/2/24(日) 午前 11:56 [ cocoro_kyoto ] 返信する

アバター

宇治、いいところですよね。
人がぜんぜん写ってないですね。
写真の撮り方がお上手!

宇治まで行かれたということは、パン屋さんもついでに?

2013/2/24(日) 午後 9:52 ♪chura♪ 返信する

churaさま

おはようございます(^-^)/
いつも褒めていただいてありがとうございます。
宇治のパン屋さんはどこにも寄れず、帰ってきました。残念ですね(^_^;)

2013/2/25(月) 午前 8:23 [ cocoro_kyoto ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事