|
岸本斉史の新連載と銘打っていた『サムライ8』が沈黙している。人気ランキングにまったく浮上して来ないところを見ると面白くないのだろう。新連載開始前の告知を見たときは『NARUTO』をヒットさせた御褒美に書きたい漫画を書かせてもらうのだろうという若干の嫌な予感はあった。
ジャンプ連載作家にありがちなのが、大ヒット作を生んだ作家には次回作で好きな漫画を書かせることである。これが尽く失敗に終わっている。ゆでたまごの2人が『キン肉マン』の連載を終えたあと、あまり間を開けずに次回作『ゆうれい小僧がやってきた』の連載を開始した。内容は『キン肉マン』の改訂版だった。超人募集に乗じた妖怪募集をするなど、『キン肉マン』で培われたノウハウが踏襲されている。あの手この手の企画を投入するも人気は出なかった。『ゆうれい小僧・・・』が打ち切りになると間髪入れず『スクラップ三太夫』を連載した。さらに人気低迷して短期間で打ち切られた。同時期に高橋陽一も『キャプテン翼』の連載を終えており、テニスを題材にした『翔の伝説』を新連載した。これも『キャプテン翼』をテニスに置き換えただけで鳴かず飛ばず。無残に打ち切られた。
私は1989年で『週刊少年ジャンプ』から『ビッグコミックスピリッツ』に移行しているのだが、ゆでたまごと高橋陽一の新連載があっという間に打ち切られたあたりまでは憶えている。高橋陽一の『翔の伝説』は1話読んだ時点で打ち切られると思った。何もかも『キャプテン翼』で、なおかつ必殺技を早い話数から出している。テニスの試合における駆け引きやテニス界の人間ドラマを語ることもせずに禁断の果実にいきなり飛びついてしまった。必殺技は『キャプテン翼』を盛り上げると共に崩壊させた諸刃の刀である。その性質を考えると第二部以降のテコ入れに使用するべきだった。ヒット作のノウハウではあったが禁断の果実であることは認識しなければならない。今まさにそれが岸本斉史の新連載『サムライ8』で起きている。『サムライ8』には『NARUTO』のノウハウを注ぎ込んだとされているが悪い部分を踏襲してしまっている。設定がややこしく、物語が頭に入ってこない。設定を説明している内容が余計にわかりづらい。『NARUTO』の序盤で起きていた問題と同じ。キャラクターや世界観の設定を解説している文章が造語だらけで、再度、造語について説明しなければならないという悪循環になっている。PS用ソフト『FF13』も設定がややこしく、設定を解説している文章が造語だらけで、造語を読むための説明を読まないと内容を理解できない。「説明が説明になっていない」ところが岸本斉史とスクウェアの弱点。
『サムライ8』は岸本斉史の新連載と銘打ってはいるものの、漫画自体は大久保彰が描き、岸本斉史は原作を担当している。『NARUTO』では岸本斉史をコントロールする編集担当者が優秀で、ルールや世界観の説明を極力なくさせてストーリーテリングに力を入れさせていた。岸本斉史による世界観の説明を読むと『NARUTO』を読む気が失せてしまう。岸本斉史直筆の説明文はややこしい世界観を余計にややこしく説明するので読めない。誰かが岸本斉史をハンドリングしないといけない。岸本斉史がハンドリングする側になってしまうと「説明が説明になっていない」という問題が起きてしまう。集英社の編集者にも甘いところがあって、大ヒット作を生んだ作家には割と自由を与えてしまう。相手の社会的立場が上がって言いづらくなるからなのか、大ヒット作を生んだ作家ほど次回作で自由を手にしている。そして鳴かず飛ばずで打ち切りになる。編集者によってテコ入れされた漫画の方がヒットしている。大ヒット漫画はすべて編集者がテコ入れした作品である。編集者がテコ入れすべき、と解っていながら大御所には甘くなってしまう。
個人的に、ゆでたまごの『スクラップ三太夫』と高橋陽一の『翔の伝説』を読んだ時に、「ジャンプ終わったな」と感じた。それからすぐにスピリッツに移行した。『よろしくメカドック』の次原隆二も新連載がすぐに打ち切られる印象だった。いずれも一世を風靡した売れっ子漫画家たちで、1年も持たずに打ち切られる様は子供心にも哀しかった。あまり使いたくない言葉だが落ちぶれていく様子が読者にも伝わってくる。『スクラップ三太夫』を連載中のゆでたまごはもがき苦しんでいる様子が伝わってきた。『翔の伝説』は息継ぎする間もなく打ち切られた印象だった。編集サイドから見てもテコ入れのしようもなかったのだろう。岸本斉史についても彼らと同じものを感じている。
『キン肉マン』→『ゆうれい小僧』:すでに飽きられてしまったノウハウを注ぎ込み失敗。
『キャプテン翼』→『翔の伝説』:上記に同じく。
『NARUTO』→『サムライ8』:排除したはずの悪い部分を踏襲して失敗。
次原隆二のメカドック以降の新連載は記憶にも残っていない。
漫画家がどこまで自己主張したいかは人それぞれだろう。漫画を生活の糧にしたいという心情もあるのなら編集担当者にチェックしてもらう方が良い。複数のヒット作に通じて言えることで、キャラクターの設定から台詞からテコ入れされた後の方が良化している。漫画家本人による設定や台詞には読みづらいものが多い。特に設定はわざわざページを割いてまで説明しているのに、読みづらいので内容が頭に入ってこない。一番やってはならないのが造語を用いた世界観の説明。その造語が解らないのだから説明にならない。『キン肉マン』は後付けで「正義超人」「残虐超人」「悪魔超人」「完璧超人」を足していった。ストーリーを進め新キャラクターを出すだけで属性は頭に入ってくる。これを初回から「正義超人はこんな感じで」「残虐超人はこんな感じで」と説明されても頭に入らない。属性のようなものは説明しない方が良いと思う。後々になって人気が出た時に解説書や設定資料という形でまとめた物を出せばいい。漫画の場合は絵で説明している部分もあるので、ストーリーをどんどん進めて行くことで説明を兼ねたものになる。
『サムライ8』はルールの解説を読んだだけで読みたくなくなった。説明の仕方にもよるんだろうけど、岸本斉史の説明は返って読者の頭を混乱させてしまう。
|
経済
[ リスト | 詳細 ]
|
森口博子の新作アルバム『GUNDAM SONGS COVERS』 がオリコンチャート週間ランキングで3位にランクインした。先週のデイリーランキングでは2位にランクインして複数のメディアで取り上げられていた。NHKが行った人気投票で上位にランクインした人気主題歌ばかりカバーしているのでファンの需要は十分見込める。好きな曲が入っていたので配信サイトでサンプルを聴いてみたが印象は「勿体ないな」と思った。
森口博子に限らず、昔の歌手の方が歌は上手い。声からして今の歌手とは違う。当時は演歌歌手以外は蔑ろに扱われる傾向にあってアイドル歌手となると正当な評価を受けられなかった。森口博子を歌手としてまともに評価している論評は見たことが無い。山口百恵や松田聖子の時代には公正に評価された記事も見受けられるが次第に宣伝記事に偏ってきて歌の上手さを論じるような記事は見られなくなっていく。小室哲哉がプロデューサーとして売れっ子になった時代も小室哲哉ばかりになっていて個々の歌手の実力を問う記事は見た記憶が無い。ブームが去ってから何年も過ぎた後に安室奈美恵の実力を評価する記事は出てきた。全盛時には何も評価していなかった。
森口博子は2001年のAAA(アクト・アゲインスト・エイズ)のステージで『Beyond The Time』を一緒に歌っている。その一部はWOWOWで放送されたので映像で見ることができる。森口博子はコーラスを担当した。声が良いのでコーラスも様になっていた。メインで『Beyond The Time』を歌ってもいけるんじゃないかという印象があった。今回のアルバムで初めて公に『Beyond The Time』を歌うことになって、配信サイトでサンプルを聴いてみたのだが歌唱部分を聴くことができない。イントロの長い曲のサンプルをイントロから始めるなよと言いたい。肝心の歌を聴かせないと聴かせる意味が無い。同アルバムに収録されている他の曲を聴く分には声は悪くない。ただ、アレンジはイマイチ。『めぐりあい』は普通の楽器のメロディーで聴いてみたかった。
『GUNDAM SONGS COVERS』のコンセプトは悪くない。51歳になる森口博子の声が良いのは驚異的で、今回のアルバムの楽曲をメインとするコンサート・ツアーが始まるとファンが駆け付けるだろう。リリースするタイミングがもう10年早ければ、ステージもパワフルなものになって波及効果も絶大になった。40代以降の10年区切りは高齢化から来る体力と気力の衰えが顕著で、歌手は声帯の緩みで声量を失ってしまう。若ければ若いほど声に張りがあってパワフルに歌える。楽器は老化しないが、人間の声は老化するので、その価値を早い段階で評価しなければならない。森口博子が30代の内に『Beyond The Time』や『めぐりあい』を歌わせておくと価値の高い音源になった。51歳という年齢を突きつけられると現実感があり過ぎて、エンターテイメントとしてはギリギリのタイミングというしかない。(森口博子が50代でも僕らの世代は気にしない。若い世代は気にする。)
TMネットワークでもメンバーが60代に突入して覇気がない。今の10代の子が今のTMネットワークを見ても圧倒されることは無い。今の中学生が「TMネットワークを聴いている」と同級生と話したときに、60代のTMネットワークの姿を同級生に見せても変な目で見られるだろう。メンバーと一緒に同じように年を重ねてきた世代は老化を受け入れることができる。10代は老化を受け入れない。だからこそ、TMネットワークの何か新商品を出すのなら初期の頃の映像や音源を出してあげた方が良い。新しくファンになった世代が悲惨すぎる。若さから醸し出されるキレは歳をとると醸し出せない。エンターテイメントは良い時期に見ておかないと感動できない。新しくデビューする音楽グループや歌手をできるだけ早い段階で公正に評価して、消費者に良い時期に見てもらえるように雑誌記事も書かないといけない。歌手に関しては、デビューしたその瞬間が絶頂期になる。声の状態が一番良いから。できるだけ、デビュー当時に音源を録りためたり、映像に残しておいた方が良い。時代を超えて、新しいファンを獲得した時に、デビュー当時の素材は宝物になっている。
YouTubeで昔のベストテンやトップテンの映像を見ているとお宝だらけ。声の状態が良いだけで歌は断然よくなる。声の若さは普遍的な価値感に成りつつある。その理屈からすると、何か新しい音楽や歌を聴いてみようとトライするときは新人を漁ってみるのが良いのかもしれない。全盛期の森口博子の映像が残っていることはファインプレー。生の声で歌っているからこそ価値がある。最近の歌手のように、歌っているのか歌っていないのか解らない映像は価値も解らない。昔の映像でもアテフリや口パクはある。それらは価値が無い。生の演奏で、生の歌声で収録されている映像は価値が何倍も上がっている。森口博子もデビュー1年目の声が圧倒的に良い。しかし、本人も、周囲も、その価値を解っていなかった。音楽マニアが秘蔵コレクションを解放する度にため息が出る。「この時代のコンサートに行きたかった」という感想は後になって出て来る。
森口博子は50代にしてはまだ聴ける方。竹内まりあは60代でも聴ける。松任谷由実は50代で厳しくなった。40代以降の5年や10年はプレッシャーが重い。喉を酷使しすぎないように周囲が気を使わないと歌手生命は50歳で終わりを迎える。
TMネットワークのファンでも、ブルーレイボックスが出る前は「1994年の解散コンサートは思い出深い」などの声が大多数だった。その中で「1985年のドラフェスツアーの方が圧倒的」と発言する人間は私以外はほとんどいなかった。私の同世代のTMネットワークのファンはヴォーカルのコンディションの差が物をいうことを知らない。ヒット曲を主体として聴いてしまう。そうじゃなくて、声も楽器もコンディションが命。『Get Wild』や『Beyond The Time』の認知度で映像ソフトを選んでしまうと思わぬ落とし穴にはまってしまう。あの東京ドームのコンサートはTMネットワークの全盛期ではない。ファンの間で議論すると、思い入れの強さから公正な議論にならない。新しいファン層には公正な評価を伝えるようにしないと、個人的な思い出や思い入れは他人の知るところではない。公正に言ってTMネットワークの全盛期は1984年。10年後の1994年は一番コンディションが悪い。
|
|
お家騒動も収束かと思われた吉本興業にまたしても火矢が放たれた。本丸である大崎洋会長のとんでもない写真が流出した。愛人女性と一緒に写っているプリクラ写真が流出したのだ。「ひろしっち」のニックネームと一緒に「ちゅっ」とキスまでメッセージしてあるので愛人であることは間違いない。プリクラのデコメから読み取れる女性の精神年齢は10代と思われる。さすがに20代であのコメントは無いだろう。創価学会にはロリコン男性が多いのだがおまえもか!
愛人女性が10代なら淫行条例違反。20代なら普通にアウト。NMB48のメンバーだとか変なオチまで付かないことを願う。吉本興業の従業員とあまり接触しないのも愛人とじゃれているからなのだろう。トップがこれでは社長以下の連中が苦労する。淫行条例違反であれば、6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金(大阪府)、あるいは2年以下の懲役または100万円以下の罰金(東京都)が科せられる。愛人を囲うにしても20代以上の女性を選んで刑罰を回避するのがズル賢い人間の遊び方だ。周りもある程度は諭さないと。あまりにもストレート過ぎる。ダウンタウンまっちゃんがTwitterで呟いた意味深なメトロン星人はこれが理由だな。
しかし、プリクラ写真の流出には別の問題がある。顧客が製品サービスを利用した際に、プリクラ本体には加工前と加工後の画像データが記録されている。勝手に内臓メモリから写真を取り出したのであればプリクラ本体を管理販売している会社の責任になる。他にプリクラ写真が洩れるルートとして考えられるのは愛人女性しかない。愛人女性が捨てられた恨みで流出させたか、プリクラ本体からデータを取り出したか、そのどちらかしか有り得ない。前者であれば大崎洋会長の自業自得。後者であればプリクラ本体の管理会社の問題にもなる。著名人の社会的信頼を著しく低下させたとして名誉棄損で訴えることもできる。芸能人や著名人の写真が流出することは多々あることなのだが、プリクラの流出には会社が関わっている可能性もあるので警察に通報できる。
大崎洋にアドバイスしておくと、愛人女性がプリクラをばら撒いたのであれば、女性の精神ケアを怠ってはならない。怒りに火が付くと、すぐに第二、第三のリベンジポルノが発動して、肉体関係があったことが解る写真を流出させてくる。梶裕貴のように言い逃れできない状況へと追いやられてしまう。田中角栄や宇野宗佑ら、総理大臣でさえ愛人女性への配慮を間違えて暴露されている。女で命取りになるケースはどいつも女性を甘く見ているからだ。女性にも精神的にタフなのがいる。例えば、声優の平野綾がコンサートのバンドメンバーと寝ている写真が流出している。あれもバンドメンバーではなく、本人が流出させた可能性がある。その可能性がある理由については自分で考えてみろ。あのような写真が流出することでメリットもある。
大崎、岡本、松本の三バカトリオを見ても初々しいやつらの印象しかない。昔は誰に愛人がいたなどと、大正昭和の生まれに色々と聞かされた。どいつも、こいつも、脇が甘い。日本国内は東西両勢力が渦巻く状況にあり、
あらゆる方向から攻撃を受けることになる。その全てに対応できる人間はいない。大半の人間は世の中のことを解っていない。1億3000万人いて世の中を理解できている人間は13人と言ったところだろう。たった13人が驚異的な知能を持っているので日本国は猛烈なスピードで進化している。私がロシアや中国に行くと絶対皇帝として君臨できるのも、向こうは何倍もイージーモードだからだ。ロシアでも中国でも敵対する者は片っ端から暗殺できる。大崎のような愛人に入れ込んでいるようなボンクラもすぐに粛清できる。しかし、日本ではそうはいかない。両勢力が蔓延る場所では、アメリカやイギリスを操りつつ、ロシアや中国と均衡を保つようにしなければならない。共産主義の無能どもも操り災害対策も進めなくてはならない。地球上で最も難しい条件で国を動かしている私からすると、他の全ての国はただのイージーモードに過ぎない。だからこそ、三バカトリオにもアドバイスしてきた。
「あらゆる方向から弾が飛んでくる。」
このアドバイスは誰にでも当てはまること。油断していると女に撃たれることもある。これでまた死にかけていた加藤浩次に火が付くぞ。なにしろ、大崎と岡本の猛烈な反対に遭って相方を芸能界から干されたのだから、大崎に淫行条例の疑いが浮上したとなると加藤浩次の怒りは収まらない。それに、あの様子だと、まだまだ大崎に関する情報は何が飛び出してくるか解らない。何処から弾が飛んでくるか解らないので、遊ぶにしても自分でルールを作って遊ぶしかない。もう、日本国内どころか、世界中で遊べるような場所は無い。国連のアホ職員どもが幼児買春していたのもリークされている。
「ペレ王よ、貴方を尊敬している」などとジョークを放ったのもそういうこっちゃ。
|
|
京都アニメーションを襲った凄惨な放火事件で、亡くなられた35名の内の10名の氏名が公表された。事前にアニメ業界関係者が「連絡の取れない人がいる」と実名をSNS上で発言していたこともあって、同社を支えている主力の人材がかなり亡くなっているのではないかと不安視されていた。
新人だから、ベテランだから、という括りでは語れないものがあって、やはり人材育成のできる人物と経営戦略を考案できる人物が無くなると企業としては立ち行かなくなる。発表された10名の中で見ると、西屋太志さんが亡くなられたことは京都アニメーションの今後に一番影響すると思われる。京都アニメーションのオリジナル作品の方向性を定めるキーパーソンであり、京都アニメーションならではの作風を作り上げてきた中核と評価できる人物だからだ。
外注の委託業務を受けて作った作品には京都アニメーションのオリジナリティーは乏しい。『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん』といった委託業務で制作した作品には、京都アニメーションならではのオリジナリティーや作風は感じられない。原作の漫画や小説があって、あるところまで形作られている作品を作る場合は、世界観やキャラクターをあまり触れない。原作から立ち上げていると世界観もキャラクターもデザインできる。そこの違いを調べると京都アニメーション原作のオリジナル作品の世界観やキャラクターに西屋太志さんが大きな影響力を持っている。『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』の美術監督を務めた渡邊美希子さんも作風に大きな影響力を持っている。
作画監督の木上益治さんは歴戦の勇者ではあるが作風に関与しているかといえば「していない」と思われる。緻密な動画を作るという意味では重要な戦力であることは間違いないが、京都アニメーションの売りは緻密な動画+芸術性であり、特に芸術性に関しては2010年以降のオリジナル作品で力を入れている要素である。ロリコンオタク向けのアニメでは芸術性は求められていない。キャラクターが良ければロリコンアニメは売れる。その分、敷居が低いのでロリコンアニメは大量に生産されている。女性向けのアニメはとにかく芸術性が肝になっていて、これまでの漫画やアニメで女性に人気のある作品はどれも絵のデザインが緻密である。アニメーション(動き)の緻密さと、一枚一枚の絵の細部の緻密さでは、女性は後者を好む傾向になる。単にボーイズラブでも駄目で、声優人気に肖っているだけの人気なのか、作品の魅力で人気を獲得しているのか、正確にリサーチしておかないと会社としての方向性を定められない。そういう観点で見ると、西屋太志さん(37)、渡邊美希子さん(35)たちの世代が京都アニメーションの方向性を作り上げている。中核の主力を失ったことで今後の作風に変化が起きるだろう。
「市場のニーズ」は過去に誰かが作ったものに端を発している。テレビを作った人間が世界中の人間にテレビの便利さを伝えてテレビを普及させた。さらに便利なテレビを作って市場のニーズを独占しようと競争が始まった。消費者ニーズというけれど、消費者が先に来ることは無い。大衆は常に受動的である。ロリコンアニメも、ボーイズラブも、それを最初に仕掛けた人物がいる。バトル漫画にしても最初に仕掛けた人物がいる。それがウケたことで消費者は再び同じものを要求して、企業がニーズに応える形で生産する。2010年頃から芸術性を徹底的に追及したアニメが出現している。「ネクストジブリ」と呼ばれるムーブメントであり、新海誠が注目されたのも芸術性の面からだった。京都アニメーションの次世代の旗手たちも芸術性に拘っていた。その中核を担っていた人物たちが死んでしまった。人間の命の重みは同じに見えても、会社の成長性から割り出すと社員の命の重みには違いがある。
京都アニメーションの作品を1つ1つ個別に見るだけでなく、全ての作品を通じて何か主張していることがあるかどうか、そのようなところから企業アイデンティティーを読み取るようにしないといけない。企業のコンサルティングをするときでも、経営者のアイデンティティーや、企業そのもののアイデンティティーは意識する。君たちは知らないだろうが経済界にその名を轟かす名立たる経営者でもアイデンティティーレベルの話をしてみると案外カラッポだったりする。松下幸之助にアイデンティティーは感じられなかった。経営者といよりも他社の要素を買い漁る投資家になっていた。あるところまで企業が成長すると戦略の有無が問われるようになる。そこで経営理念の無い経営者は多角経営という名の「便乗商売」を始めてしまう。多角経営とは名ばかりで利益を見込める活気のある分野に乗り込むだけ。最近では電子マネーが便乗商売屋の流行だったが、電子マネーを仕掛けた人物は賢いとして、電子マネーに便乗していった経営者らは電子マネーを理解してもいない。ただただ、それが注目されていると思って手を出している。便乗商売で100%利益を確保できているかといえばそうでもない。
アニメーションの市場で見ると、オタク向けのロリコンアニメや腐女子向けのボーイズラブが売れている、と思われている。実はそんなことはなくて、ロリコンアニメもボーイズラブも作り過ぎて売れなくなっている。売れるものだと勘違いした連中が大量生産したことで互いに潰し合いニーズが消滅した。次に何が来たかといえば、新海誠の作品に代表されるような芸術性の高いアニメだった。男女問わず芸術性は評価する。そこに面白さが加味されたことで『君の名は。』は大ヒットした。幼児から年配者まで幅広い層に受ける普遍的なテーマや要素を見い出していかないと、「オタク向け」のイメージからは脱却できない。絵を描く仕事なのだから芸術性を追求することはやれば良い。『AKIRA』が今も尚、見るに値すると言われるのも緻密な作画があるからだ。京都アニメーションの動画スタッフがもう少し充実してくると『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』はもっと芸術性を表現できる。『AKIRA』のように業界全体から手練れを集めて作るでもしない限りは『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』は完成しない。
宮崎駿も庵野秀明もアニメーション(動き)の緻密さには拘っている。芸術性に拘っているとかというとそうでもない。宮崎駿が一番芸術性に拘って作ったのが『ハウルの動く城』。他の作品とは比べ物にならないほど、一枚一枚の絵のクオリティーが高い。『千と千尋の神隠し』で年配者にウケたことに気を良くして、さらに年配者向けの作品として『ハウルの動く城』を作るにあたって芸術性を高めている。いかんせん、ストーリーやキャラクターに魅力が感じられなかった。『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』はアニメーションに拘った分、背景などの芸術性は差し引いてある。『天空の城ラピュタ』で予算を継ぎこんで芸術性を高めたがヒットしなかった。その反動で『となりのトトロ』は手抜きに成らざる得なかった。芸術的価値を高めようとして取り組むと「ヒットしない」という皮肉な結果になる。『天空の城ラピュタ』は傑作中の傑作なのだが、当時の世相からすると子供向けで片付けられてしまう。潤沢な予算を得て制作したハウルはほぼ全てにパワーを全開してある。年配者でも楽しめるものにしようとした結果、誰も楽しめない内容になっていた。未だかつて、芸術性と面白さがリンクしている作品は『天空の城ラピュタ』以外に見たことが無い。
『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』はパワー不足が随所に見られる。あるシーンの止め絵は凄いがアニメーションする中でクオリティーが落ちてしまう。人材不足からやむを得ず生じるパワー不足によって構造上の問題が生じている。これを治すには戦力の充実を待たなければならない。業界全体から戦力をかき集めると何でも作れるが、そこまですると失敗は許されない。ハウルやラピュタで失敗した当時の宮崎駿はかなり凹んでいたと思う。戦力を集める資金が無い中で、新海誠は上手く背景を生産する手法を編み出している。カメラで撮影した写真をトレース・加工しているにしてもセンスが物を言う。現代を舞台とする場合は有効な手段だ。しかし、架空の世界を作るに当たっては使えない手法であり、新海誠の作品は現代を舞台とすることが制約されている。写真をトレースしたのでは創造性は反映されないのだ。自分の制作手法にあった原作を使うか、自らが原作を立ち上げないと新海誠は映画を作れない。「芸術性」と「面白さ」を兼ね備えることはアニメの究極のテーマである。利益を度外視して、そこに挑んで返り討ちに遭うアニメーターは後を絶たない。
京都アニメーションの今後の方向性や成長性を考えた時に、かなり大きな損失と言える人材を失ってしまった。世界中から支援金が寄せられて20億円規模にまで膨らんでいるとはいえ、替えの利かない人材を失ってしまったので金銭的な支援ではどうにもならない。唯一無二の才能を失ったと言って良い。財団を設立して100億円基金を投じようなどと、利権にあやかろうとする不審な声もある。そんなことをしても無理だ。ジブリでもそれができなかったのだから。ジブリにある程度のまとまった金を継ぎこんでもネクストハヤオは生まれなかった。今は静かに、才能が何処から出現するかを注視している。
考えが行き着くと、極論として、才能を評価できる才能が一番重要になる。映画の脚本を読んだ瞬間に成功と失敗を判断できる才能があれば映画会社は100%成功する。脚本に魅力がないというのに、それをそのまま制作して失敗する。そんなことが頻繁に起きているので資金を注ぎ込めない。芸術屋が芸術に拘り過ぎるとテーマを見失う。アニメはエンターテイメントである以上、大衆を引き付ける面白さを欠いてはならない。『天空の城ラピュタ』はアニメとしての面白さやオリジナリティーを持ちつつ、芸術性も加味されているので国産アニメの最高傑作と評価している。劇場公開から30年以上が過ぎてもDVDやBDが売れ続けていることがそれを証明している。
|
|
あちこちに埋もれている不発弾に引火して、一向に炎上が収まる気配のない吉本興業問題で、今度は同社が経営するタレント養成所NSCに関する爆弾がさく裂した。NSCが実施している二泊三日のお笑い合宿に参加するための契約条項に「合宿中に死亡しても吉本興業は一切の責任を負わないものとする」などの主旨の文言が書き連ねられていることが発覚した。同契約書には「事故が起きても訴訟するな」との主旨の文言も見られる。暴力団が経営しているブラック企業でもここまで明記してあるのは珍しい。文言の意味を加味すると「合宿中に講師が生徒を殺したとしても黙ってろ」と解釈できる。
NSCのようなお笑い養成所にはどんな人間が来るか解らないので事前に危険行為を禁止するべく注意事項を記載するべきである。大道芸人の死亡事故などを例にして禁止行為を定める。それでも想定外のことをやらかしかねないので、「本人の意思による行き過ぎた行為の結果、重大な事故が起きた場合には当社は責任を取りかねないこともある。」と自社を保護する文言も記載しておく。笑いを取るために組体操のようなことをして、バランスを失って転倒したときに打ちどころが悪くて死亡することもある。笑いを取るために何をしでかすか解らないので、事故に関する注意事項は明確に事例を挙げて記載した方が良い。世の中には非常識な人間もいるからだ。
NSCには信じられないレベルの真性のアホも入ってくる。テレビや雑誌に出てこない吉本芸人の中にはヤバいヤツもいる。頭が悪すぎてヤバいという意味だ。頭の悪いヤツは本当に何をしでかすか解らない。関西ローカルの『クイズ紳助くん』に本当にヤバい芸人(ダメ芸人)ばかり集めて出演させていた。Mr.オクレやジミー大西が普通の一般人と思えるぐらい、『クイズ紳助くん』に出演していたダメ芸人はヤバかった。カルト宗教信者だからだろう。人間性が全くできていない。島田紳助も創価学会の腐れ外道なので非人間を連れてきては嘲笑っている。あまりにも酷すぎて笑うことすらできなくなって、島田紳助自身がブチ切れてしまい地下芸人を殴りにいった。慌てて円広志が止めに入るも止められず、電波がスクランブル放送に切り替わった。『クイズ紳助くん』の2回目の放送は40分間に渡って砂嵐になって世間を震撼させた。世間に変なものを見せてやれ、と思って始めた番組に島田紳助自身が真っ先に耐えられなくなった。
面白い人間と変な人間は紙一重である。知的さが無いと面白いことはできない。面白い漫才は知的な側面を持っている。面白くない漫才は変なことをしているに過ぎない。ゆりやんレトリイヴァがアメリカで顰蹙を買ったのも、知的さが微塵も感じられず、変な格好をして変なダンスを踊ったからに他ならない。変なことと、面白いことの違いは海外に行くと特に問われる。『クイズ紳助くん』のように変な人間ばかり集めて見世物にするような行為は海外では絶対に許されない。NSCで何でも取ってしまうので吉本興業には変な人間が多い。意図的に変なことをしているのではなく、元から変な人が入ってきている。それをコントロールしきれなくなって、生放送の番組中に島田紳助が我慢できなくなった。ダメ芸人と銘打って50人ほどスタジオに集めていて、その中の数人でロケハンを行ってクイズを出題する形式の番組だったが、変な人間なのでロケでも駄目だった。ネタはできない、ロケもできない、おまえらなんだんだ、とブチ切れて出演者を殴った。何をしでかすか解らない変な人間が世の中には存在するので、企業の製品やサービスの免責事項を記載しなければならない。
どストレートに「事故が起きても訴訟するな」と明記すると人権問題に問われる。バカはそれを受け入れたとしても世間がそれを許さない。人権を放棄させるような文言は返って企業が不利になる。「合宿中に生徒が死亡しても吉本興業は一切責任を負わない。」も世間が受ける印象が最悪である。極論の悪い使い方だ。意図するところはそうであっても、世間を敵に回すような文言を使ってはならない。こういう文言の1つを見ても契約書を作った人間の知能レベルが解る。契約書が外部に洩れることを想定していない。
闇営業問題に起因して吉本興業バッシングへと発展している中で、何か吉本興業の落ち度は無いかとジャーナリストによる粗さがしが始まっている。従業員の不満は不発弾に過ぎず、個人が感じる不満には温度差もあるので不発弾を掘り起こしても爆発しないこともある。一方、企業の契約書は火薬庫に成り得る。文言をしくじると一発で大爆発する。「裁判するな」の文言を一度は指摘を受けて削除したにも関わらず、ほとぼりが冷めてから再び記載しているあたりに吉本興業の性質が表れている。「引き継ぎに失敗した」と言い逃れしても、「書類1枚も引き継げないのか?」と逆にツッコまれてしまう。引き継ぎ以前に企業の免責事項としては書き方が幼い。嫌らしい話、免責をまかり通すための狡い書き方というものがある。正式書類を作らせると担当者の知能や性格が解る。吉本興業の書類は杜撰すぎる。
週刊誌の記者はそういう意味では手練れといえる。チクチクと正論を浴びせつつ、吉本興業を追い詰めている。契約書を持ち出してくるところも論理的に攻めている。週刊誌やスポーツ紙に掲載されている大崎洋会長や岡本昭彦社長の写真も人相でチョイスされている。性格の悪そうな人相の写真を選んで読者の感情に訴えかけている。創価学会は元がヤクザなので企業経営のノウハウは無い。大雑把である。警察OBを抱き込んでいるところは法的な守りもしっかりしている。松本興行と化した吉本興業は大雑把な部類に入る。映画作りも大雑把だったが組織を統制するノウハウがないことは節々に洗われている。私が会長に就任するだけで吉本興業の収益は5倍にも6倍にも伸びると思う。あまりにも杜撰な管理体制でいるから利益を確保できていない。
安倍政権もアホなことばかりしているんだけど、クールジャパン機構の赤字垂れ流しを放置している時点で能力の無さが浮き彫りになっている。3年のスパンで調整しろ、と指摘しても何もできない。企業の評価や事業の査定の仕方が解ってない。個人を評価できない。企業の評価もできない。社会で何が起きているかも解っていない。海外で何が起きているかも解っていない。どのキャパシティーで見てもできていない。クールジャパン機構は海外市場に打って出る取り組みでありながら海外市場のニーズも調べていない。全部、私の方で進めている。創価学会が間に入って何かすると、変人しかいない組織なので変人にだけ訴えかける。海外のセレブリティーからは相手にもされていない。そこを私が補完している間は日本に欧米からの観光客が来てくれる。変人ばかり集まってくると日本の治安が悪化する。アホなことになっているぞ、と抽象的な言い方で伝えても安倍政権の連中はチンプンカン。自分らで大して考えてないので、やらなくていいことばかりする。
そういや、セブンイレブンのセブンペイは9月で中止することが発表されたね。やらなくていいことをやって、案の定、中国人犯罪組織から目をつけられて混乱している。あれもマーケティングリサーチや経営方針が定まっていないことを露呈している。企業経営者に頭の良いヤツはあまりいない。トップが駄目でもブレーンが優れていると問題は起こらない。ブレーンも駄目だから社員が振り回されることになる。セブンイレブンの売りはそんなことじゃないんだよ。電子マネーに対応しようとしまいと、売れる商品を店頭に並べて置けば客は来る。商売の根底を先に教えてあるというのにレベルの低い国に振り回されてしまう。それは経営方針を定めていないという事。
吉本興業の芸人は世界で通用しない。その吉本興業にPR活動を依頼しているのだからクールジャパン機構は成果を得られない。それを是正する人間が何処にもいない。安倍政権は頭悪い。クールジャパン機構も無能。吉本興業は世界戦略では使い物にならない。それを選んでしまうセンスの悪さ。叩くと幾らでも埃が舞い上がる。無形文化財は他に幾らでもPRできるというのに、よりにもよってこれを選んでしまうカルト脳の頭の悪さよ。こういう杜撰な会社に、杜撰な組織が仕事を委託するから、公共事業を廃止しろと有権者を怒らせることになる。
私が国営企業とコンピュータ関連企業を主導していた頃は一度たりとも公共事業を辞めてくれとは言われなかった。なぜか、解る?国家プロジェクトを立案するだけでなく、経営者に変わって業務改善までやらされて、業務の進捗状況を随時チェックしながら調整作業もしていたからだ。安倍政権(杜撰)−クールジャパン機構(何も考えていない)−吉本興業(やることが大雑把)、この全ての組織の業務内容を全て改善しなければならない。他の国はもっと酷いけどな。職員が経歴にクールジャパン機構で勤務などを記載したら返ってマイナス評価になる。
|


