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円谷一のウルトラシリーズは世界で最も派生作品を生んだシリーズとしてギネスブックに認定されている。第一作『ウルトラQ(1966)』から最新作『ウルトラマンタイガ(2019)』まで何作あるのか解らない。解らないってなんやねんと思うかもしれないが、色々作り過ぎてごちゃごちゃしている。SD版ウルトラマンやウルトラキッズのような企画ものまでシリーズにカウントされている。タロウやエースやティガやダイナのような勧善懲悪ヒーローとして作られたものだけをウルトラシリーズとしてカウントしているのではない。だから、どこまでカウントするのか良く解らない。


私個人が知っているのは初代・セブン・ジャック(新マン)・A・タロウまで。レオ以降はほぼ知らない。タロウ以前の作品は私が生まれる前に作られたものなので再放送か再々放送で視聴していると思う。再放送なので社会的に問題視された作品は省かれている。『ウルトラマンセブン』の被曝星人だけでなく、初代『ウルトラマン』のエピソードも関西テレビの再放送時(1978-1979 平日17:00-17:30)には放送されなかったものがある。京都テレビでHDリマスター版『ウルトラマン』を放送した際に見たことのないエピソードがあった。


大人になってからHDリマスター版の『ウルトラマン』を見ると、初代『ウルトラマン』に登場する怪獣の作り込みの凄さに驚いた。HDリマスターなので細部まで綺麗に見える。初代が一番ディテールに拘っている。セブン以降は制作スピードを速くするためなのか作り込みが甘い。ジャックに登場する怪獣は初代と比較すると玩具の様に見えてしまう。初代は作り込んであるなと思って見入ってしまったが、セブン以降はテイストが違うので集中して見なかった。ウルトラシリーズが増えるにしたがって、ウルトラ兄弟たちが蔑ろに扱われているのはいただけない。新作のウルトラマンに旧作のウルトラマンが登場して呆気なくやられてしまうエピソードがある。最強であるはずのゾフィーはやられている姿しか印象に無い。ウルトラマンがやられるというのはそれだけで子供にはショックがある。シリーズを重ねるにつれて威厳を失い、かませ犬と化していくのが悪しき習慣になっていた。平成シリーズで旧作のウルトラマンを復権させたことで往年のファンは歓喜した。


ウルトラマンに見られる「かませ犬」の現象は『キン肉マン』にも受け継がれている。言わずもがな、初期のキン肉マンはウルトラマンのパロディー漫画としてスタートしている。キン肉マンが怪獣と戦うストーリーにギャグを盛り込んでいる。ギャグ漫画ブームとウルトラマンブームの2つに乗っかった内容だった。キン肉マンは超人プロレスに移行してからは次から次に現れる「新たな敵」と戦う。新たな敵を強敵と印象付けるためにアイドル超人たちがかませ犬を演じている。本家ウルトラマン同様に、かませ犬がどんどん増えていく。平成キン肉マン(2011-)ではかませ犬たちが復権した。旧作の超人が新作の超人を倒して威厳を放つとファンは歓喜した。ウルトラマンに政治的なメッセージが散りばめられたエピソードがあるように、キン肉マンにも政治的なメッセージを散りばめたエピソードがある。そんなところもウルトラマンと共通している。



露骨にかませ犬を作ったのはウルトラマンが最初だと思う。『ウルトラマンA』から「かませ犬」を確認できる。ゾフィー・初代・セブン・ジャックの4人がまとめて異星人にやられるのだから勧善懲悪ヒーローが台無しである。ヒーローが負けるショック療法をやり過ぎて「かませ犬」がギャグ化している。現代『週刊プレイボーイWEB』で連載中のキン肉マンで、キン肉マンゼブラという強豪超人がかませ犬と化した。最後に登場したのが1987年頃なので約30年振りに登場するとあってファンを興奮させていた。ところが典型的なかませ犬エピソードと化したことからファンは一気に冷めてしまい怒りを露わにした。かませ犬は例外なく扱いが雑すぎる。ゆでたまご嶋田隆司に対する罵詈雑言が飛び交った。ウルトラマンも大概かませ犬の扱いが酷いので旧作のファンを怒らせているだろう。


シリーズが長引くことの弊害は他にもある。ウルトラマンと敵対する異星人や怪獣も亜種が増え過ぎている。亜種の登場によって異星人の立ち位置や強さも曖昧になっている。宇宙恐竜ゼットンの亜種は増やすべきではなかった。亜種を増やし過ぎたことでオリジナルの存在感まで損ない始めている。「亜種=オリジナルより強い」という創作パワーが働いてしまうとオリジナルが弱くなってしまう。強い敵は強いままにしておいた方がインパクトを受ける。強い敵を作り続ける内にかつての強敵が弱体化する。キン肉マンもその悪しき風習によって強さの概念だけでなく、キャラクターの存在感まで失われていった。強い敵は強いままにしておくよう、ゆでたまごの2人を制止しなければならない。強い敵を強いままにすると威厳や存在感が増す。バルタン星人、メフィラス星人、メトロン星人、超有名な異星人の亜種を作り過ぎてしまい、オリジナルも含めて存在感が薄らいでいる。亜種にするよりも、オリジナルをそのまま再登板させた方が良かった。


『ウルトラマンメビウス』にウルトラマンレオが登場してファンを喜ばせた。かませ犬としてはなく、威厳を保ったまま再登場したことが良かった。もう少し脚本をひねって、真夏竜を知らない人々にミスリードさせるようにしてれば、もっとファンを驚かすことができた。インターネットでゾフィーのことをボロクソに話していたのがTBSのスタッフに伝わったのかもしれない。ゾフィーが哀しいほど、かませ犬が板についてしまってギャグになっていた。旧作も含めて全体のバランスを計算して脚本(大筋)を練らないから破綻させてしまう。今となってはウルトラシリーズ全てを把握するのも困難で、全部見ろ、と言われても誰もやりたがらないと思う。現代のウルトラマンタイガがどういうテイストで作られているのか全く知らない。世相を反映させすぎると世界観が破綻する。





ニュースの価値

自民党の小泉進次郎とフリーアナウンサーの滝川クリステルが妊娠/結婚を発表した。途端に、テレビの報道番組と情報番組では2人の結婚ニュースを大々的に取り上げた。テレビ局のアナウンサーらが「将来の総理大臣と総理夫人」などと称して持ち上げていたことには不信感しか感じない。韓国が追い詰められている状況にあるので、朝鮮人と関わりの深い小泉家を持ち上げることで将来の打開策にしたいのだろう。いま小泉進次郎総理を誰よりも望んでいるのは外ならぬ朝鮮人である。


ここ最近の小泉進次郎の立ち位置は微妙なものになっている。自民党内で反旗を掲げたことから党内での求心力は著しく低下している。世間では小泉純一郎と朝鮮ヤクザの関係が暴かれており、政権を担った小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」と連呼していたことも、北朝鮮筋から言わされていただけだったのだと有権者に悟られている。小泉家そのものに対する見方がガラリと変わっていて、親朝派の政治家もしくは朝鮮傀儡の政治家と見なされている。父親のイメージを払拭するべく、進次郎は精力的に活動していたが次第にボロを出していた。流れを変える意味でも滝川クリステルとの結婚を大々的に発表"させられた"のだろう。


韓国のことばかり報道していたテレビ局は一斉に小泉進次郎のことばかり報道している。テレビ局が一斉に宣伝していることから胡散臭いものを感じる視聴者は非常に多い。すぐさま、一部のネットメディアがテレビの報道番組に対して異論を唱えている。もっと他に取り上げることがあるだろうに、国民は関心を示していないにも拘らず、一議員の生い立ちから恋愛遍歴から取り上げている。ワイドショーと呼ばれた時代から情報番組では芸能人の恋愛沙汰を取り上げていたがファンは恋愛沙汰には興味がない。事故や事件に巻き込まれて引退を余儀なくされるといった活動に支障をきたす出来事にしかファンは興味がない。政治家に転身する芸能人が選挙で落選し続けていることもファンの心理を表している。




先週は吉本興業のニュース一色だった。企業の雇用に関する議論と相まって世間の関心が高かった。吉本興業に雇用形態の見直しが迫られ、岡本昭彦社長が会見を開いて対応することも発表した。第三者を交えて社内会議を開いて雇用形態の改定を発表したものの、テレビは小泉進次郎一色に染まっていて、吉本興業の動きを詳しく伝えようとはしなかった。関西ローカルの情報番組では詳しく紹介した。全国ネットの情報番組では取り上げてもいなかった。経営陣と芸人の対立を煽るようなことまでしておきながら無責任ではないか?加藤浩次が骨抜きにされてからトーンダウンしていたこともあって吉本興業のお家騒動についてはテレビ局も旨味を感じなくなっている。テレビ局の思惑によってニュースに割く時間が変わるのは思わしくない。常に社会的に重要なニュースを取り上げることが公共電波を授かるテレビ局の使命である。


温暖化に対する暑さ対策を紹介することは、国民の関心のある無しに関わらず必要な知識と言えるので、報道番組と情報番組を通じて注意喚起する必要がある。政治家や芸能人のプライベートに関する情報は国民が必要としない情報であり、30分も40分も時間を割いて取り上げるべきではない。政治家に関するニュースでは政策内容や活動報告を取り上げるべきだ。選挙のときだけ政策を主張させ、当選後の活動報告が無いのだから、国民は政治を理解できない。マニフェストを掲げることよりも活動報告の方が重要度は高い。活動内容がしっかりしたものなら、その政治家の評価は上がる。何をしているか解らない政治家が多いので評価も曖昧である。分析すべきことを分析できていない。


都市構造の問題を議論することはあっても宗教問題を議論することはない。都市をどんなに改善しても人間そのものが駄目になっているのだから社会環境が良く成らない。アメリカでは移民問題が深刻化してきて人間関係が壊れ始めている。従来の宗教問題や思想主義に加えて移民問題まで抱え込むと人間関係が成立しなくなる。利益目的を1つにしなければならない企業活動においても内部分裂が起きている。人間社会を崩壊させるから企業は利益を得られない。五輪や万博を誘致してインフラの再整備に国家予算を引っ張ってこようとする。そんなことをしても何も変わらない。世界的には五輪や万博の誘致活動から手を引く傾向にある。悪戯に予算を浪費するだけで後に残るものが少ない。


関西ではインバウンドで気勢を上げているものの、確実に社会には悪影響し始めている。御堂筋商店街は中国人観光客向けのドラッグストアが乱立した。その周囲にも低価格ホテルが乱立している。次第に街の中から文化や個性が消えている。ホテルやドラッグストアを経営しているのも中国人だ。中国人が日本式サービスを中国人に提供している。日本人は土地を貸しているだけだ。中国人が精神的に成熟しておらず、中国市場で偽物商売が蔓延している内は買い物客が殺到する。中国人が精神的に成熟して中国市場が変化すると買い物目的の中国人は来なくなる。中国では実業家が京都の風情を再現したテーマパークを作ることを発表した。日本で中国人が行っている日本式サービスをそのまま移植する。日本でも中国でも情報が偏るので民衆の動きも偏っている。その結果、街がバランスを失っている。日本の都市構造に対する悪影響も、中国の都市構造に対する悪影響も、どちらも中国人がやらかしていることである。そのような性質を読み解くことも社会活動として重要である。



小泉進次郎と滝川クリステルの結婚を取り上げたところで社会には何の恩恵もない。自民党はやや恩恵を受けるかもしれない。朝鮮人は小泉家の人間に政権を取らせるのに必死だ。それだけが伝わってきた。情報としては大した価値はない。意味のないことに時間を費やし過ぎている。朝鮮人や中国人にメディアを扱わせてはならない。






梶裕貴、泥仕合の形相

ちょっと、凄い展開になってきたな。
梶裕貴の今後が心配になってきた。


『進撃の巨人』の主人公エレン役で知られる声優の梶裕貴が猛攻撃に晒されている。今年の6月に結婚を発表してからというもの過去の女性声優との関係暴露に始まり、二股していたと言われる内田真礼とのイチャラブ画像が次々に投下されて、SNS上のアニメオタクどもを震撼させている。どこから、こんな写真が流出してくるんだ・・・・とアニメオタクどもは困惑しているが、リークなどという甘っちょろいものではなく意図的な攻撃と思って良いだろう。


渦中の女性声優・内田真礼自身がホテルで撮影した写真が投下された。写真のアングルや構図からして撮影したのは本人で間違いない。ラブホテルで事を済ませた直後なのかスッピンで映っている。内田真礼の背後には顔がむっくりした中年男性が立っている。顔の大部分は消してあったが特徴的な顎のラインから直ぐに梶裕貴だと特定されている。写真と共に2人のものと思われるラインの会話まで投下された。絨毯爆撃に晒されて梶裕貴の家庭が崩壊しかけている。手籠めにされた女による復讐劇だ。


梶裕貴も一度はSNS上の噂を気にしてコメントを出した。火に油を注ぐようなコメントを出して大丈夫なのかと思いきや猛烈な反撃を食らっている。共演者たちが直ぐに祝福のコメントを出さなかったことからも、誰もが修羅場になることを予期していたのだろう。内田真礼の方は完全に捨て身で攻めてきている。声優界を食い物にしてきたセックスモンスター梶裕貴は回復不能なダメージを負わされている。梶裕貴のファンと思わしき勢力がどうにか擁護してきたものの、ホテルで撮影した画像まで投下されたのでは反論できない。


こうなってくると鉄のメンタルを持つ人間が生き残る。梶裕貴も内田真礼も鉄のメンタルを持っている。そこまで打たれ強くない竹達彩奈(梶裕貴の結婚相手の女性声優)が最初にダウンするだろう。梶裕貴は職場で100%のパフォーマンスを見せつけることで周囲を黙らせてきた。俳優界のセックスモンスター中村獅童がそうであったように、頼まれた仕事を100%完遂されてしまうと男女関係については何も言えなくなる。そこは大人の男女の関係なのだから当人同士で話し合えば良い。周囲が口を出すことでもない。「要領よく」ではなく、力業で周囲を圧してきた人間だからこそ、梶裕貴は微妙なコメントを出して内田真礼の暴走を阻止しようとしたのだ。その考え方が内田真礼の根性に火をつけてしまった。


ちなみに「梶」という名前は平安時代からある。「内田」は解らない。



ジョジョ4部と進撃で梶裕貴の名前を知ったが同作を見た印象では演技を完璧にこなしている。進撃を最後まで走り抜けてくれれば何も思わないが、絨毯爆撃を浴び始めているのを見ると、持ちこたえられないのではないかという気がしてくる。梶裕貴のSNSのコメントが転載されていたのを1つ見たが、女性の執念や捨て身を甘く見すぎている。プライベートでリアル康一くんを演じなくても構わんのにサービス精神旺盛すぎる。ホテルの画像について「梶裕貴による反撃ではないのか?」というアニメオタクの読みは違う。あれが女の執念だ。


ここまで泥仕合を呈してくると声優界に影響する。芸能事務所としては弱小だろうからプライベートの監視はしていない。誰と付き合おうと口出しもしないだろう。食い放題のジャンルになっている。そのような印象がアニメオタクにも伝わり、声優を志す人間が増えるかもしれない。その第一人者として梶裕貴がブレイクしている。そして大火傷した。惚れられないようにすればいいのに、惚れさせてしまうから執念の標的になる。結婚発表後、声優ファンは複数の女性声優の反応がおかしいことを次々指摘していた。遊ばれた複数の女性声優は内田真礼の反撃を応援しているだろう。


最近はジャニーズや吉本興業でも内部リークを防止できないほど、情報の漏洩や拡散が多発している。小規模の芸能事務所だとタレントの行為を止めることもできない。どちらが悪いのかといえば梶裕貴の事後処理ミス。声優界は女を食い物にし過ぎてきたので問題にならないだけで、今のハリウッドなら一発レッドで梶裕貴は退場になっている。日本国内のリベラルは「口だけリベラル」だから中国人界隈では普通にも女性の性奴隷化が続いている。現場の人間関係がギクシャクするようなことを避けるのも社会人の務め。そんなにアニメも見ないので進撃だけきちんと作ってくれることを願う。




2020年公開予定の『シン・エヴァンゲリヲン劇場版』は新しいティザー映像が公開されるたびに「収集がつかないんじゃないか?」とファンを絶望させている。先に公開された冒頭10分程度の映像からは何も驚きは得られず、続いて公開されたティザー映像からは作中の状況が悪化しているように思える。


旧作は「ゼーレの思惑」と「碇ゲンドウの思惑」という対立軸が存在した。最終的に部外者である碇シンジがサードインパクトを発動させて世界を滅ぼしたところで終劇となった。新劇場版シリーズでは破からQの間の空白の14年間にてゼーレがフェードアウトしたことで、「碇ゲンドウの思惑」とそれを阻止すべく活動するヴィレの対立が描かれている。そして、またしても部外者である碇シンジの手によってフォースインパクトが発動されて世界は深刻な状況と化した。


旧作と新作を通じて母親の碇ユイはほとんど出てこない。その代わり、劇中で使用されている音楽には碇ユイのメッセージが多分に含まれている。テレビアニメの主題歌『残酷な天使のテーゼ』も劇場版主題歌『魂のルフラン』も、その歌詞は碇ユイの視点で綴られている。旧作の最後に流れる『Komm,susser Tod-甘き死よ、来たれ』では「すべての罪は私にある。」との詩が綴られている。人類の痕跡を残すために碇ユイが初号機のコアと一体化したが、そのことでゲンドウが暴挙に出てしまい、最後はシンジの手で世界が破滅した。「その罪はすべて私が背負っていくことにする。永遠の命と共に。」が最後のメッセージとして流された。


オタク共が「まったく理解できない」と言っているのは碇シンジを軸として物語を見ているからだ。物語の主軸は碇ユイであり、人類補完計画である。碇シンジは部外者に過ぎない。旧作の碇シンジは部外者のまま終わった。新作の碇シンジは当事者になり、人類補完計画の意味を知ってしまった。新作で使用されている楽曲は旧作ほどの意味を持たせていない。ここまで碇ユイの視点で放たれたメッセージは1度も出ていない。1つ言われているのがQには10分ほど続きがあって、そこで使用されている『ロンドンデリーの歌』が碇ユイの心情を表しているのではないか?ということだ。


かなり要約すると『ロンドンデリーの歌』は「戦場に赴く私の坊や、あなたが私の元に帰ってくる頃にはもう私はこの世にいないでしょう。しかし、私は土に帰って、故郷に芽吹く草花と共に、いつでも貴方を温かくむかえるでしょう。」という内容になっている。旧作は「永遠にその罪を背負っていく」で、新作は「私は死んでいるでしょう」となっている。 この違いは「世界の破滅」に対する碇ユイのスタンスが変わっていることを意味している。初号機のコアはブンダーに再利用されており、Qでは碇ユイの仮の姿であるブンダーがゲンドウと戦っている。Qは世界を再建する内容で、それが上手く行かずに悪化させたところで終わる。シンの冒頭の世界を再建する部分はQと内容が被ってしまうので、Qのお尻の部分でやってしまった方が良かった。


物語の焦点をユイ・ゲンドウ・シンジの三者に絞るのか、三者を取り巻く周囲に向けるのか、収集が付かない状況とかしていて、どちらも中途半端になりかねない。旧作は周囲の人間を度外視して突き進んだので上手くまとまっていた。新作は周囲の人間が自主的に動き出したことから綱引きになっている。誰の物語なのかも既に解らない。高潔な精神性も薄らいでいる。今更、ユイ・ゲンドウ・シンジの三者が相対して何を語っても周囲は受け入れられない。特にゲンドウの行動は許されないものと化している。「ゼーレの思惑」を書き換えようとした旧作のゲンドウには正義も感じられた。人類を破滅させようとするゼーレのシナリオを書き換えることが物語をハッピーエンドに帰結する術であり、それを考えるとゲンドウこそが真の主役にも見えた。


新作のゲンドウには正義の欠片も無くなっている。何がしたいのかさえ分からなくなっている。碇ユイをサルベージすることを目的としているのならば、碇ユイの仮の姿であるブンダーを攻撃できない。破のラストでロンギヌスの槍で貫かれた時点で初号機もろとも死んでいないとおかしい。色々素材が出て来るが、ロンギヌスの槍で貫かれた場合とカシウスの槍で貫かれた場合の意味付けはちゃんとできているんだろうな?庵野はゆでたまごと同じで設定を忘れるタイプのクリエイターだから、ラストから遡ると矛盾点が生じている。ここまで世界を破壊すると、ゲンドウ暴走の事の発端であるユイは命をもって償うしかない。それが『ロンドンデリーの歌』の意味するところなのだろう。ヴィレ以外は正義では無くなっているので、ユイ・ゲンドウ・シンジの三者を立ち会わせてもまとめられない。もう1度、14年先まで飛ばすか?




ラストではアスカとシンジの子供が出てくると予想している。あの3人に何を語らせてもハッピーエンドには成らない。あんだけセカンドインパクト、サードインパクト、フォースインパクト、とやってしまうとテクノロジー化してコントロールするようになってしまいそうな気がする。14年後の世界では第777号機ぐらいまで行きついて、ミニマムなセカンドインパクトを行えるようになっていて、自在に世界を書き換える時代になっている。人類の傾向からすると必ずテクノロジー化と汎用化と商業化が起こる。神の力も神の力ではなくなり、日常の光景の中に溶け込んでしまう。商業化された原子力のように。そんな世界にアスカとシンジの子供が生まれている。ヴィレが利権を独占し、ユイ・ゲンドウ・シンジの3名は既に死んでいて、功労者として語られている。アスカとシンジの間に生まれた子供がヱヴァンゲリヲン最終号機に乗り込んでヴィレによる悪魔の所業を終わらせる。ヴィレによって作り変えられた14もの惑星はファイナルインパクトに飲み込まれて消しさられる。神の力を手にした者が悪魔に成り得ることを伝えて終わりを迎える。


庵野秀明はヱヴァンゲリヲンを拡張できる作品にしたいと語っている。それはできない。セカンドインパクトの威力があり過ぎる。拡張するとセカンドインパクトが商業化する。すでに、シン・エヴァンゲリヲンの冒頭で、その兆候が表れている。シトの量産化が進んでしまってテクノロジーの暴走が始まっている。ネルフが築いている遺産はあまりにも危険すぎる。その延長線上にあるのはセカンドインパクトの商業化以外に無い。エンターテイメントには拡張できるものとできないものがある。ヱヴァンゲリヲンは拡張できない。未来に進めば進むほど、テクノロジーは進歩していて、人間の知識も増えている。未来を思描くときはテクノロジーの進歩を必ず計算する。


日本は世界で最初に核兵器の開発に着手した。その情報がアメリカに盗まれて、アメリカが追従してきた。これはまずいとドイツも本格的に動き始めた。ソビエトは何人ものスパイを使ってアメリカの状況を把握していた。神々の世界に居る者達は最初からそんなことになり得ることまでも予期して核開発を止めている。神だけが全てを掌握していて、神の知識を1つ与えられた人間が悪魔になっていく。その悪魔の行きつく先は破滅しかない。悪魔と化した人間を食い止められるのは神しかいない。凡人は世界がどのようにコントロールされているかを知らない。


セカンドインパクトやサードインパクトは惑星そのものを作り変える技術と捉えることができる。ゼーレもネルフも地球上で実験していたが、あのレベルのテクノロジーがあるのなら火星で実験するだろう。ヱヴァンゲリヲンを拡張するとそういう話になってくる。高潔さも何も無い。本物の神は私がそうであるようにテクノロジーも知識の進化も止めてしまう。富野には「戦争の意味が無くなってるぞ」と諭したが、庵野には「エヴァの世界に未来はない」と言わなければならない。ヤマトリメイク版は超次元のテクノロジーを何だかんだ理由を付けて破棄させることにしていた。それが存在すると世界のコントロールが不可能になる。



エヴァンゲリオン第80号機まで来ると、神化する一歩手前の臨界状態で他の惑星に撃ち込み、惑星の高度
1000m付近に来た時に神化させてサードインパクトを発動させる。その惑星の有機物を瞬時にして変えてしまう。核兵器はただ破壊をもたらすだけだが、神化したエヴァシリーズは再構築できる。戦争にも応用できる。ロンギヌスの槍も大量に製造され、神化するエヴァシリーズの阻止に使われる。コードギアスでそういうシーンがすでにある。面白がってテクノロジーを出してくるアニメが多い中で、上手くテクノロジーをコントロールしながら配分していたのが進撃だった。進撃は拡張できる。初めからそれも計算しているように見える。ガンダムやエヴァは後々に拡張することを企画段階で考えていない。ガンダムはニュータイプが扱いにくい。アムロはMSなどの兵器類を大幅に進化させる頭脳を持っている。そのことに気づかないで物語を進めたことで破綻せずに済んだ。



人類はまだ日本人の精神性には全然追い付いていないので、まだこんな話はしない方が良いだろう。100年も200年も過ぎて、今よりも人類の精神性が進展すると多くの人間が考えるようになる。今はまだ考えて生きている人間は少ない。教わって生きている人間だらけなのだよ。











吉本興業の口頭契約

吉本興業の契約問題について所属する芸人らの意見が対立している。吉本興業と所属芸人の間で収益が9:1で分配されているとする話がある。「1日ステージに立って給与が1000円だった。」などの自虐的な話をする芸人は昔から幾らでもいる。1980年代の人気バラエティー番組『オレたちひょうきん族』では、貧乏芸人らが生活苦を歌にする『ラブユー貧乏』というコーナーが人気を博していた。一般庶民は芸人の貧乏生活ネタを楽しみ、悲観的な気持ちを打ち消すことができた。


いつの間にか、芸人がアイドルタレントやスターの様になってしまい、テレビで豪遊を自慢し始めた。数千万円する高級スポーツ・カーを購入しただの、アメリカへお笑い留学してセレブに会っただのと、一般庶民の感覚から懸け離れた自慢話ばかりする。昔の芸人は月収2000万円を受け取っていても、世間の顰蹙を買うような自慢話をせず、一般庶民の共感が得られる話題で笑いを誘っていた。漫才は娯楽の1つに過ぎず、一般庶民の興味が薄れると興行収入は急落する。如何に、お金を使ってもらえるかに知恵を使っていた。それなのに、一発当ててスターになることだけを考えて芸人の世界に飛び込む若者が増えている。


吉本興業が法令に基づいて芸人を正社員として雇用する方式に切り替えたとしよう。今所属している6000人規模の芸人の内、正社員として残れる芸人は1000人もいない。個人もしくはコンビの実力で客を呼べる芸人はほんの一握りしか存在せず、8割強の芸人は解雇される運命にある。新人の採用も閾が高くなる。口頭契約という曖昧な雇用にしていることで給与の保証はできないが大勢の新人と契約できる。より大勢にチャンスを与えることで、そのチャンスを掴んで成功する芸人も出て来る。成功する・しないの確率論でいくと、できるだけ大勢の人間に漫才をやらせてみた方が成功する人間を見つけやすくなる。


新規にビジネスを始めるときは確率論も加味する。10人と契約して10人成功する確率は0%。100人と契約して10人成功する確率は10人と契約したときよりも高くなる。「10人成功させる」ことを目標とした場合、それを実現するには契約人数が多ければ多いほど可能性が高くなる。娯楽産業は一発当てるしかない。言い換えれば、一発当ててくれる人間を見つけるしかない。その確率を高める方法として母数を増やす手がある。契約条項を曖昧にすることでそれが可能になる。1人のみ採用すると、その1人を絶対に成功に導かなくてはならない。個人の実力も必須だが、周囲のサポートも完璧にしなければならない。それが失敗すると会社が潰れてしまうハイリスク・ノーリターンである。6000人もいれば何かしら良い要素は出て来る。それを上手く活用して利益につなげるしかない。


私は旧国営企業を相手に経営コンサルティングする中で、この確率論も説明した。国のインフラの利用率を高めることで、国民の生産活動や経済活動が活発になり、母数が増えることで社会の発展性を広げることができる。世界各国の政府関係者から何時も質問されるのだが、日本の第二高度成長期である1980-1990年代の取り組みはインフラ拡充による母数の拡大が経済成長につながる一番の要素だった。まずは、国内のどこかにいるかもしれない才能豊かな人間が活動の場を得られるようにする。次に市場全体を俯瞰して良い要素を抽出する。その作業が私に一任されていた。交通網を全て拡充した。陸路と空路を拡充したことで海路は減少したが交通網全体として見た場合には広く拡充されている。地方の過疎化によるインフラの消滅は別問題である。


娯楽産業の性質を考えた場合、吉本興業の雇用方式は理にかなっている。お笑いのセンスに優れた人間は万に1人しかいない。それを一発必中で発掘することは誰にもできない。お笑いに限らず、音楽アーティストや小説家や漫画家にしても100%成功する保証は何処にもない。母数を増やして成功する要素を抽出していく方式をとらざる得ない。才能に恵まれていたとしても、その人物が突然不幸に見舞われることもある。あらゆるリスクを考慮すると一蓮托生では瞬時にして会社が潰れてしまう。漫画家は使い捨てだと言われたりするが、娯楽産業は概ね使い捨てになる。その中で大きな成功が得られれば巨額の報酬も得られる。そのような世界であることを覚悟しなければならない。


口頭契約とはいえ、吉本興業と契約することにはメリットもある。専用の劇場を保有しており、吉本興業の名前で客を集めてもらえる。他のお笑い芸能事務所よりもチャンスは貰える。それをモノにできるかどうかは個人の才能にもよる。まずは見てもらわないことには何も始まらない。実力や才能が正当に評価されていれば良いのだが、社会には共産党やカルト組織(暴力団)といった利益団体が蔓延っていて、自分の組織の人間を吉本興業内で出世させようとする。島田紳助やダウンタウンであれば創価学会が全面的にバックアップしている。創価学会の母体とも言える山口組がバックアップしている。創価学会と山口組は同じ組織なのだが、どちらがどちらを飲み込んだのかは解らない。


島田紳助がステージに立つ日は、客席に創価学会信者の女性が集まっている。面白くないネタでも創価学会信者が笑いを起こす。熱気的な人気があるように見せかけている。島田紳助やダウンタウンはそれなりにマシな方だが中川家やとろサーモンになると実力も無いので世間一般の視聴者は何が面白いのか理解できない。M-1グランプリは創価学会系企業がスポンサーを務めている関係で創価学会信者が優勝しやすくなっている。中川家は創価学会信者というだけで初代王者に輝いたのだが、実力が不安定なことからすぐにフェードアウトした。ブラックマヨネーズやフットボールアワーの後藤らは、フリートークや司会進行もできるマルチな才能を発揮して芸能界で地位を築くことができた。漫才の才能だけでなく、秘めたる他の才能を発揮して生き残る。漫才一本で勝負している漫才師はすぐに活躍の場がなくなっている。お笑いブームの再燃によって漫才師も増える一方なので数が増えると目立たなくなる。第一回M-1グランプリの上位3組である「中川家」と「ますだおかだ」と「アメリカザリガニ」の内、生き残っているのはまずだおかだのみである。テレビで注目を集めた彼等にしても生き残れるかどうかは解らない。


そんなリスクのあるビジネスであるが故に吉本興業に対しては創価色を強めるなと警告しておきたい。なんだかんだで色んな芸人を売り出しているが生き残っていない。一発屋と呼ばれる連中は見るに値しない。作られたブームも飽きられてしまっている。サンドウィッチマンあたりの実力者を見ていると、やはり才能のある人間でないと世間の荒波は乗り越えられない。サンドウィッチマンは漫才のネタが面白い。それにプラスしてバラエティー番組では司会も受けもできる。どのポジションに配置しても上手く機能する。普通にコミュニケーションできない芸能人が増えている中で、つなぎ役としても重宝されるだろう。そんなサンドウィッチマンでも10年間売れていなかった。サンドウィッチマンが評価されてこなかったのは、世間の一般庶民に占めるカルト信者の率が上がっていて、社会や市場が正常に物事を判断できなくなっているからだ。人間関係がギスギスするだけでなく、市場の評価機能も損なわれる。



会社としては何よりも利益を確保しなければならない。宗教団体と契約すると利益を回してもらえるが、それに手を染めてしまうと自社商品に対する正当な評価を受けられなくなる。必然として世間一般の評価とのズレが大きくなり、最悪の場合は社内に実力の無い人間だけを残してしまって自滅する。大元である共産主義国はすべてそれで駄目になっている。日本企業にも、米企業にも、共産主義国の人間とビジネス契約しないよう忠告するのも、目先の利益の回収ばかりすると企業の価値を見失うことになるからだ。実力の無い人間が昇格して、実力の
ある人間が評価されずにいると、社内に不平不満も蓄積する。それを上手く消化する術が無ければ内部から崩壊する。


吉本興業の芸人たちが待遇面で文句を言いだしたが、日本国内の娯楽市場が縮小に向かっていることも説明しなければならない。映画や音楽や漫画やゲームといった娯楽産業はどれを見ても市場の縮小傾向を示している。お笑いに関しても同様の傾向が出ている。吉本興業も今以上に収益が伸びることはない。娯楽市場が活性化しつつある中国市場に進出するか?映画や音楽や漫画などの娯楽はすべて中国市場に進出している。お笑いだけはガラパゴス化している。ここにきて、国際情勢の悪化に伴い、中国企業との契約を打ち切るニュースも増えている。ニューフロンティアを中国市場に見出した娯楽産業にとっては先行きに不安ばかりが提示されている。企業経営者らは市場の変化に敏感で生き残る術を模索している。


一般のサラリーマンと違って、世間の笑いを誘うには世の中の不条理な出来事や話題のニュースに精通していなければならない。それを如何に笑いに作り変えることができるかに掛かっている。社会風刺は今も笑いの王道である。しかし、昨年のM-1グランプリを見た限りでは、笑いのネタがマニアック過ぎて一般大衆が共感できる内容が少なかった。マニアック過ぎると極一部しか笑わないので回数を重ねるとジリ貧の展開になる。それと能力を発揮しきれていないコンビも目立った。吉本興業のマネジメントが機能していない。変な人間を集めすぎるのも考え物である。




会社に文句を言いたいのであれば会社に大きな利益をもたらすことだ。貢献度の高い人間の発言には耳を傾けてくれる。養ってもらっているだけの人間が意見しても相手にしてくれない。どんなに健全な意見を述べたとしても今の吉本興業の創価陣営が相手では効果は期待できない。





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