|
時は、元禄15年12月14日寅の上刻(午前3時頃)、四十七士が、本所松坂町の吉良上野介邸に討ち入った。 おなじみ、忠臣蔵であり、303年前の今日は、赤穂浪士の討ち入りの日である。 浅野内匠頭の『遺恨忘れたか』で、松の廊下での刃傷に及んだ事件から幕が開いた忠臣蔵のクライマックスである。 忠臣蔵では、吉良は、意地悪い年寄り、浅野は、若く熱血漢溢れる青年ということになっている。 でも、吉良の地元では、良きお殿様で治水事業などの功績もある。 浅野は、癇癪者で家来も困っていたという話もある。 それに、浅野に切りかかられた吉良は、何が何だか解らなかったという話もある。 真相は、その日のうちに切腹させられた浅野に聞かなければ解らないが。 真相はさておき、最近は、ちょっとした事で切れる奴が多い。
怖くて迂闊な事が言えなくなった。 下手をすると殺されかねない時代だ。 だから、関係のないことには拘わりになりたくないと思うようになってしまう。 それにしても、物騒で嫌な世の中になったもんだ。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





年末といえば「忠臣蔵」ですよね。泉岳寺に行った時は、ここがあの赤穂浪士が眠る所なのかとちょっと感動しました。 真相は分からないけど、日本の歴史が受け継がれるのは大事な事ですよね。 私が福岡へ帰ってから、連日ニュースで小学生が亡くなってます。悲しい事件ばかりで本当ウンザリです。何でこんな世の中になっちゃったんだろう・・・。
2005/12/14(水) 午後 6:32 [ tomomon ]
はじめまして。僕はまだ学生なんですが、今日朝会で赤穂浪士の話を聞きました。言葉はよく覚えていないのですが、吉良を討った四十七士の処分についての話でした。主君の仇を討った忠臣としてたたえるのか、処刑するのか。「殺せば仇が連鎖する」ということで切腹という形になった、という話を聞きました。新着で見つけて、朝こんな話を聞いたので、書きませていただきました。長くなってすいません。失礼します。
2005/12/14(水) 午後 6:36 [ gan**_lj ]
tomomonさん、早速ありがとう。小学生の生徒に嫌われ切れてしまったアルバイト講師、我慢が出来なくなってきたんですね。容疑者と同年代の子供がいる太朗としては、我慢を教えた子育てが間違ってなかったと思っているのだが。
2005/12/14(水) 午後 7:03
ganji_liさん、中学生で陸上の部活ですか、私は、軟式テニス部でしたね、懐かしい。元禄時代の将軍綱吉は、犬年生まれ、生類哀れみということで、犬を粗末にしたら人間が処刑された時代でしたからね。喧嘩両成敗なのに浅野だけ処刑されたから浪士が怒ってあだ討ち。だた徒党を組んでの奇襲のあだ討ちですからね、美談とするわけにはいかなかったんでしょうね。
2005/12/14(水) 午後 7:16
忠臣蔵は師走の風物詩にもなるくらい日本人に馴染んでますね。忠誠を誓った侍の美談だけが取り上げられていますがでも本当に真相はどうなんでしょうね。今なら浅野内匠頭を裁判に掛けて真相を暴くとかになりますが、血の気の多かった時代の事と今の直ぐに切れる世相は何か共通する物があるのでしょうかねぇ・・。
2005/12/15(木) 午前 4:45 [ y_o*m0* ]
日本人には、忠臣蔵は受けるんですよね、桜で始まって雪で終わるお話。散り際の良さもいいほうに支持されて。最近は、心に余裕が無く、ストレスまみれで精神的に追い詰められ、切れるんでしょうね。
2005/12/15(木) 午前 5:28
今更ですが、TBさせて頂きました。
2005/12/22(木) 午後 6:40