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――257安打達成後のイチローの記者会見から――
イチローは2004年のシーズン、ジョージ・シスラーのメジャーリーグ記録、年間257安打を更新、年間262安打を達成した。イチローの記録は、スポーツにおいて日本人がこれまでに達成した記録の中でも、最高の位に位置付けられるものである。野球以外の競技でも、84年間も更新できなかった記録など想像すらできない。記録の価値はもちろんだが、イチローが257安打更新後の記者会見で語った言葉は、野球に限らず日本人アスリート(競技者)が語った言葉としては、最良のものだった。
■アスリートは頭を使わない人間?
この国では現在でも、アスリート、スポーツ選手は頭を使わずに体だけを使う人間だと、間違った認識をもった人たちがいる。自分は頭がいい人間だと考えている人たちほど、そういう人が多い。かつて、ある学者が書いた、こんな文章を読んであきれ果てたことがある。
「陸上競技の短距離レースは、人間の筋肉の量を数値化したものである」
とんでもない間違いである。スポーツは、頭と体との精密な連係によって行われる。この学者の珍説に従えば、日本人が陸上競技・短距離に挑戦すること自体が無意味である。しかし、小柄で少ない筋肉の量しかもたない末続慎吾は2003年のパリ・世界陸上で、圧倒的に筋肉の量の多い黒人選手と競って、銅メダルを獲得した。同じパリ・世界陸上で銀メダルを獲得し、2004年・アテネ五輪で、ドーピング違反の選手の失格によって、日本人で初めて、投てき競技で金メダルを獲得した室伏広治にしても、ハンマー投げでは、小柄な筋肉の量の少ない選手である。
■言葉を「細切れ」のように扱うTV
記録は筋肉の量に比例するという珍説を公にした学者先生のような人にこそ、イチローの記者会見に耳を傾けてもらいたかった。彼らの偏見と無知とを恥じてもらいたいからである。しかし、残念なことにこの国のTVは、アスリートの言葉を「細切れ」のようにしか扱わない。ニュースや特集では、言葉の一部を「ひょいと摘み上げる」ようにしか扱わない。番組制作者には、イチローの語る言葉の意味が分からなかったのだろう。それで、イチローの記者会見での言葉をこのコラムに再録し、その意味を筆者なりに考えてみることにした。
(イチローの記者会見の「テキスト」には、10月3日付朝日(http://www.asahi.com /)の「イチロー会見一問一答」と、「スポーツ・ナビ」(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)の記事「イチロー、年間最多安打記録の意味」から引用しました)
■緊張をコントロールする「もう一人の自分」
――周囲に期待されて苦しかったのでは
「やっている間にプレッシャーから解き放たれるのは不可能。背負ってプレーするしかない。でも、ドキドキ、ワクワクとかプレッシャーが僕にとってはたまらない。これが勝負の世界にいる者のだいご味。それがない選手ではつまらない。」(朝日)
昔からこんな話がある。緊張してあがってしまう場合は、手のひらに「人」という文字を書いて飲み込む動作をするといい。「人を飲み込んでしまえ」という訳である。しかし、こんな動作をしても緊張は解けない。過剰に意識することで、緊張がより高まってしまう。
イチローは常に緊張(プレッシャー)を意識してプレーしている。いや、「緊張する自分」を「もう一人の自分」が意識してプレーしている。イチローにとっては、緊張なしのプレーはあり得ない。緊張する自分をもう一人の自分がコントロールする。それが、イチローの言う「だいご味」なのだろう。
■257本目の重みとは?
――257本目と258本目の違いは
「最初の方が重かった。背負っているものが。」(朝日)
「257本目」には100年を超えるメジャーリーグの歴史と伝統が封じ込められている。257本目を打つことは、メジャーリーグの歴史と伝統と、生身の人間であるイチローが「同化」することである。だから、258本目よりその意味ははるかに重かった。
■勝てないチームに「シンクロ」しない
――新記録の原動力は
「野球が好きだということですね。それと、今季に限って言えば、チームが勝てない状況が続き、そこに身を委ねることができなかった。プロとして勝つだけが目的ではない。プロとして何を見せなくてはいけないか、を忘れずにプレーした。」(朝日)
今シーズン、チームの優勝ではなく、個人記録を目標に設定した動機を語っている。勝てないチームに「シンクロ(同調)」することはできない。イチローは「群れる人間」ではない。「名誉ある孤立」を選ぶ人間である。
今シーズン、仮に賞賛ではなく正反対の評価を受けたとしても、イチローは自らの決断と行為を恥じることはなかっただろう。
■無駄こそが宝物を探し出す「鍵」
「(4月の打撃不振は)僕にとっていい経験だったと思っています。決して無駄なことではないですし、野球っていうのは、無駄なことを考えて、無駄なことをしないと、伸びない面もありますから。だから、決して(回り道になったとは)思っていないです。」(スポーツ・ナビ)
無駄なことをやらないと、無駄なことを考えないと、本当に必要なこと、大切なことは分からない。無駄なこと、試行錯誤の中にこそ、自分の中にある宝物を探し出す「鍵」がある。それは、野球に限ったことではない。
現代社会は、効率一辺倒の傾向がますます強まってきている。無駄なものを削ぎ落とすことで効率は高まるが、無駄とともにもっと大事なものが削ぎ落とされていく。生物の世界は、巨大な無駄の存在によってこそ、成り立っている。
■可能性は自分の中にある
「僕がこちらに来て強く思うことは、体がでかいことにそんなに意味はない。ある程度の大きさっていうのは、もちろん必要ですけども、僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる。」(スポーツ・ナビ)
イチローが会見で語った最も重要な部分である。イチローの言う「可能性」とは何か。表層的には体の大きさについてである。しかし、深層的には別のことを語っている。可能性とは、外部にあり他の誰かに教えてもらうものではない。自分の中にあることである。
イチローは他の誰にも似ていない。子どものころ(基礎段階)を除いては、誰にも教わらなかった。誰もイチローを教えることはできなかった。目標とする選手、スタイルもなかった。全ては、自分で自分の中にあるものを探しだし、それを熟成させてきた結果である。だから、他の誰とも似ていないのである。イチローだけの技術、スタイルを確立した。いやそうではない。技術とスタイルはいまも変化している。今シーズン中もイチローの打撃フォームは変化している。
イチローは子どもたちに対して、体の大きさになぞらえて言っているのである。他ならぬ自分自身の中にこそあなたたちの可能性を探しだしなさい。そこにはたくさんの宝物がある。その宝物は、誰かに探してもらうことはできない。自分自身で、自分自身の力で探しださなければならない。
■イチローの体のさばき方
イチローの技術やスタイルのベースになっている体のさばき方(使い方)については、この会見では語ってはいない。質問がなかったからである。イチローの体の使い方、バランスや、重心の置き方、重心の移動の仕方は、日本人選手にも、メジャーリーグのどの選手にも似ていない。
アスリートとして最も「ハイ」な状態で会見に応じたイチローに対しては、是非とも独特の体のさばき方について質問すべきだった。しかし、多くの日本人記者は、そんなことに興味はもっていないようである。イチローの「秘密」を聞き出すチャンスをみすみす逃した日本人記者たちの貧困な感覚が残念だった。(2004年10月6日記)
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