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日本のスポーツ界最大のスーパースター、長嶋茂雄氏が、今季限りでプロ野球・読売巨人軍(ジャイアンツ)監督を退任する。長嶋氏は退任後、読売巨人軍の経営母体である「株式会社よみうり」常務から専務取締役に昇格し、読売巨人軍の「終身名誉監督」に就任する。
1950年代始めに生まれた筆者は、ちょっと遅れてきた「長嶋世代」だった。2、3年早く生まれた先輩たちはみな熱狂的な「長嶋ファン」で、もっと正確に言えば「長嶋信者」だった。「巨人ファンではない」と言っても何とか許されたが、長嶋氏の悪口は絶対の「禁句」だった。
長嶋氏の現役引退試合は学生時代、先輩の下宿で見た。現役最後に444本目の本塁打を放った試合の後、引退セレモニーが行われた。球場の照明が消え、マウンド上の長嶋氏だけにスポットライトが当たった。「読売巨人軍は永遠に不滅」という、彼のメッセージは、どれだけ多くのの日本人に焼きついただろうか。
長嶋氏は実に不思議な人だ。あるいは、不思議な「オーラ」を背負った人だ。現役時代の彼の実績に口をはさむ余地はない。「記録」においては、僚友の王貞治にはとうていかなわない。だが、彼のプレースタイルは筆者を含め多くの日本人の脳裏に深く刻み込まれた。「長嶋氏の記憶なくして自らの青春時代を語れない」。引退試合をともに見た先輩はそう言っていた。
ここで、「禁句」を語ることにする。現役引退後の長嶋氏は、自らを「喪失」したのではないだろうか。9連覇を達成して去った川上哲治氏の後を受けて青年監督に就任した「第一期監督時代」―V9でボロボロになった戦力を引き継ぎ若手に切り替えたが。読売グループには評価されなかった―。劇的な「監督解任」とその後の文化人と称された「華麗な浪人時代」―世界陸上での「ヘイ カール」。ゲートボール協会長などいわゆる「名誉職」をどれだけ引き受けたのだろうか―。読売グループに再度請われて就任した「第二期監督時代」―清原和博や江藤智などスラッガーを集め続けたが、クローザーはついに獲得できなかった―。いつも華々しい舞台に立っていた(あるいは立たされていた)長嶋氏だが、彼の横顔にはいつも、何か不思議な「悲しみ」が漂っていた。
あえて言おう。それは自らを失ってしまった悲しみだ。どんなに華やかな舞台に立っていようと、現役引退後の彼は誰かに操られていた。誰かとは、ここで説明する必要もないだろう。巨大な組織体がいつも彼をコントロールしていた。
長嶋氏の引退とともに、有力選手たちの多くが現役を退く。桑田真澄とともにエースとして長嶋氏を支えてきた斎藤雅樹、槙原寛己、そして捕手の村田真一らだ。彼らの引退はなぜか「殉死」のごとくにも見える。まだ現役として活躍できる力はあるのに、それを許されない。あるいは、自らの「限界点」以前に身を引くことの有利さを説得されてのことだろうか。
長嶋氏はしかし、ついに「解放」されない。あるいはそれを自ら望まなかったのかもしれない。「終身名誉監督」とはいったい何だろう。読売グループの意図は分かりすぎるほど分かる。彼をグループにつなぎ止めておくメリットは計り知れない。だが、長嶋氏に何のメリットがあるのだろうか。彼は終身、読売の「呪縛」から逃れられない。自らその道を選んだのなら、それはそれで仕方のないことだが。
長嶋氏の引退会見で、読売グループ以外の質問は認められなかったという。「国民的ヒーロー」は、今後も「囚われの道」を選択した。(2001年9月30日)
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