|
日本最大の(あるいは世界最大の)販売部数を誇る読売新聞の社長であり、プロ野球の盟主を自認する読売巨人軍(ジャイアンツ)のオーナーでもある渡辺恒雄氏。政治部記者出身の彼は中曽根康弘元首相の盟友でもあると言われ、現実政治にも隠然とした影響力をもつ。現代日本における有力な権力者の一人と言って間違いない人物だろう。
新聞経営者や政界のフィクサーとしての立場以上に彼は、マスコミに頻繁に登場する。読売巨人軍オーナーとしての立場でだ。テレビやスポーツ新聞での彼の言辞は、聞くに堪えないほどの身勝手なものが多かった。野茂英雄が大リーグに挑戦する際の彼の発言は「罵詈雑言」に近かったと記憶している。読売が親会社だったサッカーJリーグ、ヴェルディ・川崎(当時)をめぐる彼とJリーグ・チェアマン、川渕三郎との対立(けんかのようなものだ)で、彼はスポーツ界における「守旧派」の立場を鮮明にした。―時代がどう変わろうと、読売巨人軍がプロ野球界の、さらに日本のプロスポーツ界の盟主であればよい―。
彼の発言とその影響力によって、プロ野球のドラフト制度は「反ドラフト制度」にその中身を変えた。大学生、社会人の1位、2位指名枠に限り、選手が球団を選択できる―。こんな論理的に矛盾しているドラフト制度は、世界中探しても、どこにもないはずだ。
プロ選手の参加が初めて認められた2000年のシドニー五輪の野球競技も、彼の強い影響力によって「中途半端なプロ参加」に終わってしまった。パシフィック・リーグ6球団はは中村紀洋(大阪近鉄バッファローズ)、松坂大輔(西武ライオンズ)らトップ選手を参加させたが、セントラル・リーグは一流選手を誰一人送り出さなかった。渡辺氏の傘下にある読売巨人軍の松井秀喜選手の出場は到底無理だったとしても、本人が強く望み、所属球団も参加させることに前向きだった古田敦也(ヤクルトスワローズ)の出場も強引に阻んでしまった。その結果(そうとしか思えない)、日本は五輪でのメダル獲得を逃した。
シドニー五輪の結果にはもう一つ、渡辺氏にとっては苦い「副産物」があった。五輪出場がオーナー命令でかなわなかった松井は2001年のシーズンを通して、苦虫を噛み潰したような顔をしてプレーしていた。首位打者は獲得したが、松井のトレードマークである、とてつもない飛距離を記録する豪快な本塁打は陰をひそめた(とくに前半戦)。セ・リーグ各球団の、松井に本塁打を打たせまいとする攻めも異常なほどだった。あんな攻めを繰り返していたのでは、セ・リーグの野球が面白くなるはずもない。
さらに読売巨人軍は2001年のセ・リーグの優勝争いで、シドニー五輪への出場を阻んだ古田の執念に最後にねじ伏せられてしまった。ひざのけがをおしての古田の強行出場がなかったら、ヤクルトのセ・リーグ優勝も、ましてや日本一もなかったろう。古田を強行出場に駆り立てたモチベーションの中に、2000年の「記憶」はなかったと言えるだろうか。
読売巨人軍が拒んだシドニー五輪はさらに、プロ野球界に新たなヒーローを生んだ。大阪近鉄の中村だ。大阪、関西圏のミニヒーローだった彼は、シドニー五輪によって全国区になった。そして2001年、「本塁打を狙って打つ」豪快なスイングは多くのファンの目に強く焼きついた。2001年のプロ野球はどう見ても、セ・リーグよりパ・リーグが面白かった。パ・リーグの野球を引っ張ったのは日本最多タイの55本塁打を放った僚友、ローズととともに中村だった。
前置きがだいぶ長くなってしまった。読売読売巨人軍オーナー、渡辺恒雄氏はついにある結論を下した。その結論は、日本のプロ野球史上例をみない「大英断」だった。
読売のライバル紙で、渡辺氏にさんざんけなされてきた毎日新聞の10月31日付社会面に掲載された記事によると、渡辺氏は10月30日、読売巨人軍球団事務所で記者会見し、それまで日本テレビ系列が独占中継放送してきた主催ゲームの一部を、来季はNHK総合が中継すると発表した。記事は、試合終了するまで放映することが目的とした上で、今季の巨人(ジャイアンツ)戦の視聴率不振が、長年続いた「巨人―日本テレビ」の『蜜月関係』にヒビを入れることになった、と皮肉っている。
「読売―日本テレビ」の関係が毎日が言うような『蜜月関係』かどうかは知らないが、両者は読売巨人軍とともに盛衰をともにする「運命共同体」的関係にあったことは確かだ。その関係が崩れ始めた。それは、少なくとも日本のスポーツ界とスポーツマスコミ界にとっては、それまではあり得ないことが起こったということになる。確実に時代は変わり始めた。(2001年11月2日)
|