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読売巨人軍の主砲、松井秀喜がまたも東京ドームの天井に打球をぶつけた。9月16日の横浜ベイスターズ戦だった。たまたまこの試合はテレビ観戦していた。7回裏、先頭打者として打席に立った松井は、横浜の2番手、森中聖雄のストレートを振り切った。打球は右翼スタンド方向に大きな放物線を描いた。テレビカメラはドームの天井に当たった打球の軌道を正確にとらえていた。打球は――松井にとっては幸いにも――天井にこするように当たったため、推進力を急激にとめられることはなかった。打球は右翼スタンドに落ちた。三冠王を目指す松井は、この本塁打で自己新記録となる43号本塁打を記録した。
それにしても松井は東京ドームの天井によく打球をぶつける。そう思っていたら、翌17日のスポーツ紙「スポーツニッポン」に面白いデータが載っていた。松井が東京ドームの天井に打球をぶつけたのは、これで6回目だという。
以下、そのデータを書き写す。1回目は1996年9月3日の横浜戦。右翼の天井に当たる右飛で、松井にとって初の天井直撃弾。この年は1本差で本塁打王を逃した。2回目は1998年8月20日のやはり横浜戦。天井をこすって右翼席上方の照明を越える150メートルアーチ。3回目も横浜戦だった。1999年8月24日。天井にぶら下がる撮影用カメラを直撃する当たりを放ったが、マウンド右に落ちて投手内野安打になった。
2000年9月8日のヤクルトスワローズ戦では、打球が天井に当たり40号逆転3ランになるはずが右犠飛に。これが4回目。5回目は今年7月18日の、またも横浜戦。相手投手はやはり森中だった。打球は右翼上方の天井のすき間に入って落ちてなかった。東京ドームのローカルルールで二塁打になった。そして今回、またも森中から放った打球が6回目ということになる。
横浜戦がやたらと多いのはどうしたわけなのだろう。それはさておき、スポーツニッポンのデータによれば、松井の放った天井直撃弾6本のうち本塁打になったのは2本だけだ。残る4本は右飛、投手内野安打、右犠飛、2塁打になった。4本すべてが本塁打になるべき当たりだったかどうかは分からない。しかし、松井の放った打球のうち何本かは、東京ドームの天井によって本塁打になることを阻止されたことは間違いない。
松井は明らかに東京ドームでプレーすることを嫌っている。足腰に負担のかかる人工芝は嫌だと公言している。試合開始前からひと時も鳴り止まない「ドンちゃん騒ぎ」も好きではないはずだ。打球音によって打球の強さ伸び具合を図る、外野手にとって最も大切な感覚を封殺されてしまうからだ。試合の流れとは関係なしに続く「騒音」は、打席での集中力にも影響を与える。おまけに、こう何度も本塁打性の打球がドームの天井にぶつかってしまうようでは、嫌にならない方がおかしいくらいだ。
松井がドームの天井に打球をぶつけた翌日、ある一般紙のスポーツ面の記事にこんな表現があった。松井の本塁打を「ドームの天井が低すぎるかのように――」と形容していた。冗談ではない。「低すぎるかのように――」などと言っている場合ではない。現実問題として、東京ドームの天井はプロ野球の試合会場としては低すぎるのだ。
日本初の屋根付き球場、東京ドームは1988年に完成、その年からプロ野球の読売巨人軍、日本ハムファイターズの本拠地となった。その2年後には、打球が天井にぶつかっている。1990年6月には近鉄バッファローズのラルフ・ブライアントの打球が天井から吊り下げられたスピーカーを直撃。東京ドームのローカルルールにより認定本塁打になった。当時の新聞記事によると、ブライアントはその前日にも、天井に打球をぶつけたという。
東京ドームの天井に打球をぶつけたのは、ブライアントや松井だけではない。大阪近鉄(近鉄改め)のタフィー・ローズや西武ライオンズのアレックス・カブレラの打球も天井を直撃した。手元に資料がないので正確には言えないが、松井以外の日本人選手でも、大阪近鉄の中村紀洋、日本ハムの小笠原道大たち、外国人以上のパワーヒッターなら天井を直撃することなど当たり前のことだろう。
東京ドームは日本の大手建設会社が施工した。米国の屋根付き球場を参考に、人間の能力ではそれ以上打球は高く上がらないはずだと、天井の高さを計算して設計したという。868本の本塁打を放った王貞治の弾道を参考にしたとも聞く。王は確かに本塁打は量産したが、とてつもない飛距離を記録した打者ではない。飛距離だけなら、「アーチスト」と評された田淵幸一の打球の方が上だったのではないか。田淵の打球は高々と舞い上がった。大きな放物線を描くその打球の滞空時間は実に長かった。それはともかく、優秀な設計士の計算や彼が計算の根拠にした過去のデータなどあざ笑うかのように、打球は完成後から天井に当たり続けてきた。
あらゆるスポーツは戦う「場」を限定し、その中でルールをつくる。そうしないとスポーツにならないからだ。テニスはコートの枠内でのゲームである。相手コートにバウンドもせずに観客席に飛び込んでしまうボールに意味はない。世界的に言えば野球以上に人気のあるサッカーも、テニスに比べてプレーする空間は広いが、ピッチに限定されたゲームである。ゴールの枠をはずれ、観客席に飛び込んでしまうボールは、観客のため息と安どの声を誘うばかりだ。野球も通常は内野、外野に限定されたゲームである。しかし野球だけはそうした限定を超越する瞬間と空間がある。それが本塁打だ。限定されたスペースを超え、ゲームの時間を止める。
野球には本来、外野スタンドなど必要ない。いや、邪魔なものだ。外野の『外側』は、本塁打のためにのみ存在すべき空間だ。人間が勝手に設定した『枠』を超え、いまある現実とは別の『空間』に消えていく。それが特別な安打である本塁打のもつ本当の意味である。また、野球はそうした意味をもつ本塁打を許容することで、サッカーなど他のボールゲームとは異質なスポーツになった。
松井の天井直撃の打球は、屋根付き球場という概念そのものへの疑問を示している。長距離打者は打球の飛距離を追い求める。そのためには高い弾道が必要になる。人間の能力の限界を超えようとする挑戦だ。しかし彼らの挑戦は、同じ人間がつくった「限界設定」に阻止される。「それ以上、打球は高く上がるはずはない」「計算上、この高さで十分だ」という、思い上がった設定だ。野球本来の持つ、「より遠く、そのためにより高く―」への憧れはドームの天井と壁に封じ込められる。
スポーツは、人間の能力の限界への挑戦を、肉体を通して表現することだ。そうした挑戦が、同じ人間が考え出した限界設定、つまりドームの天井によって阻止されてしまう。それは何とも理不尽なことだと思えてならない。(2002年9月19日)
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