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日本は「成熟した民主主義国家」なのか
民主党の小沢一郎党首の公設第一秘書が西松建設に関係する政治資金規正法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕されて以来、TV・ワイドショー(いまは生活情報番組と呼ぶそうだが)の司会者やコメンテイターたちが、以下のような趣旨の発言を連日のように声高に繰り返していた。
−日本は成熟した民主主義国家である。そんな立派な国家の政権が司法当局に意図的に捜査対対象を指示したり誘導したりできるはずがない。そんな立派な国家の司法当局が時の政権を利する恣意的な捜査、いわゆる国策捜査などをするはずがない−
本当にそうだろうか。まず、第一点。日本は本当に成熟した「民主主義国家」なのか。戦後半世紀以上にわたって、政権政党が、ほんの「瞬間的」とさえ思える一時期を除いて政権を維持してきた国家が、「成熟した民主主義国家」と言えるだろうか。
こんな国家は、少なくとも「欧米型先進国」には他に存在しない。日本人の多数が、自分の意思によって投票することができるようになったのは、いつごろからだろうか。
せいぜい十数年前からだろう。それ以前は、日本人の多数は組織票に属していた。農協は各地で興農政連を組織して、多くの農家票をまとめていた。企業もしかりである。
土建関係の企業は、公共事業の受注と引き換えに、政治資金ばかりではなく、社員を選挙活動に動員していた。政治家の秘書の給与を企業が肩代わりすることなど、当たり前のことだった。労働組合もまた、同様であった。
現在の政党支持率は、常に多数が無党派である。これを言い換えれば、組織票から離脱した個人票がその行き場を失っているということである。組織票時代に投票していた政治家や政党には投票したくない。しかし、彼らが投票したくなる政治家や政党は、いまも存在しない。それが、無党派票の実態である。
第二点。そんな国の司法権力が公平、公正であることができるのか。立派そうな人や組織が、公平、公正と声高に主張するときには、眉につばをつけなければならない。公平、公正こそ、不公平、不公正の隠れ蓑に使われる、常套句である。
東京地検特捜部が、日本で最強の捜査機関であるということは事実である。しかし、彼らの捜査手法は公平、公正だろうか。捜査対象をメディアへのリークという手法を使ってあぶり出す。新聞やTVニュースに頻繁に登場する「関係者」が、メディアを使って世論を誘導していく。
彼らにとって、メディアはえさをあさるハイエナ的存在である。彼らにとっては、メディアは地検特捜部のリークによって、日々の生活の糧を得る存在である。
彼らはメディアをコントロールする。彼らにとって好都合の情報を意図的に流すリークと、彼らの意図に反した情報を発信したメデリアに対する「出入り禁止」措置によってである。
こうした手法を取る司法当局と彼らにハイエナのように群がるメディアによって熟成される世論。そうした世論が方向性を決めていく社会。そんな国家がはたして「成熟した民主主義国家」といえるのだろうか。
ここでハイエナの名誉のために断わっておく。比喩的に使われるハイエナという言葉ではなく、本物のハイエナはライオンの捕獲した肉をあさるだけの動物ではない。本物のハイエナは、ときにライオンより優れた能力を発揮する、草原のハンターである。
小沢一郎氏の「罪」は軽いものではない。中堅ゼネコン一社から10数年間で3億円もの政治資金を彼は集めていた。彼の手法は、西松建設をのみ対象にしたものとは考えられない。戦後日本では、実質的に初めての政権交代を目指す政党の党首が、こうした手法にどっぷりとその身を漬けていたのであれば、彼は彼の目的のためにも即刻その座を去るべきである。
TVワイドショーのコメンテイターたちが、「日本は成熟した民主主義国家」などと声高に語るたびに、背中に寒いものを感じるのは筆者だけだろうか。(2009年3月16日記
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