成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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――257安打達成後のイチローの記者会見から――

 イチローは2004年のシーズン、ジョージ・シスラーのメジャーリーグ記録、年間257安打を更新、年間262安打を達成した。イチローの記録は、スポーツにおいて日本人がこれまでに達成した記録の中でも、最高の位に位置付けられるものである。野球以外の競技でも、84年間も更新できなかった記録など想像すらできない。記録の価値はもちろんだが、イチローが257安打更新後の記者会見で語った言葉は、野球に限らず日本人アスリート(競技者)が語った言葉としては、最良のものだった。

 ■アスリートは頭を使わない人間?

 この国では現在でも、アスリート、スポーツ選手は頭を使わずに体だけを使う人間だと、間違った認識をもった人たちがいる。自分は頭がいい人間だと考えている人たちほど、そういう人が多い。かつて、ある学者が書いた、こんな文章を読んであきれ果てたことがある。

「陸上競技の短距離レースは、人間の筋肉の量を数値化したものである」

 とんでもない間違いである。スポーツは、頭と体との精密な連係によって行われる。この学者の珍説に従えば、日本人が陸上競技・短距離に挑戦すること自体が無意味である。しかし、小柄で少ない筋肉の量しかもたない末続慎吾は2003年のパリ・世界陸上で、圧倒的に筋肉の量の多い黒人選手と競って、銅メダルを獲得した。同じパリ・世界陸上で銀メダルを獲得し、2004年・アテネ五輪で、ドーピング違反の選手の失格によって、日本人で初めて、投てき競技で金メダルを獲得した室伏広治にしても、ハンマー投げでは、小柄な筋肉の量の少ない選手である。

 ■言葉を「細切れ」のように扱うTV

 記録は筋肉の量に比例するという珍説を公にした学者先生のような人にこそ、イチローの記者会見に耳を傾けてもらいたかった。彼らの偏見と無知とを恥じてもらいたいからである。しかし、残念なことにこの国のTVは、アスリートの言葉を「細切れ」のようにしか扱わない。ニュースや特集では、言葉の一部を「ひょいと摘み上げる」ようにしか扱わない。番組制作者には、イチローの語る言葉の意味が分からなかったのだろう。それで、イチローの記者会見での言葉をこのコラムに再録し、その意味を筆者なりに考えてみることにした。

 (イチローの記者会見の「テキスト」には、10月3日付朝日(http://www.asahi.com /)の「イチロー会見一問一答」と、「スポーツ・ナビ」(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/)の記事「イチロー、年間最多安打記録の意味」から引用しました)

 ■緊張をコントロールする「もう一人の自分」

――周囲に期待されて苦しかったのでは
「やっている間にプレッシャーから解き放たれるのは不可能。背負ってプレーするしかない。でも、ドキドキ、ワクワクとかプレッシャーが僕にとってはたまらない。これが勝負の世界にいる者のだいご味。それがない選手ではつまらない。」(朝日)

 昔からこんな話がある。緊張してあがってしまう場合は、手のひらに「人」という文字を書いて飲み込む動作をするといい。「人を飲み込んでしまえ」という訳である。しかし、こんな動作をしても緊張は解けない。過剰に意識することで、緊張がより高まってしまう。

 イチローは常に緊張(プレッシャー)を意識してプレーしている。いや、「緊張する自分」を「もう一人の自分」が意識してプレーしている。イチローにとっては、緊張なしのプレーはあり得ない。緊張する自分をもう一人の自分がコントロールする。それが、イチローの言う「だいご味」なのだろう。

 ■257本目の重みとは?

――257本目と258本目の違いは
「最初の方が重かった。背負っているものが。」(朝日)

 「257本目」には100年を超えるメジャーリーグの歴史と伝統が封じ込められている。257本目を打つことは、メジャーリーグの歴史と伝統と、生身の人間であるイチローが「同化」することである。だから、258本目よりその意味ははるかに重かった。

 ■勝てないチームに「シンクロ」しない

――新記録の原動力は
「野球が好きだということですね。それと、今季に限って言えば、チームが勝てない状況が続き、そこに身を委ねることができなかった。プロとして勝つだけが目的ではない。プロとして何を見せなくてはいけないか、を忘れずにプレーした。」(朝日)

 今シーズン、チームの優勝ではなく、個人記録を目標に設定した動機を語っている。勝てないチームに「シンクロ(同調)」することはできない。イチローは「群れる人間」ではない。「名誉ある孤立」を選ぶ人間である。

 今シーズン、仮に賞賛ではなく正反対の評価を受けたとしても、イチローは自らの決断と行為を恥じることはなかっただろう。

 ■無駄こそが宝物を探し出す「鍵」

「(4月の打撃不振は)僕にとっていい経験だったと思っています。決して無駄なことではないですし、野球っていうのは、無駄なことを考えて、無駄なことをしないと、伸びない面もありますから。だから、決して(回り道になったとは)思っていないです。」(スポーツ・ナビ)

 無駄なことをやらないと、無駄なことを考えないと、本当に必要なこと、大切なことは分からない。無駄なこと、試行錯誤の中にこそ、自分の中にある宝物を探し出す「鍵」がある。それは、野球に限ったことではない。

 現代社会は、効率一辺倒の傾向がますます強まってきている。無駄なものを削ぎ落とすことで効率は高まるが、無駄とともにもっと大事なものが削ぎ落とされていく。生物の世界は、巨大な無駄の存在によってこそ、成り立っている。

 ■可能性は自分の中にある

「僕がこちらに来て強く思うことは、体がでかいことにそんなに意味はない。ある程度の大きさっていうのは、もちろん必要ですけども、僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる。」(スポーツ・ナビ)

 イチローが会見で語った最も重要な部分である。イチローの言う「可能性」とは何か。表層的には体の大きさについてである。しかし、深層的には別のことを語っている。可能性とは、外部にあり他の誰かに教えてもらうものではない。自分の中にあることである。

 イチローは他の誰にも似ていない。子どものころ(基礎段階)を除いては、誰にも教わらなかった。誰もイチローを教えることはできなかった。目標とする選手、スタイルもなかった。全ては、自分で自分の中にあるものを探しだし、それを熟成させてきた結果である。だから、他の誰とも似ていないのである。イチローだけの技術、スタイルを確立した。いやそうではない。技術とスタイルはいまも変化している。今シーズン中もイチローの打撃フォームは変化している。

 イチローは子どもたちに対して、体の大きさになぞらえて言っているのである。他ならぬ自分自身の中にこそあなたたちの可能性を探しだしなさい。そこにはたくさんの宝物がある。その宝物は、誰かに探してもらうことはできない。自分自身で、自分自身の力で探しださなければならない。

イチローの体のさばき方

 イチローの技術やスタイルのベースになっている体のさばき方(使い方)については、この会見では語ってはいない。質問がなかったからである。イチローの体の使い方、バランスや、重心の置き方、重心の移動の仕方は、日本人選手にも、メジャーリーグのどの選手にも似ていない。

 アスリートとして最も「ハイ」な状態で会見に応じたイチローに対しては、是非とも独特の体のさばき方について質問すべきだった。しかし、多くの日本人記者は、そんなことに興味はもっていないようである。イチローの「秘密」を聞き出すチャンスをみすみす逃した日本人記者たちの貧困な感覚が残念だった。(2004年10月6日記)

 イチローは今シーズン、ジョージ・シスラーのもつ年間最多安打のメジャーリーグ記録、257本を84年ぶりに更新、262本まで記録を伸ばした。世界的なトップアスリートであるイチローは、驚くべきことに自閉症児と同じ動作をしている。その目的もまた、同じである。

 トップアスリートは、どの競技でも例外なく、本番前に同じ準備動作を繰り返している。

 大相撲の横綱、朝青龍が立ち合い直前の仕切りに入る際、大きく左腕をスイングさせる動作はいつも同じである。朝青龍のあの動作は、モンゴルの象徴である鷲をイメージしたものである。ただ、優勝などのかかった大一番では、スイングがより大きくなる。

 団体競技でありながらも、投手と打者との一対一の勝負が原点である野球では、準備動作が他の団体競技よりもはっきりと表れる。

 メジャーリーグでは、ノマー・ガルシアパーラ(メジャーリーグを代表する遊撃手、今季途中でレッドソックスからカブスに移籍)の準備動作はとてもユニークである。

 彼は、打席に入ると、絶え間なく小刻みにステップを踏み続ける。そして1球ごとに打席をはずし、両手の手袋の手首を締める部分を何度も締めたり緩めたりする動作を繰り返す。何ともせわしない動作である。彼が打席でこの一連の動作を省略することは、けしてない。しかし、彼の動作も打席ごとに微妙に違いがでてくる。

 ■寸分の狂いもないイチローの準備動作

 ガルシアパーラほど派手ではないが、イチローも打席ごとに同様の準備動作を繰り返している。イチローの特徴は、準備動作が他の誰よりも綿密で手順が多く、しかも動作にかける時間が長いことである。しかもどの打席でも動作に寸分の狂いもない。TV画面を分割して、イチローの打席に入る動作を比較しても、動作とそれに要する時間はまったく変わらないだろう。

 イチローの準備動作は、その手順が多すぎて、簡単には書ききれないが、大まかに書けばこんな具合である。

準備動作はベンチ内から始まっている。手袋をはめて両手でヘルメットをかぶり、右肘に肘当てをあてる。グラウンドに出ると、マスコットバットを振りながら上半身のストレッチをした後、大きく股割りをする。試合用のバットに持ち替えて打席に歩み出す。打席の前で一度身を縮める。打席に入ると、狙い定めるようにバットを投手側に向け、左手でユニホームの右袖を首側に送り込む。これで準備動作が完了する。

 イチローの、何度見ても完ぺきなまでに変わらない準備動作は、自閉症児の「こだわり」と呼ばれる動作にひどく似ている。自閉症児の動作もまた、完ぺきなまでに変わらないからである。

 筆者の身近にいるA君の例を挙げてみる。A君はいま電卓に強い興味をもっている。家にいるときは、風呂以外はこの電卓を手から離さないか、体のそばに置いている。

 彼の家にはもう一つの電卓がある。この小さな電卓は机の上のいつも同じ位置にある。外出の際は、この電卓に必ず「タッチ」する。けして忘れることはない。

 外出から戻った際にも、必ず行う動作がある。廊下の隅に並べた「ミニカーの群れ」の並びを調整することである。

 家人がミニカーの群れに意図的に触れることはない。それでも時々、誤って足で踏みつけたり、掃除機をぶつけたりすることがある。A君は外出から戻ると、ミニカーの群れをチェックする。そして、彼にとって最良の状態にミニカーの群れを並べ替える。群れがどう変化したのか、どの並びが最良の状況なのか誰も分からない。

 イチローの準備動作と同様にA君のこだわりによる動作は、完ぺきなまでに正確である。変わり様のない動作である。

 ■「荒野」に立ち向かうために必要な動作

 自閉症児は、彼が生きるこの世界に強い違和感を覚えている。この世界と素直に「同調」できず、絶えず緊張を強いられている。彼らにとってこの世界は、いわば危険で何が起きるか分からない「荒野」である。その荒野に出ていく(生きて他者と接触する)ためには、彼らを安心させる「儀式」が必要になる。それがこだわりの動作として表れてくる。

 イチローの完ぺきなまでの準備動作もまた、荒野に立ち向かうための儀式である。

 野球は危険なスポーツである。メッジャーリーグであれば、150キロ軽く超える速球が体のすぐそばを通り抜ける。死球の恐怖もある。当たり所が悪ければ、よけ方が下手だったりすれば、選手生命はもちろん、生命そのものが危険になる。

 どんな大打者であれ、これからはもう1本もヒットが打てなくなるという、不安もある。何度も賞賛され、大記録を残した大打者でさえ、もう打てなくなるのではないかという不安につきまとわれる。彼らは常に恐怖と不安の中で戦っている。

 こうした恐怖や不安を心の中から取り除くためには、自閉症児と同様の儀式が野球選手にも必要になる。それが準備動作である。

 多くの選手がこの準備動作を行っている。しかし、この儀式を完ぺきなまでに仕上げた選手は、イチローの他にはいない。逆説的な言い方になるが、イチローは彼の準備動作を、自閉症児がほとんど無意識に行う、こだわりと呼ばれる動作にまで高めたのである。その結果が、誰もができないと考えていた、シスラーの年間最多安打の更新だった。(2004年10月11日)

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 野球は団体競技である。優先すべきは個人成績ではなく、チームの勝利である。だから、チームプレーが評価され、個人プレーに走る選手は批判される。チームプレー優先は野球の「基本概念」のようなものである。少年野球の子どもたちも、チームプレー優先を監督やコーチからしつこくたたき込まれる。野球の教科書にも例外なくそう書いてある。

 しかし、何ごとにも例外が存在する。ここに野球の「基本概念」を超越してしまった選手がいる。今シーズンのイチロー(マリナーズ)である。イチローの個人プレーは批判されない。そればかりか、チームメイト、コーチ、監督、球場に詰め掛けた観客、そして口うるさいメディアからさえ賞賛されている。シーズン序盤から極度の不振に陥ったマリナーズにあっては、イチローの量産する安打だけがチームの「価値」になったからである。

 シーズン終盤の8月に入って、地区優勝はおろかプレーオフ進出の可能性もない、最下位が定位置であるマリナーズの本拠地、セイフィコ・フィールドに何故、こうも観客が詰め掛けるのか。その理由のすべては、イチローの個人プレーを見たいためである。

 想定しうる最悪の状況にあるチームの中で、逆境にもかかわらずではなく、逆境を活用して誰もなし得なかった挑戦を試みる。そして、その挑戦が批判ではなく賞賛される。そんな選手は、100年以上の歴史のあるメジャーリーグでも、イチローの他にはいなかったのではないか。

 ■四球と3番を嫌うイチロー

 イチローは特異な打者である。プロ野球、メジャーリーグとも首位打者を獲得しているが、打率にはこだわってはいない。こだわっているのは安打数である。イチローは明らかに四球を嫌っている。四球は打率を上げるには効果的だが、安打数には結びつかない。

 イチローが内外角の明らかなボール球に手を出すことについて、TV解説者はこんな説明をしている。イチローの類まれなバットコントロールの技術と、天性の感覚によって、彼はボール球にも本能的に手を出してしまう。

 そんな解説は間違いである。イチローは、明らかに四球による出塁を嫌っている。それでも彼は、ゲームの状況によっては四球による出塁を受け入れる。1点を争う終盤、優勝にかかわるゲームであれば、チームプレーに徹すて、意識的に進塁打を打つことさえある。

 イチローは3番を打つことも嫌っている。今シーズン前半、タイムリーが出ないチーム事情から、ボブ・メルビン監督はイチローに何ゲームか3番を打たせた。イチローは「3番・イチロー」を受け入れた。納得した訳ではない。チームの最悪の状況から、この「命令」に従っただけである。3番打者としての結果も残している。しかし、3番は自分の領分ではないという主張を、イチローはゲーム中に身体全体で表していた。

 ■最高のパフォーマンスが封じ込められたとき

 1番打者としての、イチローの最高のパフォーマンスには、こんなプレーがある。昨シーズンまでのイチローならば、シーズン中に何度も演じてくれたものだった。

敵地での1回表。球場全体がざわついた感じで、観客もまだゲームに集中していない。盛大なブーイングに迎えられてイチローが独特の「ルーティン・ワーク」とともに左打席に立つ。1球目か2球目かにイチローのバットが鋭く旋廻する。打球は鋭いライナーとなって右中間を深々と破る。イチローは快足を飛ばして3塁に進む。滑り込むことなしの、「スタンディング・トリプル」である。

 イチローは息を切らせるでもなく、肩を上下させるでもなく塁上に平然と立つ。そして、いつものように右腕の肘当てをはずし、3塁コーチに手渡す。その直後、2番打者の平凡なセカンドゴロの間に、イチローは本塁を駆け抜け、そのまま自軍ベンチにもぐり込んでしまう。

 プレイボールから何分がたっただろうか。マリナーズの先制点はあっという間の出来事だった。あっけに取られたように沈黙する相手チームと敵地の観客。こんなプレーこそ、打撃における最もイチローらしいパフォーマンスである。

 今季は、こんなプレーは見られなくなった。イチローが先頭打者3塁打を打てなくなったからではない。1回表、無死で3塁に立っても、本塁に生還できないからである。2番打者以降が内野ゴロさえ打てないからである。

 マリナーズは今シーズン、開幕から極度の不振に陥った。主軸のエドガー・マルティネス、ジョン・オルルッド、ブレッド・ブーンがさっぱり打てない。移籍組みのスコット・スピージオらもまったくの期待はずれである。

適時打欠乏症に本塁打欠乏症までが加わる。投手陣は自軍の貧打に耐えられなくなって失点を繰り返す。メルビン監督の打つ手はすべて裏目にでる。悪循環が繰り返される。

 ■逆境まで活用する特異な打者

 イチローは極めて特異な打者である。どんなに素晴らしい打者でも、チームの状態に影響される。チームが極度の不振に陥ってしまえば、自らのバットも湿りがちになる。しかし、イチローの場合は逆である。チームの不振によってこそ、驚異的なスピードで安打を積み重ねてきた。イチローはメジャーリーグの2、3年目、つまり一昨年と昨年、8月に極度のスランプに陥った。どうしても安打が打てない日々が続いた。

 それが、どうしたことだろうか。今シーズン、8月の打率は4割を軽く超えている。チームの逆境を克服して自らのプレーを向上させている。いや、逆境だからこそ、自らを光り輝かせている。イチローは特異な、そして極めて稀有な打者である。 

 マリナーズの経営は、いまやイチロー一人によって支えられている。イチローがいなかったならば、イチローが次々と安打記録を更新していなかったならば、マリナーズはもっと大規模なリストラを強いられていたに違いない。観客が球場に足を運ばなければ、球団経営は成り立たない。日本のプロ野球と違って、年間40億円もの赤字を平気で補填してくれる能天気なオーナーなどいないからである。イチローの個人プレーは、マリナーズの経営まで救ってしまったのである。

 ■イチローの個人プレーが観客を引き付ける

 イチローがチームプレーをやめてしまったのはいつごろからだろうか。7月あたりからである。それまでのイチローは、何か波に乗れない打撃をしていた。チームの不振がイチローにも「シンクロ」してしまったためだろう。

 人間は、無意識にも周囲の状況に合わせてしまう。人間は状況に影響されるものである。それまでのイチローもそうだった。しかし、イチローは7月ごろから周囲の状況とは無関係に自らの打撃を追求し始めた。自らの本来のこだわりである安打を積み重ねることに専念し始めた。

 通常ならわがままで自分勝手なプレー態度だと非難されるケースである。しかし、イチローの場合はそうはならなかった。開幕からアメリカン・リーグ西地区の最下位を独走、E・マルティネスが今シーズン限りでの引退を表明、オルルッドも解雇されてヤンキースに移籍するといったチーム事情では、観客を球場に引き付けるプレーは、イチローの安打だけになってしまったからである。

 シアトルのセイフィコ・フィールドは8月、そして9月になっても観客で埋まっている。地区優勝どころか、プレーオフ進出の望みを早くから絶たれたチームの本拠地が、リーグ戦終盤になっても観客をひき付けられるということは、異常なことである。球場に閑古鳥が鳴くのが当たり前である。観客はイチローの安打だけを見にやってくる。イチローもそのことを十分に認識した上で打席に立ち、安打を積み重ねる。

 その結果が通算4度目、今シーズン3度目の月間50本安打であり、今シーズン126試合目(イチローは1試合欠場)で達成した、新人から4年連続の200安打である。イチローの記録はなおも続く。8月はピーと・ローズと並ぶ月間56安打をマークした。イチローの相次ぐ記録更新に、メジャーリーグ記録の専門会社も調査が追いつけない。今シーズンのイチローはどこまで安打数を伸ばすのか。1シーズン257安打のメジャーリーグ記録の更新も射程圏内に入った。

 打率にこだわらずに安打数を積み重ねてきたイチローが、シーズン終了時点でどんな数字を残すのか。最下位チームで価値ある個人プレーに専念する小柄なバットマンから、もう誰も目を離せなくなってしまった。(2004年9月5日記)

 日本人内野手として初めてメジャーリーグ入りした松井稼頭央が苦しんでいる。公式戦初打席で、センター・バックスクリーンに本塁打を放つという、鮮烈なデビューを飾ったものの、売り物であるはずの守備面で期待を裏切り続けているからである。

 松井稼が入団したニューヨーク・メッツ(ナショナル・リーグ)は、昨季までの正遊撃手、ホセ・レイエスを二塁手にコンバートさせてまでして、松井稼を迎え入れた。しかし、現時点の守備面での松井稼への評価は散々である。

 ニューヨークの大衆紙(ニューズ・デー)は7月28日、メッツは99試合を消化してメジャーリーグ最多となる91個のエラーを記録しており、その原因の多くがメジャー最多の21個のエラーを記録している松井稼にあるとする記事を掲載した。この記事はまた、メッツの最高執行責任者が、守乱の責任を取って内野守備コーチらを解雇するようアート・ハウ監督に提案したところ、同監督はこれを拒否したという、球団人事をめぐる混乱ぶりまで紹介している。

 打撃面ではオールスター前後から調子を上げ2割7分台に乗せてきた。盗塁数も次第に増えてきた。しかし、ニューヨークの大衆紙による「バッシング」はいまも止まらない。「二軍に落とすか、トレードの出せ」「日本に帰らせろ」―など、書きたい放題である。

 米国の大衆紙が、ひいき球団の不調をかこつ有力選手をこき下ろすことは、よくあることである。しかし、松井稼へのバッシング報道は、異常なほどしつこく続いている。松井稼への期待の裏返しの反応なのだろう。

 松井稼は、日本を代表する名遊撃手としてメジャー入りした。「オズの魔法使い」とたたえられたオジー・スミスのような華麗なプレーを期待されていた。しかし、松井稼はそう簡単には「魔法使い」になれない理由がある。メジャーリーグと日本の球場の違いである。

 メジャーの球場は、少数の人工芝球場を除いて内野は芝で覆われている。この形状はメジャーだけではない。世界中どこの国の球場もそうである。いわば国際標準球場である。アテネ五輪の球場も例外ではない。これに対して、日本の球場の内野には芝がない。すべて土で覆われている。地方球場はほとんどすべてそうなっている。日本独自の球場である。

 プロ野球の球場はいまや、日本独自球場でさえ少数派になってしまった。セ・パ両リーグ12球団の本拠地では、その半数はドーム球場である。ドーム球場の是非ははここでは触れないが、人工芝の球場は9つもある。内野が芝生で覆われている国際標準球場は、オリックスのヤフーBBスタジアムだけである。内野が土である日本独自の球場は数を減らし、現場では甲子園、広島市民だけになってしまった。

 松井稼が昨季まで所属していたパ・リーグの球場は、ヤフーBBスタジアム以外はすべて人工芝で覆われている。松井稼が昨季、西武ライオンズで公式戦140試合にフル出場し、試合が各球団の本拠地だけで行われたと仮定した場合(実際は地方球場でも開催されている)、松井稼は、126試合は人工芝の上でプレーしていたことになる。公式戦の半数は本拠地で、残り半数は他球団の本拠地で開催されるからである。

 松井稼はメジャーが期待していた「ウイザード」(魔法使い)だったかもしれないが、実のところは「人工芝の上でのウイザード」だった。

 松井稼が名手といっても、それは国際標準球場ではなく、打球がイレギュラーしない人工芝の上での名手だった。内野に芝があり、しかも芝の種類も形状も、芝の刈り方もさまざまに違うメジャーの球場では、打球は微妙に変化する。いかに身体能力が高い松井稼でも、すぐに名手にはなれない。松井稼はバッシングに耐えながらもメジャーの球場に慣れるしかない。

 日本独自の球場、しかも人工芝全盛のプロ野球で育った松井稼には、宿命ともいえる試練が続く。松井稼の苦悩は、彼一人だけの問題ではない。彼に続く日本人内野手にとっても大きなハンディになる。「日本人内野手は、国際標準球場には対応できない」という評価が固定されてしまえば、メジャーに進出しようとする内野手には、大きな障害となるからである。

 プロ野球と国際標準との違いは他にも多くある。ボールの仕様が違う。ストライクゾーンも日本独自のものである。ストライクとボールを数える順番さえ違う。その中でも、選手にとって最も対応が難しい違いは、内野の芝生である。

 内野には芝生どころか土さえなくなった球場で、キャリアのほとんどの期間をプレー松井稼はいま、国内だけに封じ込められてきた「鎖国スポーツ」であるプロ野球のハンディを一身に背負って、メジャーリーグで苦しみ、もがき続けている。(2004年8月1日記)

 「あのコースに投げ込めば絶対に打たれない」「次は、得意の速球を外角低めに放れば、打たれることはない」――。プロ野球解説者がTV中継の中で頻繁に使う言葉である。しかし、そんな馬鹿な話はない。絶対に打たれない球など存在しない。そんな球が存在するとすれば、野球というゲームそのものが成立しなくなる。

 好調時のマリアーノ・リベラ(ヤンキース)の、時速150キロ台の速球が打者の直前で微妙に変化するカットファーストボールや、5月19日(日本時間)に史上最年長、40歳で完全試合を達成したランディ・ジョンソン(ダイアモンドバックス)の160キロを超える速球は、とても打てそうもない球である。しかし一流の打者は、配球を読み、球種とコースを予測して、打てそうもない球を打ち返す。逆に一流の打者でも読みと予測がはずれれば、二流の投手の真ん中に入った球でも見逃したり、空振りしたりする。

 野球は、「読み合い」「駆け引き」、悪い言葉を使えば「騙し合い」のゲームである。投手は捕手との連係作業によって、打者の読みをはずし、打席での体勢を崩そうと、手練手管を駆使して投球する。逆に打者は、投手の投球パターンを読み、球種とコースを予測して投球に備える。

 バッターボックスとマウンド間、18・44メートルをはさんで、投手と打者、それに両軍ベンチも加わった「心理戦」が、繰り広げられる。試合の重要な場面では、1球ごとに状況は変化する。それが野球というスポーツの面白さである。

 投手ばかりではなく、他の守備陣も、塁上の走者も、相手の攻撃(守備)を読んでいる。そして、そうした心理戦の中で、最も大きな比重を占めるのが、投手と打者との読み合い、かけひき、そして騙し合いである。だから、解説者が「あのコースに投げ込めば絶対に打たれない」と言うのは間違いである。そればかりか、そんな目で見ることは、野球というスポーツをひどく矮小なものにおとしめることになる。

 5月29日(日本時間)、ボストン・フェンウェイパークで行われたマリナーズーレッドソックス戦。イチローとペドロ・マルティネス(以下、ペドロと記す)が、そうした野球の面白さを凝縮した「10球勝負」を展開した。3回表の、イチローの第2打席である。

 その前に、それまでの試合展開を簡単に説明する必要がある。降雨予想(実際には雨は降らなかった)により1時間20分遅れで始まった試合は、マリナーズはジョエル・ピネイロ、レッドソックスはペドロが先発した。マリナーズが2回表、ブレッド・ブーンのソロ本塁打で先制すると、レッドソックはその裏、マミー・ラミレスがお返しのソロ本塁打を放って同点にした。イチローの初回の第1打席は、3球目のチェンジアップを引っ掛けてセカンドゴロだった。

 3回表のマリナーズの攻撃。先頭のランディ・ウインの二塁打で生まれた無死二塁のチャンスに、イチローの第2打席が回って来た。2―1から1球ボールをはさんで5球ファールが続いた。この5球は圧巻だった。内外角ともきわどいコースに速球、変化球を投げ分けるペドロ。イチローは内角球に足元を崩され、外角球に腰を引きながらも、卓越したバットコントロールで左右にカットする。

 イチローとペドロが、互いに持てる技術と能力、次の1球への読み合いを繰り広げた。次に投手はどんな球を投げるのか。打者はどの球種とコースを予測するのか。漫然と投げたのでは打たれる。漫然と待ったのでは打ち返せない。それだけは明らかなことだった。

 超一流の武芸者同士の、一対一の真剣勝負を連想させられる場面だった。互いに、相手の意図を読み合い、相手の体勢をどう崩し、相手に決定的な一撃を加えられるか。息をのむような対決が続いた。しかし、この勝負に決定的な一撃はなかった。

 5球ファールが続いた後の10球目。イチローは「進塁打」をセカンド方向にころがした。明らかに意識して手首をこねたスイングだった。試合展開上、あるいはシーズンの重要な展開となる試合で、イチローはときに極めて意識的な進塁打を打つ。この日の10球目もそうだった。チームはどん底状態で、シーズン開幕から、アメリカンリーグ西地区の最下位に低迷したままだ。しかもペドロには複数のシーズンを通して12連敗中だったからである。

 この日の「10球勝負」は一本勝ちではなく、「判定」に持ち込まれた。筆者が審判なら迷うことなくイチローに軍配を上げる。何故なら、この10球(もっと正確に言えば進塁打前の9球)でイチローは、ペドロを「解剖」できたからだ。イチローはペドロにこの打席で、ほとんどすべての球種を投げさせた。ペドロの球種、球筋、コース、配球パターンを脳みその中に深く焼き込むことができた。

 その成果は次の第3打席に表れた。4回表、先頭のリッチ・オーリリアの今季初本塁打で1点を追加。一死後、ウインがまたも二塁打を放ち、イチローが打席に入る。初球をセンター前にはじき返してウインを迎え入れた。この初球打ちは、第2打席での解剖の成果である。迷うことなくペドロ配球と球種、球筋を見定めてのスイングだった。

 第2打席での進塁打の場面では、イチローの特異な能力をまたひとつ発見した。イチローはスイングの直後、打球方向である一、二塁間ではなく、二、三塁間を見た。二塁走者のウインが三塁に進塁できるか確認した。

 打者はスイングの後、本能的に打球方向に視線を向ける。しかし、この場面でのイチローはそうではなかった。打球が一、二塁間にころがることは、スイングの感覚と打球音から確実に分かる。だから打球方向は見る必要がなかった。この瞬間、イチローにとって最も大事なことは、ウインが確実に三塁に達するかどうか確認することだった。こんなプレーをする選手は、イチロー以外には思い当たらない。

 それにしても、今シーズンのマリナーズはどうかしている。イチローが、シーズンを通して最も重要な試合、場面だと確信して、年に何回かしかやらない進塁打を試み、それが成功して点に結びつけた。ペドロから5回までに4点を奪うという、シーズン中にそう何度も起こらない展開に持ち込んでも勝てなかった。5回裏には、デビッド・オルティーズの満塁本塁打などで5点を奪われ、あっさりと逆転を許した。

日本流に、「ベンチの前に塩でも盛ったら――」と、頑固なボブ・メルビン監督に提案したくなるほど、最悪のチーム状態が開幕から途切れることなく続いている。

 話が横道にそれてしまったので、元に戻そう。野球はただ投げたり打ったり走ったりするだけの単純なパワーゲームではない。両軍ベンチも含めた、プレーヤーたちが読み合い、駆け引き、騙し合いを、それも1球ごとに変化する試合状況を頭に入れて展開する壮大な心理戦である。

 そうした心理戦を、イチローやペドロのような、特異な才能をもった、超一流の選手たちが展開するとき、常人には想像出来ない創造性に富んだ「ドラマ」が生まれる。それが野球の醍醐味である。その一端をイチローとペドロの「10球勝負」は見せてくれた。

 イチローだけでなく、ペドロもまた、「10球勝負」を脳みその奥深くに焼き付けたはずである。次の対戦でペドロはどんな手練手管を駆使するのか。イチローがそれにどう対応するのか。超一流の投手と打者との対決は、次々と新たな「ドラマ」をつくりだしていく。

 プロ野球解説者の言う、「次にあの球を投げれば打たれない」などというたわごとに、野球ファンは耳を傾けてはいけない。(2004年6月1日記)

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