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『スポーツ裁判所』は不思議で理不尽な『裁判所』だ(2003年8月13日)
世の中には何とも不思議な『裁判所』があるものだ。法律のことはよく分からないが、通常の民事裁判であれば、原告の提訴に対して被告が裁判所の出頭要請に応じなかったり、反論しなかったりした場合は、原告の全面勝利となる。しかしこの『裁判所』では、『被告』に裁判を拒否する権利が与えられている。『被告に』拒否されれば、『審判』そのものが成立しない。こんな不思議な『裁判所』に争いごとの解決を委ねる『原告』が今後現われるだろうか。
この不思議な『裁判所』は、国内におけるスポーツ関連の紛争を解決するために2003年4月、日本オリンピック委員会(JOC)などが中心になって設立した日本スポーツ仲裁機構(JSAA)である。ドーピング(薬物使用)違反に対する処分や五輪など国際大会の選手選考をめぐるトラブルなどスポーツ界の紛争を、スポーツ界内部で『公正』かつ『迅速』に解決するために設けられた。
スイスに本部のある国際スポーツ仲裁裁判所(CSA)にならって設立した。日本でもドーピング違反や五輪など国際大会の選手選考をめぐる選手と競技団体などとのトラブルは、スポーツの『商業化』や選手の『プロ化』に伴って増え続けている。2000年シドニー五輪の代表選手選考を巡って水泳の千葉すず選手が国際スポーツ裁判所に提訴したケースはまだ記憶に新しい。
国内選考会で好成績を残しながらも代表に選ばれなかった千葉選手が提訴したこのケースは、千葉選手の敗訴に終わった。日本水連は否定しているが、留学先のアメリカで自由な気風と選手としての権利意識に目覚めた千葉選手を、水連が恣意的に排除したというのが、選考漏れの真相である。彼らは年端もない選手を『引率』するような意識で五輪や世界水泳など国際大会に派遣してきた。彼らにとって千葉選手は、派遣選手の『風紀』を乱す『異端児』だった。
五輪など国際大会の代表選手選考をめぐるトラブルは頻繁に起きている。ただ、競技団体と選手が『上下関係』にあるとする、理不尽で時代遅れの認識がいまなお強く残る日本のスポーツ界では『表沙汰』になることは少ない。多くの場合、選手側が『泣き寝入り』してきた。
こうした現状を打破するためにも、仲裁機構設立の意味は大きいと思っていた。改革に対して何ごとも中途半端な日本のことだから、機構そのものに『不備』があったり、運営上の曖昧さがあったりしても、『閉鎖性』と『上下関係』で成り立っているスポーツ界を変えていく力になると考えていた。
もちろん仲裁機構は法律に基づいた司法機関ではない。しかし、司法に基づく正式な法廷以前にスポーツ界がその内部で紛争を解決するための機関であると位置付けているなら、仲裁機構は法律と一般常識に準拠した『体系』をもたなければならない。それは、スポーツが特定の『権力者』や『エリート』ではなく、普通の人々の『支持』によって成り立っていることを考えれば、当然のことである。
仲裁機構は一般的には『スポーツ裁判所』として認識されている。国際スポーツ仲裁裁判所にならって設立されたのだから、そうした認識は的を得ているはずである。
大学重量挙げ部の男子部員の不祥事をめぐり、日本重量挙げ協会からコーチ資格を6ヵ月間停止された元世界チャンピョンの大学女子部コーチが処分撤回を求めて提訴した『第1号案件』では、仲裁機構は8月4日、コーチの主張を認める裁定を下した。協会も裁定を受け入れ、処分を取り消すことにした。
新聞各紙はこのケースをスポーツ界における新たな、かつ歴史的な『ムーブメント』として、ことの次第を『本記』と『解説』に分けて詳報している。メディアも仲裁機構の『意味』と『可能性』に期待していた。
このように、仲裁機構は順調なスタートを切ったかに見えた。しかし、そんな期待はそれからたった4日後の8月8日、あっけなく裏切られた。高校ボクシング部に所属する高校生が起こした(正確には起こそうとした)『第2号案件』が『幻』に終わったからである。
『幻』に終わった『第2号案件』の概要はこうである。8月9日配信の共同通信記事から引用する。
選手資格を停止されて全国高校総体に出場できなかった高校生ボクサーが処分の撤回を求めて日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に申し立ての書類を提出したことに関し、日本アマチュアボクシング連盟の吉森照夫専務理事は8日、「仲裁に応じない」と明言。JSAAの仲裁は双方の合意を前提としており、日本連盟の拒否で同件は仲裁事案として成立しないことになった。
処分撤回を求めていたのは石川県の高校1年の選手(記事では学校名、氏名とも実名だったが、本コラムではその必要性がないので、学校名、氏名とも匿名扱いにする)。小学校時代から金沢市内のプロボクシングジムで練習している同選手は、ジムの興行で数回、スパーリングを行ったが、日本連盟はこれらの行為がアマチュア規定に抵触したとして、同選手を5月末から1年間の資格停止処分にした。
仲裁機構の『仲裁』には『双方の合意』が必要なのである。選手側が提訴しても競技団体側がそれに応じなければ『仲裁』は成立しない。これは仲裁機構の抱える、致命的な『構造的欠陥』である。競技団体の『閉鎖性』と、選手との『上下関係』意識を考えれば、これから選手側が提訴しても、それに応じない競技団体が続出することは明白である。
共同通信は仲裁機構専務理事の上田宗良氏のコメントとして、「JASSに合意してくれている競技団体もあるが、まだ少ない。こういうこともあり得る」との見解を示している。仲裁機構と文書などきちんとした形で『合意』した競技団体は、まだ10団体程度だという。仲裁機構は競技団体の『善意』を信じて『見切り発車』したのだ。しかし、競技団体の『実態』を少しでも知っている読者は、彼らの『善意』を信じられるだろうか。
申し立てが却下される可能性が極めて高い上、その後も競技団体から陰に陽に『圧力』がかかることを覚悟して、しかもメディアへの『益』のない『露出』を覚悟してまで提訴する選手が現われるだろうか。
仲裁機構、いや仲裁機構を設立したJOCなど日本スポーツ界の『上部団体』は、仲裁機構の『構造的欠陥』を直ちに『抜本修正』すべきである。そうしないならば、仲裁機構はまったく機能しないばかりか、JOCなど『上部団体』の『免罪符』になるばかりだ。世界中から日本のスポーツ界は笑いものにされるだけだろう。
高校生ボクサーの件に関しては、共同通信が日本アマチュアボクシング連盟の吉森専務理事のコメントも配信している(8月9日)。『裁判なら受ける』との見出しのついた記事で、吉森氏はこう語っている。「(川島五郎)会長とも相談し、仲裁に応じないと決めた。相手が裁判に持ち込むなら受ける。プロ行為はアマチュア登録前であっても、本人の意思でなくても、それを他人が利用する可能性がある限り許すことはできない」
吉森氏のコメントからは、ひと昔もふた昔も前の古さびたアマチュア意識、アマチュア至上主義が顔をのぞかせている。高校生ボクサーがアマチュア登録前に、それも小学校、中学校時代に行った行為を一刀両断に『裁断』しているのだ。
アマチュアボクシング界とプロボクシング界で歴史的にどんなトラブルや対立があったかは知らない。しかし、吉森氏が信奉するアマチュア至上主義など、もうどこにも存在しないのだ。
そのことについて幾つか例を挙げたい。かつて日本のアマチュアリズム、アマチュア至上主義の『権化』とも言えた日本ラグビー協会はどう変わったか。彼らはかつて選手とチームの『商業化』『プロ化』を徹底的に排除した。新日本製鉄釜石の7連覇に貢献した松尾雄治は「選手としての名声を商業活動に利用した」として厳しい処分を受けた。――『プロ化』とは無関係だが、松尾の前のキャプテンでありその後、監督に就任した、天才的ウイングであった森重隆を協会はどう処遇したのか――
日本ラグビー協会はその後、大きく変化した。彼らは今では『プロ化』を受け入れるばかりか、協会が『プロ化』した選手を日本代表選手として抱え込むまでになっている。この『システム』にはアイロニーがある。協会がプロ化を容認したとき、既にラグビー人気は去っていた。傘下の実情団チームにプロ化を働きかけても、そうした要請に応じる大企業はなかった。大企業も長引く『バブル』のつけの清算に追われていたからだ。
日本ラグビー協会は自ら、『プロ化』した選手を抱え込むしかなかった。国際大会、なかでも新設されたワールドカップで連戦連敗の日本ラグビーから、ファンも、スポンサー企業も、メディアも離れていった。日本代表が勝てないラグビーからは、最も大事な『資源』である子どもたちまでも離れていった。ことここに至って、彼らは『決断』したのだ。日本におけるラグビーの『生き残り』をかけて、彼らは『プロ化』に踏み切った。
『センバツ』と『夏の甲子園』が国民的行事になっている、高校野球もこの際だから俎上に挙げる。何故、全国の私立高校、公立高校までが『甲子園』に血道をあげるのか。答えは簡単である。『甲子園』出場の『宣伝効果』は何ものにかえがたい。倒産寸前の高校が『進学校』になり、安定的な学校経営を行うに至ったケースさえ多い。
関東の私立大学が『箱根駅伝』になぜあれほど『熱狂』するのか。その答えも、実情を知る者にとっては極めて簡単だ。『箱根駅伝』の宣伝効果ははるかに『甲子園』を超えている。正月2、3日の2日間、最高視聴率を独占するTV中継に『露出』し続けることができるのだから。こんな『チャンス』をはなから諦める関東の大学はない。だから、彼らは『箱根駅伝』に異常なまでに執着する。
アマチュアリズムの『根源』であると、当事者やメディアが喧伝する『甲子園』『箱根駅伝』にしても、『実態』はこんなものだ。
しかも『箱根駅伝』の場合は、関東のローカル大会が全日本大会を『超越』するという、『倒立』した形態をもつ。そして、そのことについてメディアは誰一人として適切な論評を加えようともしない。
五輪や世界選手権ばかりか、国内の大会でさえ純粋な」『アマチュア』選手がタイトルを取ることなどまず不可能だ。前述したように、高校生レベルの大会までそうなのだ。そうした現実に目をそむけたまま『アマチュア至上主義』を標榜し続ける競技団体と、彼らを『容認』し続けるJOCなど日本の『上部団体』の関係性こそ異常なののだ。
彼らが設立した『スポーツ裁判所』は中途半端なものである。しかし、そんな中途半端な機構でさえまともに機能させないのであれば、彼らからスポーツを解き放つ以外に日本のスポーツの『未来』はなくなってしまうだろう。(2003年8月13日)
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