成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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03年のコラム

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 阪神タイガースのセ・リーグ優勝パレードに65万人(主催者発表)を集めた11月3日、プロ野球界に『大激震』が走った。阪神を破り日本一に輝いた福岡ダイエーホークスがこの日、主砲の小久保裕紀を無償で読売巨人軍にトレードすると発表したからだ。翌日の新聞各紙はそれぞれ、「主力選手が無償で放出されるのは異例」(朝日1面ガイド)などと、小久保のトレード成立のニュースを大きく扱った。

 小久保の無償トレードは『異例』ではない。プロ野球界ばかりでなく一般社会にとっても『異常』なことだ。各紙の報道を額面通り受け取れば、小久保の放出を決断したダイエー球団の経営責任者や球団取締役は、商法の特別背任罪に問われてもおかしくないからである。以下、筆者がそう考える理由について語ることにする。

 営利目的の株式会社であるプロ野球の球団にとって、保有権をもつ(球団に所属する)選手は『経営資源』であり、『商品』でもある。小久保クラスの主力選手は、極めて貴重な『経営資源』である。球団にとって選手はまた、金銭、または交替要員と引き換えに移籍、つまり売買できる『商品』でもある。

 小久保は、球団を買収して福岡に本拠地を置いたダイエー初の逆指名選手であり、選手のリーダーとしてチームを牽引し二〇〇〇年の日本一に貢献した。自らも本塁打王、打点王を獲得した実績もある。小久保クラスの選手であれば、高額な移籍金を得ること、あるいは複数の主力クラスの交換要員とのトレードが十二分に可能である。

 今季のけがのため小久保はまだFA権を取得していないが、来季以降のFA権による、あるいはメジャーリーグとの「ポスティングシステム」による移籍であっても、ダイエー球団は、高額な移籍金か複数の主力クラスとの交換、あるいはその双方を得ること可能だった。

 球団と契約する個人事業主である選手側からみると、選手の年棒は、その選手の球団経営への貢献度を反映する。移籍金もまた、その選手の評価の『物差し』になる。移籍金が高いほど、あるいは交換要員のレベルが高いほど、その選手の『評価』は大きい。

 ダイエー球団の行った小久保の無償放出は利敵行為である。自らの組織の貴重な『経営資源』でもある『商品』を、移籍金も交換要員も求めず、ただでライバル球団に譲渡する行為は、明らかに自らの組織に大きな不利益をもたらす。

 欧州サッカー界では、移籍金は巨額なものになる。日本とはスポーツ文化の違う欧州では、選手のトレードに伴う移籍金は『ビジネス』になっている。弱小クラブは有望選手を発掘し、彼を有力クラブに『売却』することによって多額の移籍金を得る。それによってクラブ経営が成り立っている。

 サッカー界における日本のスーパースター、中田英寿がいい例である。欧州サッカーバブルの時代、イタリア・セリエAのパルマは、巨額の移籍金を支払って中田をローマから獲得した。サッカーバブル崩壊後、パルマがローマに支払った移籍金に見合う移籍先は見つからない。

 中田自身も、パルマも希望しているにもかかわらず、中田の移籍が実現しない背景にはそういう事情がある。パルマが金融用語でいう『損切り』を決断しない限り、中田はパルマから出られない。中田はいわば本人の意思や責任とは無関係に、巨額な移籍金のため株や土地と同様に『塩漬け』になっている。

 パルマのオーナーやクラブ幹部が中田の無償トレードを決断したとしたら――そんなことはありえないが――、サッカー界どころか社会全体から放逐されてしまうだろう。

 話がだいぶ横道にそれたので本筋に戻す。小久保の読売巨人軍への無償トレードの理由について翌日の新聞各紙は、小久保と球団フロントとの対立や、小久保の高額な年棒が球団経営に重荷になった、などと推測している。立場、利害が違う球団フロントと主力選手が対立するのは当たり前だ。毎年の契約更改では厳しいせめぎ合いがある。年棒が高すぎるから無償で放出したなどという『説』は笑止である。

 球団経営が苦しいなら、移籍希望をもつ小久保を一刻も早く、1円でも高い値段で金銭トレードに出すべきである。そして移籍金を球団の口座に入れ、滞った債務の支払いに充てるべきである。

 ダイエー球団は速やかに小久保の読売巨人軍への無償トレードの経緯と理由を説明すべきである。いや、説明する義務がある。球団が説明しないなら、『当事者』の読売と報知以外の新聞各紙はこの『異常』なトレード劇の『真実』伝えるべきだ。いや、伝える義務がある。彼らの取材能力からすれば、そんなことはたやすいことだ。

 球団や新聞各紙がそうしなければ、日本のプロ野球文化は壊れてしまう。いや、日本のスポーツ文化が壊れてしまう。小久保の無償トレードは、プロ野球界ばかりではなく、日本社会の『健全性』が厳しく問われるべき問題である。(2003年11月11日)

 プロ野球の日本シリーズがやっと終わった。日本シリーズが退屈だった訳ではない。日本一になった福岡ダイエーホークス、敗れた阪神タイガースとも、互いのホーム球場でしか勝てなかったから、勝手に『内弁慶シリーズ』と名付けたが、第7戦までもつれた展開は、それなりに見応えがあった。『やっと』と書いたのは、日本シリーズまでの『待ち時間』のことだ。

 プロ野球は、ある意味で大病院の外来と同じだ。いや、それ以上にひどい。大病院の外来なら患者を半日、あるいは一日待たせるだけだが、プロ野球はファンを数週間も、いや1か月も待たせて、なお平気な顔をしている。
 リーグ公式戦の優勝チーム決定から日本シリーズまでの間隔が長すぎる。ファンにしてみれば、宴会ですっかり酔いが覚めてから、もう一度酒を飲まされるようなものだ。

今季、セ・リーグは阪神が9月15日に、パ・リーグは9月30日にダイエーがリーグ優勝を決めた。日本シリーズの開幕は10月18日だ。個人タイトルの『争奪戦』が残るとはいえ、それから延々と、いわゆる『消化試合』にファンは付き合わされる。

 リーグ優勝が決まった後の個人タイトル争奪戦に何の意味があるか。首位打者や本塁打王争いを巡っての醜い争いが毎年のように繰り返される。野球はチームスポーツだ。リーグ優勝を争っている中での個人タイトルにこそ意味がある。一昨年のタフィー・ローズ、昨年のアレックス・カブレラの本塁打が『55本』にとどまったことの背景には、消化試合の中での複雑な思惑が絡み合っていた。

 今季、リーグ優勝が決定した時点での残り試合を調べてみた。セ・リーグで阪神が優勝した9月15日終了時点での残り試合は、その時点での順位で阪神15、ヤクルト・スワローズ15、中日ドラゴンズ13、広島カープ22、読売巨人軍12、横浜ベイスターズ14。広島の残り試合『22』は多すぎる。こんなに試合数が違っていては公平な優勝争いにはならない。

 パ・リーグでダイエーが優勝を決めた9月30日終了時点での残り試合は、ダイエー3、西武ライオンズ3、近鉄バッファローズ2、千葉ロッテ・オリオンズ9、日本ハム・ファイターズ3、オリックス・ブルーウェイブ6だ。パ・リーグの日程消化は、優勝決定が半月遅れという状況を勘案しても、若干ながら早い。しかし、その後の試合は飛び飛びの日程で行われる。ファンが消化試合に長い期間、付き合わされることに変わりはない。

 パ・リーグが公式戦の全日程を終了したのは10月12日。セ・リーグの全日程終了は10月16日だ。セ・リーグでは阪神の優勝決定から1か月もの間、消化試合が続き、全日程が終了したのは日本シリーズ開幕の2日前だった。

 メジャーリーグでは、162試合に及ぶリーグ公式戦終了後、1日だけ間を空けてプレーオフに突入する。間の1日にも意味がある。公式戦最終戦を終えてもプレーオフ進出チームが決まらない場合は、文字通りの『ワンデイ・プレーオフ』を実施する。公式戦最終盤の9月には、20連戦程度は当たり前だ。地区優勝シリーズ、リーグ優勝シリーズ、そしてワールドシリーズへと、ほとんど切れ目のない日程が組み込まれる。

 今季の場合、リーグ公式戦の全日程が終了したのは9月29日(日本時間、日付は以下同じ)。プレーオフに進出する8球団のうち、最後の権利となる『ワイルドカード』を手にした球団は、ボストン・レッドソックス(ア・リーグ)とフロリダ・マーリンズ(ナ・リーグ)だった。その2球団がプレーオフ進出を決めたのは9月26日。日本流に言えば、消化試合が行われた期間は2日間だけだった。

 メジャーリーグも日本のプロ野球も3月末か4月初めに開幕する。リーグ公式戦は22試合もメジャーリーグが上回る。何故これほどの違いがあるのか。メジャーリーグは、とにかく日程通り試合を消化する。雨が降っても内野に巨大なシートをかけてやむのを待つ。試合が再開されれば、日付が変わって翌日未明になっても試合を続行する。それでも雨天中止になった場合は、調整日や移動日に試合を組み込む。1日に2試合を行うダブルヘッダーも、終盤戦になれば当たり前のように行われる。

 メジャーリーグの日程をそのまま真似しろとは言わない。日本的な『流儀』がある。しかし、プロ野球界はファンが希望する日程とはどんなものか、ファンの声を聞いた上で改善策を講じるべきである。リーグ公式戦の優勝決定日から1か月もの間、消化試合を続けるリーグなど、世界中どこを探しても見つからないだろう。

 プロ野球界は、状況がすっかり変わった今も、『殿様商法』を変えようとはしていない。(2003年10月29日)

 プロ野球の公式戦(ペナントレース)は、全体として見れば、半年もの長い時間をかけて繰り広げられる『大きな試合』だと考えている。

 これだけでは言葉が足りないので、もう少し説明を加える。日本の場合、セントラル、パシフィック両リーグに所属する各6球団が3月末、あるいは4月初めから10月初めにかけて、それぞれ140試合を戦う。それが通常言われる試合である。

 しかし、試合展開を大きな視点で見てみよう。セ・パ両リーグは個別の試合とは別に、もう一つの『大きな試合』を展開している。いわば、『連結動物』――筆者のとりあえずの造語です。正式な生物学の用語はいま思い出せません――や『小魚の群れ』のようなものである。『連結動物』は個体としては別々に存在するが、個体が集合した全体としては一つの形、動きをもつ。イワシやサバなどの『小魚の群れ』も、海の中でまるで一つの巨大な動物のように、共通の意思をもつ動物のように行動する。

 こう考えると、リーグの開幕当初は1回表裏の攻防のようなものだ。4、5、6月は序盤戦、オールスター戦をはさんだ7月から8月初旬にかけては中盤戦が展開される。8月中旬から9月、あるいは10月初めが終盤戦だ。そして、リーグの優勝決定戦こそ『大きな試合』の決着をつける9回表裏の攻防ということになる。

 観戦者の立場にあるならば、開幕当初はお祭りのようなものである。いよいよ待ちに待った長いシーズンが始まる。ひいき球団への期待と不安、高揚感、何かとんでもないことが起きそうな予感がある。そして、ひいき球団の戦績に一喜一憂しながらも、たとえそれが無意識であったとしても、『大きな試合』の展開を中盤戦から終盤戦へと見続けることになる。

 そうして、観戦者はそれぞれのひいき球団の戦績とは別に、リーグ全体で構成してきた『大きな試合』の9回表裏の攻防である優勝決定戦こそは見逃すまいと身構える。しかし、日本のTV局、とくに民法キー局は、いとも簡単に観戦者の期待と不安、そして高揚感も見捨ててしまう。半年もの長い時間をかけて、ときには人間が予測できないような展開を繰り広げてきた、壮大な『ドラマ』のフィナーレを、何ともあっさりと切り捨て、削除してしまうのだ。

 ■『特番』によって排除されたリーグ優勝決定戦

 2003年のシーズン、福岡ダイエーホークスがリーグ優勝を決めた試合は、民放TV局から無視された。地元・福岡や九州エリアでは違っていただろうが、少なくとも筆者の住む関東エリアでは、ホークスの優勝決定戦を中継する民放キー局はなかった。優勝決定試合も、その前々日にあった優勝決定の可能性のあった試合も、NHK・BSが中継しただけである。

 他の地域のことは知らないが、少なくとも関東エリアではBS受信機をもたない観戦者は、シーズンで最も大事な『瞬間』を『共有』できなかった。そのチャンスを与えられなかった。しかも、民放キー局がいとも簡単に切り捨てた理由は、実にくだらない彼らの『慣習』のためだった。

 民放キー局は4月、10月の番組改変期に特別番組、いわゆる『特番』を組む。2時間枠、3時間枠で通常番組の変形番組を、ほとんどでっち上げる。こうした番組構成は、番組改変期にライバルキー局の新番組の出鼻をくじくために考案されたものだろう。しかし、今ではどの民放キー局もこの時期は『特番』を夜のゴールデンタイムに『鎮座』させている。

 相手局の新番組の出鼻をくじくという『特番』の当初の役目は、民放キー局すべてが『特番』を組む時代になって終わったはずである。しかし、そうはならなかった。彼らは『特番』に価値をみいだしたのだ。実にくだらないことなのだが、それぞれに相当の『視聴率』が取れる。本来の目的を終えた『特番』をやめる意思など、彼らはすっかりなくしてしまった。

 パ・リーグの優勝決定試合は、『特番』の時期にぶつかってしまった。だから、どの民放キー局も手を出さなかった。『特番』には金をかけている。翌週には新番組が始まるのだから、放送日をずらす訳にはいかない。それが彼らの『論理』である。だから、番組改変期にぶつかったホークスの優勝決定戦には、どの民放キー局も手を出さなかったのだ。

 こうした状況には『既視感』がある。3年前、それもホークスのリーグ優勝決定戦に関して、同じ『光景』を見た記憶がある。同じ趣旨のコラムを書いた記憶がある。古いパソコンの『物置』を探していたら、そのコラムが出てきた。以下に再録する筆者の3年前のコラムを読んでもらいたい。

 ■無視されたダイエーの優勝

 プロ野球・福岡ダイエーホークスのリーグ優勝(2000年)は、在京の民放キー局からまったく無視された。ダイエーが自力優勝できる可能性のあった試合は10月初めに3回(3日)あったが、そのどれも民放局の生中継はなかった。少なくとも筆者の住む茨城ではそうだった。

 生中継はNHK・BS放送が大リーグ・プレーオフの録画中継の予定を差し替えて行っただけだ。BSテレビがなければ、パ・リーグ優勝の瞬間をファンは「共有」できなかった。

 ダイエーが自力優勝できる可能性のある試合日程は、10月第1週だった。各民放はこの週、夜のゴールデンタイムを恒例の特別番組で埋め尽くした。ライバル局の新番組第一回にぶつける「戦略」だったが、全民放が同じことをやっている今では、もはや何の意味ない。

 番組改変期の4月と10月の第1週とその前週、つまり3月と9月の最終週は、各民放とも分けの分からぬ特別番組を組む。多くの視聴者はそう思っている。

 プロ野球の生中継の権利についてはよく知らない。だから、優勝を目前にしたダイエーの試合の放送権をどの民放がもっていたのかも分からない。だが、恒例の特別番組を差し替える判断をした民放はなかった。

 今年のプロ野球・日本シリーズは巨人対ダイエーに決まった。テレビは早くも巨人の長嶋茂雄とダイエーの王貞治の監督対決で話題を盛り上げている。いわく、20世紀最後の年にやってきた「初のO・N対決」だ。

 話題づくりは構わない。しかし、日本シリーズの「対決者」が決まる瞬間をまったく無視しておいて、「世紀の対決」と騒ぎ立てるのはどうしたことか。しかも、各民放はその瞬間を何の意味もなくなった特別番組を垂れ流していたのだから。

 パ・リーグの場合は、優勝決定の試合が民放に無視されることはこれまでにもあった。だが、今回は先に書いたように二重の意味でおかしい。

 日本のテレビ局は巨人とそれに連動する視聴率に関心があるだけで、スポーツそのものには無関心なのだろう。

 日本のスポーツにまつわる「貧困」をまた、見てしまった気がする。(2000年10月)

 ■3年経っても変わらない、いや悪化している

 2000年と2003年と、その間に3年も経ったのに、『光景』はまったく同じである。違っているのは、優勝決定試合が10月(2000年)か9月30日(2003年)かということと、、日本シリーズの対戦が読売巨人軍(2000年)か阪神タイガース(2003年)かということくらいだ。そしてTV局は、2000年の日本シリーズを『初のO・N対決』(長嶋茂雄―王貞治対決)とはやし立てたように、2003年のシリーズも『星野(仙一)―王対決』と騒ぎ立てている。

 日本のTV局はこの3年間、何も変わってはいない。いや、質的に悪化の一途をたどっているだけだ。彼らは壮大な『ドラマ』の結末を、不必要になった廃棄物をごみ箱に放り込むような扱いをする。そんな『非道』なことをしながらも彼らは日本シリーズの放送権獲得に血眼になっていた。そして彼らはいまも、プロ野球の『庇護者』のように振る舞い続けている。(2003年10月13日)

野次とブーイング

 ――日米の野球(ベースボール)『応援文化』比較論――

 先日、渡辺文学さんという見知らぬ方から電話をいただいた。電話での話は、かいつまんで言うとこういうことだった。

 ――野球評論家の豊田泰光さんが最近出版した『星野仙一の「GM型」常勝革命』(講談社刊)に、私の『球場に数秒間の沈黙を』(新風舎刊)が紹介、引用されている。野球の応援に関しては同様の考えをもっているようなので、渡辺さん編著の『よみがえれ球音――これでいいのか プロ野球の応援』(発行・花伝社、発売・共栄書房)を送りたい。

 渡辺さんの本が届き次第、私の本を渡辺さんに送るということで、電話を切った。豊田さんの本に私の本が紹介、引用されているとは知らなかったので、書店で一冊買い求めた。それから何日かして渡辺さんからも本が届いた。

 豊田さんの本は、18年ぶりにリーグ優勝を果たした(出版時点では優勝間近)阪神タイガースの監督、星野仙一に焦点を当てている。しかし、その本は、読売巨人軍があってこそ、その下にプロ野球機構も、セントラル・パシフィック両リーグも、各球団も『存在』できるという、日本プロ野球界の『歪な構造』を告発したものだ。

 こうした本が著名な野球評論家によって大手出版社から発刊されたこと自体が、プロ野球の『歪な構造』と、世界共通の競技スポーツであるベースボール(野球)を日本国内に閉じ込める『閉塞性』の崩壊の可能性を示したものと言える。

 渡辺さんの本は、表題の通り野球場の騒音問題、つまりカネや太鼓、トランペットなど鳴り物入りの集団応援合戦を批判したものだ。渡辺さんは本の『まえがき』の中でこう述べている。

 「――野球は推理するスポーツで、静と動が組み合わされた実にユニークなゲームなのだ。一瞬の静寂が最高のプレーと感動を生み出す。鳴り物入り応援は、この野球の醍醐味をぶち壊すものに外ならない。近年、この応援スタイルが各球場ともますますエスカレートし、特に今年の甲子園球場の過熱ぶりは、過去最高のものと言っても過言ではないと思う。」

 鳴り物入り応援スタイルについて豊田さんは本の中で、その始まりを広島カープが初優勝した1975年(昭和50年)ごろからではないかと述べた上で、「あのころは、それなりに斬新だった。しかし、ものごとには耐用年数というものがある」と、この応援スタイルの限界を指摘している。

 その上で、「鳴り物入り応援の大音響にかき消されてしまうのは緊張感に包まれた『静寂』だけではない。野球観戦における大きな楽しみの一つだった『ヤジ(野次)』も聞こえなくなってしまった。選手たちをのせたり、逆にへこませてしまう当意即妙のヤジというものは、これも入場料のうちというか、なかなかいいものだ」と書いている。

 ■野次こそ日本のスポーツ観戦『文化』である

 鳴り物入り応援への批判は、私も本の表題コラム『球場に数秒間の沈黙を』で書いたので、繰り返さない。批判は専門家である豊田さんや、球場の騒音問題についての熱心な運動家である渡辺さんに任せることにする。ここでは、野次とブーイングに焦点をあてた、日米の『応援文化』比較論のようなものを書くことにする。

 豊田さんの指摘の通り、あるいはそれ以上に、野次は日本の野球観戦における『文化』だった。いや、それは野球には限らない。大相撲など他のスポーツ観戦にも共通する。そればかりか、歌舞伎など伝統芸能を観劇する際の、『声掛け』にもつながるものである。

 歌舞伎では、『通』の観劇者が芝居のクライマックスや主役の登場の際、「音羽屋!」「成田屋!」などと絶妙なタイミングで声を掛ける。日本の芝居観劇は、西洋のように静かに舞台を見守るという形態を取ってはいない。役者と観劇者が『小屋』の中でコラボレーション(共同創作活動)を行うのだ。その伝統は、温泉地や地方の温泉施設を巡る『大衆演劇』の中で今も強く息づいている。

 大相撲の観戦にしてもそうである。観客席からこれも絶妙なタイミングで、「貴乃花!」「千代の富士!」といった声が掛かってこそ、会場は大相撲独特の雰囲気に包み込まれるのである。

 野球観戦もそうした伝統を引き継いだものだった。バックネット裏や両軍ベンチ上から、やはり『通』の観戦者がひいきチームの選手を励ましたり、また相手選手を揶揄したりする。時にはだらしないプレーをするひいきチームの選手に対しても批判する声を掛かる。ユーモアに飛んだ野次は球場の笑いを誘う。大相撲の『声掛け』と同様に、野球の野次も球場の雰囲気を醸し出す重要な役割をもっていた。

 そうした野次は、鳴り物入り応援合戦の中で、すっかりその存在感を失ってしまった。あの大音響の中では、個人の発する野次など聞こえるはずもない。

 地方球場で、応援団のいない試合を観戦していると、野球は『音のスポーツ』であることを実感できる。静寂の中にある球場では、打球音や投球がミットに吸い込まれる音ばかりか、投手が投げた速球が空気を切り刻む、『シュルシュルシュル―』という音さえ聞こえてくる。

 ――『音』ばかりではない。よほどスタンドが近い球場でなければ無理なことだが、静寂の中にある球場では、150キロ、160キロ台の豪速球が空気をこがす『臭い』さえ、打者、捕手、主審は感じることができるはずだ。しかし、そうした『感覚』は、鳴り物入り応援の大音響のなかで『抹殺』されてしまう――

 鳴り物入り応援は、『音のスポーツ』である野球の楽しさを奪うばかりか、日本の伝統的『文化』である、声掛けにつながる野次の魅力もまた『封殺』してしまった。

 ■アメリカのベースボール観戦文化は『ブーイング』である

 野球観戦文化が、日本の古い伝統につながる声掛け、野次であるならば、アメリカのベースボール観戦文化は『ブーイング』である。

 相手球場に乗り込んだスーパースターたちは、例外なく観戦者から容赦ないブーイングを浴びせられる。バリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)やアレックス・ロドリゲス(テキサス・レインジャーズ)へのブーイングはいつも盛大である。ペドロ・マルティネス(ボストン・レッドソックス)はヤンキースタジアムで、ロジャー・クレメンス(ニューヨーク・ヤンキース)はフェンウェイパークで、これまた盛大なブーイングの嵐の洗礼を受ける。

 イチロー(シアトル・マリナーズ)もまた、彼らと同様の扱いを受ける。それは、イチローがスーパースターとして全米のベースボールファンに認知されたという、名誉ある勲章でもある。

 スーパースターたちに容赦ないブーイングを浴びせる観戦者たちの『心理』は、たぶんこんな風だろうと、勝手に解釈している。

 ――すごい奴らがやって来た。あいつは打球をものすごく遠くへ飛ばす。あいつのバットコントロールはとても人間技とは思えない。あいつの守備、走塁は飛びぬけている。あいつの投球は速すぎてとても打てそうもない。奴らは素晴らしく魅力的な選手だ。でも、俺たちは地元チームを応援するために、地元チームを勝たせるために、球場にやって来た。だから、奴らの魅力と実力を認めるからこそ、奴らをブーイングで叩きのめすしかないんだ――

 ■R・クレメンスへのブーイング

 今年のメジャーリーグ公式戦で、実に印象的なシーンが二つあった。いずれもボストン・フェンウェイパークでのヤンキース―レッドソックス戦である。

 一つ目のシーンはこんな風だった。僅差でレッドソックスがリードした9回表、ヤンキースの攻撃も二死走者なしの場面である。打者は既に2ストライクと追い込まれている。日本なら『あと一球』コールが鳴り響く場面である。センターからのTVカメラが投手と打者とともにバックネット裏の観戦者の姿をとらえている。観戦者全員が投球を凝視する。『ストライク―』主審がコールした瞬間、バックネット裏の観戦者が総立ちになって、全員が両腕を高々と天に突き刺す。

 カメラは次第にひいていく。総立ちで両腕を高々と掲げた観戦者の波が、津波のように内野スタンドに広がっていく。まるで、ワールドシリーズ優勝決定の瞬間のような光景が、スタンド全体を包み込んでいった。

 もう一つは、R・クレメンスがフェンウェイパークで公式戦最後の登板をした試合にあった。R・クレメンスはワールドシリーズに出場するために、ワールドシリーズで勝つために、ボストンからニューヨークに移籍した。だからこそ、レッドソックスのファンは、地元でのR・クレメンスの登板試合では、これでもかとばかかりにブーイングを浴びせ掛けてきた。

 その試合でもそうだった。しかし、ヤンキースリードの7回、R・クレメンスが降板した際には――レッドソックスのリードした場面ではない――ボストンの観戦者は全員が立ち上がって盛大な拍手を『宿敵』に贈ったのである。

 彼らは今シーズン限りでR・クレメンスが現役引退することを知っている。300勝、4000奪三振を記録した不世出の大投手をフェンウェイパークで見ることができるのは、これが最後かもしれない。――その時点ではレッドソックス、ヤンキースともプレーオフ進出は決めていなかった。

 ボストンの観戦者たちは、R・クレメンスが嫌いだったり憎かったりしたわけではなかった。彼の実力と魅力を認めているからこそ、彼に容赦のないブーイングを浴びせ続けてきたのである。

 いや、ボストンの観戦者たちは、心の表層ではR・クレメンスを、自分たちを見捨てた『裏切り者』として、憎んでいたかもしれない。しかし、彼らは心の深層では憎みきれなかったのではないだろうか。あんなに素晴らしい投球を披露する男を、どうして心の底から憎みきれるだろうか。そうしたことを想像させるほど、実に印象に残るシーンだった。

 ■日本のスポーツ観戦『文化』を取り戻せ

 日本の伝統文化を受け継ぐ声掛け、野次と、アメリカのブーイングは、まったく違う『下地』をもっている。歴史も生活習慣も、人々の考え方も、つまり『文化』が異なるからである。しかし、両者にはある『共通項』がある。それは誰か他の人、あるいは他の集団によって強制された行為ではない、ということである。観戦者それぞれの自発的な行為が球場の雰囲気を高めていく。

 福岡ダイエーホークスと阪神タイガースが対決する今シーズンの日本シリーズでも、大音響の鳴り物入り応援が福岡ドーム、甲子園球場にとどろくだろう。そして、甲子園球場では、あの異様な品のない形状の風船が球場の観客席から飛び出すに違いない。

 しかし、鳴り物入り応援全盛の中で忘れ去られようとしている日本の観戦文化は、日本の伝統を受け継ぐ貴重なものである。それは、何としても取り戻さなければならないほど大きな『価値』をもっている。(2003年10月3日)

 2003年のメジャーリーグ・オールスター戦への出場が決まって、長谷川滋利(マリナーズ)が日本のメディアに対して発した言葉は『名言』である。

 短いコメントなので全文を紹介する。「正直、驚きました。中継ぎの自分が選ばれたのは、ここ10年くらい前から野球が変わってきているから。以前なら8回まで投げていた先発が、7回までしか投げられなくなり、抑えにつなぐ中継ぎが必要になった」(共同通信・7月12日配信)。

 「正直、驚きました」との仮見出しのついたこの短い記事(コメント)の重要な部分は、仮見出しになったフレーズ以降の部分である。

 長谷川自身もオールスター戦出場を予想していなかった。「正直、驚きまました」の部分は本音だろう。長谷川は後日、オールスター戦出場を監督から告げられた場面を、「監督から呼ばれたのでトレードの話かと思った」と冗談めかして話していた。

 「ここ10年くらい前から――」に続くコメントは事前に用意していたものではない。しかし、メジャーリーグでの戦いの中で、長谷川が日ごろから考え続け、心の中で何度も何度も反すうしてきた言葉だ。それは、自らの役割であるセットアップ(中継ぎ)の意味付けであるとともに、現在のベースボール(野球)についての『思想』にもなっている。

 長谷川の『言葉』にはたくさんの『意味』が込められている。20年前、あるいは30年前までのベースボール(野球)は、投手側から見れば『先発完投』が前提になっていた。

 そのころは、優秀な投手の条件は、先発し試合を一人で投げきることだった。先発投手が完投する試合は、チームの勝利の可能性が極めて高い。逆に先発投手の途中降板は、チームの敗北を意味した。――高校野球はいまでもそうしたゲーム展開から抜け出せないでいる――ブルペンから登板するのは、先発投手に比べて能力に劣った投手だった。

 ブルペンから登板する投手は、負け試合、あるいは負ける可能性の極めて高い試合でその役割を求められていた。『敗戦処理』という、何とも意地の悪い用語が一般化していた時代だった。

 先発完投がチームに勝利をもたらすという前提が崩れたとき、『敗戦処理』ではないブルペン投手が必要になった。先発投手に比べれば短いイニングを受け持つという条件の違いはあるが、先発投手に劣らない、あるいは先発とは違った能力をもつ投手が求められた。

 ベースボール(野球)の技術や戦略、戦術が高度化するにつれ、先発投手の完投は次第に難しくなってきた。戦略、戦術は時代とともに変化する。それは当然のことで変化と進化が重なり合わなければ、その競技は衰退する。しかし、技術の変化=進化は投手側にとって大きなハンディになった。一例を挙げれば、バッティングマシーンの登場によって、打者は生身の投手がいなくても打撃技術の高度化が可能になった。投手側も、変化=進化した打者側に対抗するため、カットファーストボールやサークルチェンジなど新たな『魔球』を生み出してきた。しかし、テクノロジーの進化は常に打者側に味方してきた。

 こうした時代の変化の中で先発投手の完投は次第に難しくなってきた。無理に完投したとしても次の先発試合に悪影響を及ぼす。そこで投手の『分業制度』が生まれた。

 長谷川の言葉をなぞって言えばこうなる。団体競技であるベースボール(野球)は、『記録のスポーツ』であるため打者、投手といった個人の記録が細分化されているが、基本的にはチームの勝利が最優先する。いや、チームの勝利が目的のすべてである。

 先発の完投が難しくなれば。勝利のためにチームはより能力の高いブルペン投手を用意することになる。先発投手が8回まで投げられれば一人の投手を用意すればいい。それがクローザー(抑え)である。先発が6回、7回までしか投げられなければクローザーにつなぐ中継ぎ(セットアップ)が必要になる。セットアップは一人が理想だが、複数の投手を用意する必要がでてきた。

 長谷川は、19997年から活躍の場をメジャーリーグに求めた。野茂英雄(ドジャーズ)がメディアを含め日本のプロ野球界の轟々たる批難を浴びて渡米した2年後だった。野茂とは違い、長谷川は「金銭トレード」という正規な手続きを踏んでアナハイム・エンゼルス(アメリカンリーグ)に入団した。

 野茂とともに長谷川は、日本人メジャーリーガーのパイオニアである。野茂は文字通り道なき道を独力で切り拓いた。野茂の踏みしめた『獣道』は、長谷川が正規な手続きを踏んだことから、『人の歩く道』に整備された。長谷川がいなければ野茂の獣道はすぐに『森』に戻ってしまったのかもしれない。

 長谷川がいなければ、佐々木主浩、イチロー(ともにマリナーズ)、松井秀喜(ヤンキース)たちのメジャーリーグへの挑戦はより困難なものになっていただろう。長谷川は、メジャーリーグに挑戦する日本人選手にとって、パイオニアであるとともに正規な道を切り拓いてくれた『功労者』でもある。

 話がだいぶ横道にそれてしまったので元に戻そう。エンゼルスに入団したその年、長谷川は大きな挫折を味わった。それまでこだわり続けてきた先発投手失格の『烙印』を押されてしまった。たった1回か2回の先発登板の失敗でそうなった。エンゼルスの監督、コーチの『早すぎる決断』にも興味があるが、その話は後に譲ることにする。

 先発失格を言い渡された長谷川の『居場所』はベンチではなくブルペンになった。無論、脚光を浴びるクローザーではなく、彼の役目は中継ぎだった。日本では、メジャーリーグに挑戦しながらも中継ぎの『地位』に甘んじる長谷川に対する揶揄の声が大きくなった。

 2000年ごろだろうか。TVのあるスポーツ番組で女性のアナウンサーかコメンテーターがこんな発言をしたことを記憶している。「この人(長谷川)は何年もアメリカで野球をやっていてたった10勝か20勝しかしていない。何のためにメジャーリーグに行ったのかしら」。この言葉は極端な例だが、中継ぎのメジャーリーガーなど、日本では誰も評価しなかった。

 長谷川は1997年から2002年までの6年間(エンゼルスとマリナーズに在籍)に340試合に登板(うち先発は8試合)、38勝、31敗、17セーブの記録を残している。年間平均で56試合以上登板した。レギュラーシーズン162試合ののうち3分の1近くを投げ続けてきたことになる。

 長谷川は先発失格の挫折から這い上がり、メジャーリーグを代表するセットアッパーとしての地位を確立した。チームのクローザー、佐々木の故障者リスト入りに伴って、オールスター前からはクローザーをつとめ、実績を残している。そしてオールスター出場も果たした。

         □

 そうした経歴と実績をもつ長谷川には、古巣である日本のプロ野球の姿はどう映っているだろうか。とくに前年に圧倒的勝率でリーグ優勝を果たしながらも、今季はファンの期待を裏切り続けている読売巨人軍の姿は、どう映っているだろうか。日本のプロ野球はメディアも含めて読売巨人軍中心に動いている。賢明な長谷川のことだから、答えははぐらかしてしまうだろう。それで、長谷川に代わって答えを用意してみた。答えは以下の通りである。

 阪神タイガースに圧倒的な独走を許した読売巨人軍の低迷の原因は幾つか挙げられる。開幕直後から故障者が続出したこと。松井の抜けた穴をヤクルト・スワローズから獲得したロベルト・ペタジーニが埋められなかったこと。チームの4番(中心打者)をタジーニではなく故障がちな清原和博に指名したこと。原辰徳監督の采配の迷い。チーム編成上のフロントの怠慢――。

 しかし、最も重要なミスは、日本でいう中継ぎ、抑えの重要性を監督、コーチ、フロント、オーナーも含め甘く見ていたことである。開幕直後からクローザーの河原純一は『絶不調』だった。登板機会ごとに失敗を繰り返した。ここで読売巨人軍のとった判断は、河原を『中継ぎ』に降格させることだった。しかし、河原は中継ぎでも結果を出せなかった。

 河原に変わって抑えに指名されたのはそれまで中継ぎだった前田幸長だった。しかし、前田も安定しない。そんな危機的な状況の中で読売巨人軍のとった判断は、中継ぎ、抑え投手の補強ではなく、しきりと故障を訴えるペタジーニに対する刺激剤としての外野手の補強だった。ヤンキースから入団したその外野手は、アウトカウントを間違えて捕球した打球をスタンドに投げ入れてしまったミスぐらいしかファンの印象には残っていないだろう。

 7回、8回、9回と終盤戦の展開を読売巨人ファンは落ち着いて見てはいられない。それまで圧倒的に試合を支配していたとしても、何が起こるか分からないからだ。今季の読売巨人軍は木佐貫洋、久保裕也など若手投手が台頭してきた。しかし、彼らの活躍はペナントレースの成績にはつながらない。新たに2人も先発投手が誕生したチームが低迷する、そんな事態はこれまで日本のプロ野球ではなかったことだ。

 読売巨人軍にとってオールスター戦前の最終戦となった阪神戦を見てあ然とした。7月12日夜の試合だった。圧倒的な勢いが続く阪神に対してスコアは7回を終えて0―14。誰が見ても逆転不可能な試合だ。その後、実質的に最終回となる8回裏のマウンドに立ったのは、何とそれまで曲がりなりにも抑えを役つとめていた前田だった。

 その後しばらく試合のないオールスター戦前の試合とはいえ、前田の心中を思うと寒気がした。読売巨人軍はこれだけファンの期待を裏切ったいまでも、何ひとつ反省も敗因分析もしていない。今季は墜ちるところまで墜ちるがいい。それが日本のプロ野球の『再出発点』になればいい。

 長谷川のコメントを再度引用する。「中継ぎの自分が選ばれたのはここ10年くらい前から野球が変わってきているから。以前なら8回まで投げていた先発が、7回くらいしか投げなくなり、抑えにつなぐまで中継ぎは必要になった」。この言葉を『常勝・読売巨人軍』はかみしめることができるのだろうか。(2003年7月26日)


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