成田好三のスポーツコラム・オフサイド

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06年のコラム

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 いじめ根絶キャンペーンのまやかし

 今回は、誤解を恐れずに危険な「思想」について語ることにする。

 いじめよる小中学生の自殺が相次ぎ、文部科学大臣あてに、いじめ自殺を予告する手紙が届いたことで、文部科学省と日本中のほとんどすべての主要メディアが、いじめ根絶キャンペーンをはっている。朝日新聞は、小中学生に影響のある有名人を紙面に登場させ、いじめ体験とその克服法を彼らに語らせ、「いじめで死なないで」と訴えさせている。

 いじめは、悪である。自殺に至らせるような悪質かつ陰湿ないじめは犯罪行為である。

 しかしである。社会が一丸になって、いじめ対策をこうじれば、いじめを根絶できるとする、彼らのキャンペーンは理にかなったものではない。いじめは、人間社会のどこにでも普遍的に存在する現象である。小中学校だけの存在する現象ではない。会社社会にも、地域社会にも、老人ホームにも存在する現象である。社会の最小単位である家族社会にだって存在する。

 小中学校からいじめを根絶しようなどという行為は、社会から犯罪を一掃しようという行為と同じく、実現不可能な愚かな行為である。社会から犯罪を一掃することなどできるはずもない。仮にできたとしても、そんな社会は完全な「警察国家」に成り下がってしまうだけである。

 すべての社会に共通する、いじめの構造にはある共通項がある。閉鎖された社会でこそ、いじめの頻度が高まり、いじめが悪質化、陰湿化することである。

 いじめは、軍隊や刑務所、かつての学校の体育界系で頻発化し、悪質化、陰湿化した。これらの社会に共通するのは、閉鎖性の極めて強い社会だということである。

 彼らがキャンペーンをはるとすれば、いじめの根絶ではなく、いじめの頻度と悪質かつ陰湿ないじめの低減を目的とすべきである。そのためには、閉鎖系の社会を開放系の社会の変革すべくキャンペーンをはるべきである。

 小中学校でいじめが頻発し、悪質かつ陰湿化している理由には、小中学生が学校に閉じ込められている現実がある。学校しか彼らが所属できる社会がないからである。

 学校しか、彼らの所属する社会がないならば、学校内の序列が彼らの「価値」のすべてになってしまう。彼らが学校以外の社会に所属しているならば、彼らが学校内でいかに疎外されていようと、他に選択する道がある。

 文部科学省や日本のほとんどすべての主要メディアは、いじめ根絶キャンペーンをはるのではなく、こう「宣言」すべきである。

 いじめは、社会に普遍的に存在する現象である。だから、いじめを根絶することはできない。しかし、いじめの頻度を減らし、自殺に至らせるような悪質かつ陰湿ないじめを抑えることは可能である。

 そのためには、小中学校を外との社会とかかわりをもつ、開放系の社会に変えることである。

 もっと具体的に言えば、校門を閉めるのではなく、校門を開放して他の社会の人間を構内に引き込むことであり、児童生徒を校門の外の社会に放り出すことである。

 学校は文部科学省の決めた学習指導要領の範囲の勉強をするところであり、それ以外の分野であるスポーツや文化活動は学校以外の社会でやればいいのである。

 学校内で疎外されたって、学校以外にもいろいろな道がある。かつてのフォーク少年も、ロック少年もみんなそうだった。学校なんて、児童生徒が所属する複数の社会にひとつにすぎない。

 そう考えれば、いじめを跳ね返せることはできないにしても、自殺などという極めて非生産的な行為に価値を見いだすことは減るはずである。(2006年12月5日記)

 横審は朝青龍を蹴手繰り返せと言うべきだ

 ある日、新聞記事を読んでいて、久しぶりに思わず笑い転げてしまった。

 本当に面白い笑いは、今どきのお笑い芸人がTVでやっている、いわゆるウケ狙いの笑いではない。当人が至極真剣であるにもかかわらず、いや至極真剣であるがゆえに、社会の実相や現実とずれてしまう。それこそ強烈な笑いを引き起こすものである。

 短い記事なので、筆者が笑い転げてしまった新聞記事をここに書き写す。読売の記事だが、朝日その他の記事もほとんど同じ内容だった。記事に登場する当事者も、執筆した記者も、原稿をチェックしたデスクも、この記事が笑いを引き起こすなんて考えてもみなかったに違いない。

 ■朝青龍の蹴手繰り「よろしくない」…横綱審議委員会

 大相撲九州場所後の横綱審議委員会が27日、両国国技館で開かれ、19度目の賜杯を5度目の15戦全勝で飾った朝青龍について「全勝優勝は高く評価するが、8日目の稀勢の里戦でみせた蹴手繰り(けたぐり)は、品格の問題からもよろしくない。受けて立つ相撲を取ってほしい」と注文をつけた。

 内館牧子委員は、「蹴手繰りなんて、そもそも語感が汚いわね。横綱が、『先場所、負けてるから』なんて言ったそうだけど、横綱の発する言葉じゃない」とピシャリ。

 石橋義夫委員長は、「連敗は困るという気持ちの問題でしょう。横綱本人も自覚しているでしょうけれど」と語った。(2006年11月27日 読売新聞)

 読者の皆さん、この記事を読んでみて、何かおかしいと思いませんか。

 横綱審議委員会(横審)は、朝青龍が稀勢の里戦で放った蹴手繰りを「品格の問題からよろしくない」と批判、内館委員にいたっては、「蹴手繰りなんて、そもそも語感が汚いわね」と酷評しているが、はたしてそうだろうか。

 蹴手繰りは相撲の決まり手として認められている正当な技である。力士が正当な技を駆使して勝利して、文句を言われる筋合いはない。それなのに、大相撲の最高諮問機関から文句を言われたのでは、たまったものではない。

 かつての大相撲では、つりに専心した明武谷など特異な技をもつ異能力士が多くいた。蹴手繰りの名手もいたはずだ。蹴手繰りの名手が自分の得意技で勝ったために、大相撲の最高諮問機関からとがめられたなどという話など聞いたことがない。

 横審は、朝青龍の一人舞台となった九州場所を論評するならば、朝青龍の蹴手繰りに難癖をつけるのではなく、日本相撲協会と大関以下の力士の不甲斐なさを糾弾すべきである。

 朝青龍は、現役力士の中ではケタはずれの実力をもっている。大関以下の有力力士がまっとうに戦っても、まず勝てる可能性がないほどの実力差がある。

 筆者は、朝青龍は、いわゆる名横綱ではなく、たまたま相撲界に足を踏み入れてしまった、稀代の格闘家だと考えている。朝青龍の瞬間的なスピード、技の切れ、それらを生み出す体の使い方、つまり、重心の置き方と移動の仕方、勝負勘、勝利への執念とも、他の力士とは比較にならないほどのものがある。

 しかしです。実力差が余りにも大きくて、まともに戦っても勝てる可能性が極めて少ない場合、他のスポーツ界ではどうするのか。戦う前から勝利をあきらめてしまうのか。
 
MLBの場合、ヤンキースと対戦する、万年最下位のデビルレイズは試合を投げてしまうのか。サッカーのスペインリーグで、FCバルセロナと対戦する下位チームは対戦前から戦意を喪失してしまうのか。そんなことはない。

 絶対的に戦力不足の下位チームであっても、強いチームの数少ない弱点を分析し、そこをついて戦い、勝利の可能性を追求する。そのスポーツで認められられたルールの範囲で、あらゆる手練手管、つまり戦略と戦術を駆使して、相手チームを倒そうとする。

 プロレスでは、大勢のレスラーがひとつのリングに上がって戦うという形式の試合がある。プロレスならば、リングに上がった他のレスラー全員がひとりのレスラーを攻撃することもできる。

 大相撲ではそんなことはできない。しかし、朝青龍に対しては、1場所で15人の力士が対戦する。15人がそれぞれ、彼らがもつあらゆる技能と知恵を絞って戦えば、朝青龍を倒すこともできるはずだ。

 横審は、朝青龍の取り口について悪口ではなく、こう言うべきである。朝青龍は確かに強い。朝青龍を倒すことは極めて難しいことはよく分かる。しかし、他の力士も同じ土俵に立つ格闘家である。ならば、朝青龍を倒すために、ルールで認められた範囲内で、あらゆる手練手管を駆使して、朝青龍に勝利を倒す努力をすべきである。

稀勢の里に対する蹴手繰りも、「先場所負けている」からだけではなく、対戦相手の強さと勢いを認めたうえでの、天性の勝負勘からでた技だろう。

朝青龍に比べれば、他の力士は「お坊ちゃん相撲」をしているにすぎない。それでは大相撲は衰退してしまう。横審は、朝青龍の悪口ではなく、朝青龍に対抗できる力士を育成できない相撲協会と親方衆を批判し、ふがいない取組しかできない他の力士の奮起を促すべきである。(2006年11月30日記)

 ビールかけとシャンパンファイトの違い

 プロ野球の球団が優勝を決めた直後、必ず行う恒例の儀式があります。祝勝会場でのビールかけです。選手や監督、コーチらが大量のビールをかけ合って喜びを爆発させる、あの儀式のことです。海の向こうのMLBにも同様の儀式があります。かけ合う酒類がもっと高級で、シャンパンファイトと呼ばれています。

 これまで、ビールかけもシャンパンファイトも同じ趣旨の儀式だと思っていましたが、それは筆者の思い違いだったようです。まったく趣旨の違ったビールかけとシャンパンファイトがあることに気づいたからです。

 まずは、MLBのシャンパンファイトから話を始めることにします。アメリカン・リーグの地区シリーズで、デトロイト・タイガースは初戦に敗れた後、3連勝でニューヨーク・ヤンキースを下し、A・リーグの優勝シリーズ進出を決めました。本拠地のコメリカパークで3勝目を挙げたタイガースナインは、球場のロッカールームですぐシャンパンファイトを始めました。ところが、このシャンパンファイトはあっけないほど短い時間で終わってしまいました。

 しかし、ロッカールームでのシャンパンファイトは「準備動作」でしかありませんでした。タイガースナインは満員の観客がスタンドで待つフィールドに飛び出してきました。手に手にシャンパンの瓶をもっての登場で、早速フェンス沿いを走りながら、シャンパンを観客に盛大に振りかけて回っていました。

 そして、圧巻だったのは、ベンチの屋根の上でした。屋根によじ登った選手が、すぐ隣にいる観客にシャンパンを振りかけていました。そこには制服姿の警備員もいましたが、彼は笑って立っているだけでした。そして、彼も最後には帽子の上からシャンパンの泡の「洗礼」を受けることになりました。こんな光景はすべて、NHK・BSで放送されました。

 一方、プロ野球のビールかけはどうだったでしょうか。東京ドームで、延長戦の末に巨人を下してセ・リーグ優勝をきめた中日ナインも、当然ながらビールかけの儀式を執り行いました。しかし、その光景はどんなものだったのでしょうか。

日刊スポーツの記事によると、中日ナインは日付の変わった翌日未明、遠征先の宿舎のプールサイドでこの儀式を行ったと伝えています。翌日未明なのは仕方がありません。延長戦で試合終了が遅くなったからです。しかし、会場は球場でもホテルの宴会場でもありませんでした。この時間帯とこの場所では、取材陣も含めた関係者しか、この儀式に参加できなかったことは明らかです。 

 MLBのタイガースの優勝決定は本拠地であったのに対して、中日のそれは敵地の球場でした。巨人が東京ドームで相手球団の胴上げを見るのは初めてでした。巨人も東京ドームも、球場内で相手球団のビールかけなどやらせる気はなかったでしょう。

 しかし、それにしてもです。観客と喜びを分かち合ったタイガースのシャンパンファイトと、球場ではなく宿舎のプールサイドで関係者だけで儀式を行った中日との違いは、単にビールかけやシャンパンファイトの話だというのでは済まされない内容を含んでいます。

 野球に限らず、プロスポーツの主役はファンです。なかでも直接会場に足を運んでくれる観客こそもっとも重要な主役です。観客やファンの支持があってこそ、プロスポーツは成立するのです。プロ野球とMLBとのファン、観客に関する考え方の違いが、タイガースのシャンパンファイトと中日のビールかけに表れたといえるのではないでしょうか。(2006年10月16日記)

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 投げさせすぎですよ、高野連と早実の監督さん

 「エースの○○君と心中するつもりでした」。高校野球の監督がよく使う言葉です。まっとうな言葉のように聞こえますが、少しだけでも考えてみると、これほど残酷な言葉はありません。「エースと心中」するしかないチームをつくったのは、試合で使える2番手、3番手投手を育てられなかった指導力不足の監督の責任です。

 まだ17歳か18歳の少年投手が特別に重たい責任と重圧を負わされ、連投に次ぐ連投の結果、肩や肘をこわしてしまったら、監督や学校、高校野球を主催する高野連はどう責任を取るのでしょうか。いや、高校時代の投げすぎで故障し、投手生命を失った投手は数多くいますが、彼らに対して、監督や学校、高野連が公に謝罪したり、責任を取ったりした事例などこれまで聞いたこともありません。

 ■極めて異常な4日連投、553球

 今年の夏の甲子園大会は、近年にない盛り上がりをみせました。前半は乱打戦など大味な試合が多かったのですが、準々決勝以降は白熱した熱戦が続きました。優勝した早稲田実業と駒大苫小牧との決勝での延長15回の戦い、翌日の決勝再試合は、国民的な関心を集めました。駒大苫小牧の豪腕エース、田中将大投手と、早稲田実業のエース、斉藤祐樹投手との投げ合いを、全国民が見守ったと言っても言いすぎではないでしょう。

 田中投手は準々決勝の後、中1日空けての3連投でした。斉藤投手は準々決勝から決勝再試合まで4日間、1人でマウンドに立ち続けました。この4日間の斉藤投手の投球数は553球だったと新聞は書いています。斉藤投手の4日連投、553球は極めて異常な数字です。田中投手もこれに近い球数を投げていたはずです。

 エースに異常なほどの球数を投げさせる。それによってヒーローをつくりだす。松山商対三沢の決勝、決勝再試合以来の高校野球のパターンです。斉藤投手は「ハンカチ王子」とメディアから呼ばれるヒーローになりましたが、仮に決勝再試合で敗退したとしても、「悲劇のヒーロー」として、メディアに追い掛け回されていたことには、変わりはないでしょう。

 ■斎藤投手は3戦に先発、全5試合に救援登板した田中投手

 夏の甲子園大会については、これ以上は触れないことにします。甲子園大会での2人の連投は異常でしたが、彼ら2人のヒーローはその後も異常な連投を続けさせられることになりました。甲子園大会の上位進出校から選ばれた全国選抜チームが8月末から米国遠征にでかけました。当然、斉藤、田中の両投手も選ばれています。

 甲子園大会でフル回転し、疲れ果てていた2人ですから、米国遠征ではそれほど出番はないだろう、監督や高野連もそうするだろうと、筆者は考えていました。しかし、そんな考えはとんでもない間違いでした。日本選抜チームは米国遠征で5試合を行いました。8月31日には野球殿堂のあるクーパーズタウンで東部選抜チームと2試合(ダブルヘッダー)。9月1日は西海岸への移動日で試合はありませんでしたが、2、3、4日はロサンゼルスで西部選抜との3連戦を行いました。

 相当な強行日程です。この5試合中、斉藤投手は8月31日の第1戦、2日の第3戦、4日の第5戦と3度先発しました。かなりハードな登板間隔ですが、田中投手の登板はもっと過酷なものでした。何と、田中投手は第1、第2戦のダブルヘッダーを含め全5試合に救援登板したのです。

 ■「親善試合」に何故、過酷な登板を強いる
 
 高野連と選抜チームの監督は、どうしてこういう過酷な使い方をしたのでしょうか。8月21日の甲子園大会・決勝再試合から8月31日の米国遠征の第1試合までは10日間しかありませんでした。その間も、2人は優勝(準優勝)報告などで多忙な日々を送っています。特に、斉藤投手は連日、メディアに追いかけまわされています。

 米国遠征は「公式戦」ではありません。あくまで親善試合です。メディアの関心が異常に高い。野球の母国である米国に勝ちたい。今回の選抜チームにはずば抜けた力量の2人のエースがいる。ならば、2人をフル回転させても米国に勝ちたい。そういうことだったのでしょうか。しかし、それでいいのでしょうか。

 日本選抜チームの監督は、甲子園大会で優勝した早稲田実業の和泉実監督が務めていました。斉藤投手の疲労度を最も分かっていたはずの人物です。田中投手に関しても、決勝、決勝再試合の2度の対戦で、疲労度は十二分の分かっていたはずです。高野連の幹部も、遠征には同行していたはずです。彼らも、斉藤、田中両投手の使い方に異論をはさまなかったのでしょうか。

 ■「ハンカチ王子」とまつりあげるだけのメディア

 メデイアの対応もひどいものでした。朝のワイドショーの時間帯に、米国遠征中の試合を生放送したTV局もありありましたが、新聞、TVとも斉藤投手を「ハンカチ王子」とまつりあげるだけでした。斉藤、田中両投手を酷使しすぎるといった批判は筆者の知る限り皆無でした。それ以前に、甲子園大会の疲労の癒えない彼ら2人が米国遠征で連日のように登板させられていること、特に田中投手が全試合に登板していることに視点をあてた報道も、筆者の知る限りでは見当たりませんでした。(2006年9月8日記)

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 チョウチンアンコウのようなメジャーリーガー

 あいつほどマナーの悪いメジャーリーガーを知らない。あいつは、ボストン・レッドソックスの四番打者である。三番打者のデビッド・オルティーズとの三、四番は、現在のメジャーリーグで最強のコンビと言っていいだろう。本塁打は30本から40本は打つ。打点も常にシーズン後半には100を超えている。打率も3割以上をマークするのは当たり前である。

 数字だけの選手ではない。好機では無類の勝負強さを発揮する。チームやファンにとって、どうしても点がほしい場面では、軽く合わせた適時打を放つこともできる。何とも頼りになるクラッチヒッターである。

 ところがである。あいつほどだらしないメジャーリーガーはいない。ユニフォームの着こなしといったら、もうどうしようもないほどひどい。ズボンは、ヒップホップ系の若者のように、だらしなくはいている。さすがに、股下まで大きくずり下ろしてはいないが。そこまでズボンを下げてしまえば走れなくなるので、そうしないのだろう。

 上着の着こなしもひどいものである。まるで、ふた昔前のおじさんたちが着たダボシャツのような着こなしである。まるで、ズタ袋を野球のユニフォーム用に縫い付けて、そのまま着ているような格好である。みっともないったらありやしない。今シーズンはさらにひどくなった。トレッドヘアというのだろうか。癖のある長髪を細かく束ねている。おまけに、キャップやヘルメットの下には、毛糸の帽子のようなものまでかぶっている。

 今シーズン、読売巨人軍からからオリックス・ブルーウウェイブに移籍した清原和博も、あいつと同じような毛糸の帽子のようなものをかぶっていたが、清原はあいつの真似をしたのだろうか。トレッドヘアならまだ実用的な利便性があるのだろうか、清原のスキンヘッドでは、どんな利便性があるのだろうか。

 清原のことはともかく、あいつは超一流のメジャーリーガーとは到底思えない格好をしている。あいつのマナーの悪さはそれだけではない。今シーズン、ニューヨーク・メッツをフェンウェイパークに迎えた、インターリーグの3連戦をTVで見る機会があった。そのうちの1試合で、あいつは打席でガムをかんでいた。

 あいつのかんでいたのは、アメリカの大きくて褐色のガムである。メジャーリーガーが試合中にガムをかんでいるのはいつものことである。打席でガムをかんでいることを問題視するつもりはない。問題はその後である。あいつは打席で、かんでいたガムを打席の後方に「ペッ」と吐き出したのである。

 フィールドにつばを吐き出す選手はいくらでもいる。しかし、フィールドで、しかも打者にとって最も「神聖」な場所であるバッターボックスで、ガムを吐き捨てる選手はほかにいるだろうか。

 さらにである。あいつほどゲーム中に緩慢な動作を繰り返す選手はいない。守備に入る。あいつの場合はグリーンモンスターの前の左翼に入る。その入り方はゆったり、いやもっそりとである。守備位置での動作も緩慢である。グリーンモンスターでの打球の跳ね返りは熟知しているから、その際の反応だけは的確だが、あいつのファインプレーなど見たことはない。あいつのスライディングキャッチの場面など、筆者の「記憶ファイル」には存在していない。

 走塁でもそうである。足が速い選手ではないので盗塁など望まないが、出塁しても投手への「走るぞ」というけん制もない。ただ、ベースの近くに立っているだけである。あいつの後に打つことが多いジェイソン・バリテックは、あいつの無頓着な走塁のおかげで、打率と安打数を相当に損をしているのではないだろうか。

 打撃でも、あいつの緩慢さは変わらない。いや、緩慢さはさらに増してくる。あいつほどゆったりと打席に入る選手はいない。のっそりと、まるで退屈な仕事をこれから嫌々しなければならない人のようである。あいつは、野球が好きではないのではないか。あいつの、試合中の動作を見ていると、そんなことさえ思えてしまう。

 ところがである。あいつが打席に入り、足元を固めてフォームを確定させると、あいつの表情(体全体の表情)と雰囲気が一変する。それまでとはまったく違った緊張感があいつの体全体からほとばしってくる。

 あいつの動作を繰り返し見ているうちに、ある動物のことを連想した。あいつは、あの動物と同じ動作をしている。深海に棲むチョウチンアンコウである。極めて生息環境の劣悪な環境に棲むこの魚は、普段は「省エネ」に徹して暮らしている。食事の時間以外は、完全な省エネモードに入っている。しかし、獲物がチョウチンアンコウの捕食範囲に入ると、彼のモードは一変する。獲物を誘うライトを点灯し、一瞬のうちにものすごいスピードで獲物を獲得する。

 あいつは、1メートル×2メートルほどしかない、長方形のバッターボックスの中だけで生きているのかもしれない。バッターボックスの中で、投手が投げ込む球をバットではじき返す。ただそれだけの行為にだけ、命懸けで取り組んでいる。そのほかのプレーは、あいつにとっては余計なことである。そう考えると、あいつの姿は、潔くさわやかなものに思えてくる。

 あいつとは、ボストン・レッドソックスの四番打者、マニー・ラミレスのことである。ラミレスの「捕食行動」の見事さは、他の動作の緩慢さやユニフォームの着こなしのだらしなさなど、欠点を補ってなお十分に余りあるものである。(2006年8月6日記)


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